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司法試験のあるきかた

試験合格を運任せにしないための方法論を考える

最近、色々と考えることが増えてきたので、ずっと温めてきたネタと、一度は言及したまとめ教材についてエントリーを書こうと思います。

 

1.合格者のタイプについて

 

私は、司法試験受験生には、以下の3つのタイプの人間がいると思っています。

(より厳密には、2つのタイプの合格者、というべきですが)

 

①不合格の要素<合格の要素となった合格者

②不合格の要素≧合格の要素である合格者

③不合格の要素>合格の要素である不合格者

 

すなわち、私は合格者には2種類の人間が、不合格者には一種類の人間しかいないと考えているわけです。司法試験界隈でも最近よく言われるようになってきていますが、「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」です。

 

合格者の中にも、不合格の要素をできるだけ排除した、合格率が極めて高い合格者(①)と、不合格の要素を(多くの場合は無自覚に)排除しない(できない)まま受かった合格者の2種類の人がいます。

他方で、不合格者には、不合格の要素を排除できなかった(からこそ不合格となった)人(③)しかいない、ということは、いつか指摘したいとずっと考えてきました。

 

 

最も試験に合格する確率が高いのが①であることは言うまでもありませんが、注目すべきは、合否の当落線上にいる②と③の違いです。

この両者には、ほとんど違いがないと私は思います。

 

 

もちろん、②の合格者が悪いなんて話をするつもりは毛頭ありません。試験との相性と実務の適性に比例関係があるとは思いませんし、私自身、司法試験は「受かったもん勝ち」で、あとは実務で自己研鑽に励むだけだと思っていますから、合格した後は、原則としてその合格者が②であるか①であるかは大した問題じゃないと思っています。

 

 

 

 

試験の成績と実務における能力は、必ずしも相関関係が無いと信じている私ですから、現実に目の前にいる合格者が①であるか②であるかを判断する場面なんていうのはそうそう訪れません。

判断しようとするだけ時間の無駄だとすら思います。

 

ただ、合格者内の①、②の区分がシビアに問題となるフィールドが存在することも、また事実だと思います。

 

そのフィールドこそが、予備校における受験指導です。

 

受験指導というのは、まだ合格者でも不合格者でもない受験生を合格者にすべく、その受験生自身が、一人で合格という目的地に向かって歩けるように、導いてあげるものだと個人的には考えています。

 

 

そのような役割を担うに当たっては、①タイプの合格者である(または自らの受験生時代の勉強方法等を省みることによって、合格後、後天的に①タイプに生まれ変わる)ことが必須だと思います。

 

わざわざ「必須」とまで言うのは、②タイプでは、「俺が大丈夫だったから、これでよい」と、自らの方法論(方法論と一般化できるほどの理屈を持ち合わせていない場合も多いかもしれません)を広く受験生に布教し、潜在的には合格の可能性を有していた受験生を落とし穴に嵌めてしまう看過し難い危険性があると(特に最近)感じるようになってきたからです。

 

厳密にはそのような危険性は昔からずっとあったのだろうと思いますが、Twitterによって合格者による情報発信が容易になってきた現在、その危険性は昔よりも格段に高くなっていると思っています。

 

 

①タイプの合格者は、不合格の可能性を減らす手段が重要であることを前提に、確実な合格の観点から、何をどれだけやるべきか、最低限守るべきはどこか、どのような思考過程を構築すればミスを減らせるかといったことを思考しますから、目の前に指導すべき受験生が居るときは、当該受験生を自分に置き換えることによって、自分(が置き換わっている受験生)にとって何が必要なのか、どういう勉強や思考過程の構築が最優先なのかといったことを意識することができます。

 

いわば、その人だけのオーダーメイドの指導です。同じ指導内容は、「似たような特性の人」にも少なからず効果があるかもしれませんが、「その人に向けた、固有の指導」を行っている以上は、「その人」と同等、あるいはそれ以上の教育効果が生じる、ということは基本的に考え難いと思われます。

 

 

これに対して、②タイプの人は、不合格の原因を潰すという発想に乏しいため、当該受験生にとって何が必要かということに意識が至らず、当該受験生の合格に必要なことと不要なことの両方を、優先順位もつけずに(やった方がよいから、というだけの理由で)押し付けてしまう傾向があるのではないかと思います(そのような態度の結果として、②タイプに属してしまうことになるのであって、②タイプだから(原因)これらの行動をする(結果)という因果関係を主張したいわけではない、ということは念のために強調しておきます)。

 

ある意味、②タイプは完璧主義者ともいえるかもしれませんが、そのような姿勢を受験生に見せ、同じようにさせるのは、受験生を合格させなければならない指導者としては危険極まりないと思います。

 

私自身、②に陥らないように、また①になれるようにロー生の頃から意識をしていましたが、常に不安を抱える受験生マインドでは、「これ(演習書)もあれ(基本書)もやった方がいい」「こっち(ローで配布された資料)もマスターしておいた方がよい」という、やらないよりはやった方がよい(というある意味当たり前の)「ベター思考」に引きずられ、②タイプになりそうになることがとても多かったように思います。

 

不安に駆られてたくさんの本に手を出すのは勉強熱心でも努力家でもなんでもなく、単に自分の欲求や態度を省みず気が赴くままに行動しているだけの生き物です。

それでも確率的には受かる(上、受かりさえすれば美しい努力としてプラスの評価が生まれる)ために一定の支持をもって迎えられているのが、ベター思考なのだろうと思います。

 

なお、そのようなベター思考に従ってあれもこれもと手を出すことで司法試験合格に必要な実力が着くかという観点からは、司法試験情報局のこちらの記事や、こちらの記事に、「大は小を兼ねない」という記載がありますので、熟読するのが良いと思います。

 

 

