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全国ご当地エネルギーリポート!

-エネ経会議・特派員:ノンフィクションライター高橋真樹が行くー

山崎木工が開発した木製サッシ(提供:山崎木工製作所)

 

住宅の温熱環境は、窓の性能によって大きく左右されます。最近の新築住宅では、窓のサッシの素材にアルミではなく断熱性の高い樹脂性が用いられることも増えてきました。

 

また、欧米ではさらに性能が高くデザイン性も優れた木製サッシが広く使われています。しかし、木製サッシは日本ではまだまだ一般的ではありません。

「日本は森林大国ですが、木製サッシ開発では大きく遅れをとってきました」。そう語るのは山崎屋木工製作所の代表、山崎慎一郎さんです。山崎屋木工は、長野県千曲市に拠点を構える地場の木工家具屋として、50年以上に渡りさまざまな家具や建具などを製造、販売してきました。

2011年から木製サッシの開発を始めた山崎さんは、試行錯誤の末に世界トップクラスの性能を誇る窓を完成させました。家具屋さんがなぜサッシ開発を初めたのでしょうか?

 

また、地場の中小零細企業が、世界トップレベルの木製サッシをつくることができた理由は何でしょうか?今回は省エネルギー社会のカギを握る、窓について考えます。

 

木製サッシのサンプルと山崎慎一郎さん

 

◆トピックス

・木製サッシはうちがやることじゃない

・家具とサッシはまるで別モノ

・地域産材で世界最高性能をめざす

・90%の人が木製サッシを知らない日本

 

◆木製サッシはうちがやることじゃない

 

「木の可能性を探りたい」。そう考え続けてきた山崎慎一郎さんは、2年に一度ドイツのハノーファーで開催される世界最大の木工機械の展示会に、必ず出かけていました。

 

広大な敷地に、欧州の最新式の機械がずらりと並ぶ中には、木製サッシのコーナーもありました。しかし2011年以前は、その前で足を止めることはありませんでした。「木製サッシなんて、うちがやることじゃない」と考えていたからです。

 

木製サッシと聞いた山崎さんが、思い浮かべていたイメージがあります。中学時代を過ごした長野の木造校舎の寒さです。冬には気密性のない木枠の窓から冷たい風だけではなく雪までが吹き込み、廊下にはうっすら雪が積もっていたそうです。

 

そんなイメージを変えるきっかけとなったのが、2011年に起きた東日本大震災でした。特に大規模な被害をもたらした原発事故には、衝撃を受けました。

 

山崎さんは、エネルギーをつくるためにあれほど危険な物が全国に数多くあることに疑問を感じます。そしてそこから、エネルギー問題に深い関心を抱くようになりました。

 

サッシと同様に開口部である木製ドアも断熱性の高い仕様で製作(提供:山崎木工製作所)

 

震災の2ヶ月後、山崎さんは改めてハノーファーの展示会に足を運びました。すると東京ビッグサイトが2つ分くらいの巨大なスペースで、木製サッシをテーマに展示が行われていました。「なぜこれほど注目されているの?なんで今さら木製サッシなの?」。驚いた山崎さんが調べると、展示されている木製サッシは自分が知っていた木の窓とはまるで別物であることがわかりました。

 

木製サッシには、アルミサッシにはない数々の特徴があります。例えば、熱伝導率はアルミと木では約2000倍の差があります。そのため結露が起こりにくく、窓の気密性がきちんとしていれば冬は室内が寒くなりません。そして、省エネにもなります。

 

日本の住宅は窓の性能が悪く、冬は窓を中心とする開口部から多くのエネルギーが逃げていますが、木製なら熱を逃しません。山崎さんは、知れば知るほど、木製サッシが木の可能性を最大限に活かしている製品だと確信しました。

 

「それまで私は色眼鏡をかけて見ていたんですね。木製サッシを普及させれば、快適性を上げ、ヒートショックなど寒さによる健康被害を減らせます。また、日本が抱えるエネルギー問題を大きく改善することができる。さらに、サッシを国産材でつくれば、地域の環境保全や経済循環にも貢献することができます。もうこれは、うちでやるしかないと決断しました」。

 

山崎屋木工の、世界トップクラスの木製サッシをめざす挑戦が始まりました。

 

木製サッシと木製ドアはデザイン性も高い(提供:山崎木工製作所)

 

◆家具とサッシはまるで別モノ

 

山崎屋木工の工場に最新鋭のイタリア製工作機械が届いたのは、2011年の12月のことです。従来の機械は、刃物が回転する所に手などで木を運んで削るタイプなので、どうしても精度が曖昧になることがあります。

 

CNCマシニングの機械

 

