2024. 7. 31(水) 19 : 00 ~ 福岡シンフォニーホールにて
<第423回 定期演奏会>
モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527より 序曲
ベートヴェン:ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 Op.58
(ソリストアンコール)
ブラームス:間奏曲 イ長調 作品118-2
チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 Op.74「悲愴」
ピアノ:アンティ・シーララ
指揮:熊倉 優
九州交響楽団
(コンサートマスター:西本 幸弘)
久々にブログ書くなぁ
忙しさ自慢をしたいわけではないけど、今年に入ってもうずうっと忙しくてしょうがない
昼休みもほとんどとらずに時間外までずっと仕事、休みの日も家でずっと仕事している
どんだけ負荷かけるっちゅうねん ほんとブラック・・・
というわけで、気を取り直して・・・
待ちに待った熊倉優さん、九響に再登場~~
も~うれしくってしょうがなかった!
前回初登場されたのが、2021年6月の定期演奏会。新型コロナの緊急事態宣言下でアンドリス・ポーガさんの代役として登場、それまでも熊倉さんに注目していた私にとっては願ったりかなったりだった。 そして期待どおり、いや期待以上の演奏でした(この記事内でも興奮して大絶賛していますw)
とても感動して「ショスタコ第15番」についての記事を別途に書いたくらいw
熊倉さんは前回九響を振った翌2022年7月からはハンブルク州立歌劇場で武者修行中。昨年8月からは第2カペルマイスターに就任。叩き上げで下積みから頑張っていらっしゃる。
夏だけこうして日本に来て指揮台に立っておられる。今年はその数少ない公演の中から九響を振りにきてくださって嬉しい
この日はいつもの定演よりもお客さんの入りもよかった。8割くらいは埋まっていたのでは。
開演前に熊倉さんのプレトークがあった。
ドイツでのことはなにもお話されず、この日の公演についてのみ。
前回2021年にショスタコを振った際に、今度九響と再共演する機会があるなら別のロシア人作曲家の作品を振りたいという希望があったそうで、それで今回のチャイコフスキーとなったようだ。「悲愴」は(重いので)何度も続けて振れるような曲ではない、といったようなことをおっしゃっていた。チャイコフスキーが敬愛してやまなかったモーツァルトの作品をとりあげた、とのこと。
さすが熊倉さん、プレトークもすっきりまとめて6分くらいで終わった(個人的に時間を超過してまでダラダラ話すのはあまり好きではないのでw)。
熊倉優さんプレトーク中
最初はモーツァルト (1756-91) 作曲の歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲。
この日は対向配置でコントラバスが舞台上手側、チェロがその前だったので、いつもとは弦の響きが違って聴こえた。私の席には低弦がよく響いてきて心地よかった。
そしてこの日のコンマスは西本さん。西本さんがコンマスの時の方が第1ヴァイオリンの音がよりクリアに聴こえる気がして個人的にはとても好き。
しょっぱなのドーン!という地獄落ちの一音から、「あ、今日なんかいい♪」と思った。
不気味な場面、弦の軽やかな場面などどこをとっても音が活き活きしていてとてもよかった。
ところでドン・ジョヴァンニといえば映画「アマデウス」の一場面をどうしても思い出しちゃうので載せておきます。
映画「アマデウス」より ドン・ジョヴァンニ;A Cenar Teco (6分55秒)
次はベートヴェン (1770-1827) 作曲のピアノ協奏曲第4番。ソリストはフィンランド出身のアンティ・シーララさん。私は初聴き。
この曲を聴くのはめちゃ久しぶり!たぶんブッフヒンダーがウィーン・フィルとベートヴェン・チクルスで共演したときに聴いて以来ではないだろうか。
月刊誌「九響」内の西田紘子氏による曲解説よりこの作品の特徴を備忘録で書いておく。
まず冒頭からいきなりピアノ独奏で始まる(しかも弱音(p)で)のが大きな特徴(当時のピアノ協奏曲はまずオケの合奏で始まるのが定番だった)。聴衆の意表をつく画期的な試みといえる。その後このピアノに応答するように、オケがさらなる弱音(pp)で同じ音型を奏でる。冒頭のピアノソロがト長調であるのに対し、オケはロ長調へといきなり転調する。始まって6小節目でこれほど遠い調(♯1つから♯5つへの調へ)へジャンプするのはきわめて異例。
わずか70小節強しかない短い第2楽章では、”吟遊詩人オルフェウスが竪琴で獣を手なずける場面である”などと言われたように、ピアノがオペラの語りのように美しい旋律を歌いあげる。
