5月号トップ記事は「大特集 トランプ劇場まるわかり」の、エマニュエルトッド米欧の分裂と日本の選択」。著書の「西洋の敗北」(文藝春秋社2024年11月刊)で述べたように、ウクライナ=西洋の敗北は既に決定しているとの分析からの問題提起だ。よって、トランプの望みに反して停戦・和平交渉は長引くか頓挫、と予想する。アメリカにとって最大の悪夢は、「最重要の保護国」日独のロシア接近「自立」することだ。現状、日本は欧州とアメリカのヒステリーに極力関わらず静観し、密かに核武装を進めること、と持論を展開する。支援することで戦争が不必要に長引き、ウクライナをさらに破壊することにしかならないし、戦争は軍事的な勢力不均衡から生まれるからだ。この見解に論理的に反駁するのは不可能と私は考えている。つまり、朝日新聞以下は反駁するだろうが、それは感情的なものに過ぎない。使用すれば自国も核攻撃を受けるリスクのある核兵器は、原理的に他国のためには使えない。よって「核の傘」は幻想に過ぎない。勢力拡大を目指さない日本にとって核保有は「防衛的」なものだ。しかし、朝日を「日本の良心」と考える国民が多数を占めるので実現不可能だろう。

冨田浩司前駐米大使の記事(「トランプ外交2つの攻略法」)では、「欧州側は、米国が感じている負担の不公平感を解消するための努力を重ねていく必要がある」とするが、当然と考える。

大特集の最後は、投資コンサルタント齋藤ジンと池上彰の対談「日本復活のチャンスが来た」で齋藤は注目すべき発言をしている。①「中国を封じ込め叩き潰すのが、アメリカの譲れない政策であれば、東アジアでアメリカを助ける役割を果たせるのは、日本をおいてほかにありません。そのことこそが日本復活の絶好のチャンス」 ②「覇権国(アメリカ)が自らの従うべきルールや組織を作ることで世界に平和と繁栄をもたらしてきた。それはアメリカの叡智でした。・・・この戦後80年間は非常に恵まれた時代だった」 ③「岸田政権の評価が低かったことには首を傾けざるをえませんでした。・・・防衛費の増額や敵基地攻撃能力の保有など防衛政策の転換をサラっとやってのけた。安倍首相がやろうとしたら、内閣が吹っ飛んでいた」

①②③とも全面的に賛同する。ことに②、トランプ政権の今年までは、アメリカは尊敬すべき覇権国だった。それ以前の覇権国イギリスとは比較にならない。どの国も国益で動くのは不可避だが、アメリカは最強の覇権国であったにもかかわらず、自らを理念で縛っていた。これは特筆大書すべきことだと常々考えていた。

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上京時、安くない旅費の元を取るために、少なくとも複数の予定を入れる。空いた時間を埋めるために映画を観るのだが、ここまでひどいハリウッド映画もあるのかと認識させるものばかり見てきた。よって今回は研究の上選んだのが、「Conclave 教皇選挙」。ただし、上野の花見、千鳥ヶ淵の花見、逆に在京のかつての部下との善光寺参り・小布施で北斎館とアフタヌーンティー(モンブランを食して)、年に1度の心エコー検査、シニアクラブ会計監査、シニアクラブ総会と、(普段は全く無い)怒涛のスケジュールで映画のことなど忘れてしまっていた。

 

教皇の死で首席枢機卿ローレンスが次期教皇選挙を取り仕切ることになる。映画ではそのルールの説明は特に無いが、立候補を募るわけでもなく枢機卿の互選で3分の2の票を得るまで選挙は何度でも続けられる。Conclaveを根競べと揶揄したくなる所以だ。

ローレンス自身は初めから、教皇になる気はない、と明言するが、教皇への野心を持つ者もいる。だが、そういう者は悉くローレンスによって悪事を暴露される。賄賂を贈った事実を暴かれた者、アフリカ出身で初の教皇を狙ったが修道女を犯した事実を暴かれた者。

だが、この会議に招待もされていなかったベニテスという者、実は教皇が死ぬ間際に枢機卿に認定したというが、子宮も卵巣もあるという事実をローレンスは突き止めたが公表しなかった。このベニテス、アフガン赴任で戦争の恐ろしさを説く演説で最後の選挙で教皇の座を射止めてしまう。

