De Tjolomadoe砂糖工場(ソロ⑥) | sehari-hari~ジャカルタ生活日記と日本のインドネシアネタ

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2017年4月~インドネシアのジャカルタへ

ジャカルタのいろいろな情報話題を日記として記録→2022年8月に本帰国しましたが、
2023年9月から再度ジャカルタ生活へ

ジャワ島に今もジャワ島にいくつかありますが、一回見たかった

ここは空港から15分ほど、街中からも30分。


他の施設より閉館時間も1時間遅いので行きやすい。


VOC時代に建てられた砂糖工場

De Tjolomadoe

Indonesiaでの旅行でネックになるのが祝日
インドネシアは月曜日に美術館、博物館が休みのところが多い。
日本人の感覚だと「月曜日でも祝日だったら来館者数も多いから、翌日を代休にして開館」にすると思いますが、
インドネシアでは休みっつたら、休み
今回の旅行の日程で25日がクリスマスで祝日の月曜日
祝日の月曜日の日程をどうしようかー?
砂糖工場には着いたその足で行っとくか?と計画をあれこれ考えてましたが
直前に25日と1/1の元旦に開館するという告知が出た!
これで他の日に違う場所に行ける!
12歳以下の子供はRp30000
大人Rp40000

ソロでもQrisの普及が進んでます
Qrisほんまにすごい、1年半前にはここまで使える決済方法ではなかったのに
ガイドツアー回ることもできるし、自由に見て回ることもできます。
ガイドはインドネシア語で、さらっと行くので冒頭聞いて離脱しました。
全部聞かなかったし、キャプションもその場で全部わかんなかったので、見直して整理します
1830 年からVOCによって強制栽培 (cultuurstelsel) が始まり、サトウキビはインドネシアの人々が必ず植えなければならない作物となりました。
1874 年以降は、砂糖はVOCの主要な輸出品となり、コーヒー、紅茶、スパイスの生産量を上回りました。

 その後、1925 年半ばにジャワ島で製糖の機械化が成功したことで輸出能力が高まり、ジャワはキューバに次ぐ世界第 2 位の砂糖生産国となりました。
ジャワ島では最盛期は193の製糖工場が操業していました。

 マンクヌガラ 4 世は、1860 年にDemak(スマランの東)にある義理の息子の家を訪問したことがきっかけで、サトウキビのプランテーションを開発します。

西洋の民間起業家との土地賃貸契約を延長せず、6.4haを工場用地として整備し、建設費はスマランの実業家Be Biauw Tjwanから借りて、オランダ人建築家によって設計され、

1861年12月8日にPG Colomadu製糖工場を設立しました。


Colomaduとは蜜の山を意味し、山や海と同じくらい砂糖の生産が豊かになることを望んでマンクヌガラ4世が名付けました


マンクヌガラ 4 世は、ジャワ貴族たちとは異なり起業家精神があり、最初に製糖工場を作ったインドネシア人のを選択し列島に製糖工場を設立した最初の現地人です。

てっきり東インド会社の工場だとおもっていた。

王族が作ったとは!

もとの砂糖工場の規模
黄色の部分が現在残っているところです

この地域が製糖工場に選ばれたのは、肥沃な土壌と適切な灌漑がある事、サトウキビが植えられる前はココナッツを使った砂糖作りが盛んな地域で村人が慣れていたためです
製糖工場が設立された後、この周辺の土地はサトウキビ プランテーションに転換されました。
サトウキビの作付けは1年中行われるのではなく、18ヶ月のサトウキビの作付期間が終了した後に稲を植える輪作が行われます。
これは、工場生産用のサトウキビのと、地元の食料用の米の入手のバランスを維持するためです。

この大きさの建物なのでエアコンはない。
暑いの覚悟で!
これはサトウキビを段階的に皮を剥いて細かく粉砕していく機械
ジオラマだと、この大きな車輪のようなので、後ろにあるベルトコンベアみたいなのを動かしていく。

この時代のことだから、プランテーションっていっても牛舎とかで運ぶとかそんな感じかと思ってました。

こんな大規模なもんだとは


えらいPOPなデザインやな、と思ったけど設立時からこの色

手前は元の床で、リノベーションした床のタイルも同じデザイン


工場ができたあと状況は変わっていきます

サトウキビプランテーションと製糖工場の起業家に間口を広げる為、VOCによって1870年に出来た農地法

Gula Suiker Wet

(Agrarische Wet)   

▪政府所有の砂糖会社は段階的に廃止➡️ 1891 年に政府所有の製糖会社はすべて民間部門に買収されなければならない
▪土地は、規定に従って 75 年以内の所有権が与えられる。
▪総督は、民間が開墾した土地を収奪することはできない。

●サトウキビをオランダ領東インド諸島外に輸送することはできず、国内で加工しなければならなかった
 ● 民間には新たな製糖工場を開設する自由も与えられている。

 労働者にとっては福祉や給料の向上が期待された二つの政策は、実際には、オランダの規制により資源と人の搾取はさらに高まっていきます。 

マンクヌガラは地元の砂糖産業を維持し、改善するためにサトウキビの植え付けや、ヨーロッパから輸入した新しい製粉機の入れ替え、生産製品の輸送量を増やすために、工場から道路も建設しました。

マンクネガラ 7 世の指導の下、従業員や地域住民の福祉のためのさまざまな公共施設も建設し、工場の利益で運営されました。
ヨーロッパの行政官向けの住宅、1910 年代頃に建てられた地元の労働者の居住地、サッカー場などもあります。
その後、1916 年にPG Colomadu
は総合病院を開設しました。
 この病院は、従業員と工場周辺の住民の外来治療と入院治療を行っています。
 1926 年に地元の子供たちが専門家になる能力を身につけるための大工学校、Ambachtsschool op de Tjolomadoe も開校しました。
展示ケースには、PG Colomadu従業員の日常活動に使われた物のコレクション。
従業員がスポーツ、特にバドミントンに積極的に取り組んでいました。

子供が遊べるとこもちょっとあります。
サトウキビの壁紙の部屋の真ん中に立つだけですが、
サトウキビの栽培から収穫までを畑の中に立って映像の中で体験できます
トイレは広くてキレイだし、暑いなか見て回っても休憩できるカフェもあります。
BESALI CAFE 
ここは天井からダクトつけて、エアコンがついてます。
まぁ、広さと高さがあるので、エアコンの真下だけが涼しいんですけど
ここにも工場の機械の一部を残してます。

観光として家族で来る場合、トイレとお土産やさん、休憩する場所とかも重要
他の砂糖工場ってちょっと辺鄙な場所にあったりするのですが、ここは場所が良い


De Tjolomadoe

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