「オバマが大統領となったのは時期尚早だった。誇るべきは白人というだけのプアホワイトの政治的関心を引き出してしまった」と私が書いたのはトランプ大統領誕生が決定した時だから、8年前のことだろう。以来その持論を時折書いていたが、佐藤優も「アメリカにとって黒人大統領の登場は時期尚早だったのではないか。地下水脈化していた人種差別を刺激し、副作用、もしくは反動が出て来た。つまりオバマ大統領が、トランプ現象を引き出してしまった」と全く同じことを1ヵ月前発売になったばかりの「グローバルサウスの逆襲」(文春新書)で書いている。対談の相手方である池上彰も「十分検討に値する」仮説と応じている。

「グローバルサウス」とは、明確な定義があるわけではないが、かつては「低開発国」→「発展途上国」と呼ばれた国々の現在における呼称であり、なぜアメリカの国内問題が取り上げられているのか?

ロシアのウクライナ侵攻により国連人権理事会から排除しようという決議は2022年採択されたものの、反対24、棄権58もあったことで、あらためて民主主義・人権主義といった西洋近代の価値観が敗北しつつあることを示した。棄権した中にブラジル、エジプト、メキシコ、タイ、インドネシアなど、いずれもロシアから石油や天然ガスや武器を買っている国が含まれた。絶対的価値観とされる「人権」より「自国第一主義」を貫いたのだ。これはまさにトランプ大統領と同じ。理念より利益ということだ。トランプ現象はアメリカ国内における「グローバルサウスの逆襲」と見ることができる。政治に興味がなかった人が関心を持ち始めるのは、市民社会が壊れている時、つまり、代議制民主主義が機能不全を起こしている時、と佐藤は説く。もともと民主主義が根付いていないグローバルサウスの国々は、中国の経済的成功を見て、悉く権威主義的体制をとってきている。意思決定の速さがある。経済的成功に民主主義も人権も必要ないことが明らかとなったのだ。

中国のグローバルサウス、ことにアフリカへの進出はかつてのヨーロッパ諸国の進出を一層質を悪くしたものとして有名だが、実はロシアはより賢く進出しているという佐藤の指摘がある。ロシアのルムンバ民族友好大学などへアフリカのエリート、医療分野で国費を使って教育し、さらに、資源を安く輸出するのではなく、自分たちでより付加価値の高い形にしてから輸出するための投資をアフリカ諸国からの要請に応じて行っているという。

さらに、佐藤は、朝日新聞がショック死しそうな提案を行っているので紹介しよう。

日本政府は早いうちに防衛装備移転三原則を緩めて格安でインドネシアに日本の兵器を売って、メンテナンスで儲ける仕組みをつくるべき

理由:アメリカは民主主義の価値観を振り回して東南アジアに最新兵器を売っていないからその隙間を中国が埋めている。兵器が中国仕様となれば中国に補給とメンテナンスを頼むしかなく、結果、中国と東南アジアが束になって日本に向かってくるという最悪の事態となる。まだ沿岸警備隊に毛の生えた程度の規模だが、インド太平洋地域に展開する本格的な海軍になった場合、アジアの地政学的地図は全く変わってくる。

 

その他、極めて教えられることの多い本だった。

 

西洋近代が生み出した民主主義を否定したら人類はどこへ向かうか?ひと月ほど前に読んだ「テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想」(橘玲著 文春新書)を思う。テクノロジーによって社会の幸福を最大化できるとする「総督府功利主義」となるのか。ただし、現実のリバタリアン(自由原理主義者)ティールは、「安全が保証されてこそはじめて自由が手に入る」から、効率的に監視するシステムを作り上げた。オーウェルの「1984」にしろ、現代中国にしろ監視国家はいかがなものか。

 

大谷が不調(5の0)の時は他のことを考える。さもないと滅入る。対戦相手レッズのデラクルーズだ。今日は彼も良くなかったが、前回の対戦時躍動していた。初戦で4安打4盗塁、遊撃手として深い位置からの矢のような送球で魅せた(時として、速すぎて一塁手が捕球不能(笑)の時でも凄みを感じさせた)。まだ22歳で細身(196cm、91kg)ながら全身バネと言った感じで華がある。現在盗塁数MLBダントツ1位の31(2位以下は20にも満たない。昨年73盗塁〈+OPSも当然1位〉でナ・リーグMVPのアクーニャJr.はまだ15)。実は、昨年もデラクルーズについて書いている。160km/hの送球をする遊撃手として。それは、遊撃手はMLBにおける日本人の鬼門で誰一人としてレギュラーを獲得できていない、という嘆きの文脈でだ。今年からは同じナショナル・リーグとなり、去年より遥かに多く楽しめる。