このCNCマシニングという機械は、材料を固定して、コンピューターでデザインした通りに刃物が木の回りを動いて整形していく機械なので、複雑な加工を簡単にできるようになりました。3Dプリンターの木工版というところでしょうか。

 

この機械を仕入れたのは、山崎屋木工が日本で初めてとなりました。もちろん、機械だけでサッシができるわけではありません。

 

まずCNCの刃物はそれぞれ完全特注で、1本数百万円する高価なものです。1つの刃物では同じタイプのサッシしか削れないので、様々なタイプの窓を開発するため、数十本もの刃物を仕入れて試行錯誤を繰り返す必要がありました。

 

複雑な加工ができる専用の刃物は、一本で数百万円のコストがかかる

 

家具づくりについてはこれまでノウハウを積み重ねてきましたが、サッシづくりは材料が木であるという点を除けば、まるで別の製品でした。「家具は、主に室内に置く製品です。でも窓は外部と内部を結ぶもの。木に与えるストレスはまるで違います。いままで勉強してきたことをいったんゼロにする覚悟で挑みました」。

 

山崎さんが言うように、加工の仕方だけでなく、木の仕入先、製品の販売先、メンテナンス方法、そして営業の仕方などすべて異なっていたのです。当初は家具の売上に依存しながら、少しづつ加工のノウハウを高めていきました。

 

◆地域産材で世界最高性能をめざす

 

翌2012年には建築家の方から声がかかり、環境省の地球温暖化対策技術開発・実証研修事業に参加し、高性能木製サッシの開発に3年間参加することになりました。山崎さんは、そのプロジェクトで、熱貫流率0.5以下の窓をつくって欲しいとリクエストを受けます。

 

熱貫流率とは、数値が低いほど断熱性能が高いことを示す数値です。単位は「W/㎡・K」で表され、1m2当たり、かつ1時間当たりに窓を通す熱量を示します。熱還流率0.5を達成することは、日本の窓の現状を考えれば大変なことでした。

 

世界各国は、窓の性能について最低基準を設定しており、それ以上の数値の窓は原則として使用禁止とされています。例えばドイツでは、熱貫流率が1.3以下の窓しか使用できません。

 

木製なら大開口も自由に設計できる(提供:山崎木工製作所)

 

一方で、日本には窓の性能の最低基準が存在しません。既存住宅のおよそ8割を占めるとされるアルミサッシとシングルガラス(ガラス1枚)の窓の数値は6.5ですが、今でもこのような低性能な窓を販売することが許可されています。

 

最近では新築戸建住宅ではガラス1枚の窓はなくなりましたが、ペラガラスであってもサッシがアルミなら数値は4・65程度です。より性能の高いアルミと樹脂の複合サッシとペアガラスの組み合わせなら2・33になり、日本では最高等級(4つ星)と認められます。

 

しかしドイツの最低基準が1・3であることでもわかるように、日本の最高等級の窓は、欧州の多くの国では最低レベル、もしくは使用禁止のレベルでしかありません。

 

山崎さんは、ドイツの窓の研究所などを訪問しながら、超高性能木製サッシの開発を続けました。わかったことは、レベルの高い数値を出すためにはガラスが最低でも3枚は必要であること、そしてガラスとガラスの間の空気層は15ミリから16ミリがベストであるということでした。ガラスそのものの厚みもあるので、必然的に窓全体の厚みは80ミリになりました。

 

木製サッシをふんだんに活用した幼稚園(提供:山崎木工製作所)

 

そうした工夫を重ねて、3年後の2015年にはガラス4枚を並べた熱貫流率0.5を下回る超高性能木製サッシを完成させることができました。その研究を活かして製作した現在の主力商品は、ガラス3枚で熱貫流率は0.84程度で、国内最高水準の高性能窓となっています。

 

山崎屋木工の木製サッシに使われている木は、カラマツとヒノキ、レッドシダーの3種類です。いずれも水に強い材で、湿気が高く雨や台風の多い日本には適しています。

 

製品の8割を占めるのは長野県産のカラマツとヒノキです。また、独特の風合いのあるレッドシダーも根強い人気があり、北米から輸入しています。木材は、製品になってから動いたりねじれたりすることがありますが、素材を扱うメーカーと相談しながら、乾燥や加工に工夫をこらし、製品になってから変化しにくい木材を開発してきました。

 

◆90%が木製サッシを知らない日本

 

木製サッシの特徴は、高さ数メートルにも及ぶ大きな窓でもつくれることです。決まったサイズのものしかつくれないアルミや樹脂のサッシとは異なり、オーダーメイドの大開口や、高いデザイン性に魅力を感じるユーザーが増えています。

