60歳から、花が咲く
今日、ショーペンハウアーの話を聞いた。
今では世界的に知られる哲学者だけれど、若い頃から順風満帆だったわけではない。
ベルリン大学で教えていた頃、そこには当時絶大な人気を誇っていた哲学者ヘーゲルがいた。
ショーペンハウアーは、なんと自分の講義をヘーゲルと同じ時間帯に設定したという。
けれど学生たちが選んだのはヘーゲルだった。
ショーペンハウアーの講義には、ほとんど学生が集まらなかった。
若くして出版した主著『意志と表象としての世界』も、長いあいだ世間から注目されなかった。
ライバルには人が集まり、自分には集まらない。
それでも彼は、考えること、書くことをやめなかった。
そして60代になって、ようやく流れが変わり始める。
63歳で出版した『余録と補遺』をきっかけに、その思想が知られるようになり、それまで埋もれていた著作にも光が当たり始めた。
この話を聞いて、なんだか嬉しくなった。
私たちはいつの間にか、人生には「旬」があるように思っている。
若いうちに何者かになり、50代、60代になれば、そろそろ人生をまとめていく。
でも、本当にそうだろうか。
若さは減っていくかもしれない。
でも、人生の材料は増えていく。
うまくいかなかったことも、遠回りも、出会いも別れも、いつか一つにつながることがある。
花だけを見れば「遅咲き」でも、その間ずっと、土の中では根が伸びていたのかもしれない。
そして人生の途中では、どうしても自分の「ヘーゲル」が目に入る。
自分より先に評価される人。
自分より成功しているように見える人。
でも、その人にはその人の季節があり、私には私の季節がある。
同じ時間割で競わなくてもいい。
57歳の私も、まだ人生の途中。
60歳は夕暮れではなく、
もしかしたら、
花が咲き始める季節なのかもしれない。
宝塚周辺 家族由来の場所