イチローのMLB(マリナーズ)デビュー時もアメリカのファンに同じ衝撃を与えたに違いない。傑出した走塁(ことに盗塁)と守備は見る者に華を感じさせると改めて認識させた。伝説となった、一塁走者を右翼から3塁で刺した「レーザービーム」送球はイチローのこのMLB初年度の話だ。外野手と異なり、遊撃というポジションは常に瞬時を争う。地肩と脚の速さならデラクルーズが上だろう。どんなスポーツでも一流となるという潜在力を感じさせる。ただ、イチローには送球のコントロールと磨き抜かれた走塁技術があった。その上、打撃技術は(少なくとも現時点では)比較にならない。

そのイチローも晩年に球団を転々とした。3割を打てなくなったイチローに商品価値はあまり無かったに違いない。(2週間前に書いた通り)OPSで言ったら「並」の打者でしかなかったのだから。

MLBにおける選手の能力評価システムが発達したのは、スター選手でも、より評価の高い(つまり高年俸を提示する)球団に移るという風土から生まれたのだろう。逆に、だから日本ではOPSという指標は発明されなかった、とも言える。

ただ、イチローの最晩年、マリナーズは復帰を許した。これは温情であったのか、その翌年、日本でのMLB開幕試合の「客寄せパンダ」を担わせたのか(試合終了後、引退宣言となる)、難しいところだ。多分その両方だろう。

 

「キネマの神様」の原作を読んで、「幸せの黄色いハンカチ」と同じだなと思う。「原作」と称するものの骨子だけを貰い、全く自由なストーリーを展開する、という意味だ。「原作 ピート・ハミル」とクレジットされるが、刑期明けの囚人が、妻に、まだ自分を思ってくれるなら家(の木)に黄色いリボンを飾って欲しい、そうでない場合自分は家に寄らない、と伝えた、というだけの、新聞のコラムだ。しかも、山田洋次はこのコラムですら読んでなく、ドーンの「幸せの黄色いリボン」というヒット曲を「男はつらいよ」撮影中、倍賞千恵子経由で知ったのだろう。私もこの曲はよく知っている。歌詞の内容にかかわらず軽快な曲だ。山田はこの「幸せの黄色いハンカチ」で第1回日本アカデミー賞の作品賞・監督賞・脚本賞はじめほとんどの部門を独占し、日本で最も権威あるキネマ旬報の年間1位作品ともなった。「寅さん」シリーズの監督だけではないことを見せつけた。主演の高倉健は久々に脱任侠映画を果たし(主演賞受賞)、助演の武田鉄矢は「母に捧げるバラード」1発のみの鳴かず飛ばず状態だったのが甦った(助演賞受賞)という意味でそれぞれに記念すべき作品だっただろう。

ピート・ハミルはドーンに対し著作権侵害の訴訟を起こしたが、これは昔からある伝承に過ぎず、既に先行する文章も存在することから敗訴しているが、日本の制作陣は慎重を期して「ピート・ハミル原作」としたのだろう。

 

さて、この「キネマの神様」、主人公は中年女性で、その老齢の父親は映画好きだがギャンブル依存症であり、主人公がそれによる多額の父の借金の返済をし続けており、名画座を営む父の友人がいる、という人間関係を踏襲しているのみでスト―リーはまるで違う。映画では、若き日の父親が映画制作会社の助監督時代、作り損ねた映画の脚本を、現代風に書き直しそれを孫がワープロで打ち直し、受賞作は映画化される木戸賞に応募したところ受賞し、映画化された映画を見つつ息を引き取る。原作は、素人ながら映画好きの父親が、ネットでアメリカの映画評論の第一人者と丁々発止の激論を交わすという設定で、死ぬのは父親でなく、死期の迫っていた評論家の方である。麻雀、競馬に明け暮れる日々だった父親が映画評論に生きがいを見出すまでの経緯が面白い。この作品に関しては、正直言って、原作の方が映画よりできがいい。原田マハ、この映画のストーリーをノベライズしたバージョンの小説もあることは書店店頭で知った。(こちらは読んでません。)原作を読む気になったのは、原作と映画はまるで違うと小耳にはさんだからだ。山田洋次は、例えば同じ時代劇でも、殺伐とした池波正太郎ではなくほのぼのとしたものが残る藤澤周平を選ぶ。その好みは私と一致し、山田洋次が選んだ作品なら読んで面白いと思ったのである。映画とストーリーが異なるならなおさらである。

