高野悦子『二十歳の原点』の「生は与えられたものである」 -6ページ目

自我の確立

 

自我の確立

私は生きようとしているのかどうかが、問題となった。(生きようとしなければならないのがあたりまえなのに)将来どのように生きていくのか(職業)。学生として(史学徒として)

何を学ぶのか。私は厭世観とかニセの虚無感にひたりやすい。与えられた世界で受身の生活、順応の生活をしてきた。いや、そうなのだろうか。高校時代は反発をしていたじゃないか。全校体育でバレーボールをやったり、バスケットクラブで毎日八時ごろ家に帰ってきたり。

(別の日の日記)

近代社会において初めて自我の確立が行われた。一九六八年四月十五日、八・五五PM。日本の片すみのある下宿の部屋でラテン音楽のラジオを聞きながら、私は自我の確立などとうてい出来やしないのだと思っている。自分のばかさかげんと、他人に優越しなければいけないとう意識に支えられて。自分を愛することができなくてどうして他人を愛することが出来るのか、いわんや愛されるなどということはである。

      高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

 

悦子さんは現状(厭世観、虚無感)から脱出し、自己の確立、自己創造を強く望んでいました。そして自虐性(自分を愛せない。)が究極的に自ら死を選択させたのかもしれない。

行きづまりの構図

 

行きづまりの構図

四時ごろ西山さんが来て、六時ごろまではなしていった。それで三浦さんのことを考えた。長沼さんに三浦さんのことをいったとき「好きだった」といった。はたしてそうなのか。それとも今もでも好きなのか、考えてみた。いわばしようしようと思っていた総括だが、不十分にしかできなかった。というのは「三浦さんを好きだった」ということ、略して恋愛とすると、恋愛の時期と部落研活動の行きづまりの時期が重なっているが、行きづまりの解決として三浦さんに何かを欲したのか。三浦さんをすきだったということが、どこまで本当なのかはっきりしないのだ。これは春休みの全面的な総括をまたねばならない。

      高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

部落研活動の行きづまりと三浦さんへの恋愛感情が記されています。行き詰まりと恋愛感情の高まりという構図は、悦子さんの死の直前にもうかがえます。全共闘運動の停滞と中村さんへの想いです。中村さんへの想いは、決別と日記に記しても、想いを絶つことはできなかったようです。そこには全共闘運動の停滞が大きく、その相乗効果として中村さんへの想いも強かったのかもしれません。

ノート(日記)

 

ノート(日記)

このノートは私のものである。私以外の誰のものでもない。わたしは自分自身のものをもっているだろうか。何ものにも支配されない自分をもっているであろうか。いや、私はあまりにも支配をうけ、絆にしばりつけられてきた。今までのノートにもそれはあらわれていた。誰のものでもない、私自身のものである。このノーとは。

私自身が感じたあらゆる怒り、悲しみ、嘆きを赤裸々にこのノートにぶつけよう。そしてそえだけでなく、思考のみちすじをここにしるそう。結果だけでなく、そう考えるに至った種々の感情の動き、出来事に対する微妙なめまぐるしくわかる心の動き、それらをしるそう。

友情、恋愛、人生、存在、社会、自己の存在価値、家族、性、いろいろな問題があるはずだ。そしてこのノートは醜いものでなければならない。私自身が醜いものなのだから。このノートにむかう時は、誰にも遠慮することはない。感じたこと、思ったことをそのままかきしるせばよい。

      高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

 

お母さんの手記によると、お母さんは悦子さんの日記を亡くなった時以来読んでいないと記しています。その理由は上記のように赤裸々に書かれていたからだそうです。

意志と行動

 

意志と行動

主体性というのは、主体的に自分は行動しているという自信、つまり思うことであると思った。本当に正しいことなんてあるのかな、人それぞれで違うのではないかと思ってしまう。けれどもまた『青春の墓標』をよめば、「革命の正しさ」を正しいと思うのである。

 

自殺しようかな

首つり(?)身投げ(?)すいみん薬(?)