第1楽章はピアノの同音連打で、第3楽章はオーケストラの同音連打で始まり(下記の譜例1)、両端楽章で韻を踏むかのよう。(ちなみに同じ日に初演された交響曲第5番も同音連打で有名)
初演時(ベートヴェンの独奏:難聴が進行していたため、当楽曲が自身のピアノ独奏により初演された最後のピアノ協奏曲となった)は第1楽章と終楽章のカデンツァは即興で弾かれたが、のちにベートヴェンはいくつかのカデンツァを書き残した。それらの一部がパトロンだったルドルフ大公のコレクションに所蔵されている(作品自体も彼へ献呈)ことより、この作品は大公の独奏を意図して書かれたという説もある。カデンツァのひとつには、”カデンツァ(ただし失敗なしで)Cadenza (ma senza cadere) ”と書かれたバージョンも存在し、ベートヴェンのユーモアがうかがえる。ただこの作品は彼の生前に再演される機会は少なかったそう。
で、実際の演奏なんですが、あぁ~美しい~ と聴き入っているうちにものっそい眠気がw
仕事で忙殺されたあとの演奏会はほんとに鬼門w というわけで第1楽章はほとんど眠りかぶっていた でも第2楽章になって突如目が覚めたw
第2楽章っていつも思うんだけど、ベートヴェンってどんな心境でこれ書いたんでしょう。最初のピアノに襲いかかるような弦の強奏はなにを意味してる?ピアノ途中の荒れ狂ったような箇所はどういう意味? 色々考えていたら興味がつきない。消え入るように終わるところも印象深かった。作品全体も含めてベートヴェンってほんとすげー
シーララさんのピアノは多彩な音色で特に弱音がとても美しかった。
シーララさん熱演中~
アンコールはシーララさんみずから曲紹介。私は遠くてブラームス、という単語しか聞き取れなかったが、弾き始めてすぐインテルメッツォとわかった。このアンコールもとても素晴らしかった。シーララさん、とっても素敵なピアニストでした
団員さんのツイートによると、終演後に楽屋にもどるとシーララさんが楽屋内でモーレツに練習してるピアノの音が聞こえてきたそう。演奏終わったばかりなのに。ほんとすごい!
拍手に応えるシーララさん
後半はチャイコフスキー (1840-93) 作曲の交響曲第6番「悲愴」。
まずは前述した西田紘子氏の曲解説から備忘録用に抜粋で。
作曲の経緯:1888年に交響曲第5番で成功を収めたチャイコフスキーは、翌年に親友のコンスタンチン大公に『芸術家としてのキャリアの最後を飾る壮大な交響曲』を書きたいと伝えている。1891年時点では”人生”という標題が想定されていたが、これは完成されなかった。
1893年2月11日に甥のウラジーミル・ダヴィドフに宛てた手紙では、構想中の交響曲に『標題はみんなには秘密にしておきたい。解きあててもらうのさ。交響曲のタイトルは”標題交響曲(第6番)とするつもり』と書いている。同年7月からオーケストレーションを始めたが、弟モデストには、『20年前は何も考えずに前に進めたしうまくいったけど、今は臆病で自信が持てない。今日は1日中取り組んで2頁しか書き進められなかった。』と綴っている。 しかし、8月半ば過ぎに完成させると、出版業者のピョートル・ユルゲンソンには『人生でこんなに自分に満足したことはない。こんなよいものを作れて誇りに思うし、幸せだよ。』と吐露している。最終的に自筆譜の表紙には「悲愴交響曲第6番」と書かれた。 10月16日の初演後の9日後に彼は命を落とした。
作品について:第1楽章冒頭のファゴットのモチーフは、J.S.バッハの「マタイ受難曲」冒頭合唱を思い起こさせる。展開部では金管がロシア正教会の死者のための賛歌「汝の下僕を聖人とともに安らかせてください、キリストよ」を鳴らす。 第2楽章は5拍子という変わった拍子でスラヴ民族色を出している(同年作曲のピアノ曲「18の小品」Op.72にも5拍子のワルツがある)。 第3楽章では細かく刻まれるメロディと行進曲風のメロディの2つがあり、前者のメロディは軽やかではあるが、下記の譜例2のように、4つの音を結ぶと十字架(クロス)が浮かび上がるのが意味深
第4楽章では旋律の多くは下行するばかりで、哀悼(ラメントーソ)が徹底的に追求される。冒頭の主題は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが主旋律を交互に一音ずつ弾くというのは有名な話で(私はこのことは昔NHKで放送された「クラシックミステリー 名曲探偵アマデウス」という番組の書籍版で初めて知った)、これは第1と第2ヴァイオリンを対向配置にしたときのステレオ効果を狙ったのも理由といわれる。この終楽章のテンポ設定についても「アンデンテ・ラメントーソ」なのか「アダージョ・ラメントーソ」なのか議論があって面白いんですよね~ ちなみに私の大好きなフェド様はアンダンテで世界初録音をしていて、私はそのCDにサインをいただいたことがあります(→プチ自慢w)