 

工場には、所狭しと大型の窓枠が並ぶ

 

そのため公共施設や軽井沢の別荘地などを中心に売上は伸びていて、最近では家具の売上を越えるようになってきました。来年度には、木製サッシ専用工場を建てる計画も進んでいます。木製サッシの開発を始める以前は4〜5人だった社員も、いまでは15人になっています。

 

一方で課題もあります。ひとつはコストの高さです。現在はほとんどオーダーメイドで受注しているため一概には比較できませんが、同じ規格で大量生産をしている樹脂サッシや海外製の木製サッシとの価格差は、小さなものではありません。

 

エネルギー問題の改善や健康被害をなくすために、さまざまな立場の人に使ってもらいたいと考える山崎さんは、規格を決めて数を増やし、少なくとも輸入されている海外の木製サッシと同等かそれ以下の価格を実現したいとしています。

 

2017年に完成した山崎木工のショールーム(提供:山崎木工製作所)

 

その際に高い壁となるのは、木製サッシの存在が知られていないことだと山崎さんは言います。

 

「木製サッシは、ドイツでは30%くらい、北欧では60%を超えて使用されています。でも日本は1%未満です。欧州では誰もが知っていて選択の対象になっていますが、日本では10%くらいの人しか知りません。そのうち1割の人が実際に使っているという状況です。私もいろいろな所にサッシのサンプルを持っていきますが、一般の方からは『これは何ですか?』という反応を受けます。窓だとわからないんですよ。良い製品を開発するだけでは広がりません。存在を知らない90%の人に働きかけて、使ってもらう人を1%からまず2%に増やす努力をすることが必要です」。

 

工場の隣には、山崎屋木工が2年前に建てた洗練されたショールームがあります。床や壁はもちろん、木製の高断熱ドアや、おしゃれなインテリアなど、すべて社員が地域産材を加工してつくった製品に囲まれたスペースです。

 

ショールーム内は、山崎木工の技術力がわかる木製品や家具で溢れる(提供:山崎木工製作所)

 

欧州でどんなに小さな企業でも、大企業に気後れすることなく自社製品を堂々とアピールしている姿を見て、刺激を受けた山崎さんが発案しました。「会社の規模とか、どれだけお金をかけたとかは関係ないんだと。何をやりたいかという心意気を見て欲しい、そういう思いが大事なんだろうなということを学びました」。

 

そこからは、世界レベルの木製サッシをつくり、エネルギー問題を改善したいという地場の木工屋さんの誇りを感じることができました。まずは多くの方に「木製サッシ」という選択肢があることを知ってほしいと思います。

 

なお、筆者の友人が長野市内で山崎屋木工の木製サッシとドアを使った家を建てました。こちらのレポートも合わせてご覧ください。

 

◆お知らせ:ご当地エネルギーの映画「おだやかな革命」上映中!自主上映会も募集しています

日本で初めてご当地エネルギーの取り組みを描いたドキュメンタリー映画「おだやかな革命」(渡辺智史監督)が2018年に公開、その上映はまだまだ続いています。当リポート筆者の高橋真樹は、この映画にアドバイザーとして関わっています。

詳しい場所と日程は映画のホームページの「劇場情報」、またはFacebookよりご確認ください。また、自主上映会も募集中です。ご希望の方は、ホームページよりお問い合わせください。

 

このたびの台風19号により被災された皆さまに、お見舞い申し上げます。

 

筆者自身も、近くの川の水位が上がり、危険を感じて一時的に避難しました。結果的に被災は免れましたが、数キロ先では川が氾濫を起こして家々が水没した地域もありました。

 

台風の大型化には、確実に海水温の上昇など気候変動の影響が見られます。少しでもその被害を少なくするために、自然エネルギーや省エネを始めとした取り組みを進めていく必要があります。国レベルでの取り組みが重要になってきますが、地域レベルでやるべきこと、やれることはまだまだたくさんあります。ぜひご当地エネルギーレポートを参考にしていただけると幸いです。

 

さて今回取り上げるのは、日本でもっと増やしていかなければならない自然エネルギー電源のひとつ、風力発電所です。米どころで知られる山形県庄内地方。中でも、日本海に面する港町の酒田市は、江戸時代には米の大集積地として、北前船の交易の拠点となり繁栄しました。この酒田で地域に根ざした事業を続けてきた加藤総業が、風力発電事業を手がけています。東日本大震災以前から、地域の風を活かして風車事業に取り組んできた加藤総業のこれまでを振り返ります。

 

加藤総業が酒田の海岸に設置した酒田第二大浜風力発電所と加藤聡さん

 

