こんにちは、えりです。





予告どおり、


私は何者なのか?について書きます✍️



    

①子役期(10代頃)
②社長期(20代頃)
③旅人期(30代頃)



3シリーズに分けて、


私の人生をお話します。




まずは、


子役を始めた時のお話を。




子役期①



3歳の時に両親が離婚して、


母と弟と東京で暮らしていました。




父のDVが激しく、監禁状態だった母。


母はミュージカル好きだけど、


結婚してから行かせてもらえなかったそうです。







離婚してすぐ、母は嬉しそうに


私をミュージカル観劇へ


連れてってくれました。





舞台を指差して、


「えりも、あそこに立ってほしいの。」


と言った母。





その時、私は3〜4歳だったけど


使命感が生まれたのを覚えています。


そのあとすぐに


ダンスを習い始めます。





それから弟と一緒に、


私が小3、弟が小1の時


某芸能事務所に所属しました。





弟の方が可愛くて、華があった気がします。


事務所に入ってすぐ弟は


ディズニーの自転車のCMが決まりました。


(私は同じオーディションで落ちた)





実際にテレビで放送されて


母はめっちゃ喜びましたが、


弟は「もう芸能活動やりたくない」


と言って、


CMが放送されてすぐに事務所を辞めました。





その時の母のガッカリした姿・・・


それを感じて私は、


「私がお母さんを喜ばせなきゃ。」


と、謎の長女体質を発揮。


弟の分も私がやるから、と


母に宣言しました。





私はADHDで


学習障害の疑いもありました。



簡単な算数が出来なくて


1人だけ居残りさせられたり、


持ち物のお知らせを聞き取れなくて


持って来ずに先生からゲンコツをくらったり、


国語で文章が読めなくて恥をかいたり。




いつも教室の後ろか、


廊下にバケツ持って立たされていました。


悪いことはしてないのに・・・




学校では勉強も運動も、友達もできない。


だけど、


ダンスだけはメキメキと上達しました。






その翌年に


ミュージカル「アニー」のオーディションを


受けて・・・


見事に落ちました。


とても悔しかったです。




1年に1回開催される


アニーのオーディション。


学校ではいじめに遭いながら、


オーディションに賭ける日々を送りました。




結果的に、3年目でやっと


出演権を勝ち取りました。




1回目、2回目で私が落ちた時


どんな子が受かってたのか?


オーディション会場や、


アニーのテレビ特集、


実際の舞台を何度も観に行って


自分なりによく観察・分析しました。





ちゃんと笑顔を絶やさずに作れる、


ハキハキと喋り、キビキビと動く、


歌で音程は1音も外さなくて当たり前、


ダンスの魅せ方や表情の作り方・・・


見つけた要素を自分に取り入れていきました。





勉強は人並みにできず


努力では埋まらない障害があったけど、


そういう芸術的なセンスに関しては


努力次第でなんとかなりました。


(なぜか絵も上手く描けたし)





ADHDの短所を補い、


長所を活かすことができた。


アニー出演は、最初の成功体験でした。





そのあとの活動や


私の心境の変化については


次の記事で書きますね✍️