もじゃもじゃ頭のチビがロック歌手よろしく大音量でエレキギターを弾いた、と日本で悪意に満ちた報道があったことをよく覚えている。1965年ニューポート・フォークフェスティバルでトリを務めたボブ・ディランのことだ。映画A Complete Unknown名もなき者を見て、当然のことながら、悪意に満ちたのはアメリカでも同じだった。いや、このフェスティバルそしてボブ・ディランを育ててきたピート・シーガ-にとって裏切りそのものだっただろう。彼はギターもしくはバンジョー1本で弾くのが正しかるべきフォークソングという信念の人だから。事前に何度もディランに警告していた。「ここはあくまでもフォークソングのフェスティバルなんだ」と。ディランは育てられたのではなく勝手に育ったのだろうが、歌手デビューのきっかけを与えた(映画が事実を伝えているとすれば)。観客も騒然とし「ユダ」(裏切者)の声も飛ぶが、熱狂していた者もいたことは事実だ。

 

印象的なシーンがいくつかある。まず、1961年田舎からニューヨークに出て来て病床のウディ・ガスリーを訪ねるシーンだ。そして最後も病床にガスリーを訪ねるシーンで終わる。よほど尊敬していたのだろう。

出会って間もなく、ピートがタクシーの中でエレキギターやドラムのあるのはフォークソングとは言えないと言うのに対し、ジャンル分けなんて意味がない、とボブがうそぶくシーンも印象深い。初めからそうだったんだと納得できる。

ライブハウスで「フォークソングの女神」と言っていいジョーン・バエズが「朝日の当たる家」を歌う。アニマルズのヒットで有名になったが、詩の内容からは本来女性の唄だ。「朝日のあたる家」とは売春宿の名前であり、私はそこに堕ちてしまったという唄だから。(アメリカでは、歌い手が別の性の場合、詞の一部を変えて歌うのが普通。)バエズは歌い終えてライブハウスを立ち去ろうとする時、新人のディランが歌い出し立ち止まり演奏を最後まで聴く。明らかに才能に惚れたのだ。

そしてニューポート・フェスティバルではいろいろある。

誘われて見に来ていた恋人が、バエズとディランのデュエットの場面で二人の関係に気付き会場を去る。

ロックバンド編成を主催者やピートがやめさせようと必死となる中、ジョニー・キャッシュは「やれやれ」とけしかける。

ピートが強制的にやめさせようとするのを彼の妻が押しとどめるシーン。ピート・シーガーの妻が日本人とは今日の今日まで知らなかった。

主演のティモシー・シャラメ、よくもまあ、あの特徴のあるディランの声・歌声を出せる!と感服した。ただ、もじゃもじゃ頭までは真似できても、チビはまねできなかったが。(当たり前か。)

 

日本ではボブ・ディランをいまだにフォーク歌手と思っている人が多いが、紛れもなくロック歌手(今も)である。まあ、ジャンル分けは彼にとって(そして私にとっても)どうでもいいことだが。デビューする時フォークソングが一世を風靡していた。長期化(1955年~)するベトナム戦争(そしてキューバ危機、公民権運動、ケネディ暗殺ー映画でも時折テレビ、ラジオのニュースが流れた)の厭戦気分が生んだブームだ。彼はやりたい音楽をやる術としてフォークソングを選んだに過ぎない。フォークソングは現在事実上消えている。だが、そういう世界が存在したことはボブ・ディランという天才の存在によって世の人々に記憶されている。中でも、「風に吹かれて」は(ライブで観客がこの曲ばかりリクエストするのに幾たびも拒絶していても)。ノーベル文学賞の選考委員の頭にこの曲および詩があったのは間違いない。ボブ・ディランは、フォークソングにとって、裏切者どころか、最大の功労者なのである。(太字にした歌手は、何でも屋のジョニー・キャッシュを除いて、いずれもフォークソングの巨人と称される者だが、若い世代は、ディラン以外の誰を知っているか。)

 

NHKTVの「NHKスペシャル」は日本の歴史をグローバルヒストリーの観点から描く。具体的に言うと、同時代の外国あるいは外国人による史料を外国人学者の研究の成果を取り入れるということに特徴がある、と私は評価している。過去に「戦国時代×大航海時代」「幕末×欧米列強」というテーマを扱った。しかし、この「新・古代史」(NHK出版新書)を店頭で見つけ、どうやらこれはTVで見損なったようだ。

