高野悦子『二十歳の原点』の「生は与えられたものである」 -4ページ目

セルフコントロール

 

セルフコントロール

2月6日

 何をしてよいのかわからなかった。ほおをピシャリと打った。胸を拳で思いきりなぐった。ここニ、三日、自分のものとして、夕刊を読み、雑誌をよみ、小説を読み、考えるのがよいと思ってきた。しかし、しても無駄のように思う。「絶望」というものをかい間みたような気がした。「独りである」ことは、何ときびしいことなのだろう。自殺でもしようかなと思った。そのまま眠ってしまうのが、一番よかったのかもしれない。

 でも、その解決を酒に求めた。葡萄酒を二杯のみ酔えそうもないので、八木さんからレッドの角びんを借り一杯半のんだ。酔いながら牧野さんのところへいく。あくまでも自分の荷は自分で背負うべきであると思ったが弱かった。その後、はき気を催して、お手洗いにいった。気ままにはき散らして、そこに坐りこんだ。しばらくたって気分が落ちついたら掃除するつもりだった。彼女が塩水をもってきてくれた。そして私を部屋に連れ戻し掃除してくれた。感謝した。「シッカリしろ!悦子」と叫んだ。私はそのまま寝ていた。彼女は強い、私は弱い。

      高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用

立命の混乱の前で、自身をコントロールできなかった。高野悦子さんは1969年6月24日午前2時36分頃(23日深夜)亡くなられた。ご冥福をお祈り致します。

自傷行為

 

自傷行為

1月31日

 封鎖支持と封鎖解除との二つの動きで事態が進展している以上、己れの立場をどちらかにして何かの行動を起こさねばならぬ。でなければ、ただ全てを受身に、生きることなく、死ぬこともなく、生きていくようになるのではないか。

2月1日

私は二、三日前からおかしな考えに取りつかれている。カミソリで指を切り血を流そうという考えである。私は、カミソリをもちそれを一気に引くときの恐怖を考えるとゾッとする。体中の力が抜けてワナワナとなる。お前は自分を傷つける勇気がないのかと励ますがダメである。

 今日、カミソリを買ってきた。スッパリと切り赤い血がタラタラと流し真白なほう帯をしようと考えた途端、ヘナヘナと力がぬけてしまった。おそるおそるやっていたら、チクリと痛みが走った。あわてて手を離したが、それでも血が出てきた。まっ赤な動脈血であった。なめてみたら鉄分の味がした。幼いころ怪我をして、その傷口をなめたときと同じであった。あまり血が出るので、なんということもなく、「私」という血文字を書いてみた。いまその指先はちょっとだけ痛む。細い毛細血管が切れて、その血管と入りこんだ空気の不協和音のような痛みである。それを感じると同時に指先から手の方へとだんだんに力がぬけて一種の緊張状態に入る。

      高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用

2月5日にも同じような自傷行為をしています。この頃立命でも大学紛争が激しくなり、悦子さんは危機感を感じていました。また党派争い(代々木と反代々木)にも困惑していたようです。

代々木、反代々木等の用語について知りたい方は、次のサイトを利用下さい。

http://www.asahi-net.or.jp/~gr4t-yhr/zenkyoto_a.htm

私の世界

 

私の世界

 おまえは生きている。人に頼ることなしに、己れの世界を築きあげるのだ。たとえ心房中隔欠損ぎみの心臓であっても、それが動き、血液を体内にくまなく流しこんでいる以上、おはえは、己れの世界をどのように築きあげるのかということに立ち向かっていくんだ。独りであることを忘れていた。独りなのだ。おまえ自身の世界をもつのだ。

私は弱い

自分が何をやりたいのかさえわからない

それでも朗らかに人と話し笑う

しかし ふっと気づく

なぜ笑い 話をするのだと不安になる

その時 目に見えね世界が知らぬまに

私の体を動かしているのに気づく

それは地主の世界なのか

サラリーマンの世界なのか

マルクスの世界なのか

資本の世界なのか 何もわからない

私の世界が私の知らぬまに存在している

なんだかわからぬものによって

私は動かされている

激しい感情に身をまかせもせず

生きる情熱も失せているまま

私は煙草をすう にがい煙草もすう

私はこの部屋の中で ここは私の世界だ

しかし一たびここを出ると 私は弱くなる

クラス討論会の場で煙草をすわせない何ものかがある

煙草を買うのを恥ずかしめる何ものかが存在する

私は弱い

 

私は私の世界を模索し始めた。人それぞれ、その人の世界をもっている。しかし、その人が本当に己れの世界をもっているとは限らない。

      高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用

前回のブログと関連するものです。悦子さんは自身の世界を求めて、全共闘運動に参加したのかもしれない。

演技者

 