ローレンスの本当の心情はどうなのか。教皇になる気は無いと言っていながら、ライバルの悪事を次々と暴く。ベニテスなど枢機卿間で誰にも知られていないので侮ったのか。女性は教皇になれないのだからこの事実を公表すればベニテスが選ばれることはなかった。だが、ベニテスは男として育ち人をだます意図などなかったのだからローレンスの良心がその公表を妨げたとみる方が妥当だろう。

ひと癖もふた癖もある聖職者たちの暗闘(敵対したり野合したり)が堅牢かつ綿密な重厚なタッチで描かれ実に面白い。平日昼の日比谷でほぼ満席も頷ける。

佐々木の3回で降板は、何で交替?早過ぎるのでは?という声がある。何で交替?とは思わなかった。MLBなら不思議では全くないからだ。投球数を制限するというのがMLBの基本的な考え、方針だというのは30年見続けた者には自明のこと。ましてや、まだ3月、佐々木は全くのMLBの新人なのだから。(昨シーズン、カブス最高の勝ち星、防御率という実績を誇る今永ですら被安打0のまま4回で降板している。)

野茂がMLBに初めて入った時、どんなに好投していても100球前後(当然、走者を盛んに出している場合はもっと少ない球数)で交替させられるのに違和感を持った。たいていリリーフ投手が打ち込まれて勝ち星も消えるという試合を何度見たことか。ただ、日本の場合、先発投手の出来が悪ければ、1回や2回の途中で降板させるのは珍しくもなんともなかったが、MLBの場合、先発投手が負傷退場以外は、まず見たことがない。その理由:

1.先発投手は、投手の肩・肘への負担を考え100球程度まで投げさせる。先発投手陣は5人で構成され、次の登板まで中4日の休養となる。(エンジェルスは、2刀流大谷のために6人編成とした。今年はドジャースがそうなるだろう。)

2.先発投手とは別に救援専門投手(これをブルペン陣という)が存在し、通常、投球練習は4回以後から1人(多くても2人)のみが開始する。これも、肩・肘は消耗品なので無駄な練習は極力避けるという思想によるものだ。

 

日本への影響

1.投手の投球数を考慮に入れるようになった。日本球界では、打たれるまで投げさせて(逆に言えば、打たれない限り、投手交代など絶対にしなかった)投球数など全く考慮していなかった。MLBでは(野茂を見始めた時から)TV画面に投球数表示があったが、日本では全く無かった(今は変わった)。

2.ブルペン陣と先発投手陣を明確に分けた。それまでは、(「8時半の男」と言われた宮田など)抑え投手はいても、先発投手陣、ブルペン陣を明確に分けていなかった。先発した投手が次の試合に救援に回るのは日常茶飯事だった。

3.先発投手のローテーションという考えを取り入れた。MLBでは決めたローテーション通り先発投手を回すが、日本ではローテーションなど関係なく勝てそうな投手を優先して先発させていた。(結果、MLBの先発投手はどんなに多くとも年間30試合程度なのに、MLBより年間30試合以上少ない日本で年間50試合登板などという先発投手がいた。MLBではプルペン陣以外あり得ない。)

 

30年前MLBを見始めた時から、カメラマンの技術は日本の方が遥かに優秀と、ずっと思って見ていた。打球を追えない場面が頻出したからだ。日本のMLB中継はアメリカの放送局が作成した画面を流しているが、日本の野球中継ではそんなこと皆無だったからだ。ところが、数年前から打球を追えないのは、カメラマンの技術ではなくて、MLBの打球速度が速いからではないか、と考えるようになった。無論、大谷翔平の活躍で気付いたのだ。(イチロー、松井の打球速度はMLBの標準を超えるものではなかった。)

今回の開幕戦はそれがはっきりする。日本テレビが制作したものだからだ。

果たして、結果はアメリカのカメラマンが技術的に劣るわけではない、ということを証明してしまった。大谷などの打球を追えてない場面が頻出したのだから。

NHKスペシャル「新ジャポニズム J pop2」は興味深かった。

ヤマハの開発した歌声合成技術ボーカロイド(略してボカロ)を使った初音ミクに代表されるバーチャル歌手(一方、これの作曲者をボカロPというのだそうだ)が世界中でもてはやされている実態を伝えていた。少なくとも世界中の国で一定数の支持を集めている、と言っていい状況であることを認識させられた。自閉症患者も心を開くという。聴くだけでなく、このネット社会では、自分がボカロPになることもボカロ歌手になることも可能だ