古代史は他の時代と異なり、文献資料は極めて少なく、そこがアマチュアの入り込む余地を残している。(邪馬台国論争がその典型。)膨大な史料を読み込む必要がないからだ。学者としての制約(確とした根拠の無いことは書けない)が無い分、結果的に素人の方が面白い説を発表できる。よって、古代史に関しては、作家(例えば古代史作家・関裕二の著作を私は10冊以上読んでいる。哲学者・梅原猛の著作も数多く読んでいる。)や技術者(港湾技術者、建築家、医師など)の著作の方を、専門の歴史学者の著作より多く読んでいる。

この「新・古代史」でも科学者・技術者の研究の成果を多く取り込んでいるが、あくまでもその分野のプロであり、(私の読んできたような)本業が技術者、医師であり、趣味として古代史の著作を為したのと全く異なる。

中塚武名古屋大学大学院古気候学教授の開発した「酸素同位体比年輪年代法」の成果を取り込んでいる。ノーベル化学賞受賞した「放射性炭素年代測定」は誤差が含まれてしまうため、「年輪年代法」が注目されたが、それよりこの「酸素同位体比年輪年代法」が少なくとも日本では有効であり、纏向遺跡(奈良県桜井市)は卑弥呼活動期と合致することがわかった①(もっとも、広大な纏向遺跡の発掘調査は全体の僅か2%に過ぎない)。

さらに、奈良文化財研究所の高田祐一研究員のAIを用いた古墳調査を紹介している。遺跡などを記録する文化財の報告書は12万5千冊あるが紙やPDFでありデータ検索もできなかったのをデジタル化しAIに学習させ前方後円墳のAI調査を行っている。

 

纏向遺跡にある箸墓古墳の高度な築造技術を國學院大學土木考古学の青木敬教授は注目している。

1.正確な左右対称形

2.巨大(全長280m)→大きな富と権力が無ければ不可能

3.革新的な盛土技術

いずれも弥生時代の墓とは一線を画するし、当時朝鮮半島にその技術は無かった。中国社会科学院考古学研究所の劉濤氏も「魏の皇帝の真似をして土木技術によって権力を誇示しようとした可能性は充分考えられる」と述べている②。

箸墓古墳は「日本書紀」によれば孝霊天皇の娘の墓とされるが、孝霊天皇の墓(片岡馬坂陵)の10倍以上もあり極めて不自然である③。国立歴史民俗博物館の「研究報告2011」によると、箸墓古墳の完成時期は240年から260年の間だという④。さらに卑弥呼の死は247年頃と推定されている⑤。

①~⑤いずれも箸墓古墳が卑弥呼の墓とすることを妨げない。つまり(本書では明記してないが)邪馬台国=ヤマト説を裏付ける。

 

前方後円墳は日本独自とされたが、1983年韓国の姜仁求が朝鮮半島にもあると指摘し、例によって、朝鮮半島で生み出されたのが倭国に伝わったと主張したが、近年の副葬品も含む調査分析から日本列島→朝鮮半島という流れが明らかとなった。朴天秀慶北大教授は「韓国で発見された前方後円墳は全て5世紀末から6世紀初めにつくられたものだが、日本は3世紀中頃からだから日本起源と考えるのが正しい」と言っている。当時既に相互交流が盛んだったことを物語っている。

前方後円墳は朝鮮半島のみならず、中国との直接交流も盛んであったことは前述の土木技術(1~3)からもわかる通りだ。戴燕復旦大学教授は、呉の孫権は海路、魏を攻めるために倭国の協力を求めていた、と言う。卑弥呼は魏と呉と倭国のパワーバランスを利用し、魏から破格の支援を引き出すことに成功したのである。三国志の世界と邪馬台国が結びついたことになる。実に面白い。

 

幼い頃より、信濃それも同じ北信(濃)出身者として、一茶の名に親しんでおり、日本史で江戸期の3大俳人の1人とされているのを嬉しく思わないでもなかったが、古文で松尾芭蕉、与謝蕪村の句を知ると、惨めな気持ちに転落した。

 

閑さや岩にしみいる蝉の声

荒海や佐渡によこたふ天河 (芭蕉)

春の海 終日のたりのたり哉

さみだれや大河を前に家二軒(蕪村)

対して一茶

雀の子そこのけそこのけ御馬が通る

痩蛙まけるな一茶是に有

 

挌が違う。気品・格調の高さがまるで違う。芭蕉、蕪村はまさに芸術、対して一茶は言葉遊びに過ぎないのではないか。芭蕉はまさに俳聖、蕪村のはまるで絵画だ。一茶は凡夫というしかない。