TVで見る気になったのは、監督山田洋次で原作原田マハ、とあったから。山田洋次は大好きで、原田マハは愛読者とは言えないまでもいくつか読んでおり「悪く無い」作家と思っていた。映画では主役となる父親役は沢田研二でこちらは全く嫌いだった。歌が嫌いだった。声が女々しい(個人の感想です)。その女々しさがこの映画ではハマっていた。本来その役は、その死があのコロナ禍で日本人に最も衝撃を与えた志村けんだった(実際、撮影が半分ほど終わっていたようだ)という。志村けんと沢田ではキャラがまるで違うように思えるのだが。山田洋次の慧眼というべきだろう。私の沢田研二嫌いは女性にもてる男に対する嫉妬ではない。(少なくとも自分にはそう言い聞かせております。)同じく、歌も役者もやる木村拓哉(沢田より1世代若いですが)は大好きでTVドラマは欠かさず見ている。今も「Believe」を見ているのです。

同じギャンブル依存症でも、主人公(即ち日本)の場合せいぜい競馬・競輪、麻雀(こちらは形式的には違法ですが)の積もった借金が数百万円、アメリカにおける水原一平は数十億円、3桁‼以上も違います。

以前は、野茂英雄以来、昼(サラリーマン時代は土日に限られる)はMLB、夜は(日本の)プロ野球(NPB)だったのが、NPBの比率がだんだん小さくなり、ここ10年近くはほとんどNPB実況を見なくなった。ニュースで多少知るのみだ。したがって、沢村賞3回山本由伸は大いに期待したが、今永昇太のことはよく知らなかった。

共に登板した今日、山本4失点(自責点も4)に対し今永は失点0で、渡米以後今までの勢い通りだ。主な武器のフォーシーム(日本語で言うストレート)150km/h前後でMLBでは明らかに遅い。しかし、回転が速いから初速と終速の差が小さく打者からはホップしているように感じる。打者は投手の手を離れた瞬間に球の軌道を予測しなければならないから、予測した軌道より上を通過するから「ホップした」ように感ずる。シカゴ・カブスのスカウト陣は、この球筋は日本より、長打狙いのアッパースィングの多いMLBに通用すると判断したという。

一方、山本由伸、NPB初の3年連続投手4冠であり投手最高栄誉の沢村賞を3年連続受賞、押しも押されもしないNPBのエースだ。多彩な変化球に加え抜群の制球力の上、フォーシームだって、155km/h前後でMLBでも、トップ・クラスではないものの、十分通用する速さを持つ。(投手の力とは、球速だけでないことは、最速165km/hの記録を持つ藤浪がMLBでは2軍が長いことから明らかだ)。

 

投手4冠とは、(日本では)勝利数、勝率、奪三振数、防御率のトップを獲得することを言うが、アメリカでは勝利数(したがって勝率も)あまり重視されない。本来、野球(に限らずスポーツ全て)は勝ちを競うものだから、1人の投手が完投するのであれば最重要視されてしかるべきだ。が、MLBでは先発投手の球数100に制限しているから、打たれていなくとも5回か6回に替えてしまう(今日の今永もそうだった)。さらに勝敗はチーム力によるから、結果評価となり得ても、投手個人の能力評価に必ずしも適さない。替わって、MLBではWHIPという指標がけっこう重視され公式に記録されている。与四球数と被安打数の合計(許した走者数)を投球回数で割ったものだ。でも、野球はいくら走者を出しても点にさえならなければいいのだから、1試合(9回)あたり何点とられたかを示す防御率が最重要視される。これは、打者におけるOPSと同様、投手の能力評価に最高の指標と言える。

さて、その防御率、日本では山本1.82に対し、今永3.18、それが今MLBで、山本3.21に対し、今永0.96(MLB全体でも断トツの1位)

