こんにちは、えりです。




前回は自己紹介・子役期①


ということで、


アニーのオーディションに合格するまでの


お話をさせて頂きました。








そのあとの活動と


私の心境の変化について


書いていきます✍️



子役期②



アニーは書類選考に通過した人たちが


11月に3日間のオーディションがあり、


応募者約1万人の中から24人が合格します。




出演が決まると、すぐに稽古が始まります。


小学校は早退か欠席する日々でした。





前回の記事に書いたとおり


私は学校でいじめられっ子でしたが、


日テレのスタジオに通うために


颯爽と授業を早退、


役のために髪を茶色く染められていた姿は


尊敬の眼差しで見られるようになりました。





あれだけ私のことをバカにしたり、


無視していた子たちも、


手のひらを返したように


180°態度が変わりました。




当時は素直に


「やっと認めてもらえて嬉しい」


思ってました。





私は学校で教えられたものは、


何一つ上手くできませんでした。





だけどダンスの先生だけは


「えりちゃんには才能と華があるよ」


と言い続けて、


アニーのオーディションを勧めてくれたんです。



(その先生はもう亡くなってしまいましたが)





そして、


毎日がオーディションのような


厳しい稽古を乗り越えて・・・




4〜5月に東京公演、


真っ最中に中学校に進学。


「成績が悪いと舞台を降板される」


と脅され、笑


成績表を提出しなきゃいけなかったので


勉強も必死で頑張りました。


(そしたらなぜか成績上がった…。ADHDは日本語が理解できるようになるまでが一番大変だった気がする。)





そのあと地方公演に向けて稽古、


8〜9月は地方公演でした。(たしか)




そうして丸々1年間のアニー生活が終わり、


私はすぐに次の舞台が決まりました。


「若草物語」の末っ子・エイミー役でした。




それから有名アーティストのバックダンサー


バックコーラス、


雑誌の読者モデルもやりました。





そんな中、


私に心境の変化が起こります。







いつも表舞台に立つ前に


楽屋でメイクしてくれる


メイクさんがカッコいい。

私もメイクさんになりたい。


と憧れるようになったんです。





勇気を出して母に打ち明けましたが


案の定


「今更何言ってんの?」


とめちゃくちゃ怒られたので


二度とその夢を口にしなくなりました。




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前回の記事にも書いた通り、


弟が事務所をやめた時


「私が頑張る」と言ったんだから


その言葉に責任を持たないといけない…


お母さんの期待を裏切っちゃいけない…


と思って


他の夢にはフタをして、


想いを断ち切りました。





ミュージカルで歌の基礎が出来ている人の


ほとんどは音大出身者です。


だから「大学は音楽大学に行くように」と、


母に言われた通り必死で勉強して、


東京音楽大学の声楽専攻で入学しました。




苦手だった声楽とピアノの試験、


初めて渡された楽譜で歌わされる試験、


ピアノを耳コピで楽譜を完成させる試験…





周りの音大受験生は


絶対音感を持っている子、


2歳から音楽に触れている子、


両親共に音楽家の子、


そんなのばっかりだったので・・・




つい最近クラシック始めましたっ!


っていう私にとって


入学するだけでも息切れが止まりませんでした。





そもそも最初は、


声楽のベルカント唱法(よく聴くオペラの声)


が全然出来なくて


ミュージカル風の歌い方の癖を直すことから、


本当に過酷なレッスンの日々でした。




▼こんな歌い方になりました。(インスタより)




実際、


補欠のビリで合格したので…



音大版ビリギャル


なのでは?


ってくらいの成長度だったと思います。


(受験生時代の話は長くなるので割愛しますネガティブ)





音大は、


漫画の「のだめカンタービレ」の世界


そのもので、


普通じゃない変な人ばっかりで、


すごい楽しかったです。



私を変わり者だといじめる人は


誰一人として居ません。





どうにか卒業まで単位を取ったし、


必死に歌唱力を磨いて、


実技(声楽)では学年トップクラスに入れました。





でも、


大学3年生くらいからレッスンをサボりはじめ


海外放浪したりして、現実逃避してました。




今思うと、


どこかで反抗心があったのかもしれません。




かと言って、


他で生きていく道の想いは絶ってたし、


母には


「えりは一生お金に困らないから、歌い続けてね。」


と念を押され続けていました。





うちの実家は地主なので、


それが可能で、幸せなことは分かってました。




だけど、


「私の人生はこのままで良いのかな?」


と葛藤しながら


音大に通っていました。




卒業後は


東京二期会というオペラの団体に合格しました。


だけど私はそれを蹴ってしまい、


温厚な師匠にめちゃくちゃ怒られ、


母を悩ませてしまいました。




そして、


「音楽留学したい」


という名目で、ドイツに移住する!


というワクワクする抜け道を見つけ、


どうにか母と師匠にもOKをもらい


ドイツの先生と家が決まりました。





このあと私は、


実家と家族と全財産、全てを失います。




続く・・・