こんにちは、えりです。


自己紹介の続きです。




前回の3話目では、


女手一つで育ててくれた母が


突然、悪性脳腫瘍で余命1年の宣告を


受けたお話をしました。







母の初めての手術の日のことは、


以前の記事に書きました。






母が入院してお世話をしている間、


ほんのちょっとした誤解で


母の2番目のお姉さん(私も仲良かった)を


怒らせてしまい縁を切られたり、




弟にも


「お前のせいで俺の人生めちゃくちゃだ」



まるで虫ケラを見るように言われました。





たしかに私は


ADHDというのもあって、(母以外知らない)


子供の頃は特に、誤解を生みやすく


意図せず敵を作ってしまうところがありました。





今思えば、


ほんの少しの


ボタンのかけ違いだったと思います。





血縁には見放されてしまったけど、


いつか噂で私を発見した時に


「少しはまともな大人になったんだな」


と思ってもらえるように


成長しながら生きていこう。


そう決心しました。







母が余命宣告されて1年経った、ある日


私は大嫌いだった祖父に


「お母さんと舞台俳優になることを約束したから、もう少し実家に居ながら頑張らせて。」


とお願いしました。





すると、


忘れもしない


ショックな返答が返ってきました。



「死人に口なし!お前が芸事やったって、誰一人と喜ぶ奴はこの世にいないんだ。お前が歌えば歌うほど、家族を不幸にする。」


と言われました。




やっぱりお願いするんじゃなかった。


死人に口なしなんて…まだ生きているのに、


なんて酷いことを言うんだ、って




その時私は、


人生で一番泣いたと思います。


今までの私の努力もなんだったんだ?って。


弟がやらなかった分も


お母さんの夢のために頑張ったのに、って。





グチャグチャな気持ちのまま、


当時付き合っていた彼氏に電話したら、


車で実家まで迎えに来てくれたんです。


それがとても救われました。





彼とは中距離恋愛だったので、


車で2〜3時間ほど?だったかな


家が離れていました。




気分転換に、と


東京から連れ出してくれて


彼の家に迎え入れてもらいました。





その日は携帯も見ずに、


たくさん泣いて、


ぐっすりと眠りました。





翌日…




母の1番上のお姉さんから、


数十件の着信履歴があり、


最後に届いていたメールに


「まゆみちゃんが、息を引き取りました。」


とありました。




"血の気が引く"とはこのことだ、


というくらい、


私は一瞬で凍りつきました。





私は母が亡くなる瞬間


そばに居てあげられなかったのです。





パニックを抑えながら


彼に伝えたら


急いで実家まで送り届けてくれました。





親族は私に


カンカンに怒っていました。


もはや呆れている人もいました。


当然、みんな私のことを無視しました。





だっておじいちゃんが…


なんて言い訳も出来ず


ひたすらに「ごめんなさい」と言って


俯くことしかできませんでした。







お葬式の詳細が決まり、


私は母の携帯を使って


腱鞘炎になるかと思うくらい


全ての連絡先に母とお葬式のことを


メールしました。




母という存在がこの世にいたんだ。


それを覚えておいてほしい。


その一心でした。





それから電話対応で


「なんでもっと早く教えてくれなかったの?!」


「なんで生きてるうちに会わせてくれなかったの?!」


というご友人たちからの怒りも受け止めて、


私の心の状態もそれどころじゃなかったですが、


"今私ができること"を精一杯やりました。





そして、


お葬式にはたくさんの


母の関係者が来てくれました。


母はとても友達が多く、


親族やお葬式スタッフの方が驚いていました。


若い女性がこんなに多いお葬式は珍しい、と。





「みんな〜!先行ってくるね〜!」


という


母の明るい声が聞こえてきそうでした。





そして、


お葬式が終わったあと、


私は逃げるようにして実家を出ました。




私は人生で


一人暮らしをすることはない


と思っていたので


本当に人生って分からないな、と。





最後に弟に


「お前は家族だと思っていないから。」


と言われてから


一言も言わずに去りました。





愛犬にだけ


「バイバイ」と


大泣きしながら別れを告げました。






母が亡くなる数日前、


病院で


「また旅行行こうね!どこに行きたい?」


と私は母に聞いていました。




母はもう会話に反応できなかったので、


私はいつも一方的に話しかけていました。





母は海外旅行が好きだったので


「ニューヨークかな?」


「本場のブロードウェイが観たいよね?」


と続けました。




すると、


奇跡的に母が口を開いたんです。


「…おきなわ。」




え?沖縄?!なんで?!!笑


やっぱり思考が正常じゃないからか…


と思いましたが、




その場に一緒にいた


母の1番目のお姉さんが


「実はね。まゆみちゃんの旦那さんは沖縄の人で、えりちゃんも沖縄出身なんだよ。3歳まで苗字も違ったんだよ。」


と教えてくれました。








24歳で初めて知った、私のルーツ。


今まで誰も教えてくれませんでした。




いや、


「聞くな」っていう雰囲気だったので


聞けませんでした。





父の記憶は微かにあります。


母に暴力を振るってアザだらけにしたり、


母が作った料理を部屋中に撒き散らしたり、


私の大切な宝物を壊されたり。



最後は


「お父さんは遠くに行くから」


と言って、


あっさり家から出ていった。


それが3歳の時の記憶。




そんなもんでした。




いつか母が亡くなったら、


父を探しに行こう。


それは決めていました。





だけどそれは、


何十年後も先の話で


すでに父も亡くなっているだろう。


という未来を想像していました。




こんなに父を探す日が


早く来るなんて…






私は自分のルーツを知るために


市役所へ向かいました。




次回、


父親探しの旅のこと


書きますね。