そのようなベター思考に安住することなく、自分の主観的な不安に全力で抗いながら優先順位をつけ、優先すべき事項をひとつずつ着実にマスターしていく「マスト思考」が、(不安を抱えた受験生にとっては心理的な抵抗が大きいとしても)確実な合格には必ず必要になります。

不合格の要素を、穴が大きい場所から優先して埋めていかなければ、合格する確率を効果的に上げられない(小さい穴を埋めるのに固執しているうちに、別の場所にある穴が広がっていく)からです。

 

ベター思考もマスト思考も、ついさっき私が適当に考えたネーミングなので、他所で使わないようにしましょう。恥をかきます。

 

確実な合格を掴んでいるのは、間違いなくマスト思考(①タイプ)です。

これに対して、「そういうやり方でも(確率的に)受かる」のはベター思考(②タイプ)です。

 

確実な合格と、そういうやり方でも受かる、との間に本質的な差異があることは、既に挙げたこちらの記事で、NOAさんが指摘されています。

 

 

 

 

話は少し逸れますが、2019年の司法試験の結果発表後、Twitterで複数の方が「合格したけど過去問検討はほとんど検討していなかった」「合格に必要なのは基本書と百選だけで、予備校や答練、過去問はほとんど使わなかった」とツイートされているのを目にしました。

 

それらのツイートをされていた方々は、一般的な勉強方法としてツイートする趣旨ではなく、そういう人もいるよ、という一例としてツイートしているだけだと付言していましたが、過去問が無くても合格できるといったような、私を含めNOAさん中村先生谷山先生のような過去問第一主義者に対するアンチテーゼ的な側面もあるように私は感じました。

 

確かに、過去問を検討せずに合格することも、当然あるだろうなあと思います。

しかしそれは、個別の受験生の報告を待たずとも、1500人の全ての合格者が必ず過去問を検討しているはずだという決めつけがおかしいことから、すぐに分かります(参考までにこちらのサイトで計算したところ、1500人の合格者が出る(n=1500)時に、1人以上(m=1)、過去問を解いていない人が出てくる確率は、過去問を解いていない人が存在する確率が100人に一人(p=1)の場合であれば99.99%、1000人に一人(p=0.1)でも77%以上の割合で出現するという結果になりました。実際、受験生は答練がどうの演習書がどうの基本のインプットがどうのと、何かしらの理由を付けて過去問をまともに検討しないので、ここの確率はもっと高いと思います)。

 

勉強方法の話から外れて、過去問を解かずに合格したという報告のみであれば、それは過去問第一主義の人間にとっても当然の出来事であり、なんら特別なことではないのだと思います。

 

 

そして、もし仮に「過去問を解かずに本試験に合格した」という報告が、「過去問を解かずに合格する人もいるのだから、過去問第一主義は絶対ではない」という趣旨だとすれば、それもまともな反論になっていないと言わざるを得ません。

 

過去問第一主義者の主張の力点は、「確実に合格するため」=「合格を運に委ねないため」には過去問を勉強の軸にすべきだ、という部分です。

これに対して「過去問に触らなくても結果的には合格したじゃないか」と言ってみても、「うん、結果的にはそうだね」としか言えないのです。

 

すなわち「過去問を徹底的に潰せば→司法試験に合格する」という命題を真とする過去問第一主義者にとって、「過去問を解かなければ→司法試験に合格しない」という命題は、(こうして二つ並べてみれば一目瞭然ですが)必ずしも真ではないのです。適性試験で問われる形式論理はこういう時に役立ちます。

 

過去問を解かずに司法試験に受かったと言ってみても、それは「過去問を解かなければ→司法試験に合格しない」という命題に対する反論にはなり得ても、「過去問を徹底的に潰せば→司法試験に合格する」という命題に対する反論にはなり得ないのです。

 

 

 

話を本題に戻します。

①と②の違いというのは、決して司法試験の成績等とは直結しないと思っています(超上位合格の①タイプもいれば、同じくらい成績の良い②タイプもいると思いますし、合格ラインぎりぎりで受かった①タイプも②タイプもいるでしょう)。

 

司法試験の成績は、知識の多寡では決まらない以上、たくさんやれば(たくさん書ければ)たくさん点が取れて成績がより上位になる、という因果を経ません。そのため、②だから成績が上位になることはありません。

 

また、司法試験の成績は当日のコンディションや出題内容、ひいては受験生が以前に受けた講義の内容等によっても左右されるでしょう。①だから上位になるというわけでもありません。

 

①も②も平等に、上位の成績をとれる可能性(=下位合格となる危険性)を有します。

 

司法試験の成績が上位か下位かよりも、合格者が①か②かの方がよっぽど重要であるにもかかわらず、成績上位の人間の勉強方法は身の丈に合っていないから採らないみたいな、ナンセンスな思考の人を定期的にTwitterで観測します。

 

基本的にはその人の自由なので好きにやったらいいと思いますが、近い未来、その人が自分の将来を運に委ねて5日間の勝負に臨むと思うと震え上がります。

まあそれもその人自身の選択による自己責任と言い切ってしまえばそれまでかもしれませんが…

 

2.まとめ教材について

 

一度、こちらのエントリーにおいてしっかり目に書いたつもりだったのですが、もう一度記事にしておこうと思います。

 

先に挙げた②タイプの受験生は、ローに行くとローの先輩や同期が作成した「まとめノート」を欲しがります。

欲しがるだけならいいんですが、ネットオークションやAmazon、司法試験受験生を対象としたプラットフォームなど、様々な手段が用意されている現在では、合格者は司法試験合格後、まとめノートの販(転?)売を始めることも珍しくなくなりました。

 

ここでの弊害は、まとめノートはまとめた本人にとって必要な情報の宝庫であったとしても、その後の譲受人や購入者にとっても必要かどうかは分からないという当たり前のことを、購入者である受験生はおろか、まとめノートを販売する合格者も自覚せず、まとめノートのやりとりだけが行われて情報が氾濫していくことです。

