気ままにバツイチ・シングルライフ -12ページ目

悪い気

昨日、朝一でフェイシャルの予約が入っていた。
終了後、なんかミョ~に疲れてしまったのだ。朝は元気だったのに。
ぐったりってカンジ。
オカシイなぁ、いつもフェイシャル1件でこんなに疲れることなんてないのになぁ。

重いカラダで3階の社食までたどり着き、先にC定食を食べていた店長に話すと
「ああ、悪い気でももらったんじゃないの?」と言われた。
そういえば以前大手エステサロンにいたマネージャーもそんなこと言ってたなぁ。

こういう仕事ってどうもそういったことがあるらしいのだ。
みんな癒しを求めてくるでしょう?
私は実感したことがなかったので聞き流していたのだった。
へえ、なんて人ごとみたいに。

セラピストとしてやっと一人前になったってこと?
嬉しいような、カンベンしてー、って気もするし、ビミョ~。

そして今日、また朝一のフェイシャル後、ぐったり。
しかもお昼に行ったら同じ歳の資○堂の美容部員さんにつかまって昼休み中延々と舅の愚痴を聞かされる羽目になった。
オバサンのハナシっていつも子供かダンナか誰かの悪口だ。
取り留めなくて不満ばかりでつまらない。
オバサンのくせにオバサンの話しについていけないとある意味ツラかったりする。

今度のお休みにはもらってしまった悪い気をどっかに捨てに行こう。
(で、どっかのアロマサロンの人が悪い気をもらっちゃって、その人がまた別のサロンに捨てに行って…エンドレス)

永遠の憧れの人(後編)

私がこのアメブロの存在を知ったのは田口ランディさんのサイトからだ。
その前にはメルマガを配信していて、それを取っていた。
2002年6月3日の「クレンズ」はとても印象的な内容だった。
少しだけ引用させてもらう。

         *  *  *  *  *

つまり、そういうことなのだ。名人の仕事ってのは、周りにいる人間を、クレンズしちゃうんだよ。AKIRAさんもきっと、クレンズされちゃったんだな。そんですかっと旅に出てしまったんだ。そんなこと思った。

 ものすごく落ち込んだとき、とてつもなく嫌な言葉に触れたとき、自分が辛い体験でボロボロになっていじいじしちゃうとき、悲しいことが重なってどんよりしちゃうとき。そういうときが人生にはままある。

 いろんなふうにして、心には細かくて薄汚い澱がたまる。どうしても溜まっていく。しょうがないことだ。そういうとき、自分の仕事、自分の役割に、片意地張るでもなく、威張るでもなく、それを楽しんで、ただもう誠実に、真っすぐに向きあっている人たち、そういう人たちに出会うと、言葉ではなく励まされる。私はそうだ。

 自分の役割をまっとうしてる人は、きっと、ただ存在しているだけで、もう、それだけで、たくさんの人を支えているんだと思う。たぶん、その人は「労働」ではなくて「働き」をしてるんだろう。仕事は自分が「働き」という作用を担うための手段。このごろそんな風に思えるんだ。

         *  *  *  *  *

そう、私はいつも等さんにクレンズされている。

17歳のあの頃から変わらない眼差しで音楽を、弦楽器たちを見つめている等さん。
ガムシャラに突っ走るでもない、気負うでもなく、自然体で、好きだから、という気持ちひとつで。
その姿に、音に、オーラに、触れる度に私の中の何かがふぅっとほどけていく。
そして沸々と不思議なパワーが満ちてくるんだ。

永遠の憧れの人(前編)

昨年末になるけど、12弦フレットレスギタープレイヤー渡辺 等さんのライブに行ってきた。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~gaspard/artist/watanabe/index.html

この人は私の高校の1年先輩で、実はずーっと片思いしていた人なのです。てへ。

本職はベーシストで、色んな人のレコーディングに関わっているので知らないうちに誰でもこの人のベースを耳にしている。
ここ2年くらい人気の「ライブ・イマージュ」にも全部参加しているし、最近ではサントリーのケミストリーが出ていたCMに一緒に出ていた。
「ジャンルを選ばず依頼があれば何でも演ります」と以前ベースマガジンのインタビューで言っていたとおり演歌以外(本人はやる気満々だが依頼がないそう)マルチに活躍している。