番組で、ある外国人学者が「日本には余白の文化という伝統」がある、と言っていた。私流に解釈すれば、無個性の歌声は受ける人間のいかような個性にも染まる、ということ。例えば、美空ひばりは日本を代表するうまい歌手であることを私も否定しない。しかし、私はその歌声(個性)は好きでない。

同じ番組の以前放送された「J pop1」でとりあげられた女子高校生の制服を着て歌い独特の踊りを見せる「新しい学校のリーダーズ」などと同様、世界各国の聴衆は日本語で絶叫している。これが韓国の世界を席捲したBTSと決定的に違うところだ。彼らは初めから世界を意識して英語で歌っている。そこに、完璧(に近い)容姿とダンスで魅了する。曲も米英の曲そのもので何ら目新しさは無い。要するに、米英人の求めるものを徹底的に(整形を含めて)追及したものがBTSだ。SMAPの揃わないダンス、下手くそ極まりない歌唱(音痴というしかない強制性交魔もいましたね)と雲泥の差がある。敢えて庇えば「個性」という隠れ蓑となる。

一方、J popは徹底的に日本文化である。

球春到来という極めて日本的な(メディアの)表現、対象は日本のプロ野球であり斎戒沐浴して開幕に臨んだものだったが、私にとって、それはMLBに代わっている。それが日本で開幕を迎える。こんな贅沢はない。入浴を済まし、今や遅しと、ビールを飲み始める。何が斎戒か?と言われそうだが、酒はお浄めである。

今永の第1球を待つ。日本の試合なら7時の試合開始の時報と同時に投ぜられるのが普通だが、MLBの場合それはない。Yoshikiの超絶下手くそなアメリカ国歌ピアノ演奏。いつもの通り、どこへ出しても恥ずかしい(日本国民として)。なぜ超絶下手くそなのかは以前書いたので繰り返さない。

漸く7時10分に今永の第1球が投ぜられる。高めの速球、ボール球だがストライク判定となり、今永にとってラッキー(大谷にとってアンラッキー)。相変わらずアメリカの球審は下手くそだ。球審の精度は日本の方が遥かに高い。既にエキシビション・ゲームで実施されている機械判定を公式戦で一刻も早く導入してほしい

今永:被安打0、失点0(4回)、山本:被安打3、失点1(5回)。2人とも期待通りの投球を見せた。

鈴木は4打数0安打、大谷は5打数2安打(1二塁打)2得点で1番打者としての務めを十分果たした。さらに、第2打席の2塁ライナーは火の吹く様な当たりだった。

日本勢で特筆すべきは、山本の開幕戦勝利(1勝)でサイヤング賞への幸先よい道を歩み始めた。スピード・コントロールとも素晴らしく本来の実力を出していた。

ビール→赤ワイン→酒、気持ちよく開幕第1戦を終える。

TVで中継された公開練習すら満員で「誰に期待しますか」の質問に10人が10人「大谷」と答えるのに、「なにがこの俄かファンが」と、野茂英雄以来30年のMLBファンとしては、敢えて別の答えを言う。ドジャースがスーパースター球団であることは無論だが、両チームの5人の日本人選手は、日本代表チームをつくったら全員間違いなく選ばれる存在だ。その意味で私は先発が予定される山本、佐々木投手に注目、快投を期待する。サイヤング賞候補に入った今永投手にも大谷の1発くらいであとは完璧に抑えてほしいとも思っている(ここは、どうしても大谷のいるドジャースに勝ってほしいからだ)。

 
2刀流解禁の大谷翔平に20勝あわよくばサイヤング賞を期待する声があるが、それも「俄かファン」の証明だ。弱小チームで10勝できたのだから、スター集団であるドジャースなら軽い!1年休んだのだから今年はフル回転!

