高野悦子『二十歳の原点』の「生は与えられたものである」 -10ページ目
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私はつまらない人間だと思っていました。

ジュディー様(日記を指す)、私は自分がつまらない人間だと思っていました。そして自殺してしまえばかんたんなのになあと思っていました。しかし今日、本屋からきた「女学生の友」の中のある部分をよんで、私は自分からにげ出そうとしたり、悲観ばかりしていて、生という大事なものを軽くみているのはまちがいだとわかりました。その中にでていた二人のことに比べてみて、自分はよいほうこうに向かっていこうという気力が足りないのがわかりました。どんな立場にあっても希望と実行がなくてはだめです。
高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用
この記述こそが高野悦子そのものなのではないか。前の「神を求めていたのか?」の生と死の間と高揚と落胆が明確に示されています。数年後自己逃避・悲観を捨て、希望と実行を求めるように、全共闘運動とアルバイト(労働者)として労働に打ち込みます。

対人関係の悩みと孤独は死の直前まで続く

精神分裂症
私は精神分裂症
考えが頭の中でバラバラ事件
くちびるは上下あっちにあったり
     こっちにあったり
それだから脳はぼろぼろと涙をながす
Aさんもふくれだすし
Bさんはしぼんでしまう
それだから脳はまたぼろぼろと涙をながす…
           高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用
上記の詩は悦子さんが対人関係の悩みを綴ったものです。そしてこの悩みは死の直前まで続く。
『二十歳の原点』の裏表紙には、独り 独り 独り 独り 独り Only One という日記の記述が記されています。

悦子さんは自身の異質性や孤独を感じていました。

兄弟間のチャンネル争いにおいて趣味嗜好が異なることでの異質性、中学校での友人関係の悩みや親友がいないことで孤独を感じていました。この異質性は死の直前の全共闘活動においても強く感じていました。また孤独は二十歳の原点であり、自己を含めた人間不信へと結び付きました。この心境を「空っぽの満足の空間」と記しています。このブログの名称もこれによります。孤独を癒してくれるSOMEONEを求め続けていました。孤独については最初の記事を参照下さい。

神を求めていたのか?

生と死の間、高揚と落胆の起伏の中、「今、自殺してもかまわないと思っている。残念とは思わない。」と記した数日後、教会に行っている。神、真理を求めていたのか。
記憶が正しければ、もう一度高校時代に教会に行っています。また自殺直前「すべてを知っている神がいると思っているのか」という様な記述があります。自身を理解し、孤独を癒し、つつんでくれる神を求めていたのかもしれません。

14歳の悦子さんは自殺を予見していたのだろうか?

悦子さんは1963年1月2日に14歳になった。そしてその日から日記の記述を始める。その年の一年の目標を「自分を知る。」とする。しかしその1ヶ月以内に「今、自殺してもかまわないと思っている。残念とは思わない。」と記す。悦子さんはなぜそう考えるようになったのだろうか。心臓弁膜症、孤独が原因だろうか。そして自身の未来を予見していたのだろうか。

悦子さんは本当に自殺したのだろうか。

ここまでの記述と矛盾するが、悦子さんは本当に自殺したのだろうか。いや自殺の意志を持って、線路の上を歩いていたのだろうか。日記を読んで、状況を考えると悦子さんの死を自殺と推測するに何ら矛盾はないと思います。しかし自殺について少し違った考えを持ったのです。その理由は、悦子さんが亡くなってから約22年後、西那須野を訪ねた時、実家の横には高架化された線路(多分悦子さんが幼い頃には線路は地上に設置されていたのではないか)があったからです。悦子さんは、幼い頃から鉄道に接し、特別な想いを持っていたのではないか。だから高校時代には人生を鉄道に例えて、あるいは大学時代には東海道線の鈍行に乗って大学生活の総括をと記したのではないか。
 悦子さんが亡くなった約20年後の午前零時頃、亡くなった線路の上に立ちました。天神踏切には街路灯がありましたが、亡くなった場所(天神踏切西方20メートル)は静寂と暗闇が全てを支配しているようでした。その暗闇は、暗やみの中で 静かに立っている私 今日はじめて夜の暗さをいとしく感じる 暗い夜は 私のただひとりの友になりました あたたかく私を つつんでくれます 夜は」と記したように、心の静けさや安定を与えたのではないか。そして深い静寂と暗闇の中、懐かしい思い出のある線路を、『二十歳の原点序章』に記したように西那須野の子供時代を思い出しながら、あるいは東海道線に代わって山陰線を歩きながら「自己の存在」を総括していたのではないか。深い静寂と暗闇は、日記に表現されているような深く、集中した悦子さんの思考を一層深く、集中したものとさせたのではないか、そして貨物列車の汽笛やヘッドライトに気付かなかった、あるいは気付くのが遅れたのではないか。それほど静寂も暗闇も深く感じました。まして約20年前、そして約2時間後の1969年6月24日午前2時36分頃の静寂と暗闇はもっと深かかったのではないだろうか。
 しかし真実は悦子さんしか知りません。そして「私が死ぬとしたら、ほんの一寸した偶然によって全くこのままの状態(ノートもアジビラも)で死ぬか」と記したように日記を残して、亡くなってしまいました。
 以上が高野悦子さんの死に対する私的考察です。