◆トピックス

・山形県庄内地域の地元資本による風車建設

・酒田の強い風が地域資源に

・やってきた再エネの時代

・収益の一部を地域に還元

・地域でお金をめぐらせる仕組み

 

◆山形県庄内地域の地元資本による風車建設

 

加藤総業は、1899年に金物商として創業、その後、関東や関西などとの中央からの商品取引を重ねながら建設資材販売の卸会社として発展してきた老舗です。「日本の良い物を、付加価値を付けて地方に届ける」というコンセプトのもと、120年の伝統を築いてきました。

 

加藤総業の4代目社長である加藤聡さんは、自社が風力発電事業を始めた理由は特別なことではなく、事業としてごく自然な成り行きだったと言います。

 

「うちの会社は、近代建設の3要素と呼ばれるセメント、鉄、ガラスという商材をまんべんなく取り扱って、住宅から大型施設の建設ニーズに対応してきました。風力発電施設も会社の本業である建設工事ですから、その流れで設置したものです。風車の基礎には、生コンクリートや鉄筋といったうちの主力商品が使われています」

 

加藤総業の受付にも風車のモニュメントが

 

加藤総業が風力発電事業への参入を計画したのは2002年頃から。山形県では風力発電に取り組んだ初の地元企業となりました。2005年には、酒田市で3基の風車を稼働させたのを皮切りに事業を拡大。2019年4月現在は庄内地方で稼働する37基の風車うち、半数近くの16基が加藤総業グループのものになっています。

 

◆酒田の強い風が地域資源に

 

加藤さんが風力事業を手がけた背景には、地域の衰退をなんとかしたいという思いがありました。2000年に12万人だった酒田の人口は、2019年現在は10万人を切ろうとしています。さらに今後は、急激な減少が続くと見込まれています。加藤さんはそんな中、地域の仲間たちとともに、商店街の活性化といったまちづくりに取り組んできました。

 

「人口減少は、地域の衰退そのものを意味しています。いまは町の中心市街地は人通りもまばらですが、私が子どもの頃は街なかに人がいっぱいでした。簡単ではありませんが、少しでも賑わいを取り戻せたらと思っていろいろやっています」(加藤さん)

 

大学時代は東京で過ごした加藤さんは、1995年に家業を継ぐために酒田に戻り、2000年に社長に就任します。そして次第に公共事業が中心の建設需要が減少していく中、これまで通り建設業だけに依存した経営をしていては、地域も会社もやがて行き詰まるのではと危機感を感じます。それが新しい分野である風力発電事業につながりました。

 

「新事業を立ち上げようと考えた際に、例えば飲食業とか、うちの会社がこれまでやってきたこととはかけ離れた事業をやるのは違うのではないかと考えました。これまで商いを続けてきた建設関連の商材を使って、何かできないかと思ったのです」

 

ちょうどその頃、酒田港で大手商社が風力発電事業を始めるという話が出ていました。風力発電事業者は、地元で協力してくれるパートナー企業を探していたため、加藤さんは名乗りを上げます。その事業者は風力発電事業をいくつも手がけていたため、加藤さんは一緒に事業を進めながらノウハウをを学べると考えたのです。

 

周囲からは「よくわからない事業に手を出して大丈夫か?」と心配されましたが、加藤さんには地域の風の強さを活かせばビジネスになるという確信がありました。風車を回すには風が必要ですが、風が強すぎても故障につながってしまいます。その点、山形には台風が直撃する可能性が低いので、風車にとって都合が良いというわけです。

 

加藤総業は、話を持ってきた事業者と協力して、2005年に最初の風車となる「庄内風力発電所」3基(出力は各600キロワット)を酒田市に設置します。

 

酒田第二大浜風力発電所(出力1,990Kw,2013年1月に運転開始)

 

さらに東日本大震災の前までに、酒田市と隣接する遊佐町(ゆざまち)の海岸線沿いに8基の風車を建設しました。いずれも1基あたりの風車の出力は、最初の設備を大きく上回る2,000キロワット程度のものです。

 

当時は、送電線を握る東北電力が風力発電の電力に使える枠を制限し、風車を建てたいと考えている事業者にその枠を競わせるくじ引きが行われていました。風車建設に関わる他の準備がすべてできていても、くじ引きに当選しないと風車が建てられない(=送電線に電気を流せない)という状況にあったのです。

 

加藤さん自身も何度もくじに外れ、ここまで数を増やすまでには他社と協力するなど、相当な苦労があったと言います。また当時は売電単価も低く見積もられ、やっとのことで設置できても収益は決して多くはありませんでした。しかし、そこでノウハウを積み上げてきたことが、震災後の躍進につながりました。

 

◆やってきた再エネの時代

 