投手というのはそんなに単純なものではない。トミージョン手術後、身体は回復しても、微妙な制球、実戦の勘を戻すのにシーズンの終盤になっているのが実態だ。正直、5勝できたらOKだ。今年は、昨シーズンと異なり、ドジャース先発投手陣は質・量とも揃っている(サイヤング賞2度のスネル、佐々木の新規加入、昨年途中故障のグラスノーの回復)から無理をさせないということもある。(どうしても10勝を期待してしまうが。)

盗塁は昨季59だから、今年は60を期待しようという声もあるがとんでもない。打者専念の場合とは全く違う。危険極まりない。20盗塁できたらOK(30できることを期待する)。

打撃としては、2年連続ホームラン王(これはかたい)、打点王(そのために、1番ではなく、2番あるいは3番を打たせてほしい)十分可能性がある。期待は3冠王だ。

学生時代、革マルの拠点だったわが大学のキャンパスに、国際勝共連合の目に付くほどの大きな立て看板があったことが記憶に残る。革マル・民青の血で血を洗う(死人も出たー去年「ゲバルトの杜   彼は早稲田で死んだ」という映画もできました)ゲバルトが日々繰り返されるキャンパスで「反共」を標榜する組織は異様でもあったし、共産主義への嫌悪感の内で「何これ?」とも思わせた。

店頭に並ぶより遅く着いた「文藝春秋」4月号のトップは「統一教会と自民党」。「今年の選挙にも影響を与えかねない驚愕のスクープ」「安倍首相暗殺のキーマン登場」「自民党が隠してきた暗部の暴露」とやたらおどろおどろしいキャッチコピーだが、それほどとは思わない。国際勝共連合・梶栗正義会長への「4時間半」のインタビューである。岸信介から始まって、福田赳夫、安倍晋太郎、中曾根康弘らから安倍晋三、鳩山由紀夫、鳩山邦夫、福田康夫、萩生田光一らまで大物議員が教会の支援者と聞いても別に新鮮味はない。唯一意外だったのは立憲民主党の野田佳彦だ。

「反共」が看板のこの組織に、そこに一致点を見い出すのは、私のような素人なら、本体の存在を知らなくとも許されるとしても、政治家は、その本体(統一教会)がどういう宗教団体であるのか、慎重であるべきだっただろう。もっとも、統一教会のアメリカにおけるフロント組織UPFの「希望前進大会」にペンス元副大統領もトランプも登壇しているようだから、政治家というのは票になるなら何でもする人種と割り切るべきか。

 

よく知っている人の名が出てこないから、日々認知症の恐怖に怯えていないでもない私を惹きつけたのは、古和久朋「脳を守る」。通常の健康法とさほど異なるものはないが、多少目新しいもののみを示す。

・じんわり汗をかくレベルの運動をしながら計算などの認知課題を組み合わせた「二重課題運動」が有効。

緑茶を毎日1杯飲むと、全く飲まない人に比べて、認知機能低下は3分の1となる。

・70~80代のインド人はアメリカ人に比べて、アルツハイマー病の発症率が4分の1というデータから、カレーをよく食べるのがいいという仮説がある。

睡眠時間7時間以上の人は、6時間以下の人と比べて認知症の発症リスクが30%下がる。

「二重課題運動」以外は取り組むのは極めて容易だ。まあ、運動も週3回はジムに通ってはいる。しかも自転車で。

 

もじゃもじゃ頭のチビがロック歌手よろしく大音量でエレキギターを弾き失笑を買った、と日本で悪意に満ちた報道があったことを、当時高校生だったが、よく覚えている。1965年ニューポート・フォークフェスティバルでトリを務めたボブ・ディランのことだ。映画A Complete Unknown名もなき者を見て、当然のことながら、悪意に満ちたのはアメリカでも同じだった(この映画の原作のタイトルDylan Goes Electric!がそれを物語る)。いや、このフェスティバルそしてボブ・ディランを育ててきたピート・シーガ-にとって裏切りそのものだっただろう。彼はギターもしくはバンジョー1本で弾くのが正しかるべきフォークソングという信念の人だから。事前に何度もディランに警告していた。「ここはあくまでもフォークソングのフェスティバルなんだ」と。ディランは育てられたのではなく勝手に育ったのだろうが、歌手デビューのきっかけを与えた(映画が事実を伝えているとすれば)。観客は騒然としユダ!(裏切者)の罵声が飛ぶ。

 

印象的なシーンがいくつかある。まず、1961年田舎からニューヨークに出て来て病床のウディ・ガスリーを訪ねるシーンだ。そして最後(フェスティバルの翌日か)も病床にガスリーを訪ねるシーンで終わる。よほど尊敬していたのだろう。