演技者

1月17日

この頃、私は演技者であったという意識が起こった。集団からの要請は以前のように絶対なものではないと思い始めた。その役割が絶対的なものでなくなり、演技者はとまどい始めた。演技者は恐ろしくなった。集団からの要請が絶対的なものではないからには、演技者は自らの役割をしかも独りで決定しなければならないのだから。

 人間というものは不思議な怪物だ。恐ろしい怪物だ。愛したかと思うと怒って私を圧迫したりして恐怖に追いこむ。何とも訳のわからぬ怪物の前で、私はちぢこまり恐れおののいている。何のなす術も知らず、ビクビクしながら。彼等のもつ不平不満は、演技者としての私のまずさにあるのではなく、要請された役割の中にあるのだということを、大学生活の中で知った。

      高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用

与えられた生と与件(慣習、社会)への疑問。学生として、女性として要求される役割への疑問。期待と主体との軋轢。

主体性を問う

 

主体性を問う

1月15日

 東大闘争では常に自己の主体性が問われた。立命にその危機が内在する以上(おそらく現在どこの大学にもそれは内在するにちがいない)己のものとして考えざるを得なかった。しかし、それも疲れてしまった。弱すぎる。・・・

 「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である。

私の好きな言葉

「孤独にはなれている。内職する母に放ったらかしにされた幼時から、いつも自分で考え、自分で規制し、目標に向かってペースを狂わさずに歩いてきた」

      高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用

成人式の日記である。悦子さんは主体性を確立する為に、全共闘運動に参加することとなる。後半は孤独の原点かも知れない。

1月19日東大安田講堂での東大全共闘と機動隊との攻防があった。以前ある予備校で講師をしている東大全共闘議長を偶然見かけたことがありました。

矛盾・不合理

 

矛盾・不合理

1月5日

「矛盾に対さない限り、結局のところ矛盾はなくなることはないし、未熟のままで終わるしかない」 小田実

 あまりにも理性とか合理性を中心にしすぎるのではないか。何かわからないモヤモヤした気持とか、ワーッと爆発しそうな気持とか、低く高くうねり狂ったりする感情のあるものが本当ではないか。生の燃焼は不合理なものではないか。・・・

 

人間は不合理な存在である。

いろいろ矛盾をもっている。

人間は肉体をもっている。

肉体は合理だけでは割りきれることができない。

肉体を放れて人間は存在しないし、精神も存在しない。

肉体は生命をもつ。

      高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用

悦子さんも学園闘争の中、人間、社会の不合理さの中で揺れ動いた。悦子さんは亡くなったが、その精神は雲に乗り旅をしているのではないか。

「高野悦子」自身になりたい

 

「高野悦子」自身になりたい

1969年1月2日

私は慣らされる人間ではなく、創造する人間になりたい。「高野悦子」自身になりたい。テレビ、新聞、雑誌、あらゆるものが慣らされる人間にしようとする。私は、自分の意志で決定したことをやり、あらゆるものにぶつかって必死にもがき、歌をうたい、下手でも絵おかき、泣いたり笑ったり、悲しんだりすることの出来る人間になりたい。

 未熟であること

 人間は完全なる存在ではないのだ。不完全さをいつも背負っている。人間の存在価値は完全であることにあるのではなく、不完全でありその不完全さを克服しようとするところにあるのだ。人間は未熟なのである。個々の人間のもつ不完全さはいろいろあるにしても、人間がその不完全さを克服しようとする時点では、それぞれの人間は同じ価値をもつ。そこには生命の発露があるのだ。

 人間は誰でも、独りで生きなければならないと同時に、みんなといきなければならない。私は「みんなと生きる」ということが良くわからない。みんなが何を考えているのかを考えながら人と接しよう。

      高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用

二十歳の誕生日の日記である。最初の段落は先日のお母さんの手記に関連するものである。悦子さんは不完全さを克服しようとした。


ブログの目的

 

ブログの目的

『二十歳の原点ノート』『序章』を日付順に関心を持った文章を紹介して来ました。今回はこのブログについて記述させて頂きます。このブログの目的は、以下の4点です。

1.『二十歳の原点』『序章』『ノート』が消え行くのを防ぎたい。

2.悦子さんが残したものの本質を理解、知って欲しい。

3.悦子さんのように自殺することを防ぎたい。

4.私的に原点を再確認する。

1.について、悦子さんが亡くなって約36年になりますが、『二十歳の原点』『序章』『ノート』を書店・図書館で見つけることは困難になってきたようです。私が20年近く前『二十歳の原点』等を読み、『青春の墓標』を探しましたが、見つかりませんでした。同じ状況が『二十歳の原点』等にも迫ってきています。また『二十歳の原点』等に記述された全共闘運動等の社会情勢を理解することは、若い世代にとってかなり困難になってきています。このことも消え行くことを促進しているのではないでしょうか。