チャイコフスキーは1891年に「ヴァーグナーとその音楽」という記事を発表し、彼の信奉者たちに批判的な態度を示したが、この終楽章ではヴァーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」からの影響が随所に感じられる。
「悲愴」熱演中~(たぶん第3楽章)
この曲は今までもう何度も聴いているが、私にとっては思い出深い演奏が多い。
特に強烈なインパクトを受けた演奏を挙げると、2020年11月にコロナ禍真っ只中で来日したゲルギエフ&ウィーン・フィルで北九州とミューザ川崎で2度聴いた悲愴、特にミューザでの演奏は超絶名演だった。2019年2月にオーチャードホールで聴いたクルレンツィス&ムジカエテルナの悲愴、2018年9月に聴いた西本智実&ロシア国立響の悲愴、2015年9月にウィーンの楽友協会で聴いたビシュコフ&ウィーン・フィルの悲愴、これらも言葉では表現できないほどの素晴らしさでいまだに思い出すと高揚するくらいだ。
この日の熊倉&九響の演奏もとても素晴らしかったが上記の演奏ほどの感銘を受けたかといわれるとさほどでもなかった。ただ、演奏レベルが~とかそういうことを言いたいわけではない。
九響での「悲愴」は前回は2021年2月の定演で聴いている(指揮は小泉さん)が、この時の演奏に比べると今回の方が見違えるくらい、はるかによかった。
熊倉さんの「悲愴」は私が嫌いな演歌調のような泣きが入るようなあざといものではまったくなく、ただただ作品に忠実に対峙した演奏だったと思う。
金管が大音量で咆哮する場面ではただただ圧倒された。特に印象に残ったのがヴィオラ。めちゃめちゃよかった! 一度だけ鳴らされるタムタムはもうちょい音量控えめで地を這うような音が私は好みかなぁ。最終楽章の駆け上がるような弦、最後のギコギコという不気味なコントラバスもすごくよかった。
あとは細かいところが修正されればさらによいものになっただろう(えらそーですみません)し、その意味では2回公演とかがあればよかったのに~と思ってしまった。
最後の一音が静かに鳴らされると、シーンと静まり返った客席。静寂はかなり続いたが、どーしても堪りきれずに熊倉さんが肩の力を抜き切る前に拍手がわきおこった。福岡にしてはよく我慢した方だと思うがw 欲を言えばあともうちょいだけがまんできたらさらによかったな
終演後はブラボーがたくさんとびかっていました
熊倉優さん
3年ぶりに聴いた熊倉さん、やっぱりただものではないと思った。豊かな才能におごることなく、ドイツで下積みから地道に頑張っておられることもとても尊敬している。
これからも大注目していきたい。
定期終演!いつも温かく迎えてくださる九響の皆さん、そしてたくさん聴きに来て下ったお客様、本当にありがとうございました。今夏の日本での公演はこれでおしまい、また来年! https://t.co/dPAP2kpL0I
— 熊倉 優 Masaru Kumakura (@KumakuraMasaru) July 31, 2024
それから、この日はトランペット🎺の首席奏者の松居洋輔さんが退団前最後の公演でした。
今後は南アフリカのダーバンにあるKZNフィルハーモニック管弦楽団の首席トランペット奏者に就任されるそう。 九響ファンなら誰しもそうだと思うけれど、私も松居さんの音色は超絶大好きでした。 いつも2階席や3階席でポーン!と矢のように飛んでくる松居さんの音色に魅了されまくっていました。正直退団はとてもショックなのですが、松居さんの今後のご活躍を心から願っております。 今後のご健康とご多幸をお祈りしています!!
この日も熱演する松居さん
終演後拍手に応える松居さんたち
終演後はトロンボーン首席の高井さんたちとハグしていました。
そして最後舞台から去るときには会場内のお客さんから大きな拍手が。感動的でした。
昨夜の2ndトランペットはわざわざヒューストンから来てくれたヒューストンオペラ首席の岡野・ローソン・テツヤ君
— Yosuke Matsui (@matsui_yosuke) July 31, 2024
定期会員の方から素敵なお花も頂きありがとうございました。
本当に皆さんに感謝 pic.twitter.com/y71mBFQsxd
自分の人生でこんな事が起こるなんて、創造だにしませんでした。
— Yosuke Matsui (@matsui_yosuke) July 31, 2024
あの景色、一生忘れません。
あの景色を胸にこれから一生懸命生きていきます。
皆さんに感謝しても感謝しきれません。
ありがとうございました😭 pic.twitter.com/YRUWWVTNl4