さあ、いよいよ大阪行きも近づいてきましたが、
まだまだ 今日も歌舞伎座でのお稽古が続いております。


今日は 先に我當さん、秀太郎さんの監修の元、『夏祭浪花鑑』の
お稽古でございました。

その後『大阪純情伝』のお稽古、終了は10時近くになりました。 

関西のお芝居を 上方の演出で、上方の先輩方のご指導のもとのお稽古。

場所こそ 東京の歌舞伎座ではございますが、懐かしく、感慨深い
お稽古になりました。

ですが、東京暮らし またおもだか屋一門の私 逆に緊張致しました。

昨日は、秀太郎さんが ご指導下さいましたので まずはご挨拶に
伺ったのですが・・・私の顔を見た瞬間 秀太郎さんに



「え、なんでいてんねん?」



と・・・(笑)



と、云いますのは、来月の松竹座、平成世代??の若手の何人か以外は
概ね上方の役者です。
(昼の部だけ、夜の部だけで 数人出ておられますが・・・)

その中で 猿弥さんと私の二人、明らかに「おもだかや」

云ってしまえば 「異色」なんです。


異色とはいえ、元は上方出身の私ですので、秀太郎さんもどこか気軽?に

「なんでいてんねん?」

だったのだと思います(笑)



私も一応30何年前の 上方の『夏祭』に出ておりますので、
ここは ひけません(笑)


「昔のよしみで 使って頂いております」


と、一応切り返させて頂きましたら・・・


さすが 秀太郎さん(笑)



「そうか、”延夫”で でるねんな」



はい!って思わず言いましたが・・・出ません!!!(笑)





隣で聞いておられた 翫雀さんも 苦笑い。

(御存知ない方、おられないと信じておりますが・・
 市川延夫が、5年前までの私の芸名です。その前は 関西では嵐延夫の私。
 「延夫」は本名で初舞台以来 ず~っと使っておりました名前です。)



さすが 関西(笑)

切り返しも うかうかとしておられません。



うかうかしていられないと云いますと やはり 私も今はおもだか屋ですが
生まれも育ちも 上方の私。

ですが、生粋の上方の中で 上方のお芝居を演じる事は 何年ぶりでしょうか?
そうそう機会がございません。

もっと 出演したいと云う気も致しますが、それもなかなか難しい事。

機会がないからと云って、上方の「におい」が出なかったと云うのは
やはり悔しいですし、不本意です(笑)


来月は どこか「私は 上方出身だ~」と云うところを 少しでも
おみせ出来たらいいなと思っております。




とはいえ、プライベートでは正直なところ、8月の新歌舞伎座も
気分はどっぷり大阪。

ついつい、エスカレーターの立ち位置も どっちやったっけ? と思ってしまいます。

その後、一ヶ月のお休みでした。


家人も大阪出身ですが、仕事柄、東京では関西出身と、バレないくらいの
標準語で喋れる人。
(大阪の人間がいると つい、つられて大阪弁が出るそうですが・・笑)


私も一部のイントネーション以外は、普段は標準語に近い言葉で
話しております(そのつもりです)



基本的に 自宅では 関西弁と標準語のちゃんぽんで 会話しております。
でも、ひと月大阪におりますと どうしても 関西弁の割合が 7割増し(笑)

ここ二ヶ月は 完全に外でもうちでも 大阪弁(関西弁と云うよりは 大阪のノリ)で
話している様な気が致します。



これも、ひと重に来月の為!!!

と云うのは 嘘ですが(まさか 松竹座とは。。。思いもしませんでしたので)
どこか 三ヶ月に渡る「絶賛大阪弁強化月間」


集大成の 上方での上方のお芝居。

ネイティブの皆様の前で 「あれ?」と思われる事のないように、
「色」や「味」を出して行きたいと思っております。  

やりまっせ~!!みててや~!!(笑)