酒田の強い風を活かして地域の経済循環をつくる(vol.128) | 全国ご当地エネルギーリポート!

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-エネ経会議・特派員:ノンフィクションライター高橋真樹が行くー

このたびの台風19号により被災された皆さまに、お見舞い申し上げます。

 

筆者自身も、近くの川の水位が上がり、危険を感じて一時的に避難しました。結果的に被災は免れましたが、数キロ先では川が氾濫を起こして家々が水没した地域もありました。

 

台風の大型化には、確実に海水温の上昇など気候変動の影響が見られます。少しでもその被害を少なくするために、自然エネルギーや省エネを始めとした取り組みを進めていく必要があります。国レベルでの取り組みが重要になってきますが、地域レベルでやるべきこと、やれることはまだまだたくさんあります。ぜひご当地エネルギーレポートを参考にしていただけると幸いです。

 

さて今回取り上げるのは、日本でもっと増やしていかなければならない自然エネルギー電源のひとつ、風力発電所です。米どころで知られる山形県庄内地方。中でも、日本海に面する港町の酒田市は、江戸時代には米の大集積地として、北前船の交易の拠点となり繁栄しました。この酒田で地域に根ざした事業を続けてきた加藤総業が、風力発電事業を手がけています。東日本大震災以前から、地域の風を活かして風車事業に取り組んできた加藤総業のこれまでを振り返ります。

 

加藤総業が酒田の海岸に設置した酒田第二大浜風力発電所と加藤聡さん

 

◆トピックス

・山形県庄内地域の地元資本による風車建設

・酒田の強い風が地域資源に

・やってきた再エネの時代

・収益の一部を地域に還元

・地域でお金をめぐらせる仕組み

 

◆山形県庄内地域の地元資本による風車建設

 

加藤総業は、1899年に金物商として創業、その後、関東や関西などとの中央からの商品取引を重ねながら建設資材販売の卸会社として発展してきた老舗です。「日本の良い物を、付加価値を付けて地方に届ける」というコンセプトのもと、120年の伝統を築いてきました。

 

加藤総業の4代目社長である加藤聡さんは、自社が風力発電事業を始めた理由は特別なことではなく、事業としてごく自然な成り行きだったと言います。

 

「うちの会社は、近代建設の3要素と呼ばれるセメント、鉄、ガラスという商材をまんべんなく取り扱って、住宅から大型施設の建設ニーズに対応してきました。風力発電施設も会社の本業である建設工事ですから、その流れで設置したものです。風車の基礎には、生コンクリートや鉄筋といったうちの主力商品が使われています」

 

加藤総業の受付にも風車のモニュメントが

 

加藤総業が風力発電事業への参入を計画したのは2002年頃から。山形県では風力発電に取り組んだ初の地元企業となりました。2005年には、酒田市で3基の風車を稼働させたのを皮切りに事業を拡大。2019年4月現在は庄内地方で稼働する37基の風車うち、半数近くの16基が加藤総業グループのものになっています。

 

◆酒田の強い風が地域資源に

 

加藤さんが風力事業を手がけた背景には、地域の衰退をなんとかしたいという思いがありました。2000年に12万人だった酒田の人口は、2019年現在は10万人を切ろうとしています。さらに今後は、急激な減少が続くと見込まれています。加藤さんはそんな中、地域の仲間たちとともに、商店街の活性化といったまちづくりに取り組んできました。

 

「人口減少は、地域の衰退そのものを意味しています。いまは町の中心市街地は人通りもまばらですが、私が子どもの頃は街なかに人がいっぱいでした。簡単ではありませんが、少しでも賑わいを取り戻せたらと思っていろいろやっています」(加藤さん)

 

大学時代は東京で過ごした加藤さんは、1995年に家業を継ぐために酒田に戻り、2000年に社長に就任します。そして次第に公共事業が中心の建設需要が減少していく中、これまで通り建設業だけに依存した経営をしていては、地域も会社もやがて行き詰まるのではと危機感を感じます。それが新しい分野である風力発電事業につながりました。