その思いでいたサラリーマン時代、書店で「一茶俳句と遊ぶ」(PHP新書)を見つけた。著者は現代史家の半藤一利。「笑を低くみる日本人には敬せられることはないかもしれないが・・・楽しくてならない。笑って、そして、そのうしろに涙をみる。」確かに、その通りだ。

サラリーマン引退後はまった(全著書を読了)藤沢周平に「一茶」があり、最近たまたま読んだ田辺聖子のエッセイ「仏の一茶」で田辺は生地(田辺にとって「聖地」と言うべきか)柏原を十なんべん通ったと知る。伊丹市から空路松本へ、松本から篠ノ井線で長野、長野から信越線(当時)で黒姫駅、まさに1日がかりだ。「ひねくれ一茶」執筆のためとはいえ凄まじい。惚れ込んでいるとしか言い様が無い。(そう言えば、小説家にして俳人のねじめ正一も同じ理由で北信濃を度々訪れている。ー作品は「むーさんの自転車」)

そのエッセイで田辺が推薦するのが、一茶の俳句集、全集の他には藤沢周平の「一茶」と井上ひさしの戯曲「小林一茶」のみだ。井上ひさしは嫌いな作家ではなくけっこう読んでいるが、戯曲までは読んでない。中公文庫で求めると「完本 小林一茶」とある。戯曲の前に当代俳人の第一人者金子兜太との対談などがあって、それが「完本」たるゆえんなのだろう。一茶の生涯や句の素晴らしい分析となっていて、戯曲の理解を助けている。

井上は、「息を吐くように俳諧していた」「下手をすると川柳あたりへ落ちてしまうのに軽わざの綱渡りみたいなところで日本語のリズムをつかまえた」と一茶を評する。金子は、弟子(文虎)が「軽みの真骨頂」と評するのに尽きる、と思うと述べている。そう言えば、芭蕉が「軽み」を強調していたのを高校時代「古文」で読んだ記憶がある。実際は自身の句ではむしろその対極にあるというのが私の芭蕉への評価だが。

 

「芭蕉に尊敬は惜しまないけれど本当に好きにはなれない」と井上ひさしが言うように、藤沢周平、田辺聖子、半藤一利も人間小林一茶を愛するのだろう。人間を描くのが小説家であり、「歴史探偵」を自称する半藤も人間を調べるのが仕事なのだから。

一茶は継母との折り合い悪しく15歳で江戸に丁稚奉公、その後齢50まで乞食俳諧師(これも芭蕉、蕪村と大きく異なる)を続け、弟と壮絶な財産争いを繰り広げた末、故郷柏原に帰る。52歳で妻を娶り、凄まじい交合を重ねる。これは自ら記している。(以下、例示)

   6日 キク(妻の名)月水

   8日 夜5交合

   12日 夜3交

   15日 3交

   16日 3交

   17日 夜3交

   18日 夜3交

   19日 3交

   20日 3交

   21日 4交          (「七番日記」より)

 

地元ゆえにこのことはけっこう早くから知っていた。当然、なんだこのヒヒ爺は!と思ったのだが、読む誰にも衝撃であろう故、様々な形で流布していたのだろう。無論「七番日記」そのものを読んだわけでもない私でも周知の事実だったのだから。当然、一茶好きの上述の作家たちは「七番日記」そのものを読みそれでも、いや、それ故か、一茶を愛しているのだろう。その人間臭さを。

ヒヒ爺、エロ爺ぶりを良く解釈しても長い独身生活を埋め合わせようとしたのだろうとなるが、井上ひさしは、「すべて小林家の正統を得るため」とする。キクとの3男1女はつぎつぎに夭逝し、64歳で迎えた3人目の妻が娘を産んだのは一茶の没後である。

 

「自分の旧句の焼き直しがあり、他人の句の剽窃があり、また同じ着想のうんざりするほどの繰り返しがある。・・・だがその句が2万句を超えるとなると、やはりただごとではすまないだろう。・・・2万という生涯の句の中に、いまもわれわれの心を打ってやまない秀句が少なからずあるとなれば、なおさらである。」(藤沢周平)

一方、萩原朔太郎の「芸術的気品に於て、芭蕉に劣ること万々であり、真の詩人的詩情というよりは、むしろ俗人の世話物的人情に近く、抒情詩として第一級作品とは言い難い」との評価の何と薄っぺらいことか。(私の若い頃の評価と全く同じ。)

