フジコ・ヘミングさんが4月21日に92歳でお亡くなりになった。膵臓癌だったそうだ。
ご高齢でもあったし生きとし生けるもの寿命があるとはいえ、訃報を耳にしたときはショックだった。
ファンの皆様ならびに関係者の皆様へのご報告
フジコ・ヘミング(本名:ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ、GEORGII HEMMING INGRID FUJIKO)は、2024年4月21日未明、92年の生涯を終え、永眠いたしましたことを謹んでご報告申し上げます。
2023年11月に自宅で転倒した後、一日も早い復帰を目指し治療とリハビリに励み順調な経過をたどっていたところ2024年3月におこなった検査の結果すい臓がんと確定診断され療養を続けておりましたが、4月21日に容態が急変し、神の御許に旅立たれました。
葬儀はフジコ・ヘミング本人及び親族の遺志により、近親者のみですでに執り行い、とても美しく穏やかな表情での旅立ちでした。
診断後は、皆様に心配をかけたくないという本人の希望により公表は差し控えさせて頂いておりました。公演を楽しみにして頂いていたファンの皆様、主催者様等には、多大なるご迷惑ご心配をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます。
フジコ・ヘミングは、昨年も精力的な演奏活動を続けていたところでした。
怪我をしてからは、思い通りにならない身体にもどかしい思いを抱えながらも、直前まで、復帰してピアノを弾きたいという強い意思をもって治療とリハビリに励み、病室や病院内でピアノを弾いたこともありました。
3月に予定していたニューヨークのカーネギーホールでの公演や日本での公演を楽しみにしておりました。
皆様へこのようなご報告をしなければならなくなったことは、誰よりもフジコ・ヘミング本人にとって本当に残念であったと思います。
フジコ・ヘミングは、聴力を失っても魂でピアノを弾き続ける強さを持ちつつも、動物愛護を実践して保護猫を多数引き取り、また被災者や大変な思いをしている人達へのチャリティコンサートを積極的に行うなど、慈愛の心に満ちあふれた人でした。
奇蹟の「カンパネラ」を再び弾ける日が来ることをフジコ・ヘミング本人ともども切に祈っておりましたが、もう叶えることはできません。
しかし、これから先も、フジコ・ヘミングの魂の演奏の思い出が皆さまの心の中で奏で続けられることを願っております。
尚、献花、ご芳志等はご遠慮いただいておりますので、なにとぞご理解の程お願い申し上げます。
「フジコ・ヘミングお別れの会」につきましては、現在、検討中となっております。詳細については改めてご案内申し上げます。
今まで応援してくださったファンの皆様、共演者・主催者・メディア関係・懸命に尽くして頂いた医療従事者の方々・その他関係者の皆様には、心より深く感謝し御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
2024年5月2日 一般財団法人フジコ・ヘミング財団
私がフジコ・ヘミングさんのことを知ったのはテレビのドキュメンタリーを観てから。
そのあと2018年に映画「フジコ・ヘミングの時間」を観に行ってそのお人柄に強く惹かれた。
この記事の中に色んな面からみたフジコさんを詳しく書いています
この映画、観たことない方はぜひ観てほしいです。
この映画でフジコさんの実演を聴いてみたい、と思っていて実現したのが翌年2019年5月、コバケン&ハンガリー・ブタペスト交響楽団と共演したコンサートだった。
この時の演奏はモーツァルトのピアノ協奏曲第21番。アンコールにショパンのノクターンと「ラ・カンパネラ」を弾いた。
フジコさんの代名詞ともいえる「ラ・カンパネラ」。この曲を聴いて知らず知らずのうちにポロポロ涙が流れたのは後にも先にもこの時だけ。 フジコさんの「ラ・カンパネラ」はよくあるような指回りがキレキレの、テクニック的に文句のつけようがないものとは一線を画す。ミスタッチもあれば、シャープでスピーディなわけでもない。
でもだからこそ彼女の波乱万丈の人生が投影された、フジコさんじゃないと出来ない演奏、音色で、私の心の琴線に触れまくった。
前述した映画の中でもフジコさんご自身が、『私のラ・カンパネラは他の人とはちょっと違うのよ』とニヤリとしながら仰っていたがまさにそのとおりだと思った。
同じ年の2019年10月に再度フジコさんを聴いた。MDRライプツィヒ放送響との共演・・の予定だったのだが、フジコさん来日前にパリで盗難に遭い、その際にパスポートを盗られたため福岡空港への到着が公演当日の夕方、と大幅に遅れることになった。
このため急遽予定を大幅に変更して前半はオケのみ、後半はフジコさんのソロ・リサイタルとなったのだった。
ショパンやリスト、アンコールにベートーヴェンの「テンペスト」の第3楽章など全9曲を弾かれた。福岡へ到着してすぐのリハなしのぶっつけ本番だったのもあるのか、たどたどしい演奏だったのが途中からはみちがえるようによくなった。 やっぱりフジコさんのピアニズムは他の方と一味も二味も違ってた。
結局私が彼女の実演を聴いたのはこの2回だけとなってしまった。
その後はコロナ禍になったり、来福されても北九州だったり室内楽だったりで足が向かなかった。
フジコさんは映画の中でもそうですが、数々の名言を残しています。
「幸福と不幸は半分ずつ。一生幸福な人もいないし、一生不幸な人もいない」
「人は人、私は私。夢や希望を持っていれば強くなれるし、必ず壁を乗り越えられる」
「人から変だと言われても、気にしなくていい。自分さえ気に入ればそこに価値が生まれる」
などなど。
下記のものは私が持っているものですが、他にもたくさんあります。
波乱万丈の人生を送ってきたフジコさんならではのお言葉、”達観”とも違う、もちろん”諦観”とも違う、いい意味での肩の力の抜けた”なるようになるんだから”というフジコさんの考えにはとても励まされます。
フジコさんのピアノは生で聴いてこそ真の価値がわかるのではないかと思います。
その生の演奏が聴くことがもう叶わないと思うと残念でなりません。
もうずうっと長いこと手首の痛みや、転倒したことによる足のケガ、歩行困難な状態が続いていたので、天国では痛みから解放されて存分に愛するピアノを弾いてほしいです。
フジコさんが天国では幸福に満たされた人生でありますように・・・
ただただ合掌。ご冥福を心よりお祈りいたします。
書類整理の最中、とある事情で9年前にフジコ・ヘミングさんに書いてもらった推薦状が出現。
— Masakazu Shiokawa │ 塩川 正和 (@piano_ms08) May 3, 2024
お褒めの言葉を頂き嬉しかったのはさておき、演奏やコンクールに対するご本人のお考えが簡潔にでも現れている(やや直球な部分もあるが…)
ご逝去された今、彼女の言葉が1つでも多く遺されればと思います。 pic.twitter.com/LLZ4KmWQDg
決して楽しいことだけではなさそうですが、
— 小松莊一良 (@Koma2_So1ro) May 1, 2024
次の時代の希望となるように、僕は約束通り作品を創っていきますね。
たくさんの時間をありがとうございました。
Georgii-Hemming Ingrid Fuzjko:1931.12.5~2024.4.21
©野口博
上の画像は下記のぶらあぼの記事よりお借りしました