高野悦子『二十歳の原点』の「生は与えられたものである」 -7ページ目

絶対性

 

絶対性

わたしの心の中に詩(うた)う心があったなら

あたたかくきびしくつつむ詩う心があったなら

自分のことばかり考えずに

他の人のことも考える心―。

淋しくて淋しくて仕方がないくせに

虚勢をはっているわたしがきらいなくせに

やっぱり みえをつくろっている―

ばかだと思っているのに

やめた方がいいと思っているのに―

(別の日の日記)

 自分というからの域を出ていない。常に自分のまわりのかべを見ていて、客観的存在をみようとしない。自分の絶対性をこわされたくないので、自分を自分で身動きしないようにさせている。

      高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

 

前回自己変革について記述しましたが、本当に悦子さんは自己変革を求めていたのだと確信しました。しかしそれは自身に存在する保守性との闘いだったのかもしれない。

先日法政大学に行って来ました。たまたま近くを通ったついでに寄りました。約40年前悦子さんは5階の教室で、立命館大学の入試試験を受験しています。

自己変革

 

自己変革

 まず最初に板橋さんは解放運動は自己変革だといっていたが、私は自己変革―現在の自己の弱点を否定し、それをつくりかえていく―ということを強く感じた。今の私には、今までの私は自己変革がなかったとおもった。つくりかえていくことがなかった。その「自己変革」が今日に至って一層強く感じられた。弱さを認めた上での自己否定を経ての自己変革。私は自分の弱さを認めることを恐れていると思った。口ではひょいひょいと出しても、本当にそれを認めることに恐ろしさを感じている。

 土屋さんと話をして気付いたことだが、私は弱さを認めまいと必死になっている。これは松田さんの克服してきた点だが、私はこのことは徹底した自己との闘いの中で克服されていくものだと思う。他人に対して勝手な私だが、自分との闘いにはとんと弱い。

(翌日の日記)

自己変革なし。

      高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

 

悦子さんは『二十歳の原点』の中に、「自己を支えているものが動揺し、内部のもの自体に不確実さ、非現実を感じるとどうにもならなくなる。」と記している。自身の中に強さ、自己変革を望んでいた。「己を律せよ」自答していた。

目的を求めていた。

 

目的を求めていた。

 私は一体何をやりたいのだろうか。日本史の本を読みたい、買い物をしたい、京都の町を歩きたい・・・会議の議題のように上げたことはあげたが、実際本当にやりたいのか疑問になってくる。しかし何かをやらねばならぬのは事実だ。生きていることを否定すれば、残されたのは自殺という道しかない。ヘンナ論理。

      高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

 

悦子さんは絶えず生の目的を求め続けた。『与えられた生』能動的な生に対する答えを求め続けた。なぜ存在するのかという真理に対する答えを求め続けた。

生きられるだけ生きてみろ!

 

生きられるだけ生きてみろ!

立ち上がって眼下に広がる景色を見ていた。

 ふと手前の山の岩のごつごつしたのを見た。登ってくる途中でいかにもごうまんに、威厳を保って見下していた岩だった。いいかげん登ってそろそろ疲れ始め、また何かがボッと出てこないかと恐ろしく思っていたときだった。あのときの岩がごつごつとした様子をみせて緑一色の中にあったのだ。

 一瞬、あの岩から飛び降りれば死ねる、死ぬ、(死ねるだが死ぬだが、今でははっきりしない)と思った。いや今この場所からでも飛びおりれば死ねる。(或いは死ぬ)と思った。

 緊張した一瞬であった。しかしすぐに、馬鹿なことを考えるな、弱虫め!生きられるだけ生きてみろ!という声が聞こえた。

 私はきわめて平凡な様子でどうせ生きるならよりよく生きようと思った。

 結局また出発点にもどった。マイナスの方向からゼロに帰った(?)だけだ。心が落ちついたがさてこれからどうするのか。

      高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

 

京都山科の寮近くの安祥寺付近の山に登った時に書いたものです。生と死と揺れる気持ちを表現している。

ひとときの休息

ひとときの休息

仏語をさぼって御所でのんびりとした。

 空が珍しくあおくライトブルーの地色に、しぼりたての白の絵具のような白さの、もこもことした、ふんわりとした雲が、なんとなくそれにしては刻々と流れては消えていった。

 

ヘッセの詩を思いだした。

 私は定めのないものが好きだ―

 ものでなくては あの雲の心はわからない―

 

雲の心はわからなかったけれど、落ち着いた静かなひとときだった。

      高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

 

立命の広小路キャンパスが御所の東、加茂川との間にあった頃、悦子さんが過ごした休息の時間である。雲の詩は詩の直前にもよく、日記に書かれている。しかしその頃の詩は現実逃避の色が濃いものであった。またお父さんの記述によると、時間を見ては、京都を散策したようである。

