第5独房 Monumen Lapas Banceuy 【Bandung⑧】 | sehari-hari~ジャカルタ生活日記と日本のインドネシアネタ

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2017年4月~インドネシアのジャカルタへ

ジャカルタのいろいろな情報話題を日記として記録→2022年8月に本帰国しましたが、
2023年9月から再度ジャカルタ生活へ

ここへ行った時に

スカルノが投獄されていた刑務所の一室を再現したものがあり

「これバンドンで見た!」という知り合いがいて、バンドン行くときに行かなくっちゃ!と教えてもらってマークしていた。


Monumen Lapas Banceuy Bandung

Banceuy刑務所記念碑

1871年にオランダ政府によって建設されたBanceuy刑務所、オランダ東インド政府時代、犯罪を犯した先住民や政治犯を拘禁するために使用された刑務所でした。


1929 年 12 月 29 日、スカルノと PNI の 3 人の仲間は、ジョグジャカルタで逮捕され、反乱の罪で約 8 か月間刑務所に投獄されました。

スカルノは2.5×1.5メートルの広さしかない第5独房に住んでおり、そこには折りたたみマットレスと非常設のトイレしかなかった。

(これは公文書館のスカルノ資料館に再現されたもの)

1983 年に刑務所はバンドン市の南西側にあるJl.Soekarno Hattaに

Lapas Kelas 2A Banceuy)として移転されました。


もとの古い建物はBanceuy Permaiショッピングエリアに改装されましたが、スカルノが使った独房No.5と監視塔など古い刑務所の建物のいくつかの角が残され、刑務所があったこおをを示す記念碑になりました。 


という場所なんですが....

閉まってる....


鉄扉に鍵がかかってて、

字も判読できないけど、塀を乗り越えるなってことが書いてある。
どっか連絡するとこが書いてあるのかもしれないけど、全部ボヤけててわからない。

こういう時、観光客らしき人がいたら鍵持った人がすぐ近くのお店とかにいて、大抵の場合声かけてくれるんだけど
ラマダン中だから?
ホントに閉まってるから?かわからないけど、鍵持った人もいない。

ここを整備したのはリドワン・カミル前西ジャカルタ州知事 
隣のビルの壁も使って、ココがなんなのか説明し、記念のスポットとして整えた

ビルをぐるっと回って、裏側にも行ってみたけど、監視塔も塀の中

裏側も鍵がかかってる。
眼の前の商店付近のたむろしてるおじさん達に聞いてみたけど、「入れない」と言われた。
残念....えーんえーん

現在、独房の建物の近くには、花崗岩の壁を背景に瞑想するスカルノ像が立っています。


多分....左側の小屋みたいなところが独房No.5を残したものだと思うんだけど..?..?


知り合いが来た時には入れたようなので、たまたま閉まってる時に行ってしまったのかもしれない。
上流ヨーロッパ人が集まるバンドン1の繁華街、Braga通りのすぐ裏が刑務所だったわけで...

町の中心部にあるのがふさわしくないということで、移転することになったらしい

・Monumen Penjara Banceuy
(Monumen Lapas Banceuy Bandung)

banceuy, Braga, Kec. Sumur Bandung, Kota Bandung, Jawa Barat 


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