 

以前もこちらのエントリーで指摘しましたが、受験生にとって重要なのは、合格者や予備校講師が必要だと主張する知識ではなく、試験に出題されやすいにもかかわらず自分がきちんと答えられない、主観的重要性の高い事項です。

 

まとめノートはそういった主観的重要性の高い事項から受験生の目を背けさせ、「これに載っている知識は全部押さえた方がよい」というベター思考に陥らせる危険性が高いと思っています。

 

本当に、自分に必要なことが何かわかっていれば、むやみやたらに手を広げることも、どこの誰が作ったのかも分からないまとめノートの類を有難がることもないと思っているので、ローでまとめノートの収集(≠作成)に精を出したり、合格後にそれを販売するような人というのは、何が合格するために本当に必要なのかという意識が希薄な、②タイプが多いのではないかと思います。

 

そもそも、他者に対して売る・譲ることができる程度に網羅的な内容を有している時点で、それは作成者にとって必要なことと不要なことが峻別されていないわけで、資料作成のスキルはともかくとして、受験勉強のためのスキルは推して知るべし、ということになるわけです。

 

まあ、そうやって②タイプの合格者から確率的にしか受からない受験生が大量に再生産されれば、それはそれで過去問第一で確実な合格のために歩みを進める受験生がより確実に合格できるようになる(相対的に優位に立てる)わけなので、私としては、個人的に指導している受験生が確実に合格できるように引き続き指導しつつ、これからの合格者による勉強論の行く末を静かに見守りたいなあと思います。

 

正直、勉強方法に関する話は、司法試験情報局が既に十分といえる程度に語りつくしていると思いますが…

 

追記は全て青字にしてあります。

 

ロースクールの未修に入学することについて、私個人としては大きな危機感を持っています。

未修に入学することを考えている人には、基本的に「既修の方が良い、わざわざ未修に入学するのはやめた方が良い」と伝える程にです。

 

質問箱でも先出ししてしまいましたが、理由は「ロースクールでの生活に必要以上に適応してしまい、司法試験合格という目的意識が薄れてしまいやすいから」です。

 

既修よりも一年長くロースクールに在籍し、しかもそれが制度として予定され正当化されている(この点がローでの留年とは異なります)未修は、教授の特性を把握する機会に恵まれ、ロースクールでは良い成績を残しやすいですし、ロー生活も充実したものにしやすいです(後者はその人の個性に依存する割合も大きいですが)。

ロースクールで良い成績をとることが司法試験の合格にそのまま直結するわけではないのですが、それでも良い成績が出ると、そういう当たり前のことを忘れ手放しに喜んでしまい、そこで思考が終了してしまいがちです。

 

 

(19/2/18追記)

このような文章なので、未修の人間はみなロー内で成績が優秀であると述べてしまっているように見えますが、そのような意図はありません。

本当に言いたいのは、「ローでの成績が優秀」という一定の結果が出たとしても、必ずしもそれは司法試験合格に堪え得る実力を有することの証にはならないということです。

「なんだ、急に当たり前のことを言い出したよ。さては思ったより記事が広まったからって日和ったな。」という声が聞こえてきそうです。

ですが、既修の人よりも、未修の人の方が、「一般的優秀性(なんてふわふわした概念は本当は存在しないと思っていますが、その詳しい話はこちらのエントリーに譲ります。今はとりあえず「司法試験合格に堪え得る能力」ぐらいで認識してください。)を身に着けたローの成績が上がった」という因果関係ではなく、「ローの環境に適応できた(すなわち、ローの定期試験が解けるようになった)から、ローで良い成績が残せた」という状態になり易いのだと思います。

ここであえて「易い」を強調したのは、この因果経過は既修者でもたどることが普通にあり得るためです。進級要件の厳しいローなどは、既修もローに適応することがシビアに求められる以上、既修者でも後者になり易いのではないかと思います。

 

 

また、一年長くロースクールに在籍するということは、それだけ長く教授の教えに晒されるということでもありますから、司法試験合格に本当に必要な勉強が何かという観点が脱落しがちです。

ロースクールの教授は、一部の本当に良いローを除けば、得てして「基本書を読め」とか「予備校本を使うな」とかそういう司法試験合格の本質から離れたどうでもいい指導しか(制度の建前として)できません。受験指導をするなと上から言われているわけですから、そりゃ「過去問を解いて自分に不足していることを発見してそれを補うために勉強しよう」なんて指導はできないわけです。学問的な指導によって、ロー生を司法試験合格レベルの思考力に引き上げるという無茶を強いられているのがローの教授なのです。

そんな環境に身を置く教授から、既修生の1.5倍も多く、司法試験合格のためと称した指導を受けるわけです。目的意識が霞まなかったり、目的と手段の関係を取り違えない方が不思議です。

 

(19/2/18追記)

本記事を投稿したところ、純粋未修の方から下記のような意見を頂きました。

 

「LSの授業のうち基本がどこか、司法試験に関係する部分がどこか、そもそも試験対策で何を重視すべきか、純粋未修には見分けられない」

 

このような意見が純粋未修の方から出てくること自体、未修者に対して大学教授が法律に入門させることの限界を端的に示しているように思います。

そしてこのように仰る方も、ローの成績自体は悪くないとのことでしたから、未修者で上記のような問題点を抱え込んだまま、それでもロー内ではその存在を肯定され、抱え込んだ上記問題点はそもそも咎められるどころか発見すらされないという環境が、確かに存在してしまっているのだと思います。

 

私の後輩にもロースクールの未修に入学した人がおり、ロー未修1年目からかなり優秀な成績を修めていましたが、それでもロー2年目の間には予備試験には合格しませんでした。

