以前にも片岡秀太郎さんの事は度々書かせて頂きましたし
猿翁旦那と共に 私にとりましては 上方での師でもあります。

 

『若鮎の会』の時などはご指導と共に よくお叱りも受けました。

 

他のお家の型でも、ご指導を受け「誰々の型で この方に教わりました、」とか

「ここで調べました」と 詳細に勉強した事を告げますと 松嶋屋型ではなくても

お許しくださいましたが、自信なく 中途半端な動きをしますと 

「誰の型や! いい加減な動きをするな!」 と鋭い叱責が飛びました。

 

 

それだけに私は尊敬の念と 若い頃に叱られた時の
トラウマの両方が今でも存在しており、ひと睨みされますと
ドキッとして 頭が真っ白になってしまいます。

 

そのような関係がございまして 舞台上で秀太郎さんと相対すると 

怖いのです・・・(笑)

 

 


今日のお話も 昨日につづいて、片岡秀太郎さんとのエピソードを少し・・・。
なのですが、ちょっと今日は少し方向が違うかも知れません

 

秀太郎さんとは実に 親身なお付き合いもさせて頂きました。

 

ずいぶん昔の事ですが 当時の中座の上方歌舞伎出演中には
懇親会として一座の仲間内で開催しました秀太郎さん主催の「お遊び会」

が催されました。

 

これに私 音響担当、MC出演者としてお手伝いもさせて頂きました。


大衆演劇的な舞踊など おもだかやの旅行会の様なものですね(笑)

 

そう云ったご縁で 私を凄く可愛がって下さり 
さらに色んなお仕事のお手伝いもさせて頂きました。

 

テレビで共演された女優さんに 立ち回りを教えられて 

私がそのからみをしたこともありました(笑)

 

 

 

一番印象に残っております事は、京都南座の恒例顔見世興行の折
千穐楽の次の日に毎年毎回、開催されておりました京都テレビ主催の
『素人顔見世』

 

これはその月の顔見世興行で上演されているものと全く同じ演目を
素人さんたちが、千穐楽の次の日に南座の舞台で お芝居の腕を競い合うと云う

京都ならではの贅沢な催しのお遊び会。

 

とはいえご出演の皆様は 年末のお忙しい時をお稽古に費やされて
真剣そのものでした。

 

これの歌舞伎指導に十三代目仁左衛門さん以下 松嶋のご一門三兄弟 
また京都在住の舞踊の先生方たちが当たって居られました。

 

私は秀太郎さんの班として、何回も参加させて頂きました。

当時、秀太郎さんのお弟子さんには 女形さんは居られても、

立ち役も出来る人は おりませんでした。

そんな関係で 使って頂いたのだと思いますが、

実に貴重な体験をさせて頂いたと思います。


京都の名士名連の方々との親交もご紹介頂きました。

 

出演者は当時の京都の府知事さん 市長さん 議員さんたち
また各銀行の理事長さん 頭取さん 各大学の総長さん お茶屋のご主人 
いろんな会社の社長さん等々

 

京都の、いや日本の経済界を動かす凄い人たちばかりでした。

 

中でも忘れられないのが『仮名手本忠臣蔵 七段目』のおかるを
勤められた時の故山村美紗さん 

ミステリー小説の第一人者の方ですね。


私と秀太郎さんとで担当させて頂きました。

 

今のようにブログでも書いて居れば一緒に
写真くらいは撮って頂いたものを・・・(笑)


本来の十二月顔見世興行の初日が開き 数日してから
およそ20日間という長い期間に渡りまして、
祇園の会館に 時間わりスケジュールで出演者の皆さんが
お稽古に見えました。

 

秀太郎さんや私たちも南座の出番の合間を縫って
お稽古に駆け付けました。

 

ちょうどバブル絶頂期でしたでしょうか? 1980年代の頃の話です。
毎年顔見世興行千穐楽の次の日が恒例でした。


同じ演目を昼夜二組で 別々の方たちが出演され公演された
『素人顔見世』は とても華やかで 私は1983年から
数回参加させて頂きましたが、1993年まで続きました。

 

当時の私の月収より数倍のご祝儀を たった一日で頂きまして
この上もないお仕事でした。


よき時代でしたね(笑)


さらにこれは余談ですが、ある銀行の頭取さんは、
堅物で真面目一方な方で お役の発表があってから 
各ご贔屓のお茶屋さんなどでは あの方はあまりにも真面目過ぎて
お芝居で女形などできるはずがない と 噂が飛び交っていて
かなり心配されていたそうです。

 

ですが、いざ本番で皆さんがご覧になると
「堅物なあの方が!・・・。」
と ご覧になった方はみな驚かれた名演技。

 

この方 秀太郎さんのご指示で 私が何回もご自宅に伺い
直接 個人稽古をさせて頂きました。

 

いざふたを開けてみると 拍手喝采 絶賛を浴び
お茶屋さんなどでは面目躍如、鼻が高かったと
非常に喜んでくださいました。

 

当日は私が黒衣で後見につきまして、見守っておりました。

 

舞台の大成功をすごく喜んで下さり 年が明けてから
私などが上がる事も出来ない京都の一流のお茶屋さんで
お食事をご馳走して下さり 帰りは京都から
ハイヤーで大阪の自宅まで送ってくださいました。

こんな長距離のタクシーに乗ったのはこの時が初めてでした(笑)

 

今ではこう云った豪華な事はもうあまりありませんし 
逆に問題になるかも知れませんが、よき時代で
良い経験をさせて頂いたと思っております。

 

秀太郎さんが私を使って下さらなかったら 
こう云った経験も出来なかった訳ですし
あの頃の私 下積みで収入も乏しかったので
本当にうれしく ありがたかったです。


昨日につづいて色々な事を 書かせて頂こうと思っておりましたが、
『素人顔見世』の話で いっぱいになってしまいました。

 

何はともあれ、今回の秀太郎さんの人間国宝のご認定は
遅いくらいかも知れませんが 誠におめでとうございました。

これからもますますお元気で ご活躍のほどを
お祈り申し上げます。