えりっき脳内議事録(えり丸)

えりっき脳内議事録(えり丸)

Diary and memo written by a pathologist.

2012年1月 名古屋大学大学院医学系研究科(MDPhDコース)を修了、博士(医学)取得。
2013年3月 名古屋大学医学部を卒業、医師免許取得。
2015年4月 名古屋市A病院にて初期研修
2015年4月 名古屋市B病院にて病理医として勤務
2018年8月 病理専門医取得
2018年12月 細胞診専門医取得
2019年1月 名古屋市C病院に転勤

自己炎症疾患友の会会員、PIDつばさの会会員、日本免疫不全症研究会会員、日本癌学会会員、日本病理学会会員、日本臨床細胞学会会員、国際病理アカデミー日本支部会員、日本検査医学会会員。

医師であると同時に、TRAPS(TNF受容体関連周期熱症候群)の患者でもあります。TRAPSは、自己炎症疾患周期性発熱症候群、また、広義の原発性免疫不全症に含まれる疾患です。体調面でハンディがあること、またそれ以上に、研究者になりたいという幼少からの夢を初志貫徹すべく、病理医としてゆるゆると、しかし着実に歩を進めています。(2015.5.5)

ブログでは主に日記・趣味・NEJMお勉強記録などを書いています。NEJM(The New England Journal of Medicine)はOpen Access Paper、すなわち誰もが閲覧できる論文ですので、当方のブログで取り上げても問題ないという解釈の下、引用しています。NEJM関連記事の中で、私が特に秀逸だと感じたものはテーマを細分類してますので、是非是非読んで下さい。

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【この記事はYAMAPに掲載したものを加筆・修正して掲載しています】

 

とある方から、神体山登山でしたら尾張富士がおすすめですよとのアドバイスをいただきましたので、愛知県犬山市の尾張富士に行ってきました。尾張富士には以下の伝承があり、石上げ祭という奇妙なお祭りが有名です。

 

尾張富士と隣の本宮山が背比べをしたところ、尾張富士のほうが僅かに低かった。その夜、池野村の庄屋の夢枕に木花咲耶姫が現れ、「本宮山に負けてくやしくてしかたない。私のてっぺんに石を持ち上げてくれれば、願い事を叶えよう。」と告げた。石上げ祭りは、この伝説に因む。

 

では、実際に2つの神社および山を比較してみましょう。

 

 【大宮浅間神社】 

祭神: 木花開耶姫・天照大神 

社格: ― 

創建: 729年 邇波縣主の末裔、道直の勧請 

奥宮: 尾張富士 

標高: 275.04m 

 

【大縣神社】 

祭神: 大縣大神(≒大荒田命?)※ 

社格: 式内社(名神大社)、尾張国二宮 

創建: 第11代垂仁天皇27年(3~4世紀) 

奥宮: 本宮山 標高: 292.84m

※大縣大神は神八井耳(神武天皇の皇子)の末裔で、後裔は邇波氏に繋がっていきます。戦国時代の丹羽長秀など、まさにこの神様の末裔と言われています。犬山にある東之宮古墳では、現代を生きる丹羽氏の寄進を多く認めます。さらに、尾張氏を婿養子として迎え入れ、彼らの濃尾平野移住を助けたようです。 

 

上記をみると、背比べをしていた2つのお山(お宮)はどちらも丹羽氏の縁のようです。そして、やはり本宮山のほうが格上であると思われますね。この状況をみるに、木花咲耶姫の願いは叶わないと思いますが、どうでしょうか? 

 

ところで、石上げだったり、豊年祭だったり、奇祭を行うのが丹羽氏のカラーなのでしょうかね。 なかなかに、興味深い土地柄です。

 

*****

 

大宮浅間神社にほど近いカフェ、五条さんで、少し遅めのモーニング。店内はほぼ満席なくらいに賑わっていました。このボリュームでトータル650円はお値打ちです。ちなみに、小皿は温泉卵。

 

まずは大宮浅間神社(本宮)にご参拝します。

 

献石は当社の御由緒に因るもので御参詣のお方は御祭神の御思慮に副い奉るよう御石を受けて御祈願下さい。 とのこと。なるほど。では、私も1石お運び申し上げます。銀色の石が人気なのか、売り切れていますね。

 

凄い数の献石です。篤い信仰があった(いや今も続いている)のですね。

 

中宮に到着です。この時点で既にしんどい!石が重すぎるんじゃないのこれ!?とりあえず、ウインドブレーカーを脱ぎましょう。

 

さらに登ります。途中、2個の献石が倒れていました。

 

急な山肌にも献石がいっぱい。

 

奥宮到着!やった~!