藤沢の言う如く、一茶は「俳聖」などではなく、「ただのひと」のままに非凡な人間だったのである。

 

以下に物書きたちが選んだ秀句のいくつかを掲げる。我が心にも留めたいから。

 父ありてあけぼの見たし青田原

 生き残る我にかかるや草の露

 悠然として山を見る蛙かな

 露の世はつゆの世ながらさりながら

 北しぐれ馬も故郷へ向ひて泣く

 秋の日や山は狐の嫁入(よめり)雨

 木曾山に流れ入りけり天の川

 あの月をとつてくれろと泣く子かな

 名月や江戸のやつらが何知って

 十ばかり屁を棄てに出る夜永かな

 

AIは規制すべきか。人間がAIの奴隷となるのではないか?こういう議論があっても所詮、AIなんて人間のつくったもの、人間が制御できないはずがない、という思いの人が多いのではないか。私もそうだ(った)。しかし、それは、AIの仕組みを完全に人間が理解しているというのが前提だ。無論、私が理解できるはずもないから、専門家がだ。

AIの基礎理論をつくった甘利俊一博士が、現在のAI技術、例えばチャットGPTは理論的に解明されているわけではない、誰も理解していない、とTVで言い切っていた。やってみたらできちゃった、というレベルの話だそうだ。ハード(コンピュータ)の凄まじい発展で、ともかくぶち込んでみただけの結果だという。

恐ろしい話だ。

 

「AIの基礎理論をつくった」甘利俊一博士と上述したが、それはアメリカ・カナダの物理学者がその功績によってノーベル賞をつい最近受賞したのではないか?と言われそうだが、その彼らが「発明」した2つの基礎理論「確率的勾配降下学習法」「連想記憶法」を彼らのほぼ20年前(1960年代)に発表している。ただ、余りにも抜きんでていたから、世(実用化-なんせコンピュータが真空管の時代)が追い付いていなかっただけの話だ。それを語る時、悔しそうな素振りも見せず淡々と語られる人間性の素晴らしさも伝わってきた。

理由ははっきりしている。今までにも書いた通り、白人でないからだ。私ごときが憤っても意味が無いが。ノーベル賞第1回の北里柴三郎から山際勝三郎(世界で最初に人工癌をつくった。その功績でノーベル賞受賞した者は後年インチキだと判明している)がいるし、近年日本人が受賞してもその後追いの白人研究者を必ず複数名同時受賞させている。またしても、ノーベル賞の制定目的が白人優越性を示すためのものということを証明してしまった。

 

ゲーテはすべてを言った」読了後直ちに選評を読んだ。果たして"ペダントリー"の語が躍る。ペダントリーとは衒学趣味のことだ。私は以前京極夏彦の小説に対し「衒学趣味は推理小説のスピード感が削がれる」と評したことがある。京極の小説はほとんど1000ぺージを超える。それはまさにペダントリーのせいだ。本筋と全く無関係とは言わないが、次から次へと学を衒(てら)う記述が続く。この著もそうだったのだが、違和感は全く無かった。それは、Love does not confuse everything,but mixes.Goethe(愛はすべてを混淆せず、渾然となすーゲーテ)とティーバッグのタグに書いてあったのが、果たして本当にゲーテの言葉なのか、そうだとしたら出典はどこかをゲーテ専門家の主人公ー博把統一(ひろばとういち)が悪戦苦闘するというストーリーであり、ストーリーそのものが衒学なのだから。これがやたら面白い。

・ドイツ人は名言を引用するとき、誰が言ったかわからない時、あるいは、自分が思いついた時ですら「ゲーテ曰く」とする(本当?)。

→「ゲーテ曰く、ベンツよりホンダ」(笑)ー作者は権威ある者に限られている方が人は安心する

・confuse→「ジャム的統一」:mix→「サラダ的統一」

・名言の型ー要約型、伝承型、仮託型

・伝記作家の創作ー「私はあなたの言うことに反対だが、あなたがそれを言う権利は命をかけて守るーヴォルテール」(板垣死すとも自由は死せず、ってのもそうなんでしょうな)

・「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇となるーチャップリン」

・「もっと光を」ゲーテ臨終の言葉とされるが、「単に窓を開けてほしい、という意味」(一緒にいた若い女性の顔がもっと見えるよう!)