出会って間もなく、ピートがタクシーの中でエレキギターやドラムのあるのはフォークソングとは言えないと言うのに対し、ジャンル分けなんて意味がない、とボブがうそぶくシーンも印象深い。初めからそうだったんだと納得できる。

ライブハウスで「フォークソングの女神」と言っていいジョーン・バエズが「朝日の当たる家」を歌う。アニマルズのヒットで有名になったが、詩の内容からは本来女性の唄だ。「朝日のあたる家」とは売春宿の名前であり、私はそこに堕ちてしまったという唄だから。(アメリカでは、歌い手が別の性の場合、詞の一部を変えて歌うのが普通。)バエズは歌い終えてライブハウスを立ち去ろうとする時、新人のディランが歌い出し立ち止まり演奏を最後まで聴く。明らかに才能に惚れたのだ。

そしてニューポート・フェスティバルではいろいろある。

誘われて見に来ていた恋人が、バエズとディランのデュエットの場面で二人の関係に気付き会場を去る。

ロックバンド編成を主催者やピートがやめさせようと必死となる中、ジョニー・キャッシュは「やれやれ」とけしかける。

ピートが強制的にやめさせようとするのを彼の妻が押しとどめるシーン。ピート・シーガーの妻が日本人とは今日の今日まで知らなかった。

主演のティモシー・シャラメ、よくもまあ、あの特徴のあるディランの声・歌声を出せる!と感服した。ただ、もじゃもじゃ頭までは真似できても、チビはまねできなかったが。(当たり前か。)

 

日本ではボブ・ディランをいまだにフォーク歌手と思っている人が多いが、紛れもなくロック歌手(今も)である。まあ、ジャンル分けは彼にとって(そして私にとっても)どうでもいいことだが。デビューする時フォークソングが一世を風靡していた。長期化(1955年~)するベトナム戦争(そしてキューバ危機、公民権運動、ケネディ暗殺ー映画でも時折テレビ、ラジオのニュースが流れた)の厭戦気分が生んだブームだ。彼はやりたい音楽をやる術としてフォークソングを選んだに過ぎない。フォークソングは現在事実上消えている。だが、そういう世界が存在したことはボブ・ディランという天才の存在によって世の人々に記憶されている。中でも、「風に吹かれて」は(ライブで観客がこの曲ばかりリクエストするのに幾たびも拒絶していても)。ノーベル文学賞の選考委員の頭にこの曲および詩があったのは間違いない。ボブ・ディランは、フォークソングにとって、裏切者どころか、最大の功労者なのである。(太字にした歌手は、何でも屋のジョニー・キャッシュを除いて、いずれもフォークソングの巨人と称される者だが、若い世代は、ディラン以外の誰を知っているか。)

 

NHKTVの「NHKスペシャル」は日本の歴史をグローバルヒストリーの観点から描く。具体的に言うと、同時代の外国あるいは外国人による史料を外国人学者の研究の成果を取り入れるということに特徴がある、と私は評価している。過去に「戦国時代×大航海時代」「幕末×欧米列強」というテーマを扱った。しかし、この「新・古代史」(NHK出版新書)を店頭で見つけ、どうやらこれはTVで見損なったようだ。

古代史は他の時代と異なり、文献資料は極めて少なく、そこがアマチュアの入り込む余地を残している。(邪馬台国論争がその典型。)膨大な史料を読み込む必要がないからだ。学者としての制約(確とした根拠の無いことは書けない)が無い分、結果的に素人の方が面白い説を発表できる。よって、古代史に関しては、作家(例えば古代史作家・関裕二の著作を私は10冊以上読んでいる。哲学者・梅原猛の著作も数多く読んでいる。)や技術者(港湾技術者、建築家、医師など)の著作の方を、専門の歴史学者の著作より多く読んでいる。

この「新・古代史」でも科学者・技術者の研究の成果を多く取り込んでいるが、あくまでもその分野のプロであり、(私の読んできたような)本業が技術者、医師であり、趣味として古代史の著作を為したのと全く異なる。