 

お宮の隣にはこの様に献石の山ができています。私もお供えしましょう。よっこいしょ。

 

私は基本的に神社で願い事はしません。いつも神社では、季節のご挨拶または、自身の決意表明を述べています。ですので、尾張富士さんの願いが叶うようにと願い事を書きました。

 

帰り道は別ルート。句碑の道といって、俳句が刻まれた沿道にたくさん並んでいました。写真は俳聖苑という広場です。

 

山には、本場の富士山とおなじく、金明水と銀明水という湧き水があります。金明水の近くで、ショウジョウバカマの群生に出会いました。

 

最後に、御朱印。尾張富士の御朱印は「登拝」って書いてほしいかも!?

 

いやあ、とても面白い山ですね。歩くのにプラスαで楽しめますのでお勧めです。

ただし、登山道は結構急でゴロゴロの石も多いのでご注意を。

2/11(金)、快晴。

 

神体山登山シリーズ第1弾。本日は御上(みかみ)神社の奥宮である三上山に向かいます。

 

御上神社は、滋賀県野洲市にある神社で、延喜式神名帳で名神大社として見える、由緒正しく、神威あらたかな神社です。

 

御祭神は天御影命(あめのみかげのみこと)です。この神様、色々と謎多き神様であり、調べれば調べるほどに訳が分からなくなってきます。一説によると、天照大神の孫(天照大神-天津彦根命-天御影命)であるといいます。別の説によると、天火明命の3世孫(天火明命-天香山命-天村雲命-天御影命)であるといいます。娘に息長水依比売命がおり、彼女は彦坐王と結婚し、 丹波道主命(四道将軍、丹波に派遣される)、水穂之真若王(近江東部の安国造)、神大根王(美濃国造)が生まれています。個人的意見として、私は丹波や尾張との関係を重視し、後者の系譜が正しいのではないかと考えています。そして、母方の出雲系国津神の血筋を重視し、銅鐸祭祀を行ったとにらんでいます。それゆえ、大和朝廷成立前後の巨大対抗勢力として、古事記や日本書紀などの正史から業績や系譜を抹消されたのではと思っています。

 

言い伝えによると、第7代孝霊天皇の御代に、天之御影命が三上山の山頂に降臨し、それを祀ったのが始まりと言われているそうです。時代が下り、718年に山の麓である現在地に社殿が造営されたそうです。現在参拝できる社殿は鎌倉時代後期に建てられたとみられ、本殿が国宝、拝殿・楼門・摂社若宮神社が重要文化財とのことです。

 

さらに面白い点は、三上山の麓の大岩山からは銅鐸が24個も出土していること。天御影命は鍛冶・製鉄の神ともいわれており、関連を疑わざるを得ません。銅鐸は弥生時代を象徴する青銅器として有名ですよね。当初、カウベルのように打ち鳴らす「聞く銅鐸」として、出雲で多く作られています。時代が下ると、銅鐸は大型化し、「見る銅鐸」へと発展していきます。この時代の銅鐸は、飾り耳を有する近畿式銅鐸と飾り耳のない三遠式銅鐸に分けられます。当地で見つかった銅鐸は弥生時代後期のもので、近畿式が主体ですが、三遠式も含まれ、折衷型もあった点が特徴です。また、日本最大の銅鐸(134.7cm, 45.47kg)はここで見つかりました。銅鐸博物館ではレプリカを、安土城考古博物館では本物の一部を見ることができます。こちらのホームページも興味深いので是非見てください。

 

また、山の東南、野洲川を渡った地には、纏向遺跡に次ぐ巨大弥生遺跡である伊勢遺跡もあり、やはり何らかの大国が存在したのではと想像します。

 

*****

 

話を登山に戻します。三上山は高さ432mの独立峰。形が良く、富士山に似ているので近江富士と呼ばれます。下写真の通り、南西よりみると、男山と女山の2峰よりなることがわかります。花緑公園側からですと、女山がうまい具合に隠れ、より美しく見えるようです。三上神社へ参拝し、御朱印(奥宮の御朱印もあります)を頂いた後、いざ、出発!