後輩に聞いてみると、やはり「教授がどういう問題を出してくるかとか、どういう答案を書けば評価されるのか(どういう答案を書くことを教授が求めているのか)がなんとなくわかってしまうため、ローでは成績がとれているだけだ」ということを教えてくれました。

 

私はその後輩の答案を一部添削をした上で、問題演習の重要性と、答案をどう書くかという観点からローの講義などを受けるべきだということを強調し、演習中心で勉強していくことを強く勧めました。そもそも答案が書ければそれで受かる試験ですから、答案を書くということを中心にするのはごくごく当たり前の話ですが、当たり前だからこそ、見落としがちなのです(後輩もそうですし、僕自身も、ローに入学して数ヶ月たったころに、司法試験情報局の記事を読んでようやく気づきました)。

 

演習中心の勉強にスイッチした結果、後輩はロー3年目、最終学年で予備試験に合格しました。やったことはただひたすら問題を解いただけだと、合格後に話してくれました。

未修2年の時点で上記リスクにハマっていることに(予備不合格をきっかけに)気づき、目的意識を明確に持った(目的と手段の関係から目をそらさずに、厳密な対応関係を求め続けた)ことで、無事にリスクを払拭できた事例なのだと私は捉えています。

 

ローでの本格的な勉強というのは、いかにも勉強している感があって楽しいですし、ましてやそれがロー内での成績という目に見える形で現れるのであればより楽しいものになるのですが、その楽しさに心を奪われて、司法試験合格という目的をみる目が曇ってしまう危険性が(既修よりも1年長く在籍する分)高い、というのが私の主張したい未修のリスクです。危険性が高いという表現に込めているのは、なにもこのリスクは未修に「特有」のものではないということです。既修の人間も、このリスクと常に隣り合わせです。

 

ただし既修はどちらかといえば、「ローでの現状の自分を肯定してしまうこと」によって目的をみる目が曇ってしまうというより、単純に「司法試験に合格するためにどういう勉強をすればいいのか」ということを間違えて(すなわち、司法試験合格という目的と手段たる勉強の対応関係を間違えて)明確な目的のない基本書通読などに走ってしまい、司法試験合格から遠ざかってしまう人の方が多い印象です。

 

(2019/2/18追記)

そして、この既修の人間が陥りがちな「目的に対応しない手段の選択」には、未修の方も等しく陥りやすいというのが私の考えです。

そもそも未修者に法律を教える教授が、司法試験合格という目的と厳密に対応した手段を提供しません。入学者説明会や、法律ができないロー生に対して教授がいう言葉は、往々にして「まずは基本書を読んで…」というところから始まります。まあ、「まずは過去問をやって…」などと言い出してしまえば、純度100%の受験指導になってしまいますから、ロースクールという制度の建前からして仕方がないことだと思います。

そのような状況に対応するためには、向こうが変わることは期待できない以上、こちらが変わるしかないのではないでしょうか。すなわち、ローの構造上の欠陥に自覚的になり、「司法試験の勉強方法」という点についてはロースクールを一切信用しないということです。

もちろん、教授というのは法律のプロなわけですから、「司法試験の勉強内容」たる「法律」のことについては基本的に信頼してよいと思います。しかし、勉強内容について信頼できることを言っていたとしても、勉強方法についてまで信頼がおけるかどうかは別の問題ですから、そこは冷静に切り分けて考えることで、勉強方法を間違えるという悲劇から逃れることができるのではないかと思います。

 

 

決して、未修「だから」やばいとか、「既修に比して未修の合格率は低いから」やばいとか、ロー入学時点で未修にしか受からない学力しかないからやばいというわけではありません。

 

(2019/2/18追記)

本記事を投稿してから、「未修がやばいのはローで答案練習をしないから」という意見を目にしましたが、ローで答案練習をしてもらえないのは既修も同様ですから、答案練習をしないことが、未修の合格率が低い根拠にはならないと思います。

また、「司法試験の合格には才能が必要であるが、未修ならば才能が無くても入れてしまう点がやばい」という意見もありました。前段部分についてはこちらの記事や、司法試験情報局「適性試験失敗談(あるいは地頭否定論)」を読んでいただければ、誤りだということが分かるのではないかと思います。

そして後段についても、今やロースクールに入学する人自体が大幅に減り、既修者であっても学力が致命的な人というのは少数かもしれませんが、それでも確実にいます(私自身も、何度も言っているのですが(恥ずべきことなので本当は何度も言うようなことでもありませんが…)、ロー入学当初は、逮捕に続く身体拘束のための強制処分の名前が出てこない、ロー入試の時は設問1と2で真逆の説を採用して平然と答案を書き進めるとか、ロー入試の答案内に法律の条文の文言どころか条文番号すら登場しないとか、そういったレベルでした。既修者なのにです)。

既修者と未修者の2年時点(未修2年、既修1年目時点)での学力の差などというものは(既修の底辺層と比べるのも適切でないかもしれませんが)、少なくとも現在ではそこまで大きくないのだと思います。

 

それよりも、当初から書いているような、目的意識の希薄化や、目的と手段の取り違えといった要素の方が、後の勉強にまで影響を与える分、大きく効いてくるのだと思います。そして、未修者はそのような(目的意識の希薄化や目的と手段の取り違えといった沼という)リスクに(本人も気づかないうちに)ハマる可能性が既修者と比較して高いのではないか、というのが、本記事で伝えたいことなのです。

 

繰り返しになってしまいますが、ロー入学時の学力なんて、目的意識を明確にもって2〜3年勉強していればどうにでもなります。大したハンデじゃありません。

また、未修の合格率が既修と比して低いのは厳然たる事実ですが、それは単なる(目的意識の希薄化や手段の取り違えという沼に多くの人がハマったという)結果であって、未修を避ける原因たり得ません。ただし、「未修の合格率が低いのは、未修に入学した後のロースクール生活で、未修の合格率を低いものたらしめている何か(原因)があるのだろう」と推測して、「その(原因)を避けるために未修に入学すること自体を回避しよう」というのは、筋が通っていると思います。