高校時代は軽音みたいなサークルに所属しながら、すでにセミプロとしてライブハウスで演奏したり、アングラ劇団の音楽を演奏したりしていて、プロになる、という目標にむかって着実に走り始めていた。

中学から上がってきたばかりで、将来のことなんて夢みたいにしか思ったことのなかった私には等さんはすごーくオトナでカッコよかった。
サークルのみんなでお茶を飲んだときに、コーヒーをブラックで飲んでいたのもカッコよかったなぁ。
しかも、今はどうか知らないけど、そのとき先輩たちの中で等さんだけタバコを吸ってなかったんだ。
自分をちゃんと持っている人なんだって思った。

ウチの高校は幼稚園から大学まである私立校なので、遊んでいてもよほど馬鹿でない限りトコロテン式に大学に進学できる。
等さんは成績はよかったみたいだけど、ジャズプレーヤーになって大学に来る暇がなくなり、そのうちに中退したらしい。
等さんの彼女だった先輩と仲良くなって、何回かライブに一緒に行った。
その後、ジャズはやめてポップなバンドを結成してCM曲に流れたりしていた。

それからしばらくは、私も結婚したり子育てしたりで追っかけみたいなことから遠ざかっていた。
ある日、中西俊博のCDを買って何気なくミュージシャンの名前を見ていたら「BASS:HITOSHI WATANABE」ってあるじゃない?!
ええ~ッ!!こ、こんなところで会える(?)とは。
その後も偶然買ったcobaやゴンチチ、溝口 肇などのアルバムで名前を見ることがたびたびあり、録音中のスタヂオの写真に写っていることもあったり、うれしい再会(一方的な)がよくあった。
そしてPCを買って面白半分にyahhooで検索してみたら、なんと等さんのサイトが存在したのであった。

まだ12弦ギターもソロでのライブもやってなくて、2、3枚目のソロCDを出していたので即取り寄せた。すべての楽器を自分で演奏しているとか、相変わらず弦なら何でも好きなのね、というHITOSHIワールド全開の私の大のお気に入りCDになった。

その後12弦フレットレスギターを楽器オタクが嵩じて作ったとかでアルバムを出し、ライブをするようになった。
もちろん、行きましたよ。

間近で久しぶりに見る等さんは昔と変わらずスラリと背が高くてやや天パーの髪もふさふさと無造作な感じでそりゃあ素敵でしたわ。
演奏する時の仕草も変わらず。
私は17歳のあの頃に戻ってしまったような錯覚すら覚えてしまった。
ライブのあと、声をかけると私のことを憶えていてくれて
「ひさしぶり、元気だった?」と言ってくれた。
私は蚊の鳴くような声で「ハイ」としか答えられなかった。

私にとって等さんは永遠の憧れの人なんだなぁ。(後編へつづく)

左腕、というかほとんど肩に近いくらい上に入れているTATTOOは「悟」というひと文字。
「オトコの名前らしいよー」とか口の悪い友人がジョークにする。

以前通っていたアロマテラピーの学校の先生はいつも言っていた。
「ワガママに生きなさい」って。

「悟り」という字は吾が心と書く。
吾が心のままに生きるのが悟りなんだ、と。

知り合いのアーティストのAKIRAさんにそんなメールをしたら返事をくれた。

タトゥーいいね、いいね。
「小さい吾」を知りなさいってのもいい。
自分の小ささを知ると大胆になれるから。

…「小さい吾」かぁ…
私のバアイ「そのまんまやないかい!」って感じなんですけど(身長150cm)。

今年は今までの自分の殻を破って、タブーを侵してもっともっとわがままに生きる。
やらずに後悔するよりも、やっちゃって後悔したほうがずっといい。





 


