西ベルリンの公演が終わり 向かった先、今度は公演最終地のオランダ
アムステルダムです。
西ベルリンから一旦、フランクフルトの空港へ国内線で出て そこから国際線への
乗り継ぎしました。
その中継地フランクフルトの空港でのことでした。
1便と2便に分かれ 私は1便でしたので すでに飛行機の中に居たのですが、
2便のチームはまだ別の飛行機に乗り込むために待合室で待機しておりました。
そこで思いがけなく爆破事件が起こったのです。
現場は待合室から少し離れたところだったのだそうで大事には至らなかったのですが、
爆破によってそこから逃げ込んでくる人、また 次にどこで爆発するかわからない状態、
さらに犯人がそこに居るかも知れない状態で 空港はかなりパニックに陥ったそうです。
2便のチームの出演者の中に元航空自衛隊出身の人が居て パニックに陥っている出演者に
すかさず「みんな 伏せろ~!」と叫び 出演者たちを促したそうです。
さらに自分は 子役さんを抱えてその場で伏せたそうで、後から話を聞いた猿翁旦那が
「さすがに、元自衛隊員だね。」と お褒めの言葉を頂いたそうです。
もし私がそこに居たとしても、何もできないまま おそらく立ち尽くすしかなかったと思います。
私たち1便も離陸時間を過ぎてもなかなか離陸せず、なんかあったのかな?状態でした。
この出来事の顛末は私たちがオランダに到着してから知ったのです。
幸い爆破だけで事がすみ 2次被害はなかったのですが、ドイツの冷戦を思わせる
テロの実情を身をもって体験しまして、冷や汗をかいた思いでした。
やはりここは海外だと。
正直、オランダの公演の様子は、色んな事があり過ぎてさすがに
あまり覚えておりません(笑)
2か月に渡る長期の公演の最終地ですので、疲れもあったのだと思いますし、
そろそろ、日本に帰りたいと思っていた気持ちも 大きかったのかも知れません
オランダ・アムステルダムは水の都だけあって素敵な街でした。
「アンネの日記」のアンネ・フランクが住んで居たと云われる住まいも外から見学した事と、
日本の吉原の雰囲気を残す「飾り窓の女」と云われるストリートには
好奇心から何人かで冷やかしと云う形で見学に行きましたね。
私は誓って中には上がっておりません(笑)
私は(笑)
幡随院長兵衛の台詞にあります阿波座烏 藪鶯 吉原雀の類です(笑)
でも洋の東西はあれ、吉原と云うのはこう云う所だったのだろうな~とは
思いました。
最後にドイツの劇場での大道具さんの様子
大道具さん 日本で転換を行うほどの大人数は同行できませんので
どうしても現地の劇場の大道具さんをお借りして 共同で転換などをして頂いておりました。
あちらの方が日本の屋台を作ったり壊したりする作業がとても新鮮で
力を貸して頂けるというのはとても頼もしく素晴らしい光景だなと思いました。
ちなみに官女の一番下手は段之さん 一番上手は私です(笑)
ここであちらの大道具さんのエピソードをひとつ。
吉野山や蔵王堂の桜が降って来る装置を準備する時、
私たちは散り花と呼んでおりますが ざるの駕籠に桜の花びらを入れたものを
ロープで天井へ持ち上げて タイミングを見て揺らすと降ってくる仕掛け。
(雪も同じですね。)
外人の大道具さんは天井につり上げる時には意味が解らず キョトンとしていました。
そしてきっかけになってロープを引っ張って揺らすと桜の花びらが
たくさん降って参ります。
この時にどこの劇場でも「オ~、ワンダフル! ブラボ~! ビューティフル!」と
声を出してびっくりして喜んでおりました(笑)
単純な仕掛けなのに、海外にはこういった大道具の使い方はないのでしょうね。
それと同じで幕の振り落としも、喝さいを浴びましたね(笑)
江戸時代の歌舞伎の大道具の発想が現代の全世界に通用すると云う事を
知らしめてくれました(笑)
これで今回の海外公演の1幕は終了です。
私にとって、最初の海外公演だけあって、この時の記憶が一番鮮明です。
しばらく幕間を頂いて機会がありましたらまた第2幕を
公開させて頂きたいと思います。
第1幕 1985年ヨーロッパ公演
1場 イタリア&スイス
2場 デュッセルドルフ&ウィーン
3場 西ベルリンで初宙乗り
4場 ベルリンの休日
5場 ドイツからオランダ
1日で書くつもりが、書き始めましたら、どんどんとエピソードが思い出されて参りまして
予想外に5場構成になってしまいました。
思い出話にお付き合い頂きましてありがとうございました。