中塚武名古屋大学大学院古気候学教授の開発した「酸素同位体比年輪年代法」の成果を取り込んでいる。ノーベル化学賞受賞した「放射性炭素年代測定」は誤差が含まれてしまうため、「年輪年代法」が注目されたが、それよりこの「酸素同位体比年輪年代法」が少なくとも日本では有効であり、纏向遺跡(奈良県桜井市)は卑弥呼活動期と合致することがわかった①(もっとも、広大な纏向遺跡の発掘調査は全体の僅か2%に過ぎない)。

さらに、奈良文化財研究所の高田祐一研究員のAIを用いた古墳調査を紹介している。遺跡などを記録する文化財の報告書は12万5千冊あるが紙やPDFでありデータ検索もできなかったのをデジタル化しAIに学習させ前方後円墳のAI調査を行っている。

 

纏向遺跡にある箸墓古墳の高度な築造技術を國學院大學土木考古学の青木敬教授は注目している。

1.正確な左右対称形

2.巨大(全長280m)→大きな富と権力が無ければ不可能

3.革新的な盛土技術

いずれも弥生時代の墓とは一線を画するし、当時朝鮮半島にその技術は無かった。中国社会科学院考古学研究所の劉濤氏も「魏の皇帝の真似をして土木技術によって権力を誇示しようとした可能性は充分考えられる」と述べている②。

箸墓古墳は「日本書紀」によれば孝霊天皇の娘の墓とされるが、孝霊天皇の墓(片岡馬坂陵)の10倍以上もあり極めて不自然である③。国立歴史民俗博物館の「研究報告2011」によると、箸墓古墳の完成時期は240年から260年の間だという④。さらに卑弥呼の死は247年頃と推定されている⑤。

①~⑤いずれも箸墓古墳が卑弥呼の墓とすることを妨げない。つまり(本書では明記してないが)邪馬台国=ヤマト説を裏付ける。

 

前方後円墳は日本独自とされたが、1983年韓国の姜仁求が朝鮮半島にもあると指摘し、例によって、朝鮮半島で生み出されたのが倭国に伝わったと主張したが、近年の副葬品も含む調査分析から日本列島→朝鮮半島という流れが明らかとなった。朴天秀慶北大教授は「韓国で発見された前方後円墳は全て5世紀末から6世紀初めにつくられたものだが、日本は3世紀中頃からだから日本起源と考えるのが正しい」と言っている。当時既に相互交流が盛んだったことを物語っている。

前方後円墳は朝鮮半島のみならず、中国との直接交流も盛んであったことは前述の土木技術(1~3)からもわかる通りだ。戴燕復旦大学教授は、呉の孫権は海路、魏を攻めるために倭国の協力を求めていた、と言う。卑弥呼は魏と呉と倭国のパワーバランスを利用し、魏から破格の支援を引き出すことに成功したのである。三国志の世界と邪馬台国が結びついたことになる。実に面白い。

 

幼い頃より、信濃それも同じ北信(濃)出身者として、一茶の名に親しんでおり、日本史で江戸期の3大俳人の1人とされているのを嬉しく思わないでもなかったが、古文で松尾芭蕉、与謝蕪村の句を知ると、惨めな気持ちに転落した。

 

閑さや岩にしみいる蝉の声

荒海や佐渡によこたふ天河 (芭蕉)

春の海 終日のたりのたり哉

さみだれや大河を前に家二軒(蕪村)

対して一茶

雀の子そこのけそこのけ御馬が通る

痩蛙まけるな一茶是に有

 

挌が違う。気品・格調の高さがまるで違う。芭蕉、蕪村はまさに芸術、対して一茶は言葉遊びに過ぎないのではないか。芭蕉はまさに俳聖、蕪村のはまるで絵画だ。一茶は凡夫というしかない。

その思いでいたサラリーマン時代、書店で「一茶俳句と遊ぶ」(PHP新書)を見つけた。著者は現代史家の半藤一利。「笑を低くみる日本人には敬せられることはないかもしれないが・・・楽しくてならない。笑って、そして、そのうしろに涙をみる。」確かに、その通りだ。

サラリーマン引退後はまった(全著書を読了)藤沢周平に「一茶」があり、最近たまたま読んだ田辺聖子のエッセイ「仏の一茶」で田辺は生地(田辺にとって「聖地」と言うべきか)柏原を十なんべん通ったと知る。伊丹市から空路松本へ、松本から篠ノ井線で長野、長野から信越線(当時)で黒姫駅、まさに1日がかりだ。「ひねくれ一茶」執筆のためとはいえ凄まじい。惚れ込んでいるとしか言い様が無い。(そう言えば、小説家にして俳人のねじめ正一も同じ理由で北信濃を度々訪れている。ー作品は「むーさんの自転車」)