誰がこれを予想したか。

とは言え、開幕して1カ月半、シーズンの4分の1を経過したのみ、まだ4分の3も残っている。今日、ドジャースと並ぶ強打のブレーブスを無失点に抑えた。今永にはこのまま突っ走って日本人初のサイ・ヤング賞受賞を!実際のところ、2人の防御率は近くなってくるだろう。フォーシームの回転がいいと言ってもMLBにはそれ以上の回転数の投手は珍しくない。打者の読み以上の読みをしているのが好結果をもたらしいていると考える。山本は実力を徐々に発揮してくるだろう。そのためにはもっとフォーシームを使う必要がある。

昨年あたりから日本でもTV放送でOPSを採り上げるようになった。これは当然の如く大谷翔平の活躍によるものだ。On-base percentage Plus Slugging percentage の略で出塁率と長打率を単純に足した数字で数学的には意味がないが、打撃能力の指標としては最高のもの、とは以前にも書いた。昨年大谷は日本人初のホームラン王を獲得し、それは無論素晴らしい!ことだが、OPS 1.066とナンバー1を記録したことが、打者としての観点からは、ドジャースの1000億円超えの評価を獲得したと言える。何となればドジャースの所属するナショナル・リーグでは大谷(1カ月ケガで欠場とはいえ)のホームラン数を超える打者が複数いたからだ。この数字どれほど凄いものか、以下を見ていただこう。

ランク        OPS                     評価

A.      0.9以上         excellent

B.       0.8334~0.8999   very good

C       0.7667~0.8333       good

D.       0.7000~0.7666       average

E.       0.6334~0.6999

F.       0.5667~0.6333        bad

G.       0.5666以下 

 

MLBに所属した日本を代表する打者について見ると

イチロー  0.757

松井秀喜  0.822

であり、長打力の無いイチローがDランク(並)で、松井秀喜がCランク(良)に対し、大谷は、同じくMLB所属全期間で0.922であり、Aランク(excellent)なのだ。では、去年と今年(まだ始まったばかりですが)1.0を超えるのはどうかと言うと、リーグで1~2人しかいない、まさにMVPクラスということになる。

投手と異なり、日本人野手でMLBで長期間活躍した者は上記3選手に留まるのがよくわかる。またイチローは日本で騒がれたほどにはアメリカで評価されなかったことも理解できる。打者としての評価はC(並)だったのだから。ただ、イチローの場合、傑出した守備、走塁能力があった。他の日本人野手はほとんどイチロー(並)以下なのだ。当初は、これがわかっていなかったから、打率が高いのになぜ日本人を使わないのかと、不信感すら覚えた。打率が1分や2分高くともOPSで負けていたのだ。数年前までTV中継のアナウンサーや解説者すら理解していなかった。それでもWBCで日本が最多優勝を誇るのは、傑出した投手力(ことに制球力)とオールジャパンで1チームを編成するくらいなら十分打力でも対抗できるのと、MLBはさほどWBCに力を入れていないからだとは以前にも書いた。

打撃3冠とは打率(首位打者)、ホームラン数(ホームラン王)、打点(打点王)を指す。結果の評価としては無論意味がある。しかし、それぞれ単独では、点取りゲームである野球の打者評価の指標とはなりえない。ことに打点は、前を打つ打者の出塁率との兼ね合いの要素が大きい。しかし、OPSはこれ1つで打者の結果評価の最高の指標であると同時に能力評価も可能である。よって最も重要な指標として、野手のスカウティングに使っている(MLBに遅れて日本球団も近年重要視し出した)。

 

最近、筒香が日本球界に復帰して大活躍しているニュースを悲しい想いで見た。投手の黒田博樹がMLBでもまだ十分働けたのを、恩返しの想いで日本球界に復帰したのとは全然違う。黒田の場合、まだまだMLBで高額年俸のオファーがあったのに男気で広島カープに復帰したのだ。日本のホームラン王もMLBではホームランどころかヒットすら全く打てず、ほとんどが2軍(3A)暮らしだった。それくらい打者の彼我のレベル差は大きい。上記3人はほとんど例外的存在なのだ。これが悲しい。