実感ナシ

世間一般ではお正月らしい。
私は平常運転なので、実感ナシ。
年賀状も書かなかった。年賀メールはしたけど。

出勤するとき、道路空いてたなー。
昨日の雪が残って凍ってたらヤだなー、と心配していたけど気温がけっこう上がってその心配もなく快適な初出勤、初走りでありました。

しかしまあ、何だって皆さん元日から買い物なんてしてるんでしょうね。
10時オープンのショッピング・モールには9時頃から福袋目当てのお客さんが並んでいたそうな(早番の同僚談)。
確かにお得かもしれないけど、いらん物が入ってたらゴミになるだけじゃないのかなぁ。
不況だ、不景気だと言いますが、まだまだアマイよ、日本の消費者は。

お節どころかお餅も買ってないのだが、お昼に社食に行ったら定食のみそ汁のかわりにお雑煮がついていた。
お澄まし仕立ての柚子の香のなかなか美味しいお雑煮でありました。
てか、ラーメンにお雑煮が付くってのもスゴイな。食べちゃったけど。

あ、そう言えば、人様の作ったお雑煮を食べるのって17~8年ぶりかも。
家庭料理ってあまり外で口にすることないもんねぇ。
正月はもれなく家で祝ったし。
そう考えるとけっこう新鮮。

帰りの環七も空いてたけど寒かった~
指がもげるかと思うくらい、寒い、という感覚でなく痺れる、とかそんな感じ。
「グリップ・ヒーター」の文字がアタマの中でネオンサインのように輝いておりました。

明けましておめでとうございまする。

いやはや、飲んだくれているうちに年が明けてしまった。

振り返ってみると、いろんなことがあった年だったなー。
まあ、それなりに充実した1年でありました。
私的には波乱万丈、とまではいかなくても波乱百丈くらいですかね。

ドーター・コパの風水によると、今年は肩下10センチくらいの長さで明るめのカラーリングのヘアスタイルが良いということなので、年末のうちに美容院へ行ってまいりましたわ。
もともとショートなので長さはあきらめて(ってか、ますます短くなってしまったのよ)明るめのヘアカラーにさらに前からやってみたかったメッシュを入れてもらいますた。
美容師サンは「オバチャン美容師みたいになるでー」とか言っていやがってたのだけど、なかなか評判いいのだ。ふん!(鼻息)

今年の抱負、というほどのものはないけど、とにかく前進あるのみ。
ま、私のことだからのたのた遅いんだけどね。マイペースで前進する。
興味のあることにはドンドン首を突っ込む。

あとは、毎年言ってることだけど
3キロ痩せる。

今年もよろしくお付き合いくださいまし。


寒い日は鍋!

息子たちが夕飯を食べにきた。
今日は寒いから、鍋。

昆布と骨付きのぶつ切り鶏モモ肉でダシをとり、酒・醤油で薄く味を調える。
みず菜とネギとシラタキ、エノキ茸、豆腐、鱈、ハマグリ、水餃子、キリタンポなんかを火の通り難いものから入れていって、煮えたらポン酢醤油やキムチのたれにつけて食す。最後はうどんを入れる。
ってのが、ウチの鍋。
はじめからキムチ鍋にしたいところだが、次男は辛いのがダメなので各自でキムチのたれを入れる。

ひとり鍋することもよくあるんだけど、やっぱりみんなで食べると楽しいね。
なんたって、鍋って準備がラクだし、野菜たくさん食べれるしねー。
とか言って何度か鍋をすると「また鍋モノかいっ」とかブーイングが出るので気をつけなくては。

いやー、しかしカセット・コンロ買ってよかった。
次はすき焼きにしようかなー(手を替え、品を替え)。

悲しいときー!