 

「新事業を立ち上げようと考えた際に、例えば飲食業とか、うちの会社がこれまでやってきたこととはかけ離れた事業をやるのは違うのではないかと考えました。これまで商いを続けてきた建設関連の商材を使って、何かできないかと思ったのです」

 

ちょうどその頃、酒田港で大手商社が風力発電事業を始めるという話が出ていました。風力発電事業者は、地元で協力してくれるパートナー企業を探していたため、加藤さんは名乗りを上げます。その事業者は風力発電事業をいくつも手がけていたため、加藤さんは一緒に事業を進めながらノウハウをを学べると考えたのです。

 

周囲からは「よくわからない事業に手を出して大丈夫か?」と心配されましたが、加藤さんには地域の風の強さを活かせばビジネスになるという確信がありました。風車を回すには風が必要ですが、風が強すぎても故障につながってしまいます。その点、山形には台風が直撃する可能性が低いので、風車にとって都合が良いというわけです。

 

加藤総業は、話を持ってきた事業者と協力して、2005年に最初の風車となる「庄内風力発電所」3基(出力は各600キロワット)を酒田市に設置します。

 

酒田第二大浜風力発電所(出力1,990Kw,2013年1月に運転開始)

 

さらに東日本大震災の前までに、酒田市と隣接する遊佐町(ゆざまち)の海岸線沿いに8基の風車を建設しました。いずれも1基あたりの風車の出力は、最初の設備を大きく上回る2,000キロワット程度のものです。

 

当時は、送電線を握る東北電力が風力発電の電力に使える枠を制限し、風車を建てたいと考えている事業者にその枠を競わせるくじ引きが行われていました。風車建設に関わる他の準備がすべてできていても、くじ引きに当選しないと風車が建てられない(=送電線に電気を流せない)という状況にあったのです。

 

加藤さん自身も何度もくじに外れ、ここまで数を増やすまでには他社と協力するなど、相当な苦労があったと言います。また当時は売電単価も低く見積もられ、やっとのことで設置できても収益は決して多くはありませんでした。しかし、そこでノウハウを積み上げてきたことが、震災後の躍進につながりました。

 

◆やってきた再エネの時代

 

東日本大震災の前から積極的に風車を建ててきた加藤さんですが、それでも2011年に起きた津波と原発事故には大きな衝撃を受けました。

 

「震災が起きた時はちょうど仙台にいました。ついさっきまでいたところが津波で流されて、自分もひょっとしたら死ぬのかなと感じました。それから強烈だったのは原発事故です。あんなことになる原発は本当に必要なのでしょうか?でもその代わりに化石燃料による火力発電所かというと、それも厳しい状況です。再エネの時代がやってきたことは間違いないかなと確信しました」

 

酒田市にある加藤総業の社屋

 

震災のあと、これまで採算面で厳しい状況だった風力発電事業に2つの追い風が吹きます。ひとつは、再生可能エネルギーの固定価格買取制度(FIT)が定められたことです。これにより、事業者に参入しやすい価格で20年間にわたって再エネの電力を買取ってもらえることになりました。同時に、既存の設備にもこのFIT制度が適用されるようになったことで、風力発電事業は安定した収益を上げることができるようになりました。

 

もうひとつは、山形県の吉村美栄子知事が原発事故の後「卒原発」を掲げ、「山形の再エネを増やし、原発1基分に相当する電力をまかなう」と宣言したことです。これにより、山形県内の再エネを後押しする補助金や、低金利で大きな資金を貸し付けてくれる制度が整備されるなど、風力発電事業をしやすい環境が整えられました。

 

◆収益の一部を地域に還元

 

加藤総業は、風力発電を始めとする事業収益の一部を、地域や学校に寄付するなど、地域に還元しています。2017年には11基の風車が建つ遊佐町の防災まちづくりセンターに、太陽光発電と蓄電池を無償で貸与しました。これにより、災害等で停電になっても72時間程度はセンターの電力が確保できます。また、加藤総業が出資している遊佐町に建てた風力発電の事業会社からは、町に毎年一定の寄附を行っています。寄附金は、防風林の保全や森林管理に活用されています。

