便利さはときに人をフニャフニャにする
今の日本が、生活するのに便利すぎて、
あまり海外へ行きたがらないという人が増えていると
言う記事をたまに見かけますが、
あまりに、この国が便利すぎちゃうのも、
だんだん脳みそを使わずに痴呆に向かっていきそうで、
どこで頭使っているんだって、突っ込みたくもなります。
食べるものも、インスタント食品やコンビニに外食と、
自分でつくる手間がはぶければ、時間の節約にもなるけれど、
その便利さを手にして、
「なにを失っているんだい?」
って聞くと、
お金や健康(栄養のかたより)を代わりに差し出しているっていう
意見もあるでしょうけど、
「自分で考える」ってことも放棄しているような気がしてならないんです。
話はかわって、NHKの英会話テキストのことなんですけど、
あまりにできすぎたテキストだと、それを読む読者を
甘やかしてしまうというのも、
このごろになってようやく気づきました。
たぶん出版社さんが、自分たちの販売するテキストに思いを込めて、
使いやすさを追求して、ひとりでも多くの人が英語ができるようにと
子を思う親心のように、愛着を持って多くの人に勧めているのでしょうけど、
それがかえって、受け取り側の私のような、
甘ったれた人間には、毒になってしまうんです。
テキストを見ると、左側に英語の文が書いてあって、
右側にその日本語の訳が載っています。
それにそって勉強していくと、不思議なことに、
まったく記憶に残らないんですね。
英語の文を見て、わからなければすぐ横にある日本語の訳を見て、
わかったふりができちゃうんです。
でも1日たつともう、忘れているんです
なぜ?
1年間テキストをやってきて思ったことは、
単なる英語⇔日本語の照らしあわし作業なんていらねえ
ってことなんですよ。
英語と日本語の間の行き来が、あまりに便利すぎるために、
その間に置かれるはずの、
「考える、思い出す」
という、
もっとも必要なワンクッションが省略されてしまっているんですよ。
私たちのもっとも必要な、ヒイコラあせ水たらして
自分なりのものを、自分の脳みそからひねり出すという、
人として、一番格調高い行為がおこなわれていないんです。
「考える、思い出す」
ということを省略するぐらいなら、
あれほど日本の社会が必要としていた、
便利さなんて、ただじゃまなだけなんです。
本当に記憶に残るのは、自分で考えるだけ考えて、
限界まで手探りしてもわからなかったときに、
答えを知って、初めて記憶に定着するものです。
単なる、英語⇔日本語の流れ作業的なやり方では、
脳も興奮せずに、記憶に残す価値ナシと判断するのでしょう。
ただ強引に「覚える」だけでは、
なかなか記憶に定着しません。
その間に、
「考える、思い出す」
という、脳の掘り起こし作業をおこなってから、
知識の種をまきましょうね。