私はよく泣く。

一見キツそうに見えるらしいが、実は涙もろくて、TVを見ても本を読んでも映画を観ても新聞を読んでも音楽を聴いても、しょっちゅう泣いている。
もちろん一人のときだけど。
本当に心を許している人の前ではボロボロ泣いてしまうけど、外でやらかすと嫌がられるので(はたから見ると泣かしているように見えてしまうので)極力我慢する。

どんな時に泣くかというと、
悲しいとき
悔しいとき
切ないとき
そして、感動したとき。

あのね、悲しいときや苦しいときは泣いてしまったほうがいいんだよ。
男の人って泣けない、とか言うんだけどさ。

泣くと涙と一緒にナントカ(アドレナリンとかそういう脳内で分泌されるもの、名前忘れちゃった)っていう物質が流れて、マイナスの感情が緩和されるんだって。
ちゃんと科学的に証明されているんだから。

女たちは本能的にカタルシスの方法を知っていたんだね。
泣くだけ泣いて、スッキリしちゃったりってことあるでしょう。
だから、本当は女は強いのです。
彼女に泣かれたからと言ってびびるべからず。
その後でケロッとしてケーキ平らげたりするから。

男だって泣いてもいいんだよ。

さむっ!

朝晩の冷え込みが厳しくなってきた今日この頃。

バイク通勤している私に「バイク寒いでしょう」と同僚がよく言うのだが、きちんと防寒対策をしていればそんなに寒くはない。
なんたってバスと電車だと1時間以上かかるのがバイクだと30分で着いてしまうのだ。少々寒くたって30分の辛抱だもん。
ヘタすると、バス停や駅で待ってるときのほうが寒いかもしれない。

ちなみに、私のバイク通勤スタイルは、ユニフォームのうえからフリース、ダウンジャケット、エアテック入りのオーバーパンツ、ネックウォーマー、である。背中にホカロンもだ。

しいて言えば手が冷たいなぁ。もともと冷え性で手足が冷たいので、出勤してすぐにお客さんが入っていると触られる方が気の毒だ。
グリップヒーター着けようかな、と思案中。

ところで、ここのところ出勤途中におまわりさんをそっちこっちに見かける。毎日通っているとどの辺に白バイが隠れているか、とかわかるのでそのあたりは気をつけて走る。
まあ、メインは4輪の携帯ですかね。
車の方は気をお付けあそばせ。

ひとりぼっちでクリスマス。

今日はクリスマスなんだねぇ。
さっき仕事から帰ってきていつもと同じ遅い夕食を食べながらワインを飲んでいる。
初めてひとりぼっちで迎えるクリスマスかも。
もっとも、20日に息子たちとひと足早くパーチーしたんだけど。

ひとりぼっち、って何だか寂しそう?
「カレ氏と一緒に過ごさないの?」って店の若いコに言われたけどカレ氏もいないし、いたとしても多分仕事してたな。

私にとってクリスマスは家族で祝う日。
子供の頃からずぅぅぅぅっとそうだったし、これからもそうだ。
そしてそんな幸福な記憶がたくさんあるから、ひとりぼっちでもとても幸せな気持ちで過ごすことができる。
クリスマスで嫌な思い出ってひとつもないんだよ(そう言えば次男が風邪をひいていてゲロと下痢の思い出はあるけど、今となっては笑い話だ)。

あなたが子供の頃、サンタさんは来ましたか?

息子たちがまだ小さい頃、夫とふたりで足音を忍ばせて枕もとにプレゼントを置きにいった。
息子たちが目を覚まさないよう、ふたりで「シーッ」と口元に人差し指を当て、笑いをこらえながら。
どこの家庭でもあるありふれたクリスマスだけど、思わず涙ぐんでしまうくらい幸福だった日々。
その反面、いつか壊れてしまうのではないかと、不安で怖かった。
今にして思うとなんて贅沢で馬鹿馬鹿しい悩みだったんだろう。

だからと言って今の状況を後悔しているワケじゃない。

元夫はあの頃の彼じゃないし、こうなってしまったのは彼だけの責任じゃない。
私にも至らないところはたくさんあっただろう。
夫婦って、人間関係って要は組み合わせ。
どこかで歯車がかみ合わなくなって、そのズレを修正することができなかったんだね。

今は、幸福な思い出をくれた元夫に感謝している。
ありがとう。
だからこそ、今の私があるんだよ。