アホらしいのでいちいち引用しないが,医師を名乗るTwitterアカウントが,現政権に文句を付ける人を指して,「安倍に文句言ってる奴,自分の人生がうまくいってないんだろうけどそれを安倍に言っても解決しないよ。努力すれば人生はうまく行くのに政治のせいにしているのは見苦しい。個々の人生がうまくいかないことに政治は関係ない」(大意)といった趣旨の発言をしていて,アーアーとなったのでちょっと書いてみようと思った(まあその「努力してうまく行った例」として挙げられていたのが「偏差値65程度の公立高校から勉強して東大理Ⅲに入った知人」という自分の半径3メートルのうっすい体験談でしかないのもアレなのだが)。
 そもそも政治とはその社会で生きる人の生活全般に関わるものであり,もとより政治が個々の人生に関わりがない筈はないのであるが,世の中には,人生の成功は全て自分の努力で勝ち取ったものであり,政治に文句を言うような人間は努力を怠って他人に自身の不遇の責任を押しつけようとしている怠惰な生き物に見える人が一定数(とりわけ成功を自身の手で勝ち取ったと考えているエリートに多い)いるようである。
 そりゃあ個々の努力は当然大事だし価値のあるものであって,その成果として高い地位や高収入を得ているのだとすれば,その人がそれを誇る気持ちは解らないではない。しかしながら,そもそもその「努力できる環境」は「自分の努力」でなんとかなったものだろうか。先に挙げた「努力してうまく行った例」についていえば,高校まで勉強続けられて大学受けさせて貰える安定した家庭環境は所与のものであり,当人が努力しても得られるものではなかっただろう。同じくらいの能力があってもそうした家庭環境に恵まれなければ,高校にも行けずに働きに出なければならなかったかもしれず,そうした人は先に挙げた医師の観点からすれば「努力しなかった人」と評価されるのだろうが,そのような考え方が間違いであるのは明らかだろう。結局のところ,個々人の努力ではどうにもならない諸課題があり,これを解決するために多くの人の力を結集したり制度を設計する必要があり,それをするのが「政治」なのである。政治が個々人の生活に関係がないなどという筈がないのだ。
 家の前に3㎞離れた市街にまで出る道路が付いていないとする。個々人の物理的努力でこれを整備して市街地までの道路を付けることは,(土地所有権などの法的問題を除けば)不可能ではないにせよ,誰も自分で測量から整地,舗装をして一から道路を作ろうなどとは考えないだろう。それらを行うために効率化された行政組織があり,それを運営するために広く社会から税金を徴収し,必要なときに必要な場面で行政サービスが実施できるようになっているのだ。こんなふうに,政治とは個人では対応できない問題を越えて,個々人の生活をよくするために存在しているのであり,そうでなければ政治など存在している意味もない。
 仮にご自慢の「成功」にたどり着いているとして,その自分の「成功」はあるいは幸運の産物であったのかもしれない,と一歩引いて考えること,そしてそのような幸運が社会にじゅうぶんに行き渡っていないのであればそれを改善するために政治にコミットすること,それこそが本来「エリート」と呼ばれる者の備えるべき社会との向き合い方だと思うのだが,このへん絶望的にできていないのが多いよねえ,としみじみ感じるレーワ日本社会である。