 

さらに2019年3月には、地域の子どもたちに役立ててほしいと、遊佐町の全小中学校(計6校)に教育用品を寄贈しました。これは、山形銀行に発行してもらった学校寄付型私募債(夢みらい応援私募債)を利用したものです。教育用品の内容は、体育用品やDVDプレーヤー、そして山形交響楽団の演奏する「モーツァルト交響曲全集」のCDセットなどです。モーツァルトのCDを寄贈した理由は、加藤さんが学生時代にトランペット奏者をしていたこと、そして現在も山形交響楽団の理事を務めていることに関係しています。

 

蔵を改装した観光施設「酒田市観光物産館」。立ち並ぶ蔵の一部は、今も現役の農業倉庫として利用されている。

 

とはいえ、大型設備である風車は近隣住民の迷惑になる場合もあります。これまでも数は少ないながら、「風車の音が気になる」との声もありました。そのような家庭には、防音対策のための内窓を設置したり、夏に窓を閉めて過ごせるようエアコンを設置するなどの対策を取ってきました。

 

酒田には、大手企業が手がけた別の風車もありますが、その中の1基は最近になって外国資本に転売されました。そのようなことがあると、何かあったときにきちんと対応してくれるのかと、地域には不安が残ります。加藤総業の風車は、地元で長年事業を手がけてきた会社が手がける風車として、地域の安心感にもつながっているのではないでしょうか。

 

◆地域でお金をめぐらせる仕組み

 

日本の再エネは、この数年で急速な成長を見せました。しかし、風車建設を取り巻く環境は再び厳しいものになりつつあります。電力の買取価格は低下しはじめ、風車の適地を探すことも難しくなりました。そして何より、東北電力が「送電網の容量がいっぱいなので、再エネの電気を少ししか受け入れられない」と宣言する状況になっています。新規案件に着手するハードルは上がっていると言えるでしょう。それでも加藤さんは、チャンスがあれば新たな風車を増やしたいと考えています。   

 

「風力発電事業をやる一番の理由は、もちろん会社の仕事としてです。私は経営者として社員にご飯を食べさせていかないといけませんから。でもだからといって稼げれば何でもいいというわけではありません。時代に合わせてビジネスを選んでいくのは当然のことです。風力発電は、庄内の風の強さをメリットにできる。地域資源を活かした電源開発ができることは、一定の社会的な意義があるはずです」

 

 

社会に害を及ぼさない事業で地元の雇用を維持することも、立派な地域貢献です。加藤総業の社員はおよそ50名、グループ会社まで含めると100名ほどです。地元の風で電気をつくる風力発電が地域に雇用を生んでいることになります。

 

それだけではありません。2017年に建てられた風車は、地元の山形銀行のみから融資を受けています。地元の銀行の資金で地元業者が工事を手がけることによって、地域にお金が循環することになります。そこには、都市部や外国の企業が単に風車を建てて収益を持っていくだけの事業とは異なる価値があるのではないでしょうか。

 

ご当地エネルギーの取り組みの基本は、「地域のエネルギーを使って地域で経済を回す」ことです。それを実現するのは簡単ではありませんが、加藤総業の風力発電事業は、そのひとつの形を体現していると言えるかもしれません。

 

◆お知らせ:ご当地エネルギーの映画「おだやかな革命」上映中!自主上映会も募集しています

日本で初めてご当地エネルギーの取り組みを描いたドキュメンタリー映画「おだやかな革命」(渡辺智史監督)が2018年に公開、その上映はまだまだ続いています。当リポート筆者の高橋真樹は、この映画にアドバイザーとして関わっています。

詳しい場所と日程は映画のホームページの「劇場情報」、またはFacebookよりご確認ください。また、自主上映会も募集中です。ご希望の方は、ホームページよりお問い合わせください。