2.について、ネット上の記述を見ると、『二十歳の原点』等のセンセーショナルな部分が記述されているものがあります。しかしそれらは本質から離れているものではないでしょうか。何が本質かは個人により異なると思いますが、明らかに違うと感じるものがあります。

本当に残念です。

3.について、『二十歳の原点』発行当時、お父さんの「失格者の弁」という記述が掲載されていました。内容は自殺の原因等を考察したものでした。私はこの中で、「すっかり灰となったまだ温かい骨壷を胸に抱きしめたとき」や「子に先立たれた親の不幸」という記述を読んだとき、親族の悲しみは深かったことを察しました。私事になりましたが、数年前父親を亡くしました。その時まだ若く、親孝行などほとんどしていませんでした。親孝行とは言えませんが、順番を違えることなく、父親を送ることができました。だから死なないで欲しい。

4.について、『二十歳の原点』に最初に出会ったのは16才の時でした。親子間の対立、大学受験と自身の存在への疑問や限りを感じていました。そんな時出逢い、共感、一体感を感じました。「なぜ生きなければならないのか」という記述に出逢い、この記述を「自分自身に存在意義があるのか」という疑問に置き換え、よく考えていました。当時存在意義は見つかりませんでした。ただその存在意義を見つけるために生きるのだ。あるいは悦子さんほど行動したのか。機動隊に蹴られ、殴られ、警察に連行されるほど何か行動したのかと自己に問いました。現在なら自己の存在意義を家族、仕事などと答えるかも知れません。あの頃ほど純粋ではなくなったのかもしれません。多分あの頃よりいろいろ背負うものが多くなったのでしょう。だからもう一度原点に返るため、このブログを始めました。

では、次回からは『二十歳の原点』を紹介します。

原点の原点

 

原点の原点

未熟であることの認識―

すべてが整い、秩序だっているという幻想。

完全!成熟!―外から飛びこむその言葉に惑わされていた。

すべてが整っているという幻想。

だから整わぬ私はいつでもおびえていた。しかし物事はすべて矛盾に満ちた存在であり、未熟なのだ。

独りであることの認識―

他人の足で歩くことはできない。

己の足で大地に立ち歩かねばならぬ。

独りで―独りで歩かねばならぬが、集団の中を独りで歩かねばならないのである。

「未熟」「独り」この二つを背負って生きていかなければならない。

      高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

『二十歳の原点』に、『「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である。』と記されている。

想い出

 

想い出

小さい頃の私は味噌っ歯で泣き虫だった。居間の昔風な大きなラジオの陰で、すすり泣いていたのを覚えている。御飯は板の間で円い御膳を立てて食べた。秋のたきたてのさつまいもとふかふかのじゃがいもを、明るい陽の中で食べたことを思い出す。釜揚げうどんもお昼によくやった。お椀に味の素とお醤油をいれて、茹でたての釜のうどんをすくって食べる。おいしかったなあ。

 お風呂は楽しい遊び場だった。夕飯前におじいちゃんと一緒に入り、タオルを使って、湯舟の中で船をつくったりしたり、背中を流したりした。

 二階の北側の八畳間は兄弟三人の寝る所で、夕方西日がさし込む中で敷いた布団の上で、三人で大暴れした。そして廊下にはブリキのおかわがあった。よく私は、寝ているとき便所に行く夢を見て、寝床の中でやってしまった。その布団は、南の窓際に干されるのであった。

 そうそう、秋になると今の東小のあるところで作ったさつまいもを干して、乾燥いもを作ったっけ。鶏小屋の屋根の上に乗って渋柿を取り、それを縄でくくり二階の軒に吊るした。柿の木がたくさんあるので、干し柿作りは一家総出だった。渋柿ははちやにもした。

 いちご畑があり、籠を持っていってはとって食べた。ぐみの気もあった。りんごの木も、梨の木も(すっぱい梨だった)。昔はうちには山羊がいた。角があり、真白で、ごつごつした体をした山羊だった。

 冬になると大根を洗い、干した。大根を干す所は東の方の小屋の軒であった。その小屋はリアカーをしまっておく所だった。リアカーではよくらくだごっこをした。リアカーに二、三人乗り、引くところに一人が腰掛け、それを上げたり下げたり、らくだあ、らくだあとはやしながらやる。その小屋の横にある栗の木には、秋になると大きな薄黄緑の毛虫がたくさんいた。秋にはこわくて、そこいらは歩けなかったものだ。

      高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用

2番目のブログで、死の直前線路の上で西那須野を思い出していたのではないかと記述しましたが、私が想像したのは上記の様な内容です。西那須野を訪れた時、梅雨の晴れ間に長閑な風景が広がり、穏やかな時間が流れていました。日記にはこれ以外に幼少の頃の記述はありません。