6月号は面白い記事が多いが、森功「森喜朗 裏金問題真相を語る/240分」をまず読む。安倍派(清和政策研究会)議員の処分はされても、真相は全く究明されていないからだ。「清和政策研究会が始めたものではない。長い間に、個々に議員や秘書の間に伝わってきたもの」と語る。では、森会長時代の20年以上前に始まったというのが定説だが、これも「2000年に総理になる前は党幹事長、政調会長、総務会長、閣僚と派閥から離れていたので、派閥のことは詳しくわからない。私を陥れるための作り話」と切って捨てる。私もメディアの言う(いかにも胡散臭い)森・黒幕説を多分正しいと思っていたが、森が真実(に近いこと)を語っているとも思えてきた。少なくとも、「安倍派五人衆」がいずれも総理の器ではないことだけははっきりした。インタビューした森功も「良くも悪くも自民党政治を貫いてきた森喜朗のエネルギー」に感じ入っていた。

 

次に、柯隆・高口康太・安田峰俊の鼎談「中国不動産バブルのキズは深い」。中国の不動産価格が現時点では「大暴落」していないから、バブル崩壊していないとする分析に対し、柯隆(エコノミスト)が、「政府が不動産価格の動揺を抑えるため、家を売りに出す際の最低価格を高く設定しているため、売るに売れず、物件が塩漬けになる人が続出している」のだと説明する。なるほど!つまり、明らかに不動産バブルは崩壊しており、日本のような金融までの波及に止まらず、地方政府、さらに庶民の社会福祉にまで及ぶ可能性が高い、とする。柯隆氏はTVでしょっちゅう見るが、他の中国出身識者と異なり、中国批判を厭わないので好感を持っていたが、この記事で文革末期に「紅衛兵」であったことも知りさらに衝撃を受ける。

 

「総力特集」が48ページにも及ぶ「がんの新世紀」で、この10年ほどでがん医療は大きく様変わりしたという。遺伝子解析に基づく分子標的薬、免疫チェックポイント阻害薬、進行がんに対しても根治を目指した手術、光免疫療法、遺伝性のがんに対する予防的切除(リスク低減手術)などだ。

 

注目すべきは、トランプ政権下で国家安全保障担当補佐官を務めたジョン・ボルトンの「トランプは独裁者のカモになる」だ。「もしトラ」となれば、プーチン、習近平、金正恩のカモになることが目に見えているという分析だ。著者はこの3人とトランプとの会談に同席しているから、彼らの「ごますり」にトランプは喜色満面だったが、3人ともトランプが国際情勢を全く理解していないことを見抜いていたというから説得力がある。

 

岩井克人「2つのディストピア 米中に吞み込まれるな」も優れた論文だ。日本は米欧以外で最初に「近代」化に成功した国である故、「民主主義」「法の支配」「思想の自由」といった「近代社会の基本原理」が西欧社会をも特殊例とする、言葉の真の意味での「普遍的な理念」であることを示し続けていく「世界史的な使命」を与えられている、という。

 

後藤謙次(政治ジャーナリスト)が「中曽根裁定」の時、竹下登が「娘の所に寄って孫と一緒に勝手口から入ればいい」言ってくれて竹下邸に潜り込み、他社を抜いたことを巻頭随筆(9篇)の1篇「竹下登氏の一言」に書いている。その孫とは、当時小学3年生の、あのDAIGOだったという。どうでもいいことながら面白い。

今戦われているウクライナにおける戦争に宗教上の対立の要素もあると捉えている人は、日本人にはほとんどいないだろう。ウクライナ、ロシア共にロシア正教ということに(少なくとも表面上)なっているからだ。

ところが、佐藤優は「その東西のズレがロシア・ウクライナ戦争にも現れている。正教とユニエイト(東方典礼カトリック教会)の争いです」と喝破する。これは、本村凌二・佐藤優「宗教と不条理」(幻冬舎新書)においてでである。本村が「東と西の対立は根が深い。まず西でカトリックができて、それに賛成しなかった人たちが東に行った。もともと相容れないものがある」との発言に対してなされたものだ。

カトリックのウクライナ人は相対的に少ないけれど、価値観としてはカトリックの代表のようになっている。なぜそう言えるかというと、2022年以降クリスマスを12月25日にやったから、という。当たり前のようだが実はそうでない。正教徒の国のやるべきことではない。何となれば、正教徒たる者はユリウス暦の12月25日〔現行の暦(グレゴリオ暦)の1月7日にあたる〕にイエスの降誕を祝わねばならないのだから。つまりユリウス暦を放棄してグレゴリオ暦を使ったのだ。

 

佐藤優は現代における知の巨人と評価する。そう評価するのは(当然)私だけでなく、様々な知識人もそうで、対談本も多い。宗教の問題でも、橋爪大三郎(「あぶない一神教」)、池上彰(「宗教の現在地」)などがあり、今回は古代ローマ史を専門とする本村凌二の求めに応じたものだ。