 

 

行き(水色線)は表登山道にて山頂へ向かいます。途中、魚釣岩という巨岩があり、昔の琵琶湖水面はこのあたりに迫っていたとのことです。さらに行くと、妙見堂跡。灯篭や手水舎が残るのみで、排寺となっています。途中に割岩というのがあり、割れ目を通ることができますが、私はつっかえてしまいそうなので迂回しました。その後は視界が開け、琵琶湖や雪をかぶった比良山地が見渡せます。景色を楽しんでいるうちに、割と簡単に頂上にたどり着きました。

 

山頂には小さな社殿が3つあり、水仙などの花やお酒が供えてありました。今でも地元の方に慕われているのでしょうね。また、しめ縄が張られた磐座もありました。昔の人はこの岩をどんなふうに拝んだんでしょうか。奥宮に参拝した後は、野洲川方面が望める山頂展望所にて休憩です。山頂なのに不思議と風が凪いで、真冬なのに暖かいです。山頂でのサンドイッチ、うんまい!ほかの登山客の方はコッヘルでホルモン焼きを作ったり、ホットコーヒーを入れたりしてました。

 

 

帰り(青紫線)は裏登山道で下山します。途中に東竜王という小さな祠がありました。祭神はいまや分からないそうですが、水神様を祭っているようです。打越まで降り、女山に立ち寄ります。女山山頂には祠等はなかったです。その後は中段の道を反時計回りで3/4周します。この道は起伏が少なく、ハイキング気分で気楽に歩けるのがいいですね。最後は再び裏登山道に合流し、下山しました。裏登山道麓には御旅所がありました。

 

 

総行程約14000歩、楽しい登山でした。花緑公園側登山道など他のルートもあり、何回でも楽しめそうです。

 

2021年、あけましておめでとうございます。去年はついぞ1つの記事も書かずに終わってしまいましたが、今年もどうぞよろしくお願いします。

 

今年は、伊勢に住んで18年、名古屋に住んで18年という記念の年ですので、名古屋市守山区にあります尾張部(おわりべ)神社さんに、初詣に伺いました。この神社は名古屋や尾張に縁の深い神社のようです。標高198mの東谷山(とうごくさん)の山頂にあります。というわけで、レッツ・ハイキング!今日はとても寒く、雪が舞っていました。

 

遊歩道をしばし歩くと、東谷山27号墳の横穴式石室に出くわしました。もとは墳丘で覆われていたそうです。

 

 

さらに登っていくと、南社古墳。30mの円墳で、4世紀中頃のもののようです。一部に円筒埴輪が復元されています。墳頂には祠がありました。祭神は伊邪那岐命と伊邪那美命とのことですが、常識的に考えると尾張氏の誰かが埋葬されているのでしょう。

 

 

祠の周囲には比較的大きさの揃った石が散乱しています。本物の葺石でしょうか?解説板によると、古墳は2段に築かれ、1段目斜面に東谷山でとられた角礫、2段目斜面に東谷山山麓の段丘でとられた円礫の葺石が積み上げられている、とあります。

 

 

さらに登っていきます。息も絶え絶え、顔は寒いけど、汗をかき、雪も強まってきて大変です。休憩を交えつつ、、中社古墳に到着しました。63.5mの前方後円墳で、4世紀中頃のもののようです。写真は前方部より後円部をみた様子。前方部は祭祀の場所、後円部は埋葬の場所ですね。祭神は菊里媛命とのことですが、たぶん違うのでしょう。

 

 

そして山頂へ!尾張部神社に到着です。拝殿には立派な門松が飾られています。みかんもいただきました。

 

 