そのエッセイで田辺が推薦するのが、一茶の俳句集、全集の他には藤沢周平の「一茶」と井上ひさしの戯曲「小林一茶」のみだ。井上ひさしは嫌いな作家ではなくけっこう読んでいるが、戯曲までは読んでない。中公文庫で求めると「完本 小林一茶」とある。戯曲の前に当代俳人の第一人者金子兜太との対談などがあって、それが「完本」たるゆえんなのだろう。一茶の生涯や句の素晴らしい分析となっていて、戯曲の理解を助けている。

井上は、「息を吐くように俳諧していた」「下手をすると川柳あたりへ落ちてしまうのに軽わざの綱渡りみたいなところで日本語のリズムをつかまえた」と一茶を評する。金子は、弟子(文虎)が「軽みの真骨頂」と評するのに尽きる、と思うと述べている。そう言えば、芭蕉が「軽み」を強調していたのを高校時代「古文」で読んだ記憶がある。実際は自身の句ではむしろその対極にあるというのが私の芭蕉への評価だが。

 

「芭蕉に尊敬は惜しまないけれど本当に好きにはなれない」と井上ひさしが言うように、藤沢周平、田辺聖子、半藤一利も人間小林一茶を愛するのだろう。人間を描くのが小説家であり、「歴史探偵」を自称する半藤も人間を調べるのが仕事なのだから。

一茶は継母との折り合い悪しく15歳で江戸に丁稚奉公、その後齢50まで乞食俳諧師(これも芭蕉、蕪村と大きく異なる)を続け、弟と壮絶な財産争いを繰り広げた末、故郷柏原に帰る。52歳で妻を娶り、凄まじい交合を重ねる。これは自ら記している。(以下、例示)

   6日 キク(妻の名)月水

   8日 夜5交合

   12日 夜3交

   15日 3交

   16日 3交

   17日 夜3交

   18日 夜3交

   19日 3交

   20日 3交

   21日 4交          (「七番日記」より)

 

地元ゆえにこのことはけっこう早くから知っていた。当然、なんだこのヒヒ爺は!と思ったのだが、読む誰にも衝撃であろう故、様々な形で流布していたのだろう。無論「七番日記」そのものを読んだわけでもない私でも周知の事実だったのだから。当然、一茶好きの上述の作家たちは「七番日記」そのものを読みそれでも、いや、それ故か、一茶を愛しているのだろう。その人間臭さを。

ヒヒ爺、エロ爺ぶりを良く解釈しても長い独身生活を埋め合わせようとしたのだろうとなるが、井上ひさしは、「すべて小林家の正統を得るため」とする。キクとの3男1女はつぎつぎに夭逝し、64歳で迎えた3人目の妻が娘を産んだのは一茶の没後である。

 

「自分の旧句の焼き直しがあり、他人の句の剽窃があり、また同じ着想のうんざりするほどの繰り返しがある。・・・だがその句が2万句を超えるとなると、やはりただごとではすまないだろう。・・・2万という生涯の句の中に、いまもわれわれの心を打ってやまない秀句が少なからずあるとなれば、なおさらである。」(藤沢周平)

一方、萩原朔太郎の「芸術的気品に於て、芭蕉に劣ること万々であり、真の詩人的詩情というよりは、むしろ俗人の世話物的人情に近く、抒情詩として第一級作品とは言い難い」との評価の何と薄っぺらいことか。(私の若い頃の評価と全く同じ。)

藤沢の言う如く、一茶は「俳聖」などではなく、「ただのひと」のままに非凡な人間だったのである。

 

以下に物書きたちが選んだ秀句のいくつかを掲げる。我が心にも留めたいから。

 父ありてあけぼの見たし青田原

 生き残る我にかかるや草の露

 悠然として山を見る蛙かな

 露の世はつゆの世ながらさりながら

 北しぐれ馬も故郷へ向ひて泣く

 秋の日や山は狐の嫁入(よめり)雨

 木曾山に流れ入りけり天の川

 あの月をとつてくれろと泣く子かな

 名月や江戸のやつらが何知って

 十ばかり屁を棄てに出る夜永かな