ロシア正教は、佐藤によれば、ロシア国民の慣習のようなものだから戦前の日本における国家神道に近いのだそうだ。しかも、宗教は人々の慣習になった時一番強い、とも言う。

 

本村も鋭い指摘をしている。「情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」とは聖書にある有名な言葉だが、これからわかるように、人間の内心に踏み込んだのは、キリスト教をもってこれを嚆矢とする。ユダヤ教でも姦淫の罪はあるが、内心には踏み見込んでいない。

さらに、「遠い昔、人間の心は、命令を下す『神』の部分と、それに従う『人間』の部分に二分されていた」というジュリアン・ジェインズの仮説を下敷きにして、文字の普及で今まで聞こえていた神々の声が聞こえなくなったのではないか、という。

おまけに挙げれば、エルマー・R・グルーバーとホルガ―・ケルステンの共著「イエスは仏教徒だった?」を紹介している。ただ、この仮説、歴史学的には、可能性としては否定できないという。16世紀(フランシスコ・ザビエルを最初に)日本に布教したイエズス会士は、憎んでもあまりあるプロテスタントが先に布教していたのではないかと疑ったくらい阿弥陀仏崇拝がキリスト教に似ていたという事実もある(これもこの著に書いてあるという)。

 

知的刺激に満ちた対談だった。佐藤はこうも言っていた。「仏教は世界宗教になりにくい。読了可能な分量のテキストであることが大きなポイントなのに仏典は多すぎる。SGI創価学会インターナショナルは日蓮宗系であるがゆえに法華経一本に絞り込めるので、その可能性がある」と。その通り、仏典は確かに多すぎる。全てを読了、理解することは困難だ。しかし、この本は僅か230ページ、楽しい時間だった。

予想より遥かに早く潔白が証明されて(検事が「大谷は被害者」と明言した。ーこの検事に好意を感じたのは私のみではないだろう)、バリバリ打つとの期待をしたが、ちょっと違う。ホームラン数が少ないこと?無論それもないことはないが(ただ、大谷が例年ホームラン数を伸ばしているのは夏場)、極端に得点圏打率(走者を2塁あるいは3塁、またはその双方に置いている場合の打率)が低いことだ。得点圏での打席は20以上あってヒットは僅か1本だ(外野フライなどで打点を挙げたケースなどは打数にカウントされない)。

つまり「チャンスに弱い」ということになる。打率が3割6分と高く(安打数31は全米トップの数字)、得点圏打率5分では嫌でも目立つ。打点も10と少ない。(エンゼルス時代と異なり、出塁率トップのベッツを1番に置いているのだから言い訳はできない。)

大谷のために弁明すれば、2度のMVP、ホームラン王もとって、相手チームがチャンスではほとんど左投手を当てるなど徹底して対策をとっていることが大きいだろう。でも、「(チャンスに強い)クラッチヒッター」の大谷翔平を期待する。

松井秀喜は、MLBでもチャンスに強かった。それは、「ホームラン王」を捨てたことにあると私は分析している。日本では群を抜いた強打者(パワーヒッター)であっても、アメリカでは「並みの強打者」と自覚し、MLBプレイヤーとして生き残るためチームバッティングに徹した成果だ。(それが日本人でただ1人、ワールドシリーズMVPに繋がっている。ーただし、直後にヤンキースを解雇された。シーズン中に衰えが目立って、先は無いーローソクが燃え尽きる直前輝く様にーと判断されたためだ。)

ところが、大谷は今季も打球速度全米1だ。角度がつけばいつでもホームランになる。「ホームラン王」は捨てられない。ホームランには夢があるのだ。まだ試合も8分の1を消化したに過ぎない(8分の7も残っている)。高打率が証明する様にバッティング技術は間違いなく上がっている。得点圏打率が低いのは「たまたま」に過ぎない。

 

5月号のトップ記事は「緊急特集ー都知事のウラの顔」で、まず「小池百合子元側近の爆弾告発」で、小島敏郎元都民ファーストの会事務局長による告発だ。「国立カイロ大学を日本人女性として初めて卒業、しかも首席で」という触れ込みによりTVキャスターとなり、政治家となった。しかし、2020年石井妙子「女帝 小池百合子」でこれは虚偽と指摘されると、小池から相談を受けた小島が「カイロ大学から声明文を出してもらえば」と答えたところ、僅か2日で「声明文」が大使館のfacebookに掲載され疑惑は一気に沈静化し小池は都知事選再出馬声明をした。しかし、カイロ大学声明文は元ジャーナリストA(日本人)が書いたものだった。