実は、本殿は尾張部神社古墳の上に建てられています。27.5mの円墳で、4世紀前半頃のもの。2段つくりで、上部は角礫の上に石英が撒かれ、白く光り輝いていたと考えられているようです。

 

 

ご祭神は天火明命、天香山命、建稲種命で、いずれも尾張氏の祖および首長です。以下は私の調査の結果ですが、諸説あり、正しくない部分もあるかもしれません。そこは、神話の話として見逃してください。

 

天火明命(あめのほあかりのみこと)は、邇邇芸命の兄で、丹波に天孫降臨しました。全国の神社および祭神の分布をみると、中国山地を超えて姫路や大和、伊吹山を越えて尾張、日本海を渡り越後に勢力を伸ばしたのではないかと思われます。饒速日命と同一神ともいわれ、そうすると、神武東征の際に対立した可能性が高いですね。

 

天香山命(あめのかぐやまのみこと)は、高尾張邑(奈良県葛城市)に本拠地を置いたものの、神武天皇が抵抗勢力として討伐したようで、尾張の国に逃げ延びたようです。最初は愛知県春日井市の高座山に降り立ち、白鹿に乗って庄内川を渡り東谷山(名古屋市守山区)に移ったとの地元の伝承があるようです。この日は天気が悪く、目視での確認はできませんでしたが、たしかに、地図をみるると、高座山(たかくらやま)や東谷山からは濃尾平野や伊吹山がよく見渡せ、近畿のヤマト王権の勢力を監視するには都合がよい場所なのだと思います。また、別名は高倉下命(たかくらじのみこと)といい、高座山との関連から同一としてもよさそうです。

 

建稲種命(たけいなだねのみこと)は日本武尊の東征の際に副将軍として軍功をあげ、尾張国造になりました。

 

近隣には志段味(しだみ)古墳群もあり、ここは尾張氏の本貫地であったことは確かなようです。

 

古墳に眠るあなたは、いったい誰なのですか?

大変面白い神社です。

 

 

 

1/13(日)、友達と一緒に熱田神宮に初詣に行ってまいりました。三が日ではないので酷い人混みではなかったものの、境内とおみくじ前は行列ができていました。また、参道には屋台がたくさんでていました。

 

参道の解説板によりますと、熱田神宮の主神は熱田大神(あつたのおおかみ)であるとのことです。熱田大神とは、三種の神器の1つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を御霊代(みたましろ)としてよせられる天照大神(あまてらすおおみかみ)のことだそうです。

 

相殿(あいどの)には、草薙剣にゆかりの深い五神、すなわち、天照大神須佐之男命(すさのおのみこと)、倭建命(やまとたけるのみこと)、美夜受比売(みやずひめ)、建稲種命(たけいなだねのみこと)を祭っているとのことです。

 

高天原(たかまのはら、天界に相当)を治める天照大神には、弟が二人おり、それぞれ、夜の世界を治める月読命(つくよみのみこと)と、海を治める須佐之男命といいます。須佐之男命は亡くなった母の伊邪那美神(いざなみのかみ)に会いたいと泣いてばかりで海の国を治めなかったため、高天原を追放され、葦原中国(あしはらのなかつくに、地上世界に相当)に降りてきました。そして、出雲国(いずものくに)で八俣遠呂知(やまたのおろち)を倒し、蛇の尾から草薙剣を発見し、これを天照大神に献上しました。その後、須佐之男命はいけにえにささげられるはずであった櫛名田比売(くしなだひめ)と結婚し、出雲に定住したとのことです。以上が、古事記上巻で語られる神話です。

 

それから時代は下り、古事記中巻の第十二代景行天皇の時代のお話に移ります。神話の記述をそのまま西暦に換算すると、紀元後71年~125年の出来事だそうです。考古学的には、古墳時代の出来事と考えられるようです。天皇には小碓命(おうすのみこと)という皇子がいました。この方が後の倭建命です。天皇は小碓命の荒い性格を恐れ、大和から追放する口実として西方への遠征を命じました。熊曾建(くまそたける、熊曾の強い者の意味)を討った時、その強さを倭建命(大和の強い者の意味)と称え、それ以降、名を改めたとのことです。西征が完了してただちに東征を命じられた倭建命は、父天皇に嫌われていることを悲しみ、叔母の倭比売命(やまとひめのみこと)のいる伊勢に参ります。倭比売命は伊勢神宮を創建された皇女で、八咫鏡(やたのかがみ)と草薙剣を託されていました。倭比売命は倭建命を不憫に思い、草薙剣と火打石を渡したとされています。

