仏教と悪魔崇拝2 | One truth

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元エホバの証人によるブログ


【即身仏を知っていますか?】
僧侶が衆生救済を願い、厳しい修業の末、自らの肉体をミイラ化して残したものです。
即身成仏を成し遂げれば人々を救う仏になる、という思想が背後にあります。
本来、人間がなれるわけもない「仏」になるための業だと、言われています。

【即身仏になるまでの経路】
まず、「五穀断ち」と言って2000日~3000日、木の実だけを食べます。
体脂肪は、ほぼなくなり骨と皮だけになります。
それからさらに断食して、胃の中を空(から)にします。
また、内臓を腐らせないようにするために、漆を飲むそうです。
漆は毒性があるので、当然吐きます。飲んでは、吐いて・・を繰り返すそうです。
辛い行程です。
そして、仕上げに、樽や棺桶の中に座禅を組んだ状態で座ります。
その体制でのスペースしか無い棺桶なので、立ったり、横になったりすることができません。そしてその樽、もしくは棺桶を土中深く埋めてもらいます。(空気穴は確保)
生きたまま埋められるのです。
そして、絶命するまで鈴を鳴らし続けます。
その後、1000日後に(弟子等によって)掘り起こしてもらいます。
こうして、即身仏ができあがります。

でも、非常に辛い苦行のため、成功者はわずかしかいないそうです。

そして、今では、非人道的な行為のため、法律で禁止されています。

天災や、災いを鎮めるために、このような過酷な修行と措置が必要でしょうか?

いいえ。
本物の神様は、天災や災いを鎮めるために、また人類を救済するために、
人間に、このような残酷な生贄を必要としてはいません。


この残酷な儀式の背後にいるのは、まぎれもなく悪魔サタンです。


それに、聖書では偶像崇拝を禁じていますが、
仏教は偶像崇拝の宝庫です。

そして、即身仏は、偶像崇拝の中でも、最高級に禍々しい偶像です。


ネットの掲示板を見ると、「仏間 怖い」「仏壇 怖い」という書き込みをよく見ます。
大半の人が本能で怖いと感じているものが、救ってくれる存在なわけありません。
「直感」に従ってください。
あなたが「直感」で、何か怖い。気持ち悪い。と感じたものは、それは良くないモノなのです。


「仏壇が置いてある部屋」と「聖書が一冊置いてある部屋」とでは、あなたはどちらの部屋で一泊したいですか?
キリスト教徒でなくても、大半の人が後者(聖書のある部屋がいい。)と答えるでしょう。
では、「即身仏がある部屋」と「聖書が置いてある部屋」とでは、どちらの部屋で一泊したいですか?
言うまでもありません。

つまりそういうことです。


また、仏教には「千日回峰行」という過酷な修行もあります。
往復48kmの山道を1000日(実際は975日)かけて、歩き続けると言うもの。
高低差1300メートルの山道を一日がかりで上り下りします。
非常に過酷な修行であることは容易に想像できます。
しかも、達成できなかった場合は、いかなる理由であれ自害しなければならないのです。
これまでに成功した人は、1300年の間に、たった二人だそうです。
だれが、この戒律を作ったのでしょうか?
残酷すぎやしませんか?

達成できなかったら、「命」まで絶たなければならないのでしょうか?
人の命に、誰がそんな命令をする権限があるのでしょうか?
それが、お釈迦様の命令なら、その背後にいる者の正体が誰なのか、言うまでもありません。


なぜ、これをカルトとは呼ばないんでしょうね。


ちなみに即身仏になる人は、密教の修行を履修した老僧が多かったそうですが、犯罪者にも、志願者が多かったとか。即身仏になれば、犯罪が帳消しになると言われていたからだそうです。
そのような過酷な苦行をして、自決しなければ、救われないのでしょうか?
いいえ。これは、サタンの教えです。
では、罪人が救われるにはどうすればいいのでしょうか。
聖書では、悔い改め、キリストの贖いにすがればいいのです。
ただそれだけです。