自殺する勇気もないのに死ぬことを考えるのは何故か。自殺の理論もなにもない。「自殺してもよい」そう自殺してもよいのだ。自殺するのではなく、してもよいのだ。私が必要なのは強くなることだ。・・・

奥浩平の思考は、動→反動→疑問という形をとったが、私は最も基本的な意志力がないためにいつでも初歩的なところにたちどまっている。楽観的に考えるだけにとどまり、行動を起していない。

      高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

 

昨日、文藝春秋6月号に記載されていた悦子さんのお母さんの記述を拝見しました。悦子さんの日記を補足する内容がありました。悦子さんの日記では、5月末に東京で家族との話し合いをし、家族との決別と記されていました。しかし死の1週間前にお母さんが京都を訪ね、会っていました。河原町でワンピースをねだられ、買ったそうです。その記述からはごく普通の母娘の姿が感じられました。ブログに書いた「家族との決別、そして失恋により孤独を深めた」という内容は誤りだったようです。悦子さんが亡くなった時、ワンピース姿だったが、ねだったものだったかは分かりません。またお母さんは一緒に西那須野に帰ろうと言おうとしたが、言えなかったそうです。事実の前では推測は無意味だということを改めて教えられました。

生きようとして生きる

 

生きようとして生きる

起きて学校に来るという単純な行動で、喜びをえる無気力な生活。何かをつかんでいない。指針となるような何かをつかんでいない学生生活。息づいている若さも情熱もない学生生活を表している。あの言葉は、その後ずっとすてばちな、からっぽの陽気さをもっていたが、ひでちゃんの家の引越の手伝いに行って、そんな気持ちはふきとばさざるをえなかった。私の生活が「ロマンチックなニヒリズムの上にたった生活」であることを、そしてそこからあのすてばちな気持ちが出ていることを知らざるをえなかった。

(別の日の日記)

初めのころは自分の性格の問題―個人主義的・利己主義的考え方、見方―であると思っていたのだが、一番重要な点は、生きようとしないことであった。「自殺する勇気がないから生きている」といった無気力な生活、まず生きようとしていなかったことに問題がある。そして、生きようとする、じゃどうしていきるのか、生きるにはどうしたらいいいのか、とういうことを常に考えていなかったところに問題があった。

「生きようとして生きる」ことが私に欠けていて大きな問題であった。生きようとする意志、意志にともなう思考、今の私にとってそれが一番必要なのだ。

      高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

悦子さんは存在理由を求め続ける。虚無感や利己主義を打ち破る存在理由を求め続けていた。

愛されたい。

 

愛されたい。

「私は何かに頼らなければいられないの。愛されるより愛した方がいいっていうけれど、私はそれよりも愛されたいの。私をすべてうけとめてくれる絶対的な愛が欲しいの。逃避的になるとその人のことを思う。単なる恋へのあこがれかもしれない。幻影を見てそれにあこがれているのかもしれない。でもMさんに私のエゴイスティックな面をすべてぶつけてみたい。それで私をうけとめてほしい。愛されたいの」と言ったとき、私に対してもっと適切な、そして私にとって決定的なことをMさんは言った。「僕はそんなのはいやだ。愛されることだけをのぞんで愛してくれないなんて、そんな恋愛はいやだなあ、そんな人もいやだ」その時はそれほどに感じていなかったが、今ではわたしにとって一番手痛い言葉である。

      高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

 

悦子さんは自身を愛してくれるSOMEONEを求めた。その原点には父親が記していた「生まれ星が悪かったと」いうことがあったのかもしれない。(最初のブログ参照)そして、日記にも記しているようにファザコンに結びついたのかもしれない。

私には生きようとする意志がないのよ。

 

私には生きようとする意志がないのよ。

「自分の弱さがあったら、それを直そうとするのが本当だ。弱点を克服していくことに進歩があるのだ」と谷崎さんは言う。私は「それはそれでわかるの。だけどもそうする気にならない」そしてとうとう言ってしまった。「人間は、生きるか死ぬかでしょ。私には生きようとする意志がないのよ。だけどそれにもまして自殺する勇気はないの。だから仕方なく生きているのよ」谷崎さんは何度も説明する。「自分の弱さがあったら、その弱さを動くこと活動することによって克服していく。そのことによって進歩するじゃないか」けれども私はやっぱり言う。「どうしてそうしなくちゃいけないの。やらなくともいいでしょう」自分の弱さを認めまいとし、自分は完全であると思いこもうとしている。自分の場所は絶対安全。くずれおちないものと思っている。エリート的なプライドをもっている。それがもともとの意志薄弱とつながって、高慢ちきにも「どうしてそうしなくちゃいけないの」と豪語させている。・・・