 

倭建命は、焼遺(やきづ、静岡県焼津市)にて敵の欺きにより窮地の立たされます。野に火がはなたれるのですが、草薙剣で草を刈り、火打石で火を起こして、向火をつけて焼き退け、そこを脱したとあります。非常に有名な話ですね。その帰路、尾張国(おわりのくに、愛知県西部)で美夜受比売と結婚します。倭建命は、伊吹山(滋賀県と岐阜県の県境)に赴くとき、今回は素手で真っ向から倒そうと思い、草薙剣を美夜受比売のもとに置いて出立します。霊剣の力によって守られていなかったため、倭建命は伊吹山の神に打倒されてしまいます。

 

その後、美夜受比売は草薙剣を鎮守するため熱田神宮を創建したとあります。なお、建稲種命は美夜受比売の兄で、倭建命の副将として付き従っていたとのことです。

 

そいういうわけで、三種の神器のうち、剣は熱田にあるというわけです。もちろん、鏡は伊勢神宮に、勾玉は皇居(東京)にあるんですね。今年の五月には皇位継承がありますから、天皇の証である、鏡の形代(かたしろ、レプリカのこと)、剣の形代、勾玉本体が継承されるわけですね。ところで、剣は壇ノ浦で沈んだものだと思っていたのですが、上記のごとく、皇位継承の際に受け継がれる剣と鏡はレプリカですので、本物は熱田に残っているんですね。私の勘違いだったようです。

 

私は神道を信仰しているというわけでは決してありませんが、神話や神宮の起源について知ることは、大昔の歴史を垣間見るいい資料として楽しめると思うのです。いかがでしたでしょうか、最後まで読んでくださった方は、少なからず興味を抱かれたことと思います。

 

なお、神話内容や漢字は、竹田恒泰による現代語古事記を参考にしました。

少し前のお話になりますが、家のリフォームを行っていただきました。

作り付けの水槽台と、キッチンの食器棚増設です。

完成写真はこんな感じ。

 

うちには60cm high 水槽を2台設置しています。

水槽は結構重いので、耐荷重量は最低200kg、できれば300kgでとお願いしてあります。

また、背面にスリットが切ってあり、配管や配線がきれいに隠せます。

また、CO2ボンベもすっきり収納。

難点ではありませんが、キッチンと同じく高さ85cmにしましたので

掃除のときは低い足台があるとよいと思います。

 

水草を植栽し、生体も引っ越し完了。

この水槽台に似合った、素晴らしい水景を作れるとよいのですが。

自分の腕に自信はないけど頑張ります。

 

そしてこちらがキッチン。半透明の食器棚を増設、また、右の飾り棚を手入れしていただきました。

もともとの食器棚は大型冷蔵庫が設置できるよう、左側3枚分しかつくられていなかったのですが、

そんなに大きな冷蔵庫は必要ないし、デザイン的にも大きく空間が開いて奇妙なので、

冷蔵庫上にも作ってもらったというわけ。

造作家具屋さんにも介入していただきましたので、デザインは大工仕事より緻密で

見栄えは非常によいです。

(とは言ったものの、大工さんの仕事も非常に質が高く(水槽台は大工工事)、

FJさんで頼むなら大工工事でもいいかもしれません。

が、業者によってはわずかなずれがあったりしますので、きれいに見せたいところや、

ガラスを使うような制作は家具屋さんに制作してもらった方が良いとのことです)

 

素晴らしいお仕事で満足度200%です。

名古屋在住の方で住宅建設やリフォームを検討される方は、

ぜひともFJ DESIGN PLUSさんへ。

 

FJ DESIGN PLUS

〒464-0819 愛知県名古屋市千種区四谷通二丁目13 ルーツストーン1st BLD.1F

0120-428-758