福島県にある土湯温泉町は、JR福島駅から車で30分という好立地にある福島県内でも有数の温泉観光地として、昔から県内外の人々に親しまれてきました。しかし東日本大震災と福島第一原発事故の影響で、次々と旅館が廃業。少子・高齢化と人口減少にも拍車がかかり、地域の衰退が加速していきます。
危機的な状況を迎えて、温泉街の復興・再生と地域活性化を目指し、自然の恵みを利用したご当地エネルギープロジェクトがスタートしました。震災から8年半が経ち、プロジェクトはどのように発展しているのでしょうか?「元気アップつちゆ」の取り組みと土湯温泉のいまを、前後編2回にわたりお伝えします。今回は、小水力発電所編です。
小水力発電所を建設した東鴉川(ひがしからすがわ)に立つ「元気アップつちゆ」の加藤勝一社長
◆トピックス
・震災により旅館が次々と廃業に
・地域の危機にもう一度立ち上がれ
・先人の知恵を活かした小水力発電所
・くじけるわけにはいかない
◆震災により旅館が次々と廃業に
1400年の歴史があると言われる土湯温泉町は、10種類以上の豊富な泉質で知られています。また、みちのくの伝統文化として知られる「こけし」の発祥地のひとつでもあります。町のシンボルとなっているこけしは、さまざまなモニュメントとして来訪者を迎えてくれます。
土湯温泉は、80年代までは観光客で賑わっていましたが、90年台に入ると徐々に客足が減り、2000年代には旅館経営が厳しさを増していました。そこに追い打ちをかけたのが、2011年に起きた東日本大震災です。
こけしの町としても知られる土湯温泉町
当時は土湯温泉に16軒の旅館がありましたが、地震によって建物が壊れたり、その後の風評などによって観光客が激減します。将来を見通せなくなったことで、半年間で5軒の旅館が廃業を決めました。福島県内の温泉地で、ここまで短期間に廃業が相次いだ地域は他にありません。
震災直後は、被災者や避難者を温泉旅館で受け入れていました。人口460人のこの町に、いっときはおよそ900人もの避難者が暮らしていたため、子どもたちが遊ぶにぎやかな声も復活したかに見えました。しかし8月を過ぎて避難者が一度に移転したため、一気に人の気配が途絶えてしまい活気がなくなってしまいました。
温泉街には数々の足湯もある
◆地域の危機にもう一度立ち上がれ
「このままでは土湯温泉が消滅する」という危機感を抱いた有志が集まり、2011年末に「土湯温泉町復興再生協議会」を結成します。そして、「空き家となった旅館、商店等を決して放置しない」との目標を定め、地元資本によって、廃業した温泉旅館等の跡地を利用した町づくりを進めることにしました。
さらに、河川や温泉など地域資源を活用した、再エネ事業を実現しようという声が挙がりました。2012年には、地元の温泉組合や観光まちづくり協議会などが出資し、再エネ事業を手掛ける「株式会社 元気アップつちゆ」が誕生しました。
温泉街を流れる川は流量も豊富
「震災後は、国も県も再エネを増やそうと熱心でした。そこで、この温泉街を再エネの里として甦らせ、お客さんにおいでいただく魅力のひとつにできないかと思ったのです」。そう語るのは、再エネの活用を提案し、元気アップつちゆの社長に就任した加藤勝一さんです。
加藤さんは、地域の観光協会の会長や温泉組合の理事長を歴任するなど、地域活性化のために尽くしてきた人です。震災当時は高齢者介護福祉施設の経営者でしたが、かつては旅館の経営も行っていました。
地域の危機を迎えて加藤さんが思い出したのは、まだ自身が20代だったとき、オイルショックの影響で観光客が激減した時の記憶でした。当時、加藤さんは地域の同世代の若者たちに呼びかけ、30人ほどで町おこしのグループをつくりました。それが「あらふどの会」でした。
「あらふど」とは、青年が新雪を踏み分けて道をつくることを意味する言葉です。若者たちは、連日明け方近くまで町づくりの話で盛り上がり、協力して行動を起こすようになります。これが、地域を結束させる新たなきっかけにもなりました。
