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夜な夜な

自転車をいじってみる。

注文していたホイールの入荷が遅れるとのアナウンスを受け、

いてもたってもいられずにしょうもないものを交換。



えっ、なに?ってこれはプーリー。

リアディレイラーの足の部分についてるやつ。

前々から交換する意味あるのか?と思ってたのに・・・



こんな感じになる。


・・・ほぼ見えない。


・・・性能が変わるとも思えない。。


・・・厳密に言えば何グラムか軽量化できたはずだけど、、、で?



もしかして無駄な出費・・・?



まあいいや。色を変えたんだ!と思うことにしよう。



話は変わってCASATI というブランドがある。

そのLinea oroというモデルに恋焦がれているのであるw


いつかどこかで見て、その美しさにヒトメボレ。

真っ白なカラーリング。

溶接部の処理。

メッキラグ。

クロモリ特有の繊細さ。


どれをとってもこいつに勝るものはいない。


どんなパーツで組み上げようか。


そんなことを考えるのが楽しい。



・・・ってまだまだ先の話だけれどもね。

蜷川実花 ―地上の花、天井の色―



来るか来るかと待ちに待っていた展示。


蜷川実花展。


会場は花の香りに包まれていた。

一歩会場に入ると赤、ピンク、黄色、青、緑・・・強烈なコントラストに目が覚める。

だけれどもなぜが見入ってしまって、いつまでも見ていたい気分になるのが不思議だ。


狭い会場だけれどグルグルグルグルじっくり2時間。

かなり感化された時間でした。


カタログも迷わず購入。


大切な本がまた1冊増えました。



帰り道で見た青空はいつもより鮮やかに見えた。



色彩



「赤」に惹かれます。


ポイントポイントで赤をうまく使ってると


おっ!


と思う。


同じ赤でも微妙に違う。

1番左のは金赤に「K」が5%くらい入ってるかなぁ。

その隣はM100%、Y80%くらいかなぁ。


一言に赤と言っても人によって連想する色味が微妙に違う。

それがまた面白い。


(・・・仕事となると大問題だけど。。。)



太郎先生の『赤』というタイトルの絵。

とても好きです。

岡本太郎美術館にありますが、絵の中でここまで迷いの無い赤を見たことが無い。

ためしに数十分見続けていたけど「迷い」は見つけることはできなかった。


スゴい赤。


人によって連想するイメージが真逆なところも赤の面白いところ。

ボンゴレパスタ



あさりたっぷりのパスタ。


あさりをバターでちょっと炒め、開いたところでペペロンチーノソースをちょっと。



なんに関しても素材の味というものを味わいたいので味付けは基本薄め。

この風味はあさりのダシで、この辛みはペペロンのそれで、

このまろやかさはバターで・・・


なんてことを感じ取れるくらいが好みです。



食品や花を撮るとき、直射日光があたらない明るい場所で、

フラッシュは使わず白トビするかしないかくらいのところを狙うと割と良い画が撮れます。



今日はやたら風が強い。

どうしようか。

・・・さて動くとしよう。

バイブル 其ノ参

ブルーノ・ムナーリ 「ファンタジア」




晩年のピカソは言った。


やっと子供のような絵が描けるようになった。


と。


大人になるにつれて知識や経験が増えてくると本当の意味で自由な発想が

無意識のうちに遮断されるようになってしまうことが多い。


今の時代に新しい何かを考えようとする機会があったとしても

どのくらい掘り下げて考えることができるだろうか。

今までにあったものの表面だけをちょっと変化させるくらいで終わってしまうことが多いのではないだろうか。


人と人の関係でもそう。

どこにでも転がっている薄っぺらい言葉で済ませてしまっていないだろうか。


物事の本質、純粋さとはなんだろうか。



たまにこういう遊びをする。

物に名前が付いていなかったらどう思うだろうか。

身の回りにある物。

イス、コップ、バッグ、傘・・・

名前を聞くとそれぞれある特定の形を思い浮かべてしまう。

もし名前がなければどうだろうか。

だぶんその用途を想像するだろう。

腰をかけるためのもの、水を飲むための容器、荷物を運ぶためのもの、雨に濡れないための道具。


そう考えると広がっていきそうな気がする。

真の想像とはそういうことからスタートすべきだと思う。


そんなことを考えさせられる本。

ファンタジーはリアルなのかもしれない。


死ぬまでにやり遂げたいことがある。創り出したいものがある。

でもちょっとやそっとじゃ思い描けそうにない。

先はまだまだ長い。



左手で書いたこの記事の下書き。

(左利きですが字は右で書きます)


それは子供の字そのものであった。