高野悦子『二十歳の原点』の「生は与えられたものである」 -8ページ目

自虐と主体性の追求は両刃の刃

 

自虐と主体性の追求は両刃の刃

生きるのがめんどうだという考えをすてること。私はあらゆる問題に対して最初の興味だけしか持っていない。問題意識がない。どんな本でもとにかく本を読むこと。

(別の日の記述)

私の日記は奥浩平君のいう“自虐的な文”でつづられている。

高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

 

 

悦子さんの日記は自虐的かもしれない。生きるのは面倒だと記述しながら、自己の存在、主体性、自主性を求めていく。しかしその行動と思考は現状維持というような停滞や慎重さを許さない。その追求は自身へと突き刺さる。両刃の刃かもしれない。完全を求めすぎたのかもしれない。

自主性・主体性

 

自主性・主体性

自信と誇りをもつ自主性のある人間になるよう努力しよう。それから人対人の関係、対人関係の処理をじょうずにしよう。

(別の日の日記)

・・・私はどうしてもこの四年間主体性を持って進まなければ、これからの人生は無意味になる。学生の生活は講義などのほか、自治活動が大きな位置をしめている。その中のどの自治活動に入るか自分でよく考えて決めようと決心した。

高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

 

 

悦子さんの大学時代、いや人生において主体性(自主性)と対人関係が大きな問題だった。

自己の存在の確立、自己と他者との調和のとれた関係構築を求め続けた。それらが全共闘運動、孤独へと到る。

死の恐怖

 

死の恐怖

死ぬのがこわいと山はいった。松岡さんは死ぬことがこわいといった。

死ぬことは平気だわ。だって何も自分はわからなくなってしまうんだもの。だけど、私は死ぬことはこわい。自分ののらりくらりとした生活をたちきってしまいたいけど、自分の命を絶つということはできない。と私は思った。

山は「死んだらこの世の中に私というものが全然なくなってしまうんだもの、死ぬのはこわいわ」といった。西ちゃんも山の考えと大体同じようだ。それからサカとマツも一致していた。私もマツも似通っていた。

高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

 

 

悦子さんは死ぬことは怖いと言っている。しかし死を選んでしまった。現実、自身の存在を問う現実の方が怖かったのかもしれない。

決意

 

決意

だらだらとした惰性の生活を送ってきた。四月には京都での一人暮らしだ。この調子で京都にいったら大変なことになる。

四月から始まる大学生活!

四年間の京都での一人暮らし。

どのように過ごしたらよいのか。

自身の意志できっぱりと選んだ道をどう生きていくべきか。「悔いなき大学生活」にするにはどうしたらよいのか?

自信の持てる自分にすること。

英会話を勉強すること。

日本史を通じて何かをつかむこと。

高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

 

 

悦子さんは進学先を立命館大学とし、京都での四年間の大学生活の決意をする。自分が大学に合格し、東京に上京したときには決意はなかった。やっと受験勉強が終わって、開放された気分だった。この決意からも悦子さんの生真面目な気質が感じられる。

 


著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点序章
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点ノート

 

自己に厳し過ぎた。

 

自己に厳し過ぎた。

人間は、自分の目的のために己を律することが必要なのである。私は自分を律するとういことができない。

(別の日の日記)

私は生きようとする意志もまた死のうとする意志もなく、のらりくらりと日々を過ごしている。

高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

悦子さんの意識は高く、自身に厳し過ぎた。真面目で、完全主義的資質がそうさせたのかもしれない。また生と死の間で葛藤していた。ある意味で現実に失望していなかったのかもしれない。生にも死にも期待も、絶望もしない。ただ物体のように現実に存在する、現実にそこに「ある」という選択をしなかった。この社会に「ある」「ただ存在する」という選択を、望まなかった。


著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点序章
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点ノート

生きることはめんどうだ。

 

