幼い頃より、信濃それも同じ北信(濃)出身者として、一茶の名に親しんでおり、日本史で江戸期の3大俳人の1人とされているのを嬉しく思わないでもなかったが、古文で松尾芭蕉、与謝蕪村の句を知ると、惨めな気持ちに転落した。
閑さや岩にしみいる蝉の声
荒海や佐渡によこたふ天河 (芭蕉)
春の海 終日のたりのたり哉
さみだれや大河を前に家二軒(蕪村)
対して一茶
雀の子そこのけそこのけ御馬が通る
痩蛙まけるな一茶是に有
挌が違う。気品・格調の高さがまるで違う。芭蕉、蕪村はまさに芸術、対して一茶は言葉遊びに過ぎないのではないか。芭蕉はまさに俳聖、蕪村のはまるで絵画だ。一茶は凡夫というしかない。
その思いでいたサラリーマン時代、書店で「一茶俳句と遊ぶ」(PHP新書)を見つけた。著者は現代史家の半藤一利。「笑を低くみる日本人には敬せられることはないかもしれないが・・・楽しくてならない。笑って、そして、そのうしろに涙をみる。」確かに、その通りだ。
サラリーマン引退後はまった(全著書を読了)藤沢周平に「一茶」があり、最近たまたま読んだ田辺聖子のエッセイ「仏の一茶」で田辺は生地(田辺にとって「聖地」と言うべきか)柏原を十なんべん通ったと知る。伊丹市から空路松本へ、松本から篠ノ井線で長野、長野から信越線(当時)で黒姫駅、まさに1日がかりだ。「ひねくれ一茶」執筆のためとはいえ凄まじい。惚れ込んでいるとしか言い様が無い。(そう言えば、小説家にして俳人のねじめ正一も同じ理由で北信濃を度々訪れている。ー作品は「むーさんの自転車」)
そのエッセイで田辺が推薦するのが、一茶の俳句集、全集の他には藤沢周平の「一茶」と井上ひさしの戯曲「小林一茶」のみだ。井上ひさしは嫌いな作家ではなくけっこう読んでいるが、戯曲までは読んでない。中公文庫で求めると「完本 小林一茶」とある。戯曲の前に当代俳人の第一人者金子兜太との対談などがあって、それが「完本」たるゆえんなのだろう。一茶の生涯や句の素晴らしい分析となっていて、戯曲の理解を助けている。
井上は、「息を吐くように俳諧していた」「下手をすると川柳あたりへ落ちてしまうのに軽わざの綱渡りみたいなところで日本語のリズムをつかまえた」と一茶を評する。金子は、弟子(文虎)が「軽みの真骨頂」と評するのに尽きる、と思うと述べている。そう言えば、芭蕉が「軽み」を強調していたのを高校時代「古文」で読んだ記憶がある。実際は自身の句ではむしろその対極にあるというのが私の芭蕉への評価だが。
「芭蕉に尊敬は惜しまないけれど本当に好きにはなれない」と井上ひさしが言うように、藤沢周平、田辺聖子、半藤一利も人間小林一茶を愛するのだろう。人間を描くのが小説家であり、「歴史探偵」を自称する半藤も人間を調べるのが仕事なのだから。
一茶は継母との折り合い悪しく15歳で江戸に丁稚奉公、その後齢50まで乞食俳諧師(これも芭蕉、蕪村と大きく異なる)を続け、弟と壮絶な財産争いを繰り広げた末、故郷柏原に帰る。52歳で妻を娶り、凄まじい交合を重ねる。これは自ら記している。(以下、例示)
6日 キク(妻の名)月水
8日 夜5交合
12日 夜3交
15日 3交
16日 3交
17日 夜3交
18日 夜3交
19日 3交
20日 3交
21日 4交 (「七番日記」より)
地元ゆえにこのことはけっこう早くから知っていた。当然、なんだこのヒヒ爺は!と思ったのだが、読む誰にも衝撃であろう故、様々な形で流布していたのだろう。無論「七番日記」そのものを読んだわけでもない私でも周知の事実だったのだから。当然、一茶好きの上述の作家たちは「七番日記」そのものを読みそれでも、いや、それ故か、一茶を愛しているのだろう。その人間臭さを。
ヒヒ爺、エロ爺ぶりを良く解釈しても長い独身生活を埋め合わせようとしたのだろうとなるが、井上ひさしは、「すべて小林家の正統を得るため」とする。キクとの3男1女はつぎつぎに夭逝し、64歳で迎えた3人目の妻が娘を産んだのは一茶の没後である。
「自分の旧句の焼き直しがあり、他人の句の剽窃があり、また同じ着想のうんざりするほどの繰り返しがある。・・・だがその句が2万句を超えるとなると、やはりただごとではすまないだろう。・・・2万という生涯の句の中に、いまもわれわれの心を打ってやまない秀句が少なからずあるとなれば、なおさらである。」(藤沢周平)
一方、萩原朔太郎の「芸術的気品に於て、芭蕉に劣ること万々であり、真の詩人的詩情というよりは、むしろ俗人の世話物的人情に近く、抒情詩として第一級作品とは言い難い」との評価の何と薄っぺらいことか。(私の若い頃の評価と全く同じ。)
藤沢の言う如く、一茶は「俳聖」などではなく、「ただのひと」のままに非凡な人間だったのである。
以下に物書きたちが選んだ秀句のいくつかを掲げる。我が心にも留めたいから。
父ありてあけぼの見たし青田原
生き残る我にかかるや草の露
悠然として山を見る蛙かな
露の世はつゆの世ながらさりながら
北しぐれ馬も故郷へ向ひて泣く
秋の日や山は狐の嫁入(よめり)雨
木曾山に流れ入りけり天の川
あの月をとつてくれろと泣く子かな
名月や江戸のやつらが何知って
十ばかり屁を棄てに出る夜永かな