高野悦子『二十歳の原点』の「生は与えられたものである」 -9ページ目

神との決別

 

神との決別

「くよくよしているだけなら、誰でもできる。その状態を脱して、希望をもて!行動を起こせ!」とアカオさんにいわれたみたいだ。神にすべて任せて生きるなんて、弱者のすることだ。私達はもっと人間の力を信じて、強く生きるべきだ。こう思った。

高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用

 

 

悦子さんは自身や社会を変えるために、思考から行動へと全共闘運動に参加する。しかし自分の行動で社会が変わるあるいは活動をしていても何も変わらないとういような葛藤に襲われる。最終的には人間、自身を含む人間を信じられなかったのかもしれない。


著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点序章
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点ノート

 

 

運命の出逢い

 

運命の出逢い

『青春の墓標』を一気に八八ページまで読んだら、後が続かなくなってしまったので、閉じてしまった。思想的なところは最初の二、三ページしかわからぬが、彼の態度にひかれた。学問と闘争こそが生きがいであるといい、彼は本から、友人から、先生からいろいろ学ぶが、結局はそれは外的なものであって、彼は彼自身のものをつくろうとしている。あるときは外的なものをかぶっている自分に気がつき、なげいたり。しかし、彼は単なる学者ではなく、社会に痛烈に働きかけている。

高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用

17才の悦子さんは、奥公平(自殺)さんが記した『青春の墓標』と出逢い、影響を受ける。闘争こそが生きがいとあるが、悦子さんや奥公平さんが存在していた時代は、今の学生がテニスサークルで活動するように学生運動に参加することが、ごく普通のことだったようだ。悦子さんも全共闘運動に参加する。悦子さんは『二十歳の原点』に「闘争のない生活は、空気の入っていない風船、タマの入っていない銃、豆腐の上にのせたコンニャク、空っぽの膣、空中に向かって出された陰茎・・・ではないでしょうか。」と記しています。


著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点序章
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点ノート

幸福は一瞬だったのかもしれない。

 

幸福は一瞬だったのかもしれない。

幸福とは長続きのするものではない。永続する幸福というものはない。よりよい生を得たときから、またよりよい生が生まれてくる。それでも、私達はしあわせを求めて生きていく。そのしあわせは、年とともにいろいろと変化していくだろう。前はしあわせだったものが、今ではかえって不幸と感じることもあるだろう。けれども私は、今自分が何を求めているのかをよくしり、自分の心に従って生活するまでである。  

        高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用

 

 

悦子さんは自身の向上を求め続ける。大学進学とともにサークル活動、ワンゲル、全共闘運動に参加する。サークル活動、全共闘運動は自身の存在を問うものだった。唯一ワンゲル活動をしていた時期が幸福だったのかもしれない。しかし自身の存在を賭けって、全共闘運動に参加する。


著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点序章
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点ノート

孤独を愛し、社交性を求めた

 

孤独を愛し、社交性を求めた

友ができないということは、人と人との交際法、つき合いの仕方をしらないということである。社会において人と人とのつき合いをしらないということは致命的である。そのつき合い方をおぼえたいのである。「人間が孤独であるのは、彼自身だからである」誰かがこんなことをいった。

 私は孤独でありたい。(私自身でありたい)と思う。また、人間として人と人とのつき合い法を知りたいと思う。  高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用

 

悦子さんは孤独を愛し、社交性を求めた。孤独と社交性は二律背反ではなく、両立できるものと考えていた。しかし悦子さんの孤独はあまりにも深かったのかもしれない。そして魅力的な笑顔に反して、友達作りは下手だった。失恋した時に書いた「サビシイデスネ」と言う記述が心から離れない。


著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点序章
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点ノート

レクイエム

レクイエム
なぜあなたに魅せられるのか、
出逢った日、本を手にした日が、6月24日だったから。
あなたは演技だと言うかもしれないが、あなたの微笑み。
あなたを求め、大沢の池、松尾大社、西那須野を訪ねました。
あなたに逢いたくて、亡くなった線路の上に立ちました。
そして幻でも、あなたを抱きしめたかった。
静寂と暗闇の中で、何を感じ、考えていたのか。
西那須野を訪ねた時、感じたことがあります。
線路の上で、西那須野を思い出していたのではないか。
なぜなら実家の横には高架化された線路があったからです。
亡くなった線路の高架化、大学の移転、シアンクレールの消滅
あなたの存在の証は少しずつ消えていきますが、
あなたは雲に乗り、詩を詠い、旅をしているのではないか。
あなたに生を与えてくれた1月2日を大切にしていきます。
時間と生死の違いは絶対的なものではないと知りました。
高野悦子『二十歳の原点』が、僕の原点です。
そしてこのウェブが『与えられた生』に対する答えです。
また自己の『絶対性』の基礎です。
いつかウィスキーグラスを左手に持ち、
煙草を吸いながら、山やジャズの話をしましょう。
じゃ、いつか。