         (   )内は私のつけたし衒学趣味

こうした遊戯性は私の好みで、いちいち細部までそして最後までーそう、最後まで尻尾を掴ませない巧みさがありー笑えた。「文藝春秋」に掲載される芥川賞受賞作ほとんど義務感で読んでいたが、何十年振りかで楽しく読んだ。作者鈴木結生はまだ23歳の大学院生という。作者が敬愛する大江健三郎と同年齢受賞だが、私には、傾向は異なるが久々の大物新人が出て来たと思える。研究者とその家族の日常を見事に描いているから、親が研究者かと思ったのだが牧師だという。キリスト教も詳しいのがわかる。主人公はドイツ文学者で作中ドイツ語も頻出するから、大学院はドイツ文学専攻かと思ったら英文学専攻だというから博覧強記と言うべきだろう。内容的には紛れもなく短編だが、100ページ以上ある。(「文藝春秋」572ページ中、同時受賞「DTOPIA」と合わせ芥川賞関連が220ページ近い。)

毎回見ているNHK「映像の世紀」の昨夜は麻薬についてで、内容的にはさほど新鮮さを感じなかったが、あっ!と思うことが1つだけあった。

イギリスがインドで麻薬をインド人に作らせ中国に輸出しそれを取り締まった中国に逆切れしたのがアヘン戦争で、完膚無きほどに中国を痛みつけたイギリスなどに正義のひとかけらも存在しないというのは歴史の常識であり、ロック・ジャズミュージシャンがドラッグ漬けというのもこれまた常識だ。ジョン・レノン、ジミー・ヘンドリックス、ルイ・アームストロング、チャーリー・パーカー・・・

チャーリー・パーカーがドラッグをやっている時の演奏が最高!と思っていたのだが、録音したものを後で聴きなおしてみるとそうではなかった、というのも常識。

特攻兵、ベトナム戦争のアメリカ兵士など、恐怖を紛らすための麻薬投与も常識。

 

しかし、アメリカにおいて麻薬取締りは、黒人および共産主義者のみが標的だったとは!結果、赤狩りで有名なマッカーシー議員、そして映画「オズの魔法使い」で有名なジュディ・ガーランドも中毒者となる。

13歳のガーランドは、睡眠薬で眠らされ、麻薬で気力を保たせたという。これがたたり、47歳で死去する。以って瞑すべし、とすべきか。女優、歌手としてアカデミー賞もグラミー賞も受賞し、「虹の彼方に」から30年、母親と同じく大スターとなるライザ・ミネリという子まで残しているのだから。

 

3月号、トップ記事は中川一徳「日枝久への引退勧告」。一般に、フジサンケイグループ代表日枝はフジサンケイグループを鹿内一族の横暴から救った経営者と言われているが、それは誤りのようだ。日枝のクーデター(1992年)は「経営の在り方という大所高所からではない、実にくだらないクーデター」ということだ。鹿内から自分が飛ばされる前に起こしたに過ぎない。その証拠は、彼が批判した鹿内家の統治による「萎縮、不自由さ」を自らが権力を握るとそれ以上のことを行ってきた。中居正広騒動の記者会見で居並ぶ社長、会長の発言からも明白だった。権力基盤の一層の強化のためコネ入社を促進した。1万人が受験して30人採用のところ、成績が9000番台の者がコネだけで入社してくるということ。この体制が30年以上続いているから組織に与える影響は大きい。トップの無軌道が常態化している組織は末端までそれをまねる。筆者は2つの代表的事件を挙げている。

「退屈貴族」という番組で、多摩川の河川敷で老人を挑発し灯油が撒かれた段ボール上を火をつけて歩かせ瀕死の重傷を負わせる。社員(プロデューサー、ディレクター)は2万円の「火渡り」出演料を払っただけで火傷の処置は何もしなかった。事件が発覚しそうになると警察OBのフジTV顧問にもみ消させた、という。管理責任者の港はその後バラエティ制作センター室長に栄転した(後取締役、社長と昇進する)。港はを使い続け、結果何人ものタレントが骨折事故などを起こしている。

会社の最高意思決定機関である株主総会でもフジTV社員にやらせ質疑をさせている。トレーダー、主婦などを装って。全て台本通りということだ。

私が中居騒動を報道で知った時、フジならさもありなん、とすぐ納得した。女子アナの色気で番組を作っているのが、私の様にNHK以外ほとんど見ない者でもわかった。番組の打ち上げなど懇親会にその番組の担当者以外の女子アナを出席させるなど常軌を逸していることがわからず常態化していると簡単に推測できる。視聴率3冠王を長年続けたことから生じた、視聴率を上げるためなら全てが許されるという体質は、抜本的改革を要するだろう。今や、女子アナばかりでなく男子アナも容姿優先となっているのが全ての民放でハッキリしてきた。

