「キネマの神様」の原作を読んで、「幸せの黄色いハンカチ」と同じだなと思う。「原作」と称するものの骨子だけを貰い、全く自由なストーリーを展開する、という意味だ。「原作 ピート・ハミル」とクレジットされるが、刑期明けの囚人が、妻に、まだ自分を思ってくれるなら家(の木)に黄色いリボンを飾って欲しい、そうでない場合自分は家に寄らない、と伝えた、というだけの、新聞のコラムだ。しかも、山田洋次はこのコラムですら読んでなく、ドーンの「幸せの黄色いリボン」というヒット曲を「男はつらいよ」撮影中、倍賞千恵子経由で知ったのだろう。私もこの曲はよく知っている。歌詞の内容にかかわらず軽快な曲だ。山田はこの「幸せの黄色いハンカチ」で第1回日本アカデミー賞の作品賞・監督賞・脚本賞はじめほとんどの部門を独占し、日本で最も権威あるキネマ旬報の年間1位作品ともなった。「寅さん」シリーズの監督だけではないことを見せつけた。主演の高倉健は久々に脱任侠映画を果たし(主演賞受賞)、助演の武田鉄矢は「母に捧げるバラード」1発のみの鳴かず飛ばず状態だったのが甦った(助演賞受賞)という意味でそれぞれに記念すべき作品だっただろう。

ピート・ハミルはドーンに対し著作権侵害の訴訟を起こしたが、これは昔からある伝承に過ぎず、既に先行する文章も存在することから敗訴しているが、日本の制作陣は慎重を期して「ピート・ハミル原作」としたのだろう。

 

さて、この「キネマの神様」、主人公は中年女性で、その老齢の父親は映画好きだがギャンブル依存症であり、主人公がそれによる多額の父の借金の返済をし続けており、名画座を営む父の友人がいる、という人間関係を踏襲しているのみでスト―リーはまるで違う。映画では、若き日の父親が映画制作会社の助監督時代、作り損ねた映画の脚本を、現代風に書き直しそれを孫がワープロで打ち直し、受賞作は映画化される木戸賞に応募したところ受賞し、映画化された映画を見つつ息を引き取る。原作は、素人ながら映画好きの父親が、ネットでアメリカの映画評論の第一人者と丁々発止の激論を交わすという設定で、死ぬのは父親でなく、死期の迫っていた評論家の方である。麻雀、競馬に明け暮れる日々だった父親が映画評論に生きがいを見出すまでの経緯が面白い。この作品に関しては、正直言って、原作の方が映画よりできがいい。原田マハ、この映画のストーリーをノベライズしたバージョンの小説もあることは書店店頭で知った。(こちらは読んでません。)原作を読む気になったのは、原作と映画はまるで違うと小耳にはさんだからだ。山田洋次は、例えば同じ時代劇でも、殺伐とした池波正太郎ではなくほのぼのとしたものが残る藤澤周平を選ぶ。その好みは私と一致し、山田洋次が選んだ作品なら読んで面白いと思ったのである。映画とストーリーが異なるならなおさらである。

TVで見る気になったのは、監督山田洋次で原作原田マハ、とあったから。山田洋次は大好きで、原田マハは愛読者とは言えないまでもいくつか読んでおり「悪く無い」作家と思っていた。映画では主役となる父親役は沢田研二でこちらは全く嫌いだった。歌が嫌いだった。声が女々しい(個人の感想です)。その女々しさがこの映画ではハマっていた。本来その役は、その死があのコロナ禍で日本人に最も衝撃を与えた志村けんだった(実際、撮影が半分ほど終わっていたようだ)という。志村けんと沢田ではキャラがまるで違うように思えるのだが。山田洋次の慧眼というべきだろう。私の沢田研二嫌いは女性にもてる男に対する嫉妬ではない。(少なくとも自分にはそう言い聞かせております。)同じく、歌も役者もやる木村拓哉(沢田より1世代若いですが)は大好きでTVドラマは欠かさず見ている。今も「Believe」を見ているのです。

同じギャンブル依存症でも、主人公(即ち日本)の場合せいぜい競馬・競輪、麻雀(こちらは形式的には違法ですが)の積もった借金が数百万円、アメリカにおける水原一平は数十億円、3桁‼以上も違います。