総括

 

総括

ここいらで大学生活の総括でもしようか。鈍行の東海道線にのって・・・

高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

 

この文章が書かれたのは、6月12日の日記です。大学に入学して、二ヵ月半経過した時である。サークル活動、自治会活動と新しい環境に対応できない部分もあったようである。

なぜこの2年後、鉄道自殺することになったのか、山陰線を歩きながら、総括していたのではないか。

主体的死とは。

 

主体的死とは。

現在生きている。死んでいない。どうして生きているのか、主体的に生きるという言葉はきいてもおかしくないが主体的に死ぬということは何となくおかしい。

 生は流動しているのに対し死は固定しているものだから、主体的に死ぬといえるのは、自殺を主体的にしたときだけしかしえない。そしてその主体的行動をした結果すべてが終わる。何もなくなるのだ。

 私は今何かをやっていきたいという気持ちだ。自殺をするほど死にたいと思わない。何かをやっていきたいと思っている。

高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

 

悦子さんは絶えず自己創造、自己変革を求めていた。それは主体性、自主性の追求である。

その究極の主体性として死を選んだのかもしれない。

どうして生きているのだろうか?

 

どうして生きているのだろうか?

前の手紙で「現実のこの社会の中でどう生きていくか」ということについて考えてやっていきたいと書きました。でも私自身生きたいのかと考えてみると、今死んでもかまわない。ただし、自分で死ぬだけの積極性もないし、死ぬ場合にも苦しまずに死にたいという、きわめて消極的な態度をとっているのです。この考えは、もの心ついて以来ずっと心のかたすみにあったものです。その間、恵まれない環境や、不自由な体にめげず力強く生きている人をみて、自分も生きなければならないと思ったことがあっても、それは長続きせずに、生きるのがめんどうだという態度をとってきています。生きるのがめんどうだということは、逃避している一面があると書くはずだったが、考えてみると生きるのがまんどうだという考えが、現実からの逃避ではなくてなんだろう。

 生きるのがめんどうだという意識とたえず戦っていかなくてはならないのではないか。どうして生きなければならないのか、私がその意識と戦っていかなければならないといわせたその根拠なんだろう。 

 みんなが苦しみにまけることなく生きているから、私も生きなければならないのだろうか、何故なのだろう。またどうしてみんな生きているのだろう。

高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

 

どうして生きているのだろうか。悦子さんは問うている。それは真理であり、答えがないものかもしれない。僕にも分からない。与えられた生に対して、どう自身が能動的に生を得たかという問題かもしれない。

対人恐怖症と笑顔のギャップ

 

対人恐怖症と笑顔のギャップ

友達関係というものは、人間としてのぶつかりの場できびしいものである以上、私自身向上しなければ彼らは私を必要としなくなるだろう。これからの私はものすごく急激な自己変革をしなければならない。これに対して私はどのように対処していったらよいのか、恐ろしい気持ちがする。・・・

 生きている限り人に会う。会えば話をする。どのように会い、どのように話し、どのように別れるのか、わたしは人と接触するのに大げさにいえば恐れをかんじる。

高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用 

 

 

悦子さんの写真を見れば、笑顔が素敵だと感じない人はいないと思います。しかしその笑顔は対人恐怖症からの防御なのかもしれない。那須文学に悦子さんの日記が初めて掲載されたとき、同時に友人の手紙の内容が掲載されていました。そこには悦子さんの笑顔が印象的で、魅力的だったと表現されていました。しかしその笑顔の本質を悦子さん以外は知らなかったのかもしれない。悦子さんは、自身をいつも笑っていると記し、自己嫌悪を感じていました。このギャップ。

初めての行動

 

初めての行動

明日のメーデー参加について

メーデーとは、一八八九年アメリカの労働者の団体であるアメリカ労働総同盟が、五月一日に八時間労働の確立を求めて大集会を行ったが、その要求が通り多くの労働者が八時間以内労働となった、ということを記念して、一八九〇年から労働者の地位向上をスローガンに、五月一日に集会がおこなわれるようになったのがメーデーの起こりだ。そして歴史的にいろいろと変わりながら現在にいたっているそうだ。

(次の日の日記)

私がデモにもったイメージは平穏なものだということだ。シュプレヒコールや歌などがあるが、穏やかなものだと感じた。大衆とともに進むなら穏やかなデモの形態がいいと思う。

高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用 

 

 

悦子さんが初めて参加した、学生運動である。この時は民青と非民青の亀裂があったようだが、悦子さんの思考、行動、存在を問うようなものではなかったようだ。なお立命館大学では、民青の力が強かったようである。やがて全共闘運動の中で民青と対立していく。