岡山弁護士会の企画。


岡山弁護士会2012憲法記念県民集会「取調べの可視化実現を目指して~ 甲山事件から密室取調べとえん罪のメカニズムを考える」(日弁連ホームページ)

http://www.nichibenren.or.jp/event/year/2012/120512.html


岡山弁護士会でのページ

http://www.okaben.or.jp/news/index.php?c=topics_view&pk=1333700496

 

チラシのpdf

http://www.okaben.or.jp/images/topics/1333700496/1333700496_4.pdf


なお,このシンポジウムのコーディネーターは,弁護士の作花知志先生です。

作花先生も,ご自身のblogで,お知らせをしています。


甲山事件から捜査の可視化を考えるシンポジュウムのご案内(弁護士作花知志のブログ)

http://ameblo.jp/spacelaw/entry-11219823203.html


第4版,4月20日に発売予定。


潮見佳男『プラクティス民法 債権総論〔第4版〕』

http://www.shinzansha.co.jp/120411Practiceminposaikensouron4han-contents.html


ただ,(指定テキストとの関係から)3月下旬から4月上旬に3版を買ってしまった人,結構いたように思います。

(親切な書店だと,「改訂予定」と案内が出ていたりしますが)

 

Amazonでは,予約が開始されています。


プラクティス民法 債権総論〔第4版〕/潮見 佳男
¥5,040
Amazon.co.jp

田村政喜「法科大学院における刑事実務基礎教育の現状」「植村立郎判事退官記念論文集」編集委員会編『植村立郎判事退官記念論文集―現代刑事法の諸問題 第2巻 第2編 実践編』503頁以下。


植村立郎判事退官記念論文集―現代刑事法の諸問題 第2巻 第2編 実践編/「植村立郎判事退官記念論文集」編集委員会 編
¥12,000
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東京大学で派遣教員であった田村判事による論稿です。


以下、引用。

「ウ 司法修習を効果的にするために法科大学院で学んでおくこと

 司法修習生は,実務修習において,『生きた事件』を素材として具体的な事案に法を適用する経験をする。具体的な事実関係や証拠に即した適切な分析・検討を行うためには,法科大学院で,基本法を中心として論理的・体系的な法的思考力・理解力を身に付けておくことが必要不可欠である。仮に法科大学院で法的な考え方を習得していなければ,実務修習を中心とする新司法修習の過程で効果を上げることは期待できない。また,司法修習生考試(いわゆる2回試験)で不合格とされた者に見られる問題点の中心も,基本法についての理解が不十分であるため,この理解を前提とした事案の分析ができなかった点にある。分野別実務修習から開始する司法修習に円滑に入っていくためには,その前提として『実務の基礎的素養』を身に付けておくことも必要であるが,法科大学院で習得しておくことが期待されているのは,何よりもまず,基本法についての十分な理解である」(同書506-507頁)


「(3)裁判員裁判を担う法曹を養成する視点

 司法修習との連携との視点,法理論教育との連携の視点は民事の実務基礎教育と共通のものである。これに加えて,刑事の実務基礎教育に特有のものとして,裁判員裁判を中核とするこれからの刑事裁判を担う法曹を養成するという視点がある。平成21年5月に裁判員裁判が始まり,公判前整理手続において争点及び証拠を十分に整理して裁判員に分かりやすい審理を実現することが求められるようになった。分野別実務修習及び集合修習の刑裁修習では,裁判員裁判を中核とする新しい刑事裁判に対応できる法曹の養成も目標の一つになっているが,法科大学院での実務基礎教育でもこの点を十分に意識する必要がある」(同書509-510頁)


「ウ 法科大学院における事実認定教育の意義と限界

 学生にとって,実際の事件記録を題材に証拠を分析して事実認定の作業をすることは,法曹の仕事のやりがいや難しさを実感する貴重な体験である。他方で,事実認定の判断は極めて事案による個別性が高いため,刑事実務基礎での限られた経験を普遍化することはできない。学生によっては,事実認定に関する文献等で指摘された視点をあたかも一般法理のようにとらえる危険もある。筆者が司法修習生を指導した経験でも,法科大学院修了生には,『近接所持の法理によれば』と起案をする者が相当数存在し,司法修習開始後に初めて事実認定を経験した従来の司法修習生と比較して悩みが見られないという明らかな差異があった。法科大学院で事実認定教育をすることには意義深いものがあるが,法科大学院において事実認定能力を高めることに期待することは,そもそも制度上の限界がある」(同書516頁)


「(ア)法曹三者それぞれの『立場』を強調することの弊害

 法科大学院生にとって,検察官や弁護人の『立場』を強調することは見解の相違にしか見えず,複眼的な思考を深めるためには有益ではない」

※これは意外な指摘かと思われますが,司法試験の論文式試験でも,刑事系のみは,立場から論じる設問が出ていない(「検察官の立場から論ぜよ」とか,「弁護人の立場から論ぜよ」)ことからすれば,理解もできるところです。

 