高野悦子さんの死の私的考察  

高野悦子さんが自殺して35年以上の月日が経ちました。2004年4月、映画化された『二十歳の原点』を見ました。映画化されていることを知らず、『二十歳の原点』を初めて知ってから23年以上経過してのことでした。映画は、悦子さんが自殺してから4年後の1973年に製作されたものでした。自殺原因や日記の記述以外の悦子さんについて、描写されているのかと思いましたが、そうではありませんでした。また1990年代半ば、悦子さんの自殺原因は失恋であったと書かれた雑誌を見ましたが、いずれについても違和感がありました。また最近のウェブ上での書き込み等を見ましたが、それらにも違和感等を感じました。そこで悦子さんの自殺原因について、私的に考察してみます。
 『二十歳の原点』の出版当時掲載されていた、父親の『失格者の弁』の中で、友人等の情報として、自殺原因は失恋、全共闘運動の挫折などと書かれていました。しかしそれらは表面的なものではないかと感じました。なぜなら悦子さんの自殺についての記述は古く、日記(『二十歳の原点ノート』)をつけ始めた14歳の頃にさかのぼります。そして『二十歳の原点序章』によると、もの心ついた頃、中学生の頃からいやなこと、苦しいことがあると自殺したくなると記されています。これらの記述は、悦子さんに影響を与えた奥浩平さんの自殺以前のことです。このことが自殺原因は失恋、全共闘運動の挫折だということに違和感を与えるのです。しかしながら、なぜ悦子さんが自殺を考えるようになったかは、日記には具体的に記されていません。
では悦子さんの自殺原因は何なのか。『与えられた生』としての「自己の存在」そのものにあるのではないか。つまり「存在の意義」と「孤独な存在」である。
「存在の意義」とは、なぜ人間は不完全さ(未熟さ、心臓弁膜症等)を抱え、存在理由、意義、価値、目的を明確に与えられず、醜い恥ずかしい罪な世界に存在するのか。『与えられた生』としての「自己の存在」に対す疑問、つまり『なぜ存在するのか』あるいは『なぜ生きなければならないのか』という命題、真理に対する疑問ではないだろうか。悦子さんは「私には「行きよう」とする衝動、意識化された心の高まりというものがない。」、「人間って一体何なのか。生きるってどういうことなのか。」あるいは「どうしてみんな生きているのか不思議です。そんなにみんなは強いのでしょうか。私が弱いだけなのでしょうか。」と記し、「自己の存在」に疑問を感じています。また不完全さを抱え、存在理由、意義、価値、目的を見出せない自身を「空っぽ」と記しています。
悦子さんの「自己の存在」への疑問の原点は、心臓弁膜症にあるのかもしれません。
「孤独な存在」とは、悦子さんは深い孤独を感じていました。それは何に起因するのか。父親は『失格者の弁』の中で、生まれ星が悪かったと記しています。それは初孫の姉、後継者の弟との間に生まれたからです。両親が三人の子供を区別するつもりはなかったと思います。しかし一般的に、一人っ子以外はその存在に差異を感じることがあります。まして感性の鋭い悦子さんは、幼い頃から孤独を感じていました。『二十歳の原点』の「私の好きな言葉」には、内職する母と孤独を感じていた悦子さんが記されています。また『二十歳の原点序章』には、家族の中で「最も閑な存在」とも記しています。だから「(愛するより、愛されたいの)私のすべてをうけとめてくれる絶対的な愛が欲しいの。」、「この広い宇宙のどこかに私をみつめているSOMEONEがいるにちがいない。会って話してみたいものだ。」と記したように、学校やアルバイト先で自身を理解し、つつんでくれるSOMEONE(親友、恋人)を求めたのではないか。そして「「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である。」と孤独を未熟とともに自身の原点としました。
悦子さんの魅力的で、神秘的な微笑みの原点は、幼い頃から感じていた「孤独」にあるのかも知れません。
悦子さんは、『与えられた生』に対する自己創造、自己変革、主体性(存在理由、意義、価値、目的)を確立する為、全共闘運動(『生が存在する与件(社会、体制、慣習等)』に対する闘争)に参加していきます。しかし全共闘運動は停滞し、悦子さんの思考と行動は、その完全主義者的資質、正義感、純粋さにより自己満足を得られず、闘争に対するエネルギーが、「己を律せよ」というように自身の内部に向けられ、自己否定や自虐性へと結びついたのではないか。また己を律することができない自身を「詩よ どうか私をなんとかしてくれ!? アハハ」と記し、自嘲しています。そして自身に存在していた虚無感や厭世観を増大させたのではないか。
 また悦子さんは、他者(友人、家族、恋人)を通して、「自己の存在」を確認していきます。しかしアルバイト先のスト時における友人との意見のズレ、家族との決別、失恋と一層孤独を深め、「帰着点である孤独」へと到ります。孤独は「サビシイデスネ」と記させると同時に、「一切の人間はもういらない。人間関係はいらない」あるいは「不信症には(睡眠薬)何錠がよいのだろうか」と記させ、多量の睡眠薬を飲ませました。また「今や何ものも信じない。己れ自身もだ。」と自身を含む人間不信を増大させていきました。そしてその心境を「空っぽの満足の空間」と記しています。
 悦子さんは『与えられた生(自己の存在)』に対する、一般的な錯覚、誤解、つまり家族や仕事の為に存在するということに満足できなかったのではないか。あるいは自己の存在意義を確立する為に、存在するという命題矛盾に満足できなかったのではないか。また「自己の存在」を思考せず、忘却できなかった。そして「自己を支えているものが動揺し、内部のもの自体に不確実さ、非現実を感じるとどうにもならなくなる。」と記したように、最期まで『与えられた生(自己の存在)』に対する神のような『絶対性』を自覚できず、自ら死を選んだのではないだろうか。
以上が高野悦子さんの自殺に対する私的考察です。


著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点序章
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点ノート

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