東日本大震災の前から積極的に風車を建ててきた加藤さんですが、それでも2011年に起きた津波と原発事故には大きな衝撃を受けました。

 

「震災が起きた時はちょうど仙台にいました。ついさっきまでいたところが津波で流されて、自分もひょっとしたら死ぬのかなと感じました。それから強烈だったのは原発事故です。あんなことになる原発は本当に必要なのでしょうか?でもその代わりに化石燃料による火力発電所かというと、それも厳しい状況です。再エネの時代がやってきたことは間違いないかなと確信しました」

 

酒田市にある加藤総業の社屋

 

震災のあと、これまで採算面で厳しい状況だった風力発電事業に2つの追い風が吹きます。ひとつは、再生可能エネルギーの固定価格買取制度(FIT)が定められたことです。これにより、事業者に参入しやすい価格で20年間にわたって再エネの電力を買取ってもらえることになりました。同時に、既存の設備にもこのFIT制度が適用されるようになったことで、風力発電事業は安定した収益を上げることができるようになりました。

 

もうひとつは、山形県の吉村美栄子知事が原発事故の後「卒原発」を掲げ、「山形の再エネを増やし、原発1基分に相当する電力をまかなう」と宣言したことです。これにより、山形県内の再エネを後押しする補助金や、低金利で大きな資金を貸し付けてくれる制度が整備されるなど、風力発電事業をしやすい環境が整えられました。

 

◆収益の一部を地域に還元

 

加藤総業は、風力発電を始めとする事業収益の一部を、地域や学校に寄付するなど、地域に還元しています。2017年には11基の風車が建つ遊佐町の防災まちづくりセンターに、太陽光発電と蓄電池を無償で貸与しました。これにより、災害等で停電になっても72時間程度はセンターの電力が確保できます。また、加藤総業が出資している遊佐町に建てた風力発電の事業会社からは、町に毎年一定の寄附を行っています。寄附金は、防風林の保全や森林管理に活用されています。

 

さらに2019年3月には、地域の子どもたちに役立ててほしいと、遊佐町の全小中学校(計6校)に教育用品を寄贈しました。これは、山形銀行に発行してもらった学校寄付型私募債(夢みらい応援私募債)を利用したものです。教育用品の内容は、体育用品やDVDプレーヤー、そして山形交響楽団の演奏する「モーツァルト交響曲全集」のCDセットなどです。モーツァルトのCDを寄贈した理由は、加藤さんが学生時代にトランペット奏者をしていたこと、そして現在も山形交響楽団の理事を務めていることに関係しています。

 

蔵を改装した観光施設「酒田市観光物産館」。立ち並ぶ蔵の一部は、今も現役の農業倉庫として利用されている。

 

とはいえ、大型設備である風車は近隣住民の迷惑になる場合もあります。これまでも数は少ないながら、「風車の音が気になる」との声もありました。そのような家庭には、防音対策のための内窓を設置したり、夏に窓を閉めて過ごせるようエアコンを設置するなどの対策を取ってきました。

 

酒田には、大手企業が手がけた別の風車もありますが、その中の1基は最近になって外国資本に転売されました。そのようなことがあると、何かあったときにきちんと対応してくれるのかと、地域には不安が残ります。加藤総業の風車は、地元で長年事業を手がけてきた会社が手がける風車として、地域の安心感にもつながっているのではないでしょうか。

 

◆地域でお金をめぐらせる仕組み

 

日本の再エネは、この数年で急速な成長を見せました。しかし、風車建設を取り巻く環境は再び厳しいものになりつつあります。電力の買取価格は低下しはじめ、風車の適地を探すことも難しくなりました。そして何より、東北電力が「送電網の容量がいっぱいなので、再エネの電気を少ししか受け入れられない」と宣言する状況になっています。新規案件に着手するハードルは上がっていると言えるでしょう。それでも加藤さんは、チャンスがあれば新たな風車を増やしたいと考えています。   

 

「風力発電事業をやる一番の理由は、もちろん会社の仕事としてです。私は経営者として社員にご飯を食べさせていかないといけませんから。でもだからといって稼げれば何でもいいというわけではありません。時代に合わせてビジネスを選んでいくのは当然のことです。風力発電は、庄内の風の強さをメリットにできる。地域資源を活かした電源開発ができることは、一定の社会的な意義があるはずです」

 

 

社会に害を及ぼさない事業で地元の雇用を維持することも、立派な地域貢献です。加藤総業の社員はおよそ50名、グループ会社まで含めると100名ほどです。地元の風で電気をつくる風力発電が地域に雇用を生んでいることになります。

 