もっとも、BSフジ平日夜8時~10時の「プライムニュース」は、日本のプロ野球を全く見なくなってからよく見ている。右派論壇の雄(?)櫻井よしこが定期的に出る唯一の番組ということでも価値がある。

 

特集は「日の丸企業チャレンジ」は、①井上久男「日産<鈍感力>社長にいら立つホンダ<暴れ馬>社長ー世界3位の経営統合なるか」と②大西康之「日本製鉄に立ちはだかる鉄鋼王の栄光」だ。

月刊誌ゆえこの2つの問題は、現時点で情報の遅れが否めないが、その分析は2つとも確かだ。

①既に経営統合は白紙撤回された。ホンダが日産を子会社化しようとしたからだが、なぜそうしたかの理由が本記事でよくわかる。日産車は全く売れていない上、売れそうな新車も全く開発されていない。内田社長を初め経営陣が無能ぞろいなのだ。購買部門出身の内田は、下請けにわざと高い見積もりを出させて「コストカット」したとの手柄にしてきた輩だそうだ。日産、ホンダ両社に取引がある部品メーカーは「日産の方が高く買っている」と証言している。社内では「英語が話せるだけのバカ」と囁かれている。これでは統合したらホンダの足を引っ張る結果となるのが目に見えている。ただEV開発(今やSDV化-Software Defined Vehicle化)で協力することは考えられる。SDV化とは車がAIなどと融合して賢く、楽しく、便利になっていくことだ。

②今日、首脳会談で、トランプ大統領に買収ではなくアメリカへの投資だと首相が説明したとのニュースが飛び込んできた。ほぼその通りだ。日鉄以外が買収すれば、経営陣総首切り、従業員の大半もそうなるのが明らかだからだ。USスチールは「鉄鋼王」カーネギーの創業した会社で、彼は引退後その資産の90%を慈善事業に充てた、アメリカ社会が理想とする資本主義と民主主義の体現者だ。「資産の半分以上を慈善事業に寄付する」と宣言するgivinng pledgeとして現代の起業家たちに受け継がれている。ビル・ゲイツを初めとするあらゆる富豪がこの系譜に連なっている。だから反発も強かったのだろう。だが、トランプ大統領は、政治ショーとしての価値がなくなったと判断したら「日本製鉄の投資を歓迎する」とする可能性が出て来た。

 

アイアンクロ―と言ってもプロレスファン以外には何のことかわからないだろう。いやプロレスファンでも今のファンは知らない。「これぞプロレス」という凄みを見せた唯一無二の存在フリッツ・フォン・エリックの必殺技を。(半世紀前の話ですが。)今はやりのスープレックスなどの投げ技ではない。相手の顔面を手で掴むだけの至ってシンプルな技だ。親指と小指をこめかみに、残りの指を頭部に、渾身の力で圧迫する、それで相手は苦悶し「ギブアップ」する。こんな単純な技で相手を失神させる、その力は、見る者に神秘さえ感じさせた。(本当にそんなことがあるのか、プロレスゆえ知らない。)しかけるエリックの凄みのある顔がいい。フォン・エリックというすぐドイツ系とわかるリングネームとあいまってその迫力に圧倒された。

その昔、「東スポ」で頻繁に見た「アイアンクロ―」(訳語の「鉄の爪」は、技であると同時にフリッツ・フォン・エリックその人をも指した)という語を「文藝春秋」新年号の「年忘れ映画ベスト10」に、40年以上の時を隔てて見つけた時には驚いた。記事を読むとやはりあのアイアンクロ―のことである。評者は渋い映画評論で定評のある柴山幹郎と森直人で、2人揃っての高評価。(調べても、上映館はなく、レンタルヴィデオ屋に走る。)プロレスは登場するが、プロレス映画ではない。主人公はエリックの次男ケビン・フォン・エリック(ザック・エフロン)で、兄弟間の葛藤と融和、軋轢と痛みを描いている。長男は5歳で死亡しているので、ケビンは事実上の長男として育ち、プロレスラーとなったのも最初で3男、4男も続く。ところが、父エリックの期待はケビンではなく、3男、4男に移っていく。結果、NWA(あまたあるプロレス団体の中で最も権威あるとされる)「世界チャンピオン」への挑戦も3男そして4男に先を越される。