震災による危機を受けて、加藤さんはかつてのメンバーに、もう一度呼びかけました。それが、元気アップつちゆの誕生にもつながります。加藤さんは言います。「再び土湯温泉のために、みんなで力を合わせる必要があると思いました。こうして考えるとかつてオイルショックのときに危機を乗り越えたつながりは、今も生きていると感じます」
土湯温泉は周囲を美しい山々に囲まれている
◆先人の知恵を活かした小水力発電所
「再エネの里」をめざす加藤さんたちが目をつけたのは、流れる河川と溢れ出る温泉でした。まずは水力です。安達太良山を始めとする急峻な山々に囲まれた土湯温泉には、豊富な水量を誇る河川が複数流れています。そこに、小水力発電所を建設することにしました。
かつて小水力発電所があった跡地
郷土史を調べると、東鴉川(ひがしからすがわ)でおよそ100年前の大正時代に、土湯の人たちが設置した小水力発電所(出力52キロワット)があったことがわかりました。その当時、水を引いていた導水管の跡も残っています。加藤さんたちは、地元の先人たちの取組みを参考にして、いまの時代に合った地域のための発電所建設を進めることになります。
立ちふさがったのは、さまざまな許認可の手続きでした。「まず発電所建設予定地には、国の砂防堰堤(砂防ダム)が設置されていました。しかもその砂防堰堤は歴史が長く、国の有形文化財に指定されていました。そこで文化財としての価値を損なわないように、複雑な手続きが求められました。
国の有形文化財に指定されている砂防堰堤
また、砂防法や河川法の許可を取らなければなりませんでした。さらにこの地域が国立公園に指定されていたため、自然公園法の許可も必要でした。こうした手続きは、13から14種類にも登ったので、それをひとつひとつクリアするのが大変な苦労を伴いました」(加藤さん)
こうしたハードルを3年がかりで一つずつ乗り越え、2015年4月には「土湯温泉東鴉川水力発電所」が稼働を始めました。発電出力は、最大で140キロワット。年間で発電できる量は、約86万キロワット時で、一般家庭に換算すると約170世帯分の消費電力を生み出すことになります。
小水力発電所の取水口
◆くじけるわけにはいかない
結果として、砂防堰堤を利用した全国でも珍しい発電所となりました。発電の仕組みは、上流部で取水した水を導水管に流して水車に送ります。導水管の長さは330メートル、落差は約44メートルで、電気を生んだあとの水は再び川に戻されます。生み出した電気は、固定価格買取制度(FIT)で東北電力に売電され、地域に収益をもたらしています。
苦労の末に設置された小水力発電機
「エネルギー事業は素人ですから、本当に苦労の連続でした。今だから言えますが、実はくじけそうになったこともあります。しかし、私たちは電気を作ることが目的ではなく、それはあくまでも手段であって、目的は再エネ事業によって復興再生を図り、再び賑わいを取り戻すことにあります。ですから、それをつくっている段階でくじけるわけにはいかない、と自分に言い聞かせました。まだまだ取り組みは途中ですが、夢見ていたものがひとつひとつ形になっていくのは嬉しいことですね」(加藤さん)
しかし、土湯温泉の挑戦は小水力発電所だけではありません。それと並行して、元気アップつちゆは温泉を活かしたバイナリー発電所にも挑戦しました。温泉発電については、小水力発電をさらに上回る困難が待ち受けていました。その取り組みとエネルギー事業の地域貢献の様子については、後編で詳しくお伝えします。
◆お知らせ:9/29「おだやかな革命サミット」を開催!クラウドファンディングも実施中!
全国で立ち上がったご当地エネルギーの取り組みを取り上げたドキュメンタリー映画「おだやかな革命」が各地で上映されています。9月29日、映画出演者らを東京にお呼びし、エネルギーやまちづくりに興味のある人々と交流を深めるイベント「おだやかな革命サミット」を開催します。ただいま、イベント開催のためのクラウドファンディングも実施しています。詳しくはこちらをご覧ください!地域の自立のための新しい動きを、さらに広げるためにサポートやご参加をいただけると幸いです。
※ご当地エネルギーリポートの著者である高橋真樹は、映画「おだやかな革命」のアドバイザーを務めています。