それだけではありません。2017年に建てられた風車は、地元の山形銀行のみから融資を受けています。地元の銀行の資金で地元業者が工事を手がけることによって、地域にお金が循環することになります。そこには、都市部や外国の企業が単に風車を建てて収益を持っていくだけの事業とは異なる価値があるのではないでしょうか。

 

ご当地エネルギーの取り組みの基本は、「地域のエネルギーを使って地域で経済を回す」ことです。それを実現するのは簡単ではありませんが、加藤総業の風力発電事業は、そのひとつの形を体現していると言えるかもしれません。

 

◆お知らせ:ご当地エネルギーの映画「おだやかな革命」上映中!自主上映会も募集しています

日本で初めてご当地エネルギーの取り組みを描いたドキュメンタリー映画「おだやかな革命」(渡辺智史監督)が2018年に公開、その上映はまだまだ続いています。当リポート筆者の高橋真樹は、この映画にアドバイザーとして関わっています。

詳しい場所と日程は映画のホームページの「劇場情報」、またはFacebookよりご確認ください。また、自主上映会も募集中です。ご希望の方は、ホームページよりお問い合わせください。


東日本大震災と原発事故により観光客が激減し、危機に陥った福島県土湯温泉町。地元の人たちは、町の再建をめざして「株式会社元気アップつちゆ」を立ち上げます。そして小水力発電所の取り組みと並行して、世界でも珍しい温泉発電の事業化をめざしました。苦労を乗り越え、発電所が完成した現在は、発電所から発生する熱を活かしてエビの養殖を手掛けるなど、ユニークな地域活性化を始めています。ご当地エネルギーで復興をめざす、土湯温泉のいまをお伝えします。

 

※元気アップつちゆの記事前半はこちら「危機にある温泉街を再エネの里に!」

 

土湯温泉の温泉発電所

 

◆  トピックス

・温泉発電の仕組みとは?

・町の未来を切り開くために

・前例のない事業へのハードル

・温泉発電を利用したエビの養殖

・戻ってきた観光客

 

◆温泉発電の仕組みとは?

 

温泉発電は地熱発電の一種で、気候に左右されず24時間発電することができるものです。一般的な地熱発電は、地下深く井戸を掘り、大量の電力を生み出す一方、開発に時間と莫大な費用がかかるため、大手企業しか建設できません。また、環境への負荷も大きくなります。

 

温泉発電の場合は、基本的には地表に湧き出す温泉や蒸気を使って発電するため、地熱発電ほど多くの電力を得ることはできませんが、コストが安く、環境への影響も少なくなる傾向があります。

 

ご当地エネルギーリポートでは以前、長崎県雲仙市にある「小浜温泉エネルギー」の事業化に向けた取り上みを紹介しましたが、温泉発電にはさまざまな課題もあり、まだ事業化をしている例は多くありません。

 

そんな中で土湯温泉は、温泉組合が管理する4つの源泉のうちひとつを使い、出力およそ400キロワットの温泉発電所をつくる計画を2011年に立ち上げます。

 

2015年、設備の完成前の工事中の様子。右の茶色い筒状の設備が源泉。

 

温泉発電は、正式には「温泉バイナリー発電」と呼ばれます。「バイナリー」とは2つのものを組み合わせるという意味で、沸点の異なる2つの液体の温度差を利用して蒸気を発生させ、発電するものです。

 

土湯温泉は、ひとつは温泉水、もうひとつは沸点の低いノルマンペンタンという液体を使っています。土湯の源泉は139℃の高温です。ノルマンペンタンは 36度で沸騰する性質があり、高温の温泉水と熱交換すれば蒸気に変わります。その蒸気の力でタービンを回す仕組みです。ノルマンペンタンはその後、10℃の冷たい湧水で冷やされ再び液体に戻るので、何度でも繰り返し使用できます。また、発電に使った温泉水はやや温度が下がるだけなので、温泉旅館で使うことが可能です。

 

◆町の未来を切り開くために

 

一般的に温泉地では、地熱発電の開発が温泉に影響を与えるのではないかとの懸念から、温泉関係者らが地熱開発に反対することがあります。温泉発電は大型の地熱発電に比べて環境負荷が少ないとはいえ、それでも地元から反対されるケースもあります。土湯温泉が事業化に成功した背景には何があるのでしょうか?