また,本論文では,司法修習委員会による「法科大学院における『刑事訴訟実務の基礎』の教育の在り方について」という意見書が紹介されていますが,それについては,ホームページで公開されています。

 

•法科大学院における「刑事訴訟実務の基礎」の教育の在り方について(平成21年3月5日)(PDF:21KB)

http://www.courts.go.jp/saikosai/vcms_lf/803008.pdf

 

※司法修習委員会のページ

http://www.courts.go.jp/saikosai/iinkai/sihosyusyu/index.html


なお,刑事訴訟実務基礎科目については,民事訴訟実務基礎科目とは異なり,法科大学院によってバラツキがあるように思われます。派遣刑事裁判官,派遣検察官による充実した講義が開講されている法科大学院もあれば,全く開講されていない法科大学院もあります。予備試験も刑事実務基礎が必修科目であるのに,一部の法科大学院にいる法科大学院生は,派遣刑事裁判官や検察官と接する機会も与えられず,かつ,刑事実務基礎を学ぶ機会も与えられないのは,何ともおかしなことだと思います。まあ,その法科大学院を選択したのは学生ですから,自己責任と言われれば,それまでなのですが・・・。



9118人とのこと。


平成24年司法試験予備試験の出願状況について(法務省ホームページ)

http://www.moj.go.jp/content/000097448.pdf


昨年(初回)は、8971人でしたので、若干増えています。

(参考:http://www.moj.go.jp/content/000073545.pdf


なお、1回目の予備試験について、合格体験記がある予備校のホームページに公開されています。


合格体験記(LECホームページ)

http://www.lec-jp.com/yobi_shiken/reason/pass/


大学在学者、法科大学院在学者も目立ちます。


4月から法学部に入った方の中には、法曹資格を取得するために、司法研修所への入所を目指している方も多いと思います。

予備試験合格者がどれだけ司法試験に合格できるかまだ未知数であり、また、仮に合格しても、その後、進路をきちんと確定できるか(要は就職出来るか)は未知数なので、予備試験ルートのみを考えるのは、経済的事情や法科大学院(制度)への反発がない限り、「現時点では」おすすめしません。しかし、予備試験合格ルートと法科大学院ルートの両にらみは、司法研修所入所資格獲得のための戦略として、適切だと思います。法律の勉強以外に何かやりたいこと(外国語とか、留学とか、課外活動とか)がない限り、司法研修所への入所を目指す学部生の方は、予備試験の勉強をはじめてみてはどうでしょうか。


他方で、法科大学院ルートの場合、(既修者コースであっても)適性試験や学部成績も重視されることもありますので、その点は注意が必要です。法科大学院入試にあたって何が重視されるかは、法科大学院によって異なるので、まずは進学を検討している法科大学院のホームページを見てみることをおすすめします。


なお、今年の司法試験は予備試験合格者が参入する年であり、その結果が注目されます。


第4版へ。


大塚裕史『刑法総論の思考方法[第4版]』(早稲田経営出版)

http://www.seibundoh.co.jp/shoten/search/004283.html

※早稲田経営出版のページに案内がないので、成文堂のページをリンク。


刑法総論の思考方法 第4版/大塚 裕史
¥4,200
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旧版を読んだことがありますが、説明が大変丁寧であるのが印象的でした。

読み手に刑法理論を丁寧に伝える意欲が、伝わってくる本でした。


大塚先生の本といえば、以下の本も法科大学院生や司法試験受験生に定評があります。


ロースクール演習 刑法/大塚 裕史
¥3,360
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判例タイムズ1366号

http://www.hanta.co.jp/hanta-new.htm


以下の裁判例が掲載されています。


[刑事訴訟法]
16(東京地裁平22.8.6判決[平21特(わ)3051])…248
 覚せい剤自己使用の事案において,警察官が職務質問中に被告人運転車両のエンジンを切り,ドアを外から押すなどして被告人を車外に出られないようにした行為などは違法な有形力の行使であり,約5時間35分にわたり被告人を現場に留め置いた行為も違法であるが,それにとどまらず,警察官が留め置きの違法を糊塗するために内容虚偽の疎明資料を作成して強制採尿令状の発付を請求していることに照らし,採尿に至る一連の手続に令状主義の精神を没却する重大な違法があるとして,被告人の尿に関する鑑定書の証拠能力が否定されて,被告人に無罪が言い渡された事例


違法収集証拠排除法則を考えるにあたって、参考になる裁判例の1つです。

法科大学院における試験や事例演習課題の素材にもなりそうです。


法学教室379号

http://www.yuhikaku.co.jp/hougaku/detail/018601


法学教室 2012年 04月号 [雑誌]/著者不明
¥1,400
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松下淳一先生の巻頭言から引用(同書1頁)。