 

未修がやばいのは、ロースクールに必要以上に適応してしまい、改めて司法試験合格という点に意識が向かなくなる(ローでの成績が良いから、このままやっていれば司法試験にも受かるだろうという気持ちになってしまう)点です(この点自体は既修にも共通です。ただ、くどいかもしれませんが、そうなる確率が未修の場合はより上がるというのがこの記事での主張です。)。ローでの成績が良くても、それはローの教授が求める答案を書くことができただけにすぎません。司法試験合格の推定にはならないのです。定期試験は出題範囲も限定されていたりして、対策が司法試験などと比較してもまだ容易な方である点で、司法試験とは大きく特性が異なります。

そういうのに適応しても、司法試験合格に必要な能力がカバーされるわけではありません。

 

反対に、そういう危険性に自覚的になれれば、一年長く勉強している分、未修生の方がより「確実な合格」を手にできる可能性が高くなると思います。

 

今一度、司法試験合格という目的意識を明確に持って、その目的に直結する手段は一体なんなのか(答案を書くことなのか基本書を読むことなのかローで良い成績を取ることなのか)を未修生に限らず全ロー生に徹底的に考えてもらえればと思います。

 

 

追記:メリハリをつけるためにどうすべきか(予備校による「ランク付け」について)

 

さきほど、未修者の方のご意見を紹介しました。全文は、実はこのようなものでした(掲載許可を頂いております)。

 

「未修向け記事で司法試験に関係のある部分を活かして試験勉強すべきとの指摘を見る。

でもその指摘が純粋未修のことを分かっていないなと思うのは、

LSの授業のうち基本がどこか、司法試験に関係する部分がどこか、そもそも試験対策で何を重視すべきか、純粋未修には見分けられないのが考慮されていない事」

 

おそらく未修向け記事というのは追記前の本記事のことを指すのだと思います。

本記事では、未修がやばいという質問箱での回答を釈明、説明しようとしただけで、本来は未修者に向けたアドバイスをする趣旨ではなかったのですが、せっかく意見を頂いたので、未修者が何をすべきかということも書きたいと思います。

 

ただ、その前に、大事なことが何点かあります。

 

①司法試験における「基本」という概念

司法試験受験界隈ではよく「基本事項を理解して…」とか、「基本ができていれば、応用はみんなできないから」という言質を目にします。

しかし、私は司法試験に合格してもついぞ、この「基本」というものの中味はわかりませんでした。みんな言っていること、使っている文脈はバラバラです。

しかも、司法試験や予備試験に出題されれば、マイナー論点やマイナー条文、マニアック判例も「基本」というテリトリーに参加してきたりします。

基本という概念の内実について、明確な回答を与えてくれた人を私は未だかつてみたことがありません。

 

そんなあいまいな「基本」というのは、本当に存在するのでしょうか。仮に存在するとして、その中身を知る必要はあるのでしょうか。LSの授業で、「これは基本」「これは基本じゃない」と見分ける必要があるのでしょうか。

 

少なくとも、私は司法試験における「基本」という概念の内実を知らないまま合格しましたから、「基本が何かを知る」ということは、おそらく合格に必須ではありません(し、これは推測に過ぎませんが、合格者も明確に説明できる人は少ないのではないでしょうか)。

そうすると、LSの授業のうち、「基本がどこか」と考えることは、未修者に限らず基本的には誰にもできていないわけです(そもそも「基本」という概念自体が不明確であるため)。

ただ、司法試験の過去問を解いたり、そうでなくても答案を書く練習というものをしていれば、「あ、これは答案を書くときに使えそうだな」とか、「この説明はわかりやすいし答案でも書けそうだな」という感覚がLSの講義を受けている中で(頻度は講義によりまちまちでしょうが)訪れます。

上記の意見でいう「基本」というのが、そういった「答案を書く際に使用する頻度(可能性)の高い知識全般」を指すのだとすれば、それは法学的な知識の多寡で見分けるものではなく、答案を書いた経験の有無で見分けられるようになるのではないでしょうか。

 

基本という概念は司法試験受験界隈で多用される割にあいまい過ぎて何も得るものがありませんから、そもそもその中身を追究するということにあまり意味はないのではないかと思います。

 

②世の中には受験生を問題演習から遠ざける教材が多すぎる

上記の方の意見には、「既修者と違って、司法試験との関係で知識のメリハリを付けることが未修者はできていない」という叫びが含まれているように思います。確かに、予備校の入門講座などでは、論点別に重要度のランクを付けたりして、知識のメリハリ付けを行っているものが多くあります。ランク付けほど明確なものでなくとも、問題集の中で「これは重要だ」とか「これは頻出だ」と指摘され、解説されているものというのは非常に多くあると思います。

 

しかし、知識の重要度というものは、そういった「他人から重要だと教えてもらった」という受動的な情報に依存するのでしょうか。

受験生に本当に必要なのは、「〇〇講師が××を重要だ、Aランクだと言っていた」という情報ではなく、「この論点は問題になり易い」とか「短答・論文を問わずにかなり出題される」という、自分自身の経験の方ではないでしょうか。

さらに言うなら、出題頻度が高い分野であっても、その分野について自分が毎回、ある程度の精度を持った解答ができるのであれば、自分にとってはその分野の重要性は落ちます(主観的重要性とでも名付けましょうか)。

司法試験は人よりマシな答案を8科目揃えて、短答で足を切られなければ受かる試験です。そうだとすると、得意な分野で大きな得点を狙うのではなく、苦手な分野での失点をなるべく低く抑えることが、より直接的に、確実な合格に寄与します。

