一昨日の5月23日は片岡秀太郎さんの1周忌でした。

もう1年ですか・・・。早いものです。

1年経ちましたが、まだ全く実感がわいておりません

今現在はコロナのために 長い間お会いしていない方が多いので、

秀太郎さんにも そのうちにどこかの劇場でお会いできる気がしてなりません



1年経ったのか・・・と思いつつ、思い出すことがご供養かと思い、

私なりの秀太郎さんを振り返ってみました。

以前にも何回も書かせて頂いた事なので重複しておりますのはお許しください。


私が20代前半の頃はじめて秀太郎さんとお目にかかりました。

それ以来50年近くに渡りまして大変お世話になりました。

若鮎の会のご指導はもちろんの事、関西での高校生のための歌舞伎鑑賞教室でも
何回もご一緒させて頂きました。

歌舞伎の見方では秀太郎さんの解説の中、私が素顔、洋服で登場し学生さんたちに
ご挨拶をしておよそ10分後に早ごしらえで『艶姿女舞衣』のお園に扮し再登場し
「今頃は半七さん ~どこにどうしてござろう~と」のさわりの場面を
勤めさせて頂きました。

その間 秀太郎さんが学生たちに歌舞伎のお話をされ 繋いでくださっていたのです。

 

この演出と秀太郎さんの話術のお陰で、このころではありえないような歓声を頂きました。

26歳ころの話です。

素顔で出た後に綺麗な姿になり歓声をいただくのですが、できれば人妻のお園ではなく、

綺麗な赤姫とか、娘がよかったなと思ったのは秘密です。

 

次の演目が『鳴神』で雲の絶間姫を徳三郎さんが勤めておられましたので、被らない様に

お園になったのだとは思いますけどね(笑)

 

ちなみに『鳴神』では バッチリと所化で出演しておりましたが、歓声を上げて下さった方の

誰一人として気づかれていなかったことだと思います。


大阪から彦根市民会館の遠い所へ鑑賞教室で伺った折、わざわざ特別にこだま4人切符を

購入して下り、帰りは秀太郎さんと付き人さんと父と私の4人で新幹線こだまに乗ったのも

いい思い出です。

米原までタクシーで行ったのでしょうか? それは覚えておりません

まだ国鉄時代でJRの民営化されていない時でした。

後年、猿之助さんとの巡業公演では同じく彦根の公演を 新幹線から在来線に乗車変更して

猿之助さんたちと京都まで一緒に帰った事もありましたが、彦根は新幹線なら早いですが米原経由、

在来線では時間がかかるし・・・と云ったところなのでしょうか。

この時はもう民営化されていてJRでした(笑)

秀太郎さんと猿之助さん、お二人との思い出のある地ですね。

 


また12月の京都素人顔見世で秀太郎さんの助手で「伽羅先代萩 御殿」や「野崎村」「七段目」
などのご指導に京都の議員さんや会社の社長さん、著名人などのお宅へ伺ったのも思い出されます。

中でも小説家の山村美紗さんのご自宅で「七段目」のお軽のご指導をなされた時に
私も連れて行って下さったのは本当に名誉な事でした。

今でしたらきっと一緒に写真を撮って頂いてブログにさせて頂いていたでしょうね(笑)


ちょっと風変わりなところでは、秀太郎さんも猿之助さん同様、
大衆演劇が大変お好きで 中座の公演の後などにお弟子さんたちに率先して
ご自宅や舞台のある宴会場などを集めて 自分たちで演じて見る会を何回も催してくださいました。

私は音響担当で曲をかけたりMCをしたりで、時には出演したこともありました(笑)
13代目仁左衛門さんや現仁左衛門さん 我當さんなども見に来られ
大いに盛り上がっておりましたね(笑)


私が関西を出てから舞台で秀太郎さんとご一緒したのは猿之助さんの襲名後でしょうか?

明治座での「瞼の母」では獅童さんの忠太郎 秀太郎さんの水熊の女将おはま
そして私の善三郎でした。

しかし、若鮎の時の厳しい秀太郎さんとのトラウマで もちろんお芝居でされているのですが、
舞台上でどうも私が叱られているように感じてしまい 秀太郎さんと相対すると
一瞬息が詰まり長台詞が出て来ない時があり、ドキッとしたことを覚えております。

また「四天王楓江戸粧」では私の石蜘法印で猿之助さんに斬られた後、
引っ込む所を秀太郎さんに捕まり、そのまま舞台上で幕が閉まるまで
抑えつけられたイタズラをされた事も楽しい思い出ですね(笑)

博多座の鴈治郎襲名公演の時の「芸道一代男」では市川蝦十郎のお役
先代青虎さんと比べられ「お前はまだまだやな」と厳しいご指摘を頂きました。

その後は時々歌舞伎座の楽屋でお会いするくらいで
舞台でご一緒する事はありませんでした。

いつまで経っても私にとっての秀太郎さんは先生であり、先輩であり、あの時代を一緒にすごした友達、

と云う不思議な感じです。

上方の持ち味を持っておられる方が段々少なくなり寂しいですね。
1周忌に際して色んな事が思い出されました。

 

このブログを書きましても、それでもまだ 歌舞伎座や松竹座の楽屋でお会いして

「延夫いま何に出てるんや」「延夫なんでいてんねん」と声をかけて下さる日が来るような気がしてなりません

 


改めて秀太郎さん ありがとうございました。