私の母はシングルマザーで、
私3歳・弟1歳の頃〜私たちが成人する頃まで
立派に育ててくれました。
母が47歳の時、
最後に交わした会話はこうです。
母「ちょっと頭痛いから横になってくるわぁ。」
私「え、大丈夫?」
母は割と健康的なイメージで、
ジムに週3回通って筋トレしてるので
割りかしマッチョでした。
剣道部の弟と腕相撲すると、
結構いい勝負になるので面白かったです。
父がいた時は
父にDVされていて、アザだらけ。
家に監禁状態でした。
離婚した途端、水を得た魚のように
アクティブにお出かけしていました。
毎週必ず一緒にショッピングに出かけたり、
素敵なお店がオープンすると、すぐに行ってみる
気になることは、すぐにやってみる
行動力のある人でした。
そんな母が頭を痛そうにして
昼から自分の部屋に篭って寝てるなんて
そんな姿見るのは初めてだったので、
すごく嫌な予感がしました。
それから、
3日間寝たきりに。
まるで植物状態のようになってしまいました。
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その3日間と病院に連れて行くまでのこと。
これは記事に書けないほど
私の人生の中で
最もショックな出来事だったと思います。
母は悪性脳腫瘍と診断され、
余命1年の宣告を受けました。
すでに脳の4分の3が腫瘍でした。
1回目の手術。
綺麗だった、焦げ茶のロングヘアは
すっかり一休さんのような坊主頭になり
車椅子に座っている母。
「美人だから、坊主も似合っちゃうねぇ。」
と私は言いましたが
言葉が伝わっていたかどうかは分かりません。
1点を見つめ、ボーッとする母と一緒に
病院の窓から、桜並木を眺めていました。
母が家から居なくなってしまった日々。
病院から家に帰宅した時、
私はまた大きなショックを受けました。
母はガーデニングが好きで、
家の庭にたくさんの花を飾っていました。
それがすっかり全部枯れてしまい
ホーンテッドマンションのような家になっていたのです。
ああ、お母さんは
いつもお花を大切にしていたんだなって
そこで初めて深く知って
家の前で、私は膝から崩れ落ちて
ワンワン泣きました。
人が1人いなくなると、
こんなにも世界から色がなくなるのかと
はっきりと視覚化された瞬間でした。
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そして母は、
本当にちょうど1年後に亡くなりました。
お葬式の日は
あの日、母と病院の窓から見たのと同じように
桜が満開でした。
そういう経験もあってか、
私は、植物との信頼関係を取り戻したい。
と思うような、1つのキッカケに
なったのかもしれません。
母には
「えっ?!えりが?!
家庭菜園できんの?!笑」
って天国から爆笑されてるかも
\ちゃんとやってるわい!/
今回はちょっと
しんみり系でしたね。。
突然すみませんでした。
「人が本当に亡くなるのは、
誰もその人のことを思い出さなくなった時」
という言葉を聞いたことがあります。
たまに、
大好きだった母のことも記事にしたいなぁ
と思ってます
それを読んで、
親孝行したくなったりとか
誰かの何かの気づきになったら嬉しいです。
それではまた
次の記事でお会いしましょう
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