 

ひとつは、震災や原発事故のもたらした危機感が大きかったことです。いま行動を起こさないと地域が存続できない状況を受けて、思い切った決断がしやすかった面があります。また、事業の主体を担ったのが行政や外部の組織ではなく、地元の温泉組合や観光協会といった地域の人々だったこともプラスに働きました。

 

事業化の準備を始めた2011年当時は、自然エネルギーの分野に新規事業者が続々と参入していました。土湯温泉でも、発電プロジェクトを担いたいという外部の企業がいくつも現れました。事業者に任せるのは楽な道ですが、土湯温泉はリスクを取って地域の力で事業を進めると決めました。町の未来を自分たちで切り開く姿勢が、町民からの信頼を得ることになりました。

 

温泉発電所の竣工式。右から3人目が元気アップつちゆの加藤勝一社長

 

また物理的な理由としては、温泉の泉質が発電に向いていたことも挙げられます。温泉発電の事業化をめざす他の地域では、温泉の成分に含まれるスケール(いわゆる「湯の花」)と呼ばれる白い結晶が、パイプの中で固まり詰まる現象に頭を悩ませている所もあります。土湯温泉では、スケールの成分が比較的少なく、発電にはほとんど支障がありませんでした。設備完成後のメンテナンスでも、スケールの掃除は2年に1度ほどで済んでいます。

 

◆前例のない事業へのハードル

 

しかし発電事業に何のノウハウもなかった地元の人たちにとって、温泉発電を実現するまでの道のりには、高いハードルがそびえていました。

 

小水力発電の際も、行政の手続き関係書類の申請などには頭を悩まされましたが、温泉発電はさらに事例が少なく、元気アップつちゆの加藤勝一社長を中心に仕組みを一から学び、国や自治体への複雑な許認可の申請や交渉をひとつひとつクリアしていかなければなりませんでした。行政の側にルールがない場合は、そのたびに粘り強く交渉をして事態を切り開いていきました。

 

また、温泉発電の設備はアメリカ企業に発注することになりましたが、量産化されていないため、工事費と合わせたコストが7億円近くかかりました。発電所建設の主体が地元の人々であることは、将来のまちづくりにとっては大切なことです。しかし事業主体が新しく立ち上がった組織のため、事業資金の調達は困難を極めました。

 

金融機関からは、実績も担保となるものもなく、事業評価ができないことなどから、融資を受けるのは簡単ではありませんでした。最終的には、債務の8割を担保する債務保証を取り付けたことで融資を受けることが決まりました。全体事業費の内の1割を国の補助金で、9割を金融機関からの融資でまかなうことができました。

 

行政との手続きや交渉、そして資金調達の難しさにより、設備完成のスケジュールは3度の遅延を迫られました。稼働がようやく始まったのは、発電所の計画から3年が経った2015年の11月のことです。

 

元気アップつちゆの加藤勝一社長。エビの養殖水槽を前に

 

苦難を乗り越えて設備を完成させた加藤勝一社長は、稼働開始後は順調だと言います。「稼働から3年以上経ちましたが、ほとんど止まることはなく、稼働率90%以上で動いています。売電収入を活かして、町の復興の柱として活用したいと思います」

 

この温泉発電所の年間の発電電力量は、およそ26万キロワットアワー。一般家庭およそ700世帯分の電力をまかなっています。売電収入は固定価格買取制度により、キロワットあたり40円で15年間買ってもらいます。今後も順調に発電すれば、10年以内に金融機関からの借り入れ分を返済できる予定です。

 

◆温泉発電を利用したエビの養殖

 

発電の際に排出される温められた水を利用して取り組んでいるのが、オニテナガエビの養殖です。発電所の収益の一部を活用して、2017年に建設されたビニールハウスでは、およそ3万尾のオニテナガエビを養殖しています。淡水で養殖できる様々な生き物の中から、土湯温泉の観光資源として活かせるように、この東南アジア原産の淡水エビを選びました。なお、特注の水槽は国の補助金で設置されました。

 

「このエビは、比較的成長が早く、食べても美味しいという特徴があります。また、ザリガニと同じように釣りができるのでイベントを開催できる。そこでこのエビを育てることにしました」(加藤さん)

 

完全養殖が難しいとされるオニテナガエビ

 

オニテナガエビの養殖は難しく、全国でもあまり事例がありません。理由のひとつは水温管理の難しさです。オニテナガエビは繊細で、適温が26℃から27℃の間と狭く、20℃以下でも30℃以上でも死んでしまいます。その温度管理を重油を使って行うと採算がとれなくなってしまいます。

 

土湯温泉では、無料で手に入る温水資源を有効活用しています。発電所では、ノルマンペンタンの冷却水として10℃の湧水を使用しています。熱交換したあと、湧水は21℃に温められて排出されます。そのままではエビの養殖には5℃低いので、70℃程度の温泉の熱で再び熱交換して温め、26℃から27℃に上げて使用しています。

 

水温は厳密に管理されている

 