そうすると、主観的重要性が高い部分というのは、予備校講師がAとランク付けした部分ではなく、自分ができない部分ということになります。

そしてそのできない部分を発見するためには、まずやってみる、すなわち問題を解いてみるということが間違いなく必要になります。

だからこそ、私は何度も何度も、問題演習をしてほしい、答案を書いてほしいということを言ってきました。

 

しかし現実はどうでしょう。

予備校講師による論点のランク(メリハリ)付け、様々な合格者講義など新たな教材の登場。みな、受験生の思考過程を奪い、問題演習から受験生を遠ざけ、苦手・できない部分の発見を妨げるものばかりです。

受験生は主観的重要性の部分を看過していることを自覚せず、あるいは自覚したとしてもなお、予備校講師のメリハリ付けに依拠したり、新たな教材等に群がったりして、できない部分の発見と改善から遠ざかっているのです。

 

余談ですが、私が合格者講義を出さないのには明確な理由があります。受験生の方自身に問題演習をしてもらいたいからです。

私が講義を出すことによって、受験生が問題演習をそっちのけにして、手を止めてしまう、それは最も避けたいことなのです。新しい教材を読み込んだり、講義を受講する暇があったら、あなたが今持っている問題集の答案を書いてみて、自分の思考過程と解説・解答例を照らし合わせてみて、自分の思考過程のどこに間違いがあったかを確認してほしい。問題を解く際の思考過程というのは本を読んで身に着けるものではなく、やってみて、改善してみて、自分なりに固めたものをフレームワーク本なり論文処理手順なりで確認する、というのが望ましいと思っています。間違っても、論文問題を解く方法を探して本や教材を読み漁るということはしないでください。

 

話がそれてしまいました。

このような、主観的重要性の発見がおざなりにされているという事態は、なにも未修者に限った話ではありません。

むしろ、予備校の講義を聞いて重要性を分かった気になっている既修者の方が陥りがちな落とし穴だと思います。

結局、「司法試験に関係する部分はどこか」とか「そもそも試験対策で何を重視すべきか」という、既修者が身に着けていると思われているような能力というのも、ふたを開けてみれば、既修者は予備校や書籍、または伝聞、受け売りといった自分の経験に基づかない情報で、それらを仕分けしているのが多数だと思います。

 

なので、やはり未修者と既修者で、この能力に違いはないのだと私は思います。

 

では、そのような能力に欠ける未修者や既修者は、いったい何をすればよいのでしょうか。

自分で、メリハリをつける根拠になるような経験をすればよいわけです。それも、なるべく司法試験に依拠する形で。

もう結論は見え見えかもしれません。

結局は、司法試験の過去問をやって、「どういう論点が問題になっているのか」「どういう答案の書き方が求められているのか」「どういう思考過程をたどることがよしとされているのか」ということを分析する外ありません。

 

そうやって、司法試験の問題を解くという経験を自分のものにすることで、初めて「これは司法試験に(自分には)必要だ」「これは不要だ」という線引きができるようになるわけです。

むしろ、それ以外の根拠をもって行う線引きなんてものは、単なる嘘っぱちです。ある論点があなたにとって重要なのは、予備校の講師が重要だというからではありません。

司法試験に高頻度で出題されているにもかかわらず、自分があまり精度の高い解答を出せないからです。

そういう自分にとって重要な要素というものを見つけるためには、ほかならぬあなた自身が問題演習をすることが必要不可欠なのです。

 

 

いかにも当たり前のことしか言っていませんが、それ以上の具体的なことは、すべて嘘になってしまいます。間違ったことを言いたくない私にできることは、当たり前のことがいかに当たり前なのかを力説することに尽きるのです。

 

 

 

司法試験の勉強方法について、過去問を重視するべきだという話をすると、本当に過去問だけでいいのか、他の演習書もやったほうが良いのではないかという話がほぼ間違いなくでてきます。

 

たしかに、厳密に過去問「だけ」というのは危ないかもしれません。

それこそ、重要問題習得講座のような、そこそこ論点の網羅性があって解答例と解説の両方がついているような問題集を各科目一冊やる必要はあると思います。私自身は重要問題習得講座を使用していましたから、網羅的で解説・解答例が使える問題集といえば重問が思い浮かびますが、他には、つい最近独立された中村充先生が、BEXAからリリースされている4S論文解法パターンテキスト(ちなみに、私は4Sに昇華する前の4A条解テキストを目にしたことがありますが、なぜこれが司法試験対策のスタンダードになっていないのかと思うほどには、普段使いのテキストとして優れていました。分厚い短答六法やら条文・判例本を使うくらいならこっちの方が絶対に役立ちます。そもそも条文が載っているので短答対策としても論文対策としても使用できる時点で相当のアドバンテージです)、えんしゅう本や、スタンダード100などといった問題集も使えると思います(えんしゅう本やスタ100は、よく「答案例が役に立たない」という声もありますが、その「役に立たない答案例」レベルの答案すら自力で書けない、または自力では「役に立つ答案」かどうかも見抜けないうちに、問題集グルメになるのはいささか背伸びしすぎではないでしょうか)。

 

しかし、それを超えて、司法試験受験生がおよそ試験の現場で書くには勇気がいるような答案例しか記載されていない学者の演習書をやる必要はありません。

 

というか、

 

なんで過去問をほったらかして演習書に浮気してるの!?

 

とか思ってしまいます。

 

多くの受験生は、そうやって演習書に手を出して司法試験への対策をし(た気になり)つつ、肝心な司法試験のことは満足に知りもしないまま試験本番を迎えていくのです。

 

過去問を取っておいたほうが良いという人の意見でよく目にするのが「試験直前期の腕試し、時間配分などの確認」ですが、

 

そんなもんは模試や答練でやれ!