この特集のもう1編は、北原百代「カイロで共に暮らした友への手紙」である。これはタイトル通り、カイロのアパートで同居し共にカイロ大学に通った女性の手記である。全くアラビア語などできずに当然落第して大学を去ったことを述べている。ただし、この内容は数年前、他ならぬこの「文藝春秋」で読んだ。その時の記事の著者が北原百代氏であったか覚えていないが、同居者が別にいるとは考えられないから同一人物だろう。私はこの時の記事で既にこの問題の決着がついていると考えていた。それがまた「緊急特集」とは!自民党の信頼が地に落ち、小池の国政復帰(そして総理へ)が囁かれているからか。

小島もAも小池が学歴詐称をしているとは当時全く思わなかったから工作に加担したのである。つまり騙されたのだ。しかし、それをベースに国会議員、環境相、防衛相、東京都知事と上り詰めて行く。稀代の詐話師と言うべきだろう。

北原は言う。「悪気なく嘘をつく百合子さんも悪いとは思います。でも嘘をつかせ続けてきた、メディアの責任も重いと思います。」彼女は朝日新聞に小池の学歴詐称を伝えたが無視されたのだ。

日本国の総理が稀代の詐話師であったらー怖い話だ。

 

今月号であの山本五十六について興味深い指摘が2つの記事にある。1つは保阪正康、河野克俊、戸髙一成、新浪剛史、楠木建の座談会「昭和海軍に見る日本型エリート」で、新浪が「山本五十六が真珠湾で第2次攻撃を命じなかったのも、ミッドウェー海戦でミッドウェー島の占領と米機動部隊の殲滅という二兎を追ってしまったのも、いずれも厳しい予見を避けていたと言えます。」と指摘する。つまり、厳しい現実から目を背け、無難な選択に逃げてしまっているのだ。もう1つは保阪正康の連載「日本の地下水脈」で今号は「湛山、五十六、英機ー明治17年生まれの岐路」で、「国家の強制力によって、個人が引き裂かれようとする時、自らの信念を貫くことができずに国家に殉じる日本的指導者は、悲劇的な美をまとわされて語られてきたが、湛山はそのような生き方自体を否定して自らの人生を歩んだのである。」山本五十六は対米英戦争に反対したものの、その立場を貫くことができず、戦闘を担う指導者としてとの道を進まざるを得なかったのは(「悲劇的な美」として)広く知られるところだが、石橋湛山はそんな生き方自体を否定した。湛山は戦前に軍部を批判したほとんど唯一の存在と言っていい。(戦前、戦争を煽り続けた朝日などは戦後コロッと豹変した。)東条英機など問題外の人物だが、開戦時の首相として歴史に名を残したことは事実だ。この3人が同年生まれとは知らなかった。

3.11の大震災時東京スカイツリーは建設中だったのだと初めて気付いた。サラリーマン時代長い間、押上駅(今は東京スカイツリー駅)を乗換駅としていたにもかかわらず。中島みゆきの主題歌「地上の星」と共に帰って来た、NHK「プロジェクトX」によってである。これは凄いことだ。地震国日本では当然どんな地震にも耐える設計はしてある。しかし、それは完成後のことだ。3.11の最中、大惨事のニュースはどんどん飛び込んできてもスカイツリーに関しては全く無かった。

これを成し遂げるには、耐震設計(ただ、それも東京タワーの2倍の高さなのに敷地面積は逆に狭い)は当然のこととしても、地震大国日本では工法に細心の注意と工夫を要すると同時に、現場で施工する鳶職人の意識の高さと技術を要する。

世界1のTV塔建設、番組では、初めこの困難な条件下の設計者に焦点を当てるが、地上634mでは強風が吹き雷鳴が襲い、3.11では5mもの横揺れに堪え、3万7千本の鉄骨を組んだ鳶職人の話が中心となる。

日本は職人に対する敬意がある。だから、番組では、上記鳶職人の他、強靭な鉄骨のプレス職人も取り上げている。復活第1弾につき1時間半の拡大版で見応えがあった。これに感動しないのは川勝平太静岡県知事くらいのものだろう。