「どうしてそうしなくちゃいけないの」と言った自分が、今では恥ずかしい。

下宿に着いてフト思い出した言葉

樺美智子の「徹底的な学習と闘争の中でのみプチブル性はなくなっていく」

私にとって必要なものは徹底的な学習だ。感性的になってはいけない。理論的にならなければならない。私にとって必要なのは徹底的な学習だ。

      高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

 

悦子さんの日記には「私には生きようとする意志がないのよ。だけどそれにもまして自殺する勇気はないの。だから仕方なく生きているのよ」という様な内容は何度か日記に書かれていましたが、他人に話したのはこれが最初で最後だったと思います。このようなことは誰にも話せないのかもしれません。また日記への集中や深い孤独がそうさせたのかもしれません。

生きなければならない(自己変革)

 

生きなければならない(自己変革)

自ら積極的に生きようとせずに逃避的に生きている私にとって、部落研は私の生活の一部となっている。そこは逃避的な生き方など全く許されず、「生きていく」場所なのだ。そこから出るには逃避的になることは許されず、発展的に考えなければ出ていけない。実際問題として総括が必要となってくる。その作業は私にとって非常に大変なことだ。「生き」なければならないから。

私はいやなのだ。つらい、苦しいことは。私はいつでもニコニコと笑っていたいのだ。私を常に認めてほしい。暖かくつつんでいてほしいのだ。

しかしこれは誰でも思っていることだ。そう願っているからこそ、ぶつかりあったり、泣きあったり、悲しんだりするのだ。自分を変えようとしているのだ。私は自分でも、私に一番欠けているものが何であるかを知っている。「自分を変える」こと、自己変革だ。

私はあまりにもたくさんのことを望みすぎるのだろうか。それとも、もともと弱いのだろうか。

      高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

悦子さんにとって、自己変革、自己創造は生きるための最大のテーマだったのかもしれない。全共闘運動に参加していくにつれ、その欲求は高まっていく。

目的とは

 

目的とは

「生」と「死」という二つの状態がある。

死ぬことは「生きる」ことよりむずかしい。死ぬ、すなわち自らを殺す、自殺することだからだ。「生」に対して積極的な姿勢がなければ自殺は出来ない。私は自殺する勇気さえない。そして生きている。朝は食事ぬきで学校へ行き、昼には生協の安くてまずい御飯を食べて生きている。人は食物をとり、住まいと衣服があれば生きられる。私はただ時をすごすため何かをやっている。クラブ活動を、勉強(?)を。

行動には一貫した目的がない。けれども何かをやっていなくてはならないから何かをやる。

      高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

 

悦子さんは存在に対する目的を求めた。ただ漫然と存在するのではなく、生の目的を求めた。何か強い使命感というようなものがあったのかもしれない。

あこがれ

 

あこがれ

・・・

そのひとは どこかはんこうてきなところがあります

とてもおとこらしい(このことばはむずかしいですネ)ひとです

そのひとは かれのような気がします

かれはとても りろんてきで ごうりてきです

でも わたしは まったく ちがうのです

かんじょうてきで おもいだしたように ぼっとなにかをやってしまいます

わたしのことをかれは かおだけしっているぐらいです

はなしらしいはなしをしたことがありません

このあいだきゃんぱすで かんぱをうったえているかれをみつけて かんぱをしたら

とてもゆかいな たのしいきぶんで はなうたばかりうたってしまいました

でもそのあと なんとなくかなしくなりました

 

あかがれているのでしょうか かれでなくそのひとに

かれにちかずこうと かれのよいところをまねようとしているのですが

やはり わたしは ゆめをみているのでしょうか

もっとかれとおしゃべりをしたいような このままそっとゆめみていたほうがよいような

 

      高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

 

悦子さんの日記に初めて具体的に書かれた憧れの人のことです。しかし憧れの人には恋人がいたようです。しかし翌年の6月には誕生日プレゼントをしています。また憧れの人の影響からかもしれませんが、民青加入へ心が動きました。(しかし結果的に加入はしていません。)