そして、3男はタイトルマッチを直前に控えて急死、4男はチャンピオンになってすぐ、事故が原因で足首切断、将来を悲観し自殺。「呪われた一族」そのもの。

「この映画、見た人は高評価だけど、そもそも見ている人が少ない・・・傑作にもかかわらず、過小評価されている」(森)

「タイトルが「アイアンクロ―」。プロレス映画だと思われた」(柴山)

確かにいい映画というのに全く異論はない。ただし、プロレス映画としても面白い。登場するプロレスラーは本物!では無論ないが、よく似せている。例えば、2人ともNWAチャンピオンを長く務めた、ハーリー・レイスのだぼついた腹、リック・フレアーのキンキラ衣装にきざなしぐさ、懐かしく見た。ただし、さすがにエリック・フォン・エリックの凄みはだせなかったが。彼が日本だけでなく、アメリカでもプロレスラーとして評価されていたのが嬉しい。(母国では無名で日本だけスターというのが芸能人でよく存在する。)

私はエリックまではプロレスファンであり、よく見たが、エリックの子たちについてはほとんど見ていない。それは、内部からの暴露本を読み、スポーツとしての興味は完全に失っていたからだ。無論、子供の頃から八百長だ演技だという声はあった。では強いレスラー、弱いレスラー、という基準は誰がどうやって決めるのか?4男はモスクワ五輪陸上代表であったもののアメリカのボイコットでプロレス転向であり、素質は間違いなくあった。リアルな強さとスター性というところか。今のプロレスは完全にショー化しており、ショーとして楽しむべきものなのだろう。

日本のみならず世界でも最も有名なスパイ、そして「20世紀最高のスパイ」とされるのが、ソ連のゾルゲ(父はドイツ人、母はロシア人)だろう。そのゾルゲを、解禁されたロシアの資料の成果を示したのが名越健郎「ゾルゲ事件80年目の真実」(文春新書)だ。

1.独ソ開戦警告:1941年6月22日の「バルバロッサ作戦」(ドイツ軍の全面的な対ソ奇襲作戦)の警鐘を何度もモスクワに送っていた。

2.日本軍の南進:1941年7月10日、日本軍は(ソ連でなく)南方進出する、とモスクワに通報した。

これがゾルゲの2大スクープとされるが、東京のドイツ大使館に常駐し、大使であるオットと親友であり、時の首相近衛文麿のブレーンの尾崎秀美(元朝日新聞記者)を情報源としていたのだから正確な情報を得られたのは当然と言えば当然だろう。だが、彼らに信用される能力、魅力が無ければそんな関係は築けない。司馬遼太郎はゾルゲのエッセイを読んだだけだが、「ゾルゲは乏しいデータから当時の日本の情勢を分析する澄み切った目を持っていた」と評価し、ロシア「イズベスチヤ」紙は、「彼の深く突き刺すようなまなざしは、人々の注意を引き付けた。彼の視線を受けると、女性たちは魅惑の虜となった。スパイにとって、それを都合がよかった」と書いた。最高の知性と男も女も魅了する何かを持っていたようである。まるで、ジェームズ・ボンド(私のイメージするのは初代のショーン・コネリー)のようだが、彼の顔(この本の腰巻にもある写真で)は、ボンドとは遥かに遠い存在のように私には思える。ところが、知り合ったあらゆるセレブ女性と愛人関係となっている。上海時代はアグネス・スメドラー(米国人作家)、ウルズラ・クチンスキー(「ソーニャ」という暗号名を持つ大物マスタースパイ、欧米の核物理学者に接近して情報を入手しソ連原爆開発の立役者となる)、東京時代はドイツ大使の夫人および秘書(つまり親友オットの妻と秘書)、シーメンス支店長夫人、ルフトハンザ航空幹部夫人、エタ・シュナイダー(ドイツ人チェンバロ奏者)・・・も愛人としていた。この本の面白いところは、スメドラー、「ソーニャ」、モスクワに住む妻・エカテリーナ(愛称「カーチャ」、ただし、一緒に暮らしたのは半年に満たない)、東京での半同棲生活者・石井花子(銀座ホステス)4人の写真を掲載しているところだ。

 

そんなゾルゲも41年10月18日特高に逮捕される。イギリス警察は、彼の上海時代、既に正体を見抜いていたのだが、日本での8年の間にソ連のために為すべきことをし尽くしていたかもしれない。この逮捕によって引き起こされた可能性のある動きが2つある。

