英語のアタリ本
日本語の本でも、学校から、人からすすめられて
読まされる本って、そんなにおもしろいと思ったことがなくて、
「本を読む」
ということから離れていってしまうという、
残念なことがあるかと思いますが。
まさに本って、その人の好みが出てくるもので、
他人におもしろいとすすめられても、
それほどおもしろくなかったり、
逆につまらなそうだと思いながらも、最初の2、3ページ読んでみたら、
ぐいぐい引き込まれて、あっという間に最後まで読んでしまったとか。
けっこう、アタリハズレがはっきりするんですよね。
私も、アマゾンのレビューを見て、
星が多かったり、コメントにいいことが書いてある本を
注文して読んでみるのですが、それでも五分五分ぐらい。
自分に合う本を探すことは、ハズレも多いけど、
アタリ本をみつけることをやめちゃつまらないですよ。
そして本好きなら、「英語のアタリ本」を探してみましょうよ。
英語の本だと、どうしても敬遠してしまって、
その壁を乗り越えるのに、ちょっとエネルギーを使ったりしますが、
自分に合う、英語のアタリ本を見つけることができたら、
まさにそれは宝物ですよ。
「英語の文章もロクに読めないのに、ぐいぐい引き込まれるような
本なんてあるのかしら?」
と、思っているそこのアナタ。
あります。
英語で、ところどころ意味がわからなくても、
「続きが読みたい!
」
と思える本はありますよ。
人がすすめる、「英語初心者用の本」よりも、
自分の興味に忠実に、本を選んだほうがアタリは多いです。
探偵ものの小説だったり、スポーツの本だったり、
マンガだって、なんだっていいんです。
つまらないと思った本を、最後まで読みきることよりも、
つねにおもしろいと思う本は見つけるようにしましょう。
本家のアメリカのアマゾンは、
「Kindle」のコーナーも充実していますし、
読みたかったら、すぐに読むことができますし。
本をたくさん読むってことは、何度もくり返し出てくる表現や
単語に出くわしますので、覚えようとしなくても、
自然と語彙が蓄積されていきます。
そこがいいところなんですよ。
たまには、英語圏のアマゾンをのぞいてみて、
本のレビューを読みながら、気に入った本を読んでみては
どうですか。
本は、人の好みが本当に出るもので、
自分がおもしろいと思う本は、自分で探すしかないんです。
他人任せにはできません。
英語の本でも、妙にノリがあっちゃう本だってあるはず。
おもしろい本を探し当てたってことは、
『英語の本を読まなきゃ』
という、義務感を飛び越えて、
興味を持って、本を開くことができるんです。
それって、すごい幸せなことじゃないですか![]()
いいめぐり合わせは、必ずありますよ。
言葉に詰まった先は、かなりテキトーな感じで
英語で会話をしていて、困っちゃうのは、
途中で単語が出てこなくて、言葉が詰まっちゃうこと
なんですよね。
もう、名詞が思い浮かばないときは、
あきらめて違う言い方を探すんですけど、
名詞だけ知っているけど、その前につける動詞が
わからないとき、
makeなのか、getなのか、haveなのか、
見当がつかないときは、
とりあえず合っていそうなテキトーなのを名詞の前につけてしゃべってます。
正確さ?
それも重要なんですが、
とりあえず相手もわかってくれる(?)ので、
まあ、いいか・・と。
もちろんあとで、正確な言い方を調べたほうがいいですが、
あまりに「正しい英語」にこだわって、
会話に詰まったり、たどたどしくなってしまうくらいなら、
自分の中のこれだ!と思う言葉を
思い切って出す必要もあるんです。
なにしろ英語ができない外国の方は、
言葉が行きづまるとみんな適当な英語を使って、
その場をしのごうとします。
しかたないんですけどね。
そんな人を相手にしていて、
「ハァ?ナニ言ってんの?」
な場面にも出くわしますが、
もうそこは、重要な会話じゃなければ、サラッと見逃してあげましょう。
言葉に詰まったときは、自分の“これだ!”というカードを出して、
(聞くほうからするとかなりテキトーな)
土俵際で逃げる、力技が万国共通なんですよ。
むしろ、間違えるのをおそれて、何も言わないほうが
マイナスな場面もあるし、英語も上達もしません。
海外旅行とか、休みのときの会話などは、それで十分ですよ。
仕事となるとちょっと別ですけど。
日本人は几帳面で、仕事に正確さを求める、
いい長所を持っていますが、
それがアダとなって、うまく行動に踏み切れないときもあります。
そんなときは、あの“高田純次”さんになりきって、
テキトーさをもって会話すればいいんです。
まずは何事も、やってみないと始まりませんからね。
精度を高めるのは、それからです。
便利さはときに人をフニャフニャにする
今の日本が、生活するのに便利すぎて、
あまり海外へ行きたがらないという人が増えていると
言う記事をたまに見かけますが、
あまりに、この国が便利すぎちゃうのも、
だんだん脳みそを使わずに痴呆に向かっていきそうで、
どこで頭使っているんだって、
突っ込みたくもなります。
食べるものも、インスタント食品やコンビニに外食と、
自分でつくる手間がはぶければ、時間の節約にもなるけれど、
その便利さを手にして、
「なにを失っているんだい?」
って聞くと、
お金や健康(栄養のかたより)を代わりに差し出しているっていう
意見もあるでしょうけど、
「自分で考える」ってことも放棄しているような気がしてならないんです。
話はかわって、NHKの英会話テキストのことなんですけど、
あまりにできすぎたテキストだと、それを読む読者を
甘やかしてしまうというのも、
このごろになってようやく気づきました。
たぶん出版社さんが、自分たちの販売するテキストに思いを込めて、
使いやすさを追求して、ひとりでも多くの人が英語ができるようにと
子を思う親心のように、愛着を持って多くの人に勧めているのでしょうけど、
それがかえって、受け取り側の私のような、
甘ったれた人間には、毒になってしまうんです。
テキストを見ると、左側に英語の文が書いてあって、
右側にその日本語の訳が載っています。
それにそって勉強していくと、不思議なことに、
まったく記憶に残らないんですね。
英語の文を見て、わからなければすぐ横にある日本語の訳を見て、
わかったふりができちゃうんです。
でも1日たつともう、忘れているんです![]()
なぜ?
1年間テキストをやってきて思ったことは、
単なる英語⇔日本語の照らしあわし作業なんていらねえ
ってことなんですよ。
英語と日本語の間の行き来が、あまりに便利すぎるために、
その間に置かれるはずの、
「考える、思い出す」
という、
もっとも必要なワンクッションが省略されてしまっているんですよ。
私たちのもっとも必要な、ヒイコラあせ水たらして![]()
自分なりのものを、自分の脳みそからひねり出すという、
人として、一番格調高い行為がおこなわれていないんです。
「考える、思い出す」
ということを省略するぐらいなら、
あれほど日本の社会が必要としていた、
便利さなんて、ただじゃまなだけなんです。
本当に記憶に残るのは、自分で考えるだけ考えて、
限界まで手探りしてもわからなかったときに、
答えを知って、初めて記憶に定着するものです。
単なる、英語⇔日本語の流れ作業的なやり方では、
脳も興奮せずに、記憶に残す価値ナシと判断するのでしょう。
ただ強引に「覚える」だけでは、
なかなか記憶に定着しません。
その間に、
「考える、思い出す」
という、脳の掘り起こし作業をおこなってから、
知識の種をまきましょうね。