「法律家は、具体的な事案について、そこにある法的な問題点を発見し、分析をして解決を導くのが仕事である。その過程では、抽象的な法規範・制度と具体的な事案との間をつなぐ作業をしなければならない。法律学の学習においては、抽象的な法規範・制度の内容を理解するだけでは足りず、それが適用される具体的な事例も一緒に習得する必要がある。その際、まず習得すべきは、その法規範・制度が適用される最も典型的な事例である。典型例をしっかり頭に入れることによって、その法規範・制度の趣旨を立体的に理解することができ、具体的な事案への当てはめを正確かつスムーズに行うことができるようになるのである。教科書・体系書では、スペースの制約から、いちいち典型例を挙げていないことが多いであろう。教員は、授業において、時間の許す範囲で法規範・制度の説明とともに典型例を挙げるのが学習効果を高めるために望ましいであろうし、学生としては、教科書・体系書に書いていなくても、また授業で教員が典型例を挙げていなくても、特に重要な法規範・制度については自分で典型例を考えるべきであろう」


もちろん、松下先生の巻頭言は、「典型例だけ押さえれば良い」という単純なものではなくて、限界事例を押さえることの重要性も、引用部分のつづきで書かれています(詳しくは同書をご覧下さい)。


なお、法学教室379号から「演習」は新メンバーでのスタートです。

特に注目されるのは、川出敏裕先生の刑事訴訟法だと思います。


再度、以下の本より。


鈴木宗男=佐藤優=魚住昭
『鈴木宗男が考える日本』

http://www.yosensha.co.jp/book/b100138.html

  

鈴木宗男が考える日本 (洋泉社新書y)/鈴木 宗男
¥798
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真偽のほどは分からないのですが、佐藤優さんが紹介する、以下の話は興味深かったです。


「田中(角栄-ESP補足)さんは、『六法全書』をよく読んでいた。しかし、田中さんは法律学の概説書を読みませんでした。『六法全書』を読み込み、通説と違うけれどこういう考え方があるのではないかと、独自の解釈をしていたそうです。法律というのはそのときの力関係でできている、とりあえずの合意文書ですから、その背後には必ず、異なった利害関心を持つ勢力間の綱引きがあるんです。局面を読んで、綱をどっちに引くことが有効なのかということが、本物の政治家には法律の文章から見えるんです」(108頁)


ずっと昔の私は、法律の勉強は、まず基本書(予備校本でも可。ただし、予備校本が間違っていた場合のリスクは自己責任)をよく読むことだと思っていましたが、最近は、基本書よりも、条文をよく読む方が大事ではないか、と考えているところです。


条文を読んでいると、色々発見もあります。


鈴木宗男=佐藤優=魚住昭
『鈴木宗男が考える日本』

http://www.yosensha.co.jp/book/b100138.html


鈴木宗男が考える日本 (洋泉社新書y)/鈴木 宗男
¥798
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第1部は鈴木宗男さんと佐藤優さんの対談。

第2部は佐藤優さんと魚住昭さんの対談。

(第2部は鈴木宗男さんは入っていません)


佐藤優さんが、鋭い指摘をしています。


「最上層の勝ち組は、得た富を、下層にいる人たち全員が食べていけるだけの再分配なんてしないんです」(同書145-146頁)


全く同感です。


いわゆる新自由主義の立場の中には、勝ち組を強くすることで、最終的に勝ち組の富は、国家が税金を課さなくても、勝ち組によって、富は弱者に分配される、という立論をする人がいます。


しかし、それは私から言わせれば、空想的なものだと思います。勝ち組が富を弱者に配分する根拠など、何もないわけです。なぜか。それは、新自由主義の前提に立てば、稼いだお金は、稼いだ人が何に使っても良い、というのが前提になっているからです。新自由主義の立場からすれば、負け組から勝ち組への請求権は認められないし、勝ち組に、得た富を負け組に分配する義務を課すことはないはずです。すなわち、勝ち組は、得た富を、負け組に分配するはずだ、という立論は、勝ち組の感情に委ねるものに過ぎないのです。しかし、感情は人によって様々なはずです。


ゲームのルールによって正当に勝利した人は、そこで得た富につき、弱い人を助けるために使っても良いのですが、別にそうしなくてもいいのです。極端な話、得たお金の札束を、全て燃やしたって、誰も止めることはできないのです。


「高福祉や再配分政策を強化したって、悪用されたり、国民がかえってやる気を失うので、うまくいかない」、「法人税を上げれば、企業が海外に行ってしまうので、かえって雇用が失われる」という理由から、消極的選択肢としての新自由主義というのはあり得ると思います。しかし、新自由主義にすれば全てうまくいく、という考えには私は賛成することはできません。


私は勝ち組、負け組という言葉は嫌いです。しかし、現実社会は、ますます競争が進み、勝ち組と負け組にはっきり分かれる社会になっていると思います。しかも、前にも書きましたが、社会の中でのゲームのルールを定めるのは勝ち組であり、よほどのお人好しでない限り、自己に不利益なルールを設定する人はいません。そうなると、勝ち組は永遠に勝ち続けることができるルールが定められるのが自然です。そうなると、一度負け組になった者が、勝ち組になることは難しい社会になりつつあります。


現実的な行動としては、とにかく1日も早く勝ち組になること、そしてずっと勝ち続けるための努力をすること、だと考えています。