 

 

と思ってしまいます。

 

司法試験の過去問から学べること、過去問でできることはたくさんあります。

直前期の腕試しや時間配分の確認以外にも、法律論と当てはめの分量割合の確認とか、当該論点で着目すべき事実の把握とか、自分の思考のクセの発見とか、どういう答案が評価され、評価されないのかとか。

初めて司法試験の問題を解くのであれば、問題の分量がどれくらいあって、答案はどれくらい書くべきで、答案構成にはどれくらいの時間をかけることができるのか(答案を書くスピードや問題文を読むスピードは人によって変わってくるため、この辺は「自分にとって最適な」答えを見つけるためにも、勉強の初期段階で把握することが必須だと思っています)とかも、きちんと確かめることが必要不可欠です。

 

過去問単体で見てもこれだけ学習すべきことがあるのに、模試や答練でもできる「時間配分の確認」や「腕試し」の意味をさらに持たせるというのはどうなんだと思ってしまいます。

 

そもそも、直前期に「腕試し」をやった結果、自分の実力が足りないことが判明した場合に、どうやってリカバリーするのでしょうか。

腕試しは、本番までにリカバリーできるよう十分な期間を確保していなければ、意味がないのではないでしょうか。

 

どうせ司法試験の過去問なんて、試験直前期にやろうが、試験の2年前にやろうが、答案を書いてみれば「全然できない」という事実に打ちのめされることになるのです。

それならいっそ、早い段階で打ちのめされてしまおうとは思わないのでしょうか。

 

先日、谷山先生がツイッターでおっしゃっていたことですが、「勉強初期から基本的には過去問に触れておくべき。ただし、最初から倒そうとしないこと。倒されてはまた倒され、それでも凹まずに倒し方を少しずつ覚える。FF5のオメガの倒し方と一緒。最初は瞬殺されて当たり前。」(1月28日のツイートです)という内容には、全面的に同意します。当該ツイートはこちら(ちなみに、これに対する中村充先生のリアクションがこちら

最初から倒せなくていいのです。最終的に、司法試験を受ける年の5月くらいまでには一応倒せるくらいになっていればいいのです。むしろたったの一回で司法試験過去問を吸い尽くせると考えるのは傲慢です。
 
きちんと、早い段階で、過去問に向き合って、「ああいう問題を解くのに何が必要なのか
」「逆に、何が不要なのか」ということをきちんと選別するようにしましょう。
人によって司法試験合格に必要なものは異なります。ただ、司法試験合格に必要なもの、不要なものを教えてくれるのは全受験生に共通しています。
 
いうまでもなく、過去問です。
 
後にとっておいたら絶対に間に合わなくなるので、今からでも、とりあえず一科目だけでもいいので過去問の答案をなんとなく書いてみましょう。
書くのが難しいならとりあえず答案構成だけでもいいです。が、自分が受験する何年後かには答案を書けるようになっていなければいけないという事実から決して目を背けないようにしましょう。
 
特に、既にローに入学している人や、学部在学中に予備試験合格を目指している学部生は、現状で司法試験や予備試験の過去問と再現答案をきちんと目にしていないというだけで大きなディスアドバンテージです。
 

司法修習の成績が送られてきました。

密かに二回試験全優を目指していました(その割には大した勉強をしていませんでしたが…)が、流石に甘かったようです。

 

日程としては、刑事弁護→(土日)→刑事裁判→検察→民事弁護→民事裁判という順序だったので、民事裁判で力尽きていたのかもしれません。

 

 

刑事弁護、刑事裁判は途中退出をしました。

刑事弁護は終了2時間前、刑事裁判は終了1時間前に退出した記憶があります。

検察は共犯が出てきて時間が足りなくなると思ったので、意識的に犯人性の検討を早めに終わらせていました(犯人性だけだと15ページ程度、犯罪の成否検討は共犯部分も合わせて合計20ページ弱だったように記憶しています)。

民事弁護は小問で稼がなければいけないと集合で(誰にと言いませんが)言われていました。しかし、小問の出来は他の人より悪かったように思います。執行法の問題などは三点セットも押さえられていないレベルだったので。

ただ要件事実の枠組みと訴状の項目分けを対応させることはかなり意識していたので、それがよかったのかもしれません。

あと、訴訟物はやはり不当利得だったのだろうなという感じです(修習が始まった直後の頃、現役の弁護士先生と話した時に二回試験の訴訟物を不当利得にするなんてセンスがなさすぎるという話が出ていたので、訴訟物を不当利得で構成しながら、かなり警戒していました)。個人的な手応えが一番悪かったのは民事弁護でした。

民事裁判は無難に終えた感じではありましたが、あまり決定的な事実が無いなあという感覚でした。

 

成績と書いたページ数は全く関係ないという主張(ページ数マウント撲滅)のためにも、何ページ書いたかも記憶の限りで書いておきます。

 

刑事弁護…設問文の指定どおり(20ページ弱、18ページ程度?)

刑事裁判…設問文の指定どおり(21ページ程度?)

検察…小問含めて35ページ

民事弁護…訴状のみで10ページ弱、小問まで合わせて25ページ程度?

民事裁判…23ページ程度?

