どうする、お葬式 | エホバの証人 新潟県元2世会衆 jw.org→jw.orz

エホバの証人 新潟県元2世会衆 jw.org→jw.orz

jw.orgにいた2世がjw.orzになり、やがてとあるプロテスタント教会のしがない牧師にと流れ着いたある男の徒然草。
新潟県のエホバの証人元2世の戦友が出会えるきっかけの場になればいいかなー

親戚が亡くなりました。田舎のお寺で葬儀が執り行われます。
さあ、あなたはどうしますか。

-----

今から20年前、伯父が病死し、田舎の禅寺で葬儀が執り行われました。
当時母はバリバリの現役、私ら子っこはバプテスマを受けていない伝道者でした。

葬儀の時、親族であるので前の席に家族3人で座っていました。
お坊さんの1時間以上の読経と弔辞が終わり、焼香の段に入りました。
焼香は喪主を最初にして後は順次、という形ではなくて、参列者リストに沿って名前がアナウンスされ焼香する、というものでした。

家族3人の名前がアナウンスされました。
母も私ら子どもも、席に座ったままでした。
周りの参列者から「いいのか?」と言われたのですが、母は「いいんです!」と宣言。
強行突破みたいな形で焼香しなかったのでありました。

今では葬儀で焼香しなかったことを激しく後悔しています。
そう多く機会はないのですが、祖父母の家を訪れる度に、お詫びのつもりで仏壇の前に座り線香を焚くことにしています。それは牧師になった今でも変わりません。

-----

仏式の葬儀で焼香することを拒否するのはエホバの証人だけではありません。
福音派と呼ばれている保守派キリスト教の信者も焼香しません。祭壇の前で手を組んで祈ることはするにしても。

本人は「そうしなければ自分の信仰を守ったことにならない」だとか、「そうしなければ自分の信仰を証ししたことにならない」だとか言うのですが、はっきり言って、それはただの自分勝手な自己満足に過ぎない。エホバの証人だろうが福音派だろうが。

王国会館や教会での葬儀の時、列席者全員に讃美歌を歌っていただいていますでしょう。讃美歌を歌うというのは参列者による祈祷行為にあたるものです。
自分たちが焼香しないということを押し通すのなら、讃美歌を歌わない権利を認めるべきです。「歌いたくなければそれでいいです」と。

また、焼香を拒否しなければ自分の信仰を守れないって、自分の信仰を証しできないって、それは自分が信じている神がそうしなければ守れないほどちっぽけな存在であるというのを言っているようなものですよ。証しになるどころか、ちっとも証しになっていないんですよ。

私の場合は、「歌いたくなければそれでいいです」とまでは言っていません。魂を売り渡さなければ焼香して構わない、という立場であるからです。
以前、仏式の法事の是非に関して相談を受けたことがありますが、その類の相談を受けた際にはエリシャとナアマンの物語をもって答えとすることにしています。

ナアマンは言った。「それなら、らば二頭に負わせることができるほどの土をこの僕にください。僕は今後、主以外の他の神々に焼き尽くす献げ物やその他のいけにえをささげることはしません。ただし、この事については主が僕を赦してくださいますように。わたしの主君がリモンの神殿に行ってひれ伏すとき、わたしは介添えをさせられます。そのとき、わたしもリモンの神殿でひれ伏さねばなりません。わたしがリモンの神殿でひれ伏すとき、主がその事についてこの僕を赦してくださいますように。」エリシャは彼に、「安心して行きなさい」と言った。
(列王記下 5章17~19節 新共同訳)

「安心して行きなさい」。これがすべての答えです。
私を含め、この言葉で救われた人がどれだけ多くいることか。