養殖の2つ目の課題は、共食いです。エビは脱皮して成長する際、3分ほど動きが緩慢になり、周囲のエビに襲われてしまいます。現在は、プラスチック製の花の苗を入れるケースを積み、隠れ家をつくることで、安全に脱皮ができる対策を施しています。

 

温度管理と共食い対策などさまざまな工夫を重ねても、食材として使えるまで順調に成長するのは、いまのところ全体の3割くらいとのことでした。2018年からは、週末に温泉街の空き店舗に仮設の釣り堀を設置、エビ釣りイベントを開催しています。ひとり3尾まで釣ることができ、その場で焼いて食べるイベントは好評で、1ヶ月に1000尾近くが利用されています。

 

エビを釣ってその場で焼いて食べるイベントは好評(提供:元気アップつちゆ)

 

「将来的には地元レストランなどにも提供して、地域の名産にしたいと考えています。養殖している所が少ないこともあり、県外の居酒屋やホテルなどからもオファーがあります。でもいまは、地元での消費が精一杯でよそに提供できません。今後は施設を拡大して数を増やしつつ、一尾あたりの単価も下げられればと考えています」(加藤さん)

 

ビジネスとしての模索は始まったばかりですが、温泉発電の余った水を段階的に利用するカスケード利用として、エビの養殖事業はユニークな取り組みと言えるでしょう。

 

養殖のためのビニールハウスは2019年9月現在は2棟

 

◆戻ってきた観光客

 

元気アップつちゆは、その他にも売電収入の一部を地域貢献事業にあてています。設備の初期投資にかかった費用を返済することが優先ですが、加藤さんたちには、少しでも早く地域貢献に回したいとの気持ちがありました。そこで、まずは会社を設立する際に出資をもらった温泉組合と観光協会に配当という形で資金を還元し活性化に役立てています。

 

また売電収入の一部を使い、車の免許証を持たない人や高齢者を対象にバス定期券代を無料にするサービス「土湯温泉足軽サービス」を始めました。バスは頻繁に往復する福島市街と土湯温泉の間を行き来する便で、利用者にはとても喜ばれています。また、「土湯温泉通学マイロードサービス」と名付け、福島市内に通学する子どもたちのために定期券の寄贈も行っています。

 

残念なニュースもありました。土湯温泉町には、小学校がありましたが、児童数減少のため2019年3月をもって休校となり、2020年には廃校となる見込みです。元気アップつちゆでは、売電収益を使って児童の給食費と副教材費を無償にすることで家庭の負担軽減を図り、児童の増加を目指すサポートをしてきました。しかし、児童が増えることにはなりませんでした。

 

一方で、観光客は一時の落ち込みから震災前と同じ年間約26万人にまで回復しています。また震災前に16軒だった温泉宿は、その後11軒にまで減りましたが、2019年9月現在は、3軒増えて14軒にまで戻っています。

 

 

 

その中で、温泉発電も地域経済に貢献しています。地熱発電が盛んな九州を除けば、これだけの規模の温泉発電所を事業として成功させている所は少なく、県の内外から行政や大学関係者、温泉地の人々など、年間およそ2500名の見学者が訪れ、その半数以上が温泉街に宿泊しているとのこと。

 

「新しい取り組みをメディアで取り上げていただくことも増えています。今後は、こけしや温泉に加えて再生可能エネルギーパークとしても親しんでいただければいいですね」(加藤さん)

 

こじんまりとした温泉街にはあちこちに足湯と名物のこけしの姿が

 

危機を迎えた温泉街の人たちが、ほとんど前例のない温泉発電に挑戦した土湯のプロジェクト。幾多の苦労を乗り越えながら、地域が主体になることにこだわってきました。だからこそ、発電所の収益を地域のもっとも必要なことに活用できています。発電することが目的ではなく、地域活性化のために地域の資源を活かす。これこそが、ご当地エネルギーの原点です。元気アップつちゆの取り組みを、今後も注目していただければと思います。

 

※元気アップつちゆの記事前半はこちら「危機にある温泉街を再エネの里に!」

 

◆お知らせ:9/29「おだやかな革命サミット」を開催!当日チケットは残りわずか!

 

 

全国で立ち上がったご当地エネルギーの取り組みを取り上げたドキュメンタリー映画「おだやかな革命」が各地で上映されています。9月29日、映画出演者らを東京にお呼びし、エネルギーやまちづくりに興味のある人々と交流を深めるイベント「おだやかな革命サミット」を開催します。地域の自立のための新しい動きを、さらに広げるためにぜひご参加下さい。

詳しい情報とチケットはこちらから

 

※ご当地エネルギーリポートの著者である高橋真樹は、映画「おだやかな革命」のアドバイザーを務めています。