 

検察のみ、起案用紙をお代わりしたので記憶に残っていますが、他の科目は一度も起案用紙をお代わりしませんでした。

なぜ検察だけわざわざお代わりしたのかといえば、集合で検察は物量、事務処理ゲーだと(誰からとは敢えて言いませんが)言われたからです。

 

分野別、集合修習の成績も出ています(これは、集合修習の時に成績開示の希望を出さないと開示してもらえません)。

 

 

そこそこ意欲的にやらないと、分野別の修習で優を取るのは難しいのかもしれないな、という印象です。

また、集合修習については、即日起案の成績が関係しているのかな、という実感です。

 

即日起案の成績は以下のとおりでした。左が1回目、右が2回目の成績です。

 

民事裁判 A A

刑事裁判 A A

検察 B A

民事弁護 A B

刑事弁護 B C

 

ただし、裁判科目はABCの3段階評価、その他はABCDEの五段階評価です。

裁判科目は上3割ぐらいがA、下3割弱がC、残りがBという人数構成だったように思います。

他の科目については上から1割、2割、4割、2割、1割という人数比がベースになっていたように思います。もう記憶が曖昧ですが…

 

これらを前提とすると、裁判科目についても、「五段階評価でAを取れる」ぐらいの成績をキープしないと、優ではなく良上になるのかもしれません。

 

そもそも、任官・任検する人に対して何かしらの忖度が働いていたとすれば、意味のない考察ですが…

 

修習の成績というのは、弁護士になったあとに任官したいという人や、大規模事務所で留学したいという人にとっては関心事項かもしれませんが、そこに興味がない人にとっては、あまり意味がない事項です。

 

では、修習生活はこれにて終了ということで、引き続きがんばっていきます。

 

 

 

 

何ヶ月ぶりのブログ記事更新かわからなくなってしまいました。

書くネタはストックしてあるのですが,なぜか書く時間を確保できません。すいません。

 

リクエストが多かったので,受験生時代に使っていた論証集,判例六法の写真を載せます。

写真と,説明と,最後に注意喚起というか,そういうのを書いておきます。

ちなみに,私が使っていた論証集はアガルートアカデミーの,総合講義論証集です(リンクは2018年版ですが,私が使用していたのは2015年版でした)。

 

論証集

 

民法

譲渡担保の問題を解いていて,処分清算型か帰属清算型かで処理が変わってくる問題を何度も間違えたので,清算の方法についてメモっています。

また,集合物の譲渡担保について,対象物の特定のために必要な「種類,所在場所,量的範囲」という要素を覚えるとっかかりを作るために,それぞれの頭文字を横にメモっています。

論証集では,「絶対に書きたい部分」について,黄色の蛍光ペンと,赤ペンのアンダーラインの両方を使っている感じです。上記論証なら,「当事者意思に基づいて,全体に一個の担保権が成立する。対象物については,種類,所在場所,量的範囲で特定する。」ということは最低限書こうというスタンスです。

 

商法

423の取締役が会社に対して負う責任は論文問題でもよく出てきますが,論点として出てくるというよりも,条文の適用問題として出てくることが多いと感じ,利益相反や競業避止義務違反のときは423条の2項や3項が使えたり,複数の取締役がいれば連帯責任になる条文(430条)を使える(にもかかわらず書き落とす)ことが多かったので,メモっています。

また,問題演習を繰り返す中で経営判断原則について迷いが生じ,基本書の該当部分や関連判例を見て「こういうことか」となることがあったので,そこについてもメモっています。経営判断原則の適用場面を頭に叩き込むために,アンダーラインを引いたりしています。

 

 

刑法

正当防衛の「防衛行為の相当性」について,基本書や出題趣旨などでは「防衛の手段として必要最小限度のものであること」と書かれているのを目にして,それだけでは腑に落ちなかったので,基本書の該当部分だけ参照して,「こんな書き方,考え方をしよう」というのを決め,メモっていました。

また,正当防衛がどういう場合に過剰防衛になるのかも勉強開始当初はよく分かっていなかったので,「正当防衛のうち相当性の要件をクリアできなかった時に過剰防衛になる」ということを頭に叩き込むために空きスペースにメモっています。

 

刑訴法

初回接見の書き方がふわっとしていたときに,「まずそもそも接見指定ができる場合じゃないといけない」とか「初回の場合には接見指定が弁護人の接見交通権を『不当に制限』したことになりやすい」とか,「初回接見の効果としてどういう義務を捜査機関が負うのか」とか,問題になる場面,条文の文言,要件,効果それぞれについて区別して押さえないといけないと感じたので,それらをメモっています。

ただ,最初から全部押さえようとしたわけではなく,とりあえず一回目は「初回接見の場合に捜査機関がどうしなくちゃいけないか」だけ押さえておいて,2回目は論証の理由付けの部分をざっくりと押さえて,みたいに押さえる箇所を分けて,少しずつできることを増やしていくという感覚でやっていました。

 

判例六法(択一対策)

 

自分が間違えやすい部分について,メモをしていました。

ただ,判例六法であれ論証集であれ,詳しくメモをしすぎると一周に掛かる時間が増えてしまい,却って勉強効率が下がる危険性があります。

なので,個人的には「メモしすぎた」という感想を論証集についても判例六法についても持っています。書き足すのはできれば一言,二言ぐらいにとどめておくのが良いと思います。

 

 

とりあえずここまで写真を上げておいてなんですが,この使い方に縛られないで下さい。

大事なのは,「私の教材の使い方」ではなく,「私がこんな風に教材を使ってどうなろうとしていたのか」という点です。

 

教材の使い方という「手段」の部分に目を奪われることなく,その先にある「目的」の部分に意識を持っていって,自分なりに教材を使い込んでいくのが良いです。手段に固執すると目的を見据えていた眼が曇ってしまいます。

 

…というのはNOAさんのブログエントリー「十年後の受験生へ」で指摘されていますので,完全に受け売りです(苦笑)

 

私の論証集などの画像をリクエストして下さった受験生の方々が見据えるべきは,目的地に辿り着くまでに利用する「手段」ではなく「目的地」そのものです。

手段に固執する理由は無いので論証集を使わずに趣旨規範ハンドブックを使ってもいいと思いますし,自作の論証集やまとめ教材を使ってもいいと思います。

 

大事なのは「現状不合格の自分と合格ラインの距離を縮めるための訓練」であって,その訓練の痕跡がこんな風に残っているんだな,ぐらいで↑の画像などを見て頂けたらと思います。