生きることはめんどうだ。

「人生論」・・・人はいかに生きるべきか、という事をかくのだろう。正直なことをいって、生きることはめんどうでたいへんなことだ。時々私は、自殺しようかなと思う。生きていることから逃避したくなるのだ。私の場合、これは中学のころから何かいやなこと、苦しいことがあるとそう思うようになってきている。もの心ついたころからである。そして、自殺する時は苦しまずに死ねる方法でやりたいと思っている。

高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

前回まで『二十歳の原点ノート』でしたが、今回から『二十歳の原点序章』に記された日記を紹介します。以前にも記したように悦子さんは中学の頃から自殺を考えるようになっています。自身の将来を予期していたのかもしれません。しかしなぜ自殺を考えるようになったかという具体的な原因は書かれていません。もちろん自殺について初めて書かれたのは、深く影響を与えられた奥浩平さんに出逢う以前のことです。何があったのでしょうか。心臓弁膜症、孤独、劣等感


著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点序章
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点ノート

何をすればよいのか。

 

何をすればよいのか。

私は現在生きている。生きていることは確かなことだ。けれども、現在いや一秒後にくる時間、その時、私は何をすればよいのだろう。現在生きていることは確かなのだけれども、これから一体何をすればよいのかわからない。

高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用

悦子さんは「与えられた生」自身について、自身の向上、自己創造を求め続ける。完全主義者的資質により、死の直前まであるべき自己を追い求める。


著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点序章
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点ノート

会えたのだろうか?

 

会えたのだろうか?

私はその人(奥浩平さん)に会ったこともなければ、見たこともありません。ただ私は、その人のことを本で読んだだけです。これからも会うことはないと思います。会えたらいいなあと思いますが、会ったもお話することがないのではないかと思います。でも、ああ、もし彼が生きていたら・・・

高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用

悦子さんに深く影響を与えた奥浩平さんに会えただろうか。もしこの本との出会いがなければ、悦子さんは全共闘運動に参加していなかったかもしれない。

そして『二十歳の原点』の読者は奥さんを悦子さんに置き換えているかもしれない。一度あなたに逢いたかった。


著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点序章
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点ノート

生は与えられたものである。

 

生は与えられたものである。

生は与えられたものである。だが、生を持つからには、前進したい。暗、非、黒、陰・・・、といわれるものにはなりたくない。

高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用

「生は与えられたものである。」という言葉に、悦子さんの生、存在に対す考え方が現れている。生、存在に対して、能動的、受身である。悦子さんは「どうして生きなければならないのか」と日記に記していました。生、存在そのものが重荷だったのだろう。また人間の存在意義を問うものである。心理を問うものである。私にはその答えがまだ判らない。ブログの「悦子さんの死の私的考察」に記した「与えられた生」はこの記述による。


著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点序章
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点ノート

結局ひとりなんだ。

 

結局ひとりなんだ。

ひとりなんだ。ひとり。生きてたって死んだって、彼らには、結局縁のないことなのだ。金銭的なうすっぺらなつながりだけなんだ。今、この世の中で、私を必要として理解してくれる人がいるのだろうか。お父さん、お母さん― 暖かく見守ってくれるだろう。私のことを理解はしないだろうが、理解しようと努め、いつでもつつんでくれるにちがいない。だけど結局一人なんだ。そうだよ悦子、おまえは自分の足でしっかりと歩いていかなくちゃいけないんだよ。

 さびしいからといって、愛されることを考えてちゃだめだよ。やらなくちゃ。何かをやらなくちゃ。お母さんからの手紙をひっぱりだしてくるなんて弱虫のすることだ。

高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用

 

 

以前にも記したように、悦子さんは深い孤独を感じていました。家族の中でも孤独を感じていました。そして理解し、包んでくれるSOMEONEを求めます。また存在の意義を求めるように、全共闘運動に参加していく。この孤独はどこからきたのだろうか。


著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点序章
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点ノート