―メッセージ―
最後に、自己の存在は絶対的なものではない。
しかし、その存在を否定しないで欲しい。

―全共闘が残したメッセージ―
力及ばずして倒れることは辞さないが、
力尽くさずして挫けることは拒否す。

著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点序章
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点ノート

意志と躊躇

意志と躊躇
自分がやりたいと思ったことをやった時は見るものすべてが明るく感じられる。明日もやろうと希望がわいてくる。けれども、きのうまでのように、だらだらと過ごしている。(そうさせるのは自分の意志なのだが、そうあってはいけないという別の意志が私の意志のような気がしている。そして他の私の意志でない意志がじゃまをしようとしているような感じをもつ)時は、人生の意味はなくなり、自己なんて少しも見あたらない。ただ肉体があるのみ。      高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用
悦子さんは自己の意志が弱いと自身に問い続けます。誰しもが持っている慎重さや躊躇を
許さなかった。しかし全共闘運動の停滞や失恋を契機に、「雲に乗りたい」というよな現実逃避が見られるようになる。そこで上記の日記のように自分に終止符を打ったのかもしれない。

著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点序章
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点ノート

愛が自覚できなかった。

愛が自覚できなかった。
―愛されている自覚は、生きようとする意志である―

(異なる期日の日記)
もう何もわからない。
私をすっぽりつつんでくれる、
マシュマロみたいなものがほしい
    高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用

悦子さんは愛を求めていた。愛されることを求めていた。中学、高校、大学と親友を求め、大学では恋人を求めていた。そして自身の存在を支えるSOMEONEを求め続ける。その起点は長く、深い孤独にあるのかもしれない。そして愛を自覚できず、死を選んだのかもしれない。孤独については最初の死の私的考察を参考にして下さい。

著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点序章
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点ノート

16歳の誕生日の決意

16歳の誕生日の決意
今日は私の誕生日。十六歳になった。あと四年で二十歳です。そうなれば成人として社会の一員となり社会に認められる。
 私は、あと四年間に社会人となるべき資格を求めていこうと思う。その資格とは?まず責任をもとうということ、つまり自分のことに責任をもつ。それから物ごとに対する意見をもつ、この二つだと思う。特に前者は私の苦手とするところうだから気をつけたい。
            高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用

悦子さんは誕生日にその年の抱負や決意などを綴っている。そしてその内容から悦子さんの気質が想像できる。「自分のことに責任をもつ」と言う記述から自虐性や自殺につながったのかもしれない。自身に対して誠実で、完全主義者的であった。

著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点序章
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点ノート

なぜ鉄道自殺だったのか。

なぜ鉄道自殺だったのか。
ここまでの掲載した悦子さんの記述は、死の私的考察を除いて中学時代に書かれたものでした。これから紹介する記述は高校時代のものです。
(汽車のなかでいろいろ考えて)その一つは詩を書こうと思うのです。どんな詩かというと、その題は「汽車は動く」というもので、汽車の窓から見たいろいろの風景を、人生の生から死に至るまでにたとえて、その間に「ガターン、ゴトーン、汽車は動く、ガターン、ゴトーン」の言葉をいれ、時間(人生の悲しさ、空しさを含んだ)を表して人生の不可思議のようなものをうたいたい。高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用

なぜ鉄道自殺(自殺でなくても、鉄道で死亡したのか)だったのか。その答えの一部を上記日記は表しているのではないか。悦子さんは松尾から山陰線近くの場所に転居します。そして亡くなる前、線路の上を歩きながら上記のように自身の存在、人生を総括していたのではないか。また詩人になりたいというのも、この頃にルーツがあるのかもしれません。

著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点序章
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点ノート

生きるとは?しあわせとは?

生きるとは?しあわせとは?
生きるとはどういうことなのか。私は死ぬころになって「長い人生だったが生きていてよかった」というような人生を送りたい。そうあるためにはどうしたらいいのか。私はよくわからない。自分というのがわからないし、生とか死とか、誠実というもの、そういうのがよくわからない。生きているということは活動していることだ。私一人でなく、この地球上に何十億という人が生きている。そして皆しあわせを求めている。しかしそのしあわせというものは、一体なんだろう。
高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用
悦子さんは生の真理や自身の存在理由を求めていた。この問いは悦子さんの生存中続く。
そしてその答えは見つからなかったのかもしれない。

著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点序章
著者: 高野 悦子
タイトル: 二十歳の原点ノート