1つは、この逮捕された日、東條英機内閣が誕生していることから、昭和史研究家の保阪正康は、近衛首相ブレーンの尾崎がゾルゲへの情報提供者であったゆえ、陸軍に脅されて近衛は内閣を投げ出した、との説を出している。ただし、尾崎の勾引は15日で近衛は14日に周囲に辞意を漏らしていたことから、著者は「歴史学的には論証されていない陰謀論」との立場に立つ。

もう1つは、日本の最高気密が仮想敵国のソ連に筒抜けになっていたことに衝撃を受けた日本は以後ドイツに機密情報を提供せず(12月8日の日米開戦すらもドイツ大使には通報しなかった)軍事的な連携が大きく損なわれたことだ。これは紛れもなく、日独伊三国同盟を麻痺させ、ソ連の危機を未然に防いだことになる。独ソ不可侵条約をドイツが破った(ゾルゲの功績の上記1.)のと同様、日本も日ソ中立条約をいつ破るかを選択肢に常に入れていた。スターリンは極東に配備していたソ連軍を41年9月独ソ戦のためモスクワ周辺に移動させていたから、日本軍が南進せず、対ソ参戦していたら第2次世界大戦の結末は全く違っていたかもしれない。

 

戦後、ゾルゲは、ソ連では「摘発されたスパイ」であるから完全無視されていた。その復権の立役者が女優岸恵子というのが面白い。

岸恵子はゾルゲに興味を持ち、当時の夫イブ・シャンピ監督に「スパイ・ゾルゲ 真珠湾前夜」を撮らせ、61年モスクワ映画祭に出品したが「ソ連にはスパイがいない」と突き返されたものの、フランス駐在ソ連大使がフルシチョフにフィルムを送ったところ、彼はいたく感動し、ソ連でも封切された。これを見たプーチン少年はゾルゲに憧れ、その後KGBを経て大統領となり、ゾルゲを「英雄」とした。もっとも、プーチンはゾルゲと大きく異なり凡庸なスパイであり、中佐どまりだった。前述の「ソーニャ」は女性ながら大佐である。

 

昨日の夕方から深夜にかけてフジTVの記者会見はなかなかの見ものだった。真実の追及はどうでもよくて保身だけを考える人間ー経営陣の醜さを白日の(夜でしたが)下に曝した。そんな中いつも見ているNHK「映像の世紀」は良かった。テーマはベトナム戦争。

半世紀以上前に勃発したものだが、私の中学、高校、大学ーつまり青春時代の最大の政治テーマだった。アメリカにおける反戦運動、その表象としてのフォークソングブーム、日本では「べ平連」(確か、ベトナムに平和を!市民連合)の活動が世を賑わせていた。日本でもアメリカでもベトナム戦争を直接・間接にとりあげた夥しい数の映画、音楽、本、写真集が出された。日本は、今のウクライナ戦争と異なり、微妙な立ち位置だった。世論は反米でも、政府はそれを公言できない。

映像は貴重な北(南にはアメリカの傀儡政権があった)からのもので、なぜ軍事力が質量とも決定的に劣る北が勝利したかがわかった(気がする)。それは、指導者ホーチミンの下、独立を勝ち取る!という国民の強烈な意思だ。彼は共産主義より、独立を目的としていた。共産主義は手段に過ぎない。兵站のためのホーチミンルートに対する執拗なアメリカの空爆に対し人力で直ちに修復する。国力がアリと象ほどに違っても、国民の独立への意思はそれに打ち勝ったのだ。ただその代償は大きかった。アメリカ兵6万弱の死者に対しその50倍(300万)以上の犠牲者をだしたのだ。

待てよ、この数字、記憶がある。やはりNHK「映像の世紀」で当時アメリカの国防長官マクナマラ(数学の天才と言われた)がkill ratioを1:10に設定し、そうすればベトナムの戦闘意欲が消滅するとし、それを遥かに上回る1:50のkill ratio達成でも敗れ去ったことをこのブログにも書いた。(1年半前のこの時の映像は南からのものだった。)

翻ってお隣の国、北も南も国内で独立運動を展開した指導者はいない。身を安全な国において、そのまねごとをしたに過ぎない。仕方が無いのでテロリストを独立の英雄に祀り上げるしか仕方が無かったのだろう。ホーチミンは民衆の中にいた。「ホーおじさん」として。そして共に戦った。お隣のように日本の敗戦で棚ぼた(独立)が転がり込んできたのとはわけが違う。しかもフランスのように徹底的に搾取されたわけでもない。逆に、日本政府は日本本土並みとなるよう支援し続けた。無論、かと言って、彼の国を植民地としたことを正当化するつもりは全く無い。