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emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。


追記あり


💦💦😅💦💦.:


仕事の異動となると

覚えることばかりで、へとへと😓でして

ブログがあげられませんでした💦


大河ドラマでは「越前編」もそろそろ終わって

まひろも都(京都)へ帰ってしまいますね😓


光る君へ 北陸スペシャル


👆こちらでも

吉高由里子さんと岸谷五朗さんが

和紙を漉きをしていました。



私も越前に行った時には




買ってしまって、


以前折り紙で折った








「岡太神社」を調べていたら

兵庫県の西宮市にも「岡太神社」があると知って

調べていたら以前に実際に行っていたことがわかり

ました。


読み方は「ヲカタじんじゃ」だそうです



私は「城」の散策で行ってみたのですが、


「小松城」というお城でした。


通称・別名としては


小松殿館、平重盛館、平重盛城でして


住所も兵庫県西宮市小松南の

「岡太神社」内に石碑や説明板もあります。









平重盛の供養塔です。




こんな石碑を見つけに

2年前に行っていたのですけれど、

今度は「岡太神社」関係で行くとは

思いませんでした。


平重盛の居館(城)があったという伝承地を

示す顕彰碑

かつて「伏松」という小高い丘が岡太社にあって

それが「重盛居館」とされていました。


鳴尾地域(西宮市)では最古の神社と

言われています。


平重盛は清盛の長男です。


「小松内府」と呼ばれたことから

武庫川流末にあって平氏の領有であって

「小松庄」に居館があったと理解されるように

なったそうです。


重盛の母方を見てみると

母は高階基章の女(娘)です。


「高階家」?


大河ドラマでは定子や伊周、

隆家の母が高階の貴子でしたね。


実際には高階基章は醍醐天皇の子の

有章親王系統の醍醐源氏の数代後の

源家実の子の基章が

高階家へ高階為章の養子に入り、

高階の姓を名のったとのこと。


その高階為章の父は為家。


この高階為家は紫式部の孫にあたる

そうなのよね。


まだ大河ドラマでは生まれてきて

いないけれど紫式部も前回、

「子どもも産んでみたいし…」なんていう

セリフがあったりしましたね。


紫式部の娘が後に「大弐三位」となるんのだけれど

高階成章と結婚してできたのが高階為家なんですよね。


なぜ「為」を使うのかが面白いなと思いました。


ドラマ的には「源氏物語」を執筆するまひろが忙しくって

為時おじいちゃんが好きでそこから使ったのかしら。


話は変わってしまったけれど、


岡太神社繋がりでまさかの展開になって

しまったけれど、

色々と調べられて楽しい時間を過ごせたし

新たな発見もあってよかった。



この神社の狛犬は





猪なんですよ。












追記…



恵美須大神と静止像


西宮神社に御鎮座の恵美須大神は武庫の沖から

ご来臨になり、最初、鳴尾でお祀りしていたとの

口碑があります。小松ではその大神が毎年正月9日に

押照宮(岡太神社)で高潮や洪水などの災害を未然に

静止(防止)して五穀豊穣をもたらす猪(静止)打神事

をされると伝えられこの神事の妨げにならぬよう

斎籠(イゴモリ)をする風習がありました。

これは静止を猪にかけたもので、猪が大神の使わしめ

たと云われています。

当社では摂社に大神をお祀りし、昔話を後世に伝える縁と

して彫刻家柏木秀峰作の静止像を設置しています



とありました。





























おかもと

岡太神社(紙祖神)

大瀧神社






越前というと和紙が有名ですよね。

ドラマでも取り上げられています


越前市のマンホール👇




紙漉きのデザインです。








「越前和紙の里 卯立の工芸館」で

マンホールカードを配布中とのことなので

行ってきました。


この工芸館でマンホールカードをもらったら、

こちらの方が近くに

「岡太神社」という紙の神様が祀られている

神社があるというのを教えていただいて、

行ってきました。











岡太神社と大滝神社は大徳山という霊山の山上に

ある「奥の院(上宮)」と、山のふもとにある

「下宮」から成り立っています。





創建 1500年程前

御祭神 国常立尊 伊弉諾尊尊



















何とも複雑な屋根の形をしていて、

至る所に彫刻の壮麗さに圧巻しました。




日本でも珍しい紙の神様を祀る神社で


「川上御前伝説」に触れて

こちらで和紙の伝統を大切に

守られてきたのかを感じました。

















パンフレットをもらって

  行って見たくなりましたキューン




パンフレット





場所は

福井県越前市国兼町22-2


「大塩八幡宮」








一之鳥居あたりから見た様子。
残念なことに二之鳥居は工事中でした。

一之鳥居は
下記の由来でも出てきますが
朝倉貞景が建立

ニ之鳥居は朝倉義景が建立したと
されています。


現在は当時のものではないでしょうが、
氏子さんによる修繕中とのことでした。







残念二之鳥居は工事中でした。








御祭神

たらしなかつひこのすめらみこと

帯中津日子天皇(第14代仲哀天皇)

ほむだわけのすめらみこと

品陀和気天皇(第15代応神天皇)

おきながたらしひめのみこと

神功皇后(仲哀天皇の皇后)


御由緒

第58代光孝天皇の御代、平安初期にあたる

仁和3年(887年)8月3日、

朝廷にあった紀中納言友仲朝臣(後に紀長谷雄と云い

菅原道真公の門弟、文章博士、遣唐使副使となる)

21才(一説には43歳)にして仲間の妬みにより

越前国府中の南(日野川の中洲?)へ流罪となった。

そこで無実の罪を晴らさんとして、この社を祈願の地

と定めて榊を桜井峯(背後の峯)に植え、

麓に参籠所を設けて、岩清水八幡宮(都の守護神)の

新明の加護を願い日夜、帰洛のことを祈る内に

間も無く祈祷の甲斐あって、神勅を蒙り程なく

許されたのである。

時に宇田天皇の寛平元年(889年)三月、無事朝廷に

復帰することができたのを喜んで、早速神勅の趣を

密奏するに、天皇の御霊夢に不思議やぴたりと符号

されたことをことの外驚かれ、この不思議な霊験に

より、早速現在地に紀友仲朝臣に当宮建立の棟梁を

仰せ給い、朝廷より木工寮、内匠寮に仰せて

造営費と技術、資材の援助により造営されたのである。

寛平3年(891年)8月20日、京都石清水八幡宮を勧進して

勅使三条大納言公季卿下向し、

神主清原真人元政(瓜生神主の祖)他禰宜、社人同行した。

同5年8月15日を祭礼日と定め神事放生会等石清水祭祀の

如く行われたという。

神領は従都部郷(南条郡内)封戸三百戸、約5千石を

賜った。

当国は日本海を距てて異国に近く、北夷降伏状と越前国府

(武生)鎮護の為、社殿をあえて北面鎮座したという。

無実の罪や疑いを受けたものは、

この御祭神に祈れば速やかに災難をのがるる霊験があります。

その後、鎌倉幕府の朔幣田、足利幕府の社殿修復、朝倉家の

社殿並びに大鳥居の寄進等、領主、国司の崇敬厚く荘厳を

極めたが、天正年間一揆の際、社殿の一部を破壊、神領の没収

があったが、慶長8年松平秀康公社領三十石、元和9年松平忠直

公ニ十石加増以来順次造営補修が続けられて、

松平家(福井藩)本多家(府中藩)代々の崇敬、

厚いものがあり今日に及ぶ。


            (パンフレットより)


由緒をみるとこの八幡宮を厚遇して

いたことがわかりますが、





木曽義仲ゆかりの社



階段は178段とも言われていますが、

数えきれませんでした💦








倶利伽羅峠の戦いで勝利した木曽義仲はその後も重ね

北国街道を西上し大塩八幡宮の境内に本陣を構え

戦勝祈願をしたと伝えられています。

その際に、兵士の失火によって社殿が消した為、

日吉山王社の拝殿を移築した拝殿があります。



















木曽義仲は倶利伽羅峠、篠原の戦いにおいて

大勝し平家追討のため大塩八幡宮に陣を構え

配置し戦勝祈願をしたものの

平家はこの地で戦わずして後退しました。





その際に従った者は五万(三万とも)の兵が

従ったとも言われています。


兵火により消失したのを申し訳家なしとして

杣山山麓の日吉山王社の拝殿を引きとり

3日三晩で移築したとも云われています。

平家を滅ぼし成就したのち本殿を再建する

として柱を逆木に建て縁起を担ぐものの

寿永3年近江粟津の戦いで敗れ、

再建する夢は叶わなかったんですね




いきなりまさかここで木曽義仲の縁の

場所に出会えるとは思わなかったので

びっくりしてしまいましたが、






















寿翁神社(疱瘡神社)


疱瘡・疫病の守護神を祀る。

延喜元年(901年)2月11日醍醐天皇の

勅命により勧進された。

大永の頃(1521年)越前領主朝倉孝景の息女

11才の時疱瘡に罹り、悩みあるをこの社の祈祷した

お守りを持参したところ、

開放に向かい効験あったので

以後お参りが盛んになったそうです。









源嫡神社(東照宮)


徳川家康を祀り、寛永年間に東照宮を模して創祀され、

明治維新後に現社殿の建て替えられるまで

極彩色の社殿だったそうです。




あめのやおろずひめ

天八百萬比咩神社




高良神社



清務霊社


御祭神 舎人親王(神職清原家の祖)

    三原王・貞代王・清原夏野公・房則卿


由緒 当宮・宮司家の先祖・清原一族を祀る

平安初期、当宮創立後に鎮座。

破損移転の後昭和60年6月再建


とあります。



この先に木曽義仲の本陣後があり、


またその先にも



展望台まで300m

如意輪観音まで870mという

まだ先があったのですが断念。


お腹がすいた〜



と言うことでした。



「大塩八幡宮」は創建する際にあったっても

由緒を読んでみると興味深くブログをupする際に

調べていたら時間があっという間に立ってしまいました。




話はこの後にお腹がすいたのでどうしよう?

と言うことになって

予定では

お昼は福井へ行ったなら

「ヨーロッパ軒」のソースカツ丼?

なんて思っていましたが、

まだまだ見て周りたいところがあったので


昼は「越前そばの里」で「越前そば」を

食べようということになリました。


長蛇の列!


なので




☝️ここまでもどってきて、

道の駅で食べました。




辛味大根とおかか。


やはり⤵︎