1985年(昭和60年)の海外公演。

 

☆公演地☆
5月4日~7日
 ベニス(イタリア)  ラ・フェニーチェ劇場
5月10日~14日
 ミラノ(イタリア)  リリコ劇場
5月17日~19日
 ボローニャ(イタリア)アレナデルソーレ劇場
5月21日~24日
 チューリッヒ(スイス)シャウスピルハウス(市立劇場)
6月1日~2日
 デュッセルドルフ(西ドイツ)シャウスピルハウス(市立劇場)
6月5日~9日
 ウィーン(オーストリア) ウィーン劇場

 

《↓今日はここから 》


6月12日~18日
 西ベルリン(西ドイツ) フォルクスピューネ劇場
6月22日~23日
 アムステルダム(オランダ) 国際会議場ホール

 


オーストリア・ウィーンから飛行機で移動しまして 次の公演地は
西ドイツの西ベルリン。

 

もう若い方は歴史で習う出来事としてしか ご存じないと思いますが、
当時はまだ「ドイツ」と云う国はなく「西ドイツ」と「東ドイツ」という二つの国がありました。

 

また、以前に書きましたので、今回は割愛しておりましたが、時はソ連とアメリカの冷戦時代。

 

そもそも日本からイタリアに入ります時も、直通便なんてものはありません。

成田からアメリカのアンカレッジ、デンマークのコペンハーゲンを経由しまして、ようやくローマに。

その後に国内線に乗り換えましてベニスに到着と云う行程。


4月28日の21時30分に成田を飛び立ちまして、ベニス到着が29日13時50分。
時差を考えますとほぼ24時間かけての移動になりました。

・・・それ故、弁当6食事件が発生するのですが・・・(笑)

それもこれも、当時ソ連の上空を飛ぶことが出来ず、更に途中で給油が必要でした。
その後、北極圏を通って、ヨーロッパに行っていた事になります。
今では本当に考えられないですね。

 

 

話が少し逸れました。
そんなまだ「西ドイツ」だった時代の 西ベルリンでの公演。
ここでは、歌舞伎海外公演史上、初めての事が行われました。

 

フォルクスビューネ劇場で、初めて宙乗りが上演されたのです。

 

この2年後のパリのシャトレ劇場での宙乗りはテレビなどでも放送があり
古くからのおもだかや一門のファンのみな様はよくご存知かと思いますが
海外で初めて宙乗りが上演されましたのはここ、フォルクスビューネ劇場だったのです。


おそらく渡航前からかなり 色んな準備を進められたのでしょう、
私たちが劇場に入った時にはもう宙乗りの設備が出来上がっておりました。

そして舞台稽古で宙乗りのテストが行なわれたのです。

 

 

猿翁旦那は2階客席から様子をご覧になっておられました。


この宙乗り、一つ強烈に覚えている事があります。
ちょっと詳しく説明するのが難しいのですが・・・

 

まず、日本の宙乗りを見上げた時の事を思い出して下さい。

主に天井にロープが渡された状態で、そこに吊り下げられた狐忠信が、
宙「乗り」を致します。
その際に、歓喜?の動きで宙で跳ねます。

ロープのたわみや反動で、まさに飛んでいる様な、宙を泳いでいる様な。
そんな感じになりますよね。


ところが、この時の宙乗り。
日本とはそもそもの舞台(客席)構造が違います。宙乗りのための設備なんてございません

ロープを渡してはいたのですが、さらにその上にレールと台車のようなものがあり、
構造的には それで進んでいたのです。

 

見た目にはそんなに変わっていたのかはわからないのですが、宙で跳ねますと・・・
その振動がロープの上のレールに伝わり、

 

ガッチャン、ガッチャン、ガッチャン!!!

 

稽古の時には ものすごい金属音が響き渡った事を覚えております。

残念ながら、本番にはどうなったのかはわかりませんが、とにかく「何事?」
と云うような音が鳴った事は、忘れられません(笑)

 

本番に、音を軽減させる何かをしたのか、それとも歓声で気にならなかったのか。
それは、私は知るすべはありません

 

なぜか??

 

実は、ここにもう一つの「海外初」の物語があったのです。

 

宙乗りがあると云う事は、狐忠信が宙乗り用の装備(ハーネス)を着こむ間
吹替が登場する必要があります。

 

もうおわかりですね。
必然 私も登場すると云う事です(笑)


私猿三郎(当時は嵐延夫でしたが)初めての海外公演に参加させて頂きまして、
この西ベルリンの地で、人生初めての「海外吹替」を体験させて頂きました。

 

旦那の宙乗りが初めて。
と云う事は、それまでにも海外での『義経千本桜』の公演はやっておりましても
吹替が必要な事はなかったと思います。

また、自宅にあります『歌舞伎海外公演の記録』を見ておりましても、おそらく
吹替が登場しそうな演目はこの時までありません

 

と云う事は、この私の「海外初吹替」はイコール「歌舞伎海外公演初吹替」
になるのだと思います。違ったらごめんなさい。

 

その時はあまり意識しておりませんでしたが、今回このブログを書くに際しまして
色々思い出しておりましたら、もしかしてそうなのかなあ、そうだったんだと
今さらながらに ちょっと感動(笑)

 

 

実はこの時、私自身には、ある忘れられないハプニング?があったのです(笑)

場当たり稽古の時の事です。
この頃には、劇場は変わりましても、演目は同じままで一ヶ月以上たってましたので
各劇場では場当たり稽古のみで、本番通りの舞台稽古は、ほとんど行われて
おりませんでした。

 

そこで、仲間のみんなが結託して私を欺きました(笑)

 

「旦那、宙乗りのテストの後 お化粧をして 衣裳かつらをつけて 
初日通りの扮装で宙乗りの舞台稽古にのぞむみたいだよ。」

と云われましたので、焦ったのは私。

 

「え? それなら私も吹替なんだから 初日通りの拵えをしなきゃ~」
と慌てて楽屋へ戻り お化粧をして衣裳かつらをつけて客席に待機してました。
さすがに、旦那が初日通りの格好をされているのでしたら、私が素顔ではおられません

 

 

ところが旦那 この後 宙乗りの為に衣裳だけは着られましたが
お化粧もかつらもなし。

 

逆に私が扮装している姿を見て不思議がっておられました(笑)
旦那からしましたら「何?どうしたの?1人で張り切ってるの?」でしょうね。

 

まあ、この時の恥ずかしい事恥ずかしい事(笑)
穴があったら入りたい。って、入りますけどね。切穴に・・・。

すっかりと皆にかつがれてしまいました。
やらんでいい事で、無駄に必死に支度してしまったやんか!!


『四の切』の私の登場場面、場当たり稽古の場面ですが、貴重な映像が残っておりました。
しかも、これが海外初ですよ、海外初!!!

 

 

 

周りのメンバーがお稽古着なのにも関わらず、私が完璧な拵えをしているのは
皆に騙されたからです(笑)

 

でも、今改めて見ましたら、もしかしたら超貴重な映像だったのでしょうか。
これは 衣裳化粧ありだからこそ、価値がありましたね。

あの時は 担がれた!!!と思いましたが、今から思えばかついでくれてありがとう!
だったのかも知れません(笑)

 

この後 旦那の映像もあるのですが 素顔での衣裳姿 
やはりそれはちょっと憚れますので割愛させて頂きます。

 

 

ベルリンの公演は、基本Aプログラムでしたので、
鳥居前、渡海屋、船矢倉、大物浦、川連法眼館、奥庭、蔵王堂。

私は渡海屋の官女、川連法眼館の腰元、そして蔵王堂の僧兵。

それだけでも結構大変だったのですが、更に吹替も追加されましたので大変。

 

勿論、日本での公演では、度々やっておりましたので、初めてではないのですが、
腰元から吹替、吹替から僧兵、と大忙しの拵え替え。

 

そのため、本番の宙乗りの時に レールの音がしたのか、しなかったのか。
私には聞く事が出来ませんでした。

 

ガッチャン、ガッチャンという稽古の時の音が心に残った、西ベルリンでの
初の旦那の宙乗り、そして私の初の吹替でした。

 

記録上、旦那の海外初宙乗りと云う事は、残っているでしょう。

ですが、同時に私による海外初吹替だったという事も、今ここに記しておきます。