リアム・ドリュー著,梅田智世訳「わたしは哺乳類です 母乳から知能まで、進化の鍵はなにか」インターシフト,2019

 

  哺乳類を哺乳類たらしめているものは何かと問われるとき,胎生,母乳による育児,恒温性,比較的高い知能など,様々なものが思い浮かぶだろう。しかし,胎生の魚は存在するし,自身の体の分泌物を子に食べさせて育てる魚もいる(そうである)し,恒温性や高い知能は鳥にも備わっている。そういった「哺乳類」としての特性を,哺乳類に特徴的(と思われる)な種々の体の構造や行動などを取り上げて,その進化の道筋を探るのがこの本である。
  本書は,「哺乳類はなぜ外に出た陰嚢を持つのか」(精子の製造装置[精巣]が体外に陰嚢という形で出ているのは哺乳類の雄だけの特徴で,なぜそんな大事なものを危険な外界に晒す必要があるのか,というのは説明の必要がある)という話から始まり,爬虫類と哺乳類をつなぐミッシングリンクの有り様を知る手がかりとなる単孔類のカモノハシから哺乳類の祖先の姿についての手がかりを探る第二章へと続く。その後,哺乳類の性決定機構,有袋類と有胎盤類の比較を通じた哺乳類の受胎と発生の仕組み,乳腺の進化,哺乳類独自の咀嚼機能と歯の進化,恒温性,多層構造の脳等々,「哺乳類」を特徴付ける(もっとも,それが厳密には哺乳類だけが持つものでないことも往々にあるが)様々な要素について,それぞれの進化的基盤について,説明を要する問題および最新の学説状況が手際よく紹介される。
  本書の主張として共通しているのは,上記した「哺乳類」を特徴付けると考えられるあらゆる要素は,いずれも単独で現れたものではなく,哺乳類の進化の過程を通じてそれぞれ分かちがたく結びついて同時並行的に進化してきたものだ,という点である。たとえば,哺乳の進化の結果,哺乳類は乳歯と永久歯という二つの歯のセットをもつようになったが,このことが咀嚼に有利な哺乳類の特性を伸ばしたという(乳で育つ子どもの間はかみ合わせの悪い乳歯で間に合わせつつ,成体になり顎が十分に育った段階で上下の歯が完全に咬合する永久歯を生やすことができる)。また,哺乳類の大きな特徴として,下顎を左右に動かすことのできる筋肉の存在があるが,これは咀嚼の力を強めるとともに,先に述べた完全に咬合する歯と相まって,食物をすり潰して消化しやすくして効率的にエネルギーに変える機構として哺乳類の生存に利点をもたらした,という具合である。また,効率的にエネルギーを獲得できれば,高い代謝が要求される恒温性の維持に有利に働くことになる。

 遠い昔に陸に上がった魚が四足動物に進化し,そこから水辺を離れても卵が生める有羊膜類が生まれ,盤竜類,獣弓類,キノドン類などを経て現生の哺乳類(単孔類,有袋類,有胎盤類)の発生に至る大きな進化の流れの中で,現在の哺乳類が備えている様々な特性が複雑に絡み合いながら同時平行で進化していく様子が,その複雑さそのままに描き出される(本書では各章で中心となるトピックが据えられるが,その中でも前の章で触れた話題や後の章で触れる話題に何度も言及・参照がなされる)。これら複雑な進化の物語の帰結が,この「哺乳類」というユニークな一群の生き物だ,という話である。
  本書ではまた,「哺乳類」について多くの人が一般的に持っているイメージを覆す話がたくさんあってそのあたりも興味深い。たとえば,現生の哺乳類のじつに70パーセントが夜行性なのだそうだ。恒温性を獲得した哺乳類は,太陽光を活動に利用する恐竜(変温動物)の目を避けて,夜の世界にニッチを見いだしたが,恐竜が滅びた今も多くの哺乳類が夜行性のままなのだそうだ(恐竜が支配した1億年以上の間に培われた生活サイクルはそうそう変わらない,という話)。また,夜行性の哺乳類は夜の世界で役立つ桿体細胞を強化する一方,色(太陽光があるときだけ意味がある)を見分ける重要性が相対的に低下したことから,通常鳥類や爬虫類には四種類備わっている錐体細胞が多くの哺乳類で二種に減少しており,昼行性の霊長類などは改めてもう一種類の錐体細胞を改めて獲得し直したということになる。ここからも解るとおり,哺乳類の多くは嗅覚や聴覚など視覚以外の感覚に頼っており,これも他の種の動物にはない特徴だという(視覚は障害物があれば役に立たない一方,音や臭いは障害物を迂回して感じ取ることができ,これらを利用できることは生存に役立つ)。
  なお,本書第一章が睾丸の話から始まるのは,生物学の博士号を持つサイエンスライターであるとともに,アマチュアサッカープレイヤーである筆者が睾丸にボールをぶつけられた思い出からのことである。「体外に陰嚢が出ていること」について,様々な説が紹介されるが,個人的に楽しかったのはハンディキャップ仮説である。睾丸のような危険なものを体外に出しながらも無事に生殖できる強さをもった雄である,ということが雌に対するアピールとして選択されていった,という仮説だ。アピールだったのか,睾丸。