『瞼の母』の舞台は江戸。 

母親と対面する料亭水熊は、柳橋と云いますから、
ここ明治座からは 本当に近く 歩いてでも行ける距離でしょうか?

ですが、忠太郎が、生み捨てられた場所と云いますと、忠太郎の台詞の中に

「ところは 江州(ごうしゅう)坂田の郡(さかたのこおり)、
醒が井(さめがい)から南へ一里 磨針峠(すりばりとうげ)の山の宿場で
番場(ばんば)と云う処が ござんす。」と、


これは近江の国 今の滋賀県で中仙道にございます。

その中仙道でも番場宿は一番小さい宿場で 今では、よく探さないと
宿場跡も分からないそうです。


私も中仙道の宿場町 板橋に住んでおりますが、宿場町的な雰囲気が残っております。

また中仙道木曽路あたりも 昔からの宿場町だったと云う風景が 
あちらこちらに見られますが、そう云った意味では番場宿は その風景が
残されていないのでしたら 少し残念です。


でも私も一度 このあたりを旅してみたいです。



さて、忠太郎が生まれました、この番場宿で、忠太郎が五つの時に夫から
去り状を渡され、泣く泣く わが子を置いて家を出なければならなくなった
忠太郎の母親、おはまの心中は 如何ばかりだったでしょうか?


その時以来 我が子供の事を思わない日々はなかったでしょうが、
かっての故郷からは、九つの時に子は死んだと聞かされ、
二十数年経って 現れた子供には 懐かしさより やはり
警戒の気持ち方が先に立つのでしょうね。


まして、父は違ったとしても忠太郎の妹が この母のそばに居れば・・・。

忠太郎が去った後、その妹のお登世が兄を思って云う言葉・・・。
その言葉に母 おはまは動かされます。

そして・・・・。


簡単に前半のあらすじをたどりましたが、

この後は、お芝居をご覧くださいませ(笑)

明治座で25日まで上演いたしております。




今日の写真は 我が子が訪ねて来て その苦衷を押し殺す母のおはま。

片岡 秀太郎さんです。

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関西に在籍の頃から 秀太郎さんには一方ならぬお世話をおかけし、
多大なる御指導を賜りました。


本来なら旦那とお呼びする所なのですが、どうも昔から秀太郎さんと
お呼びさせて頂いておりました。

私たちの楽屋での親しい呼び名は秀ぼっちゃんでした。(笑)


たとえ年上、先輩 雲の上の人であっても それを許して下さるお方です。(笑)

ありがたい事に未だに 延夫 延夫(本名)と 私を呼んで下さいます。


過去 若い頃にはぼっちゃんのご自宅で、うちわのたんから宴会をしたり
私は音楽ミキサー担当でした。(笑)

マージャンも致したり(笑)もちろん お稽古もですが・・・(笑)

そして過去の京都の素人顔見世の折には 私は助手として 坊ちゃんについて
指導担当の 各名士名連のお宅へお邪魔を致し 
歌舞伎の指導もさせて頂いた事もございました。


いつまでも変わらないお若さで、ここ最近 御一緒の舞台が多くなり
喜んでおります。

今日は御無理をお願いして 本日のご登場となりました。 

ありがとうございました。

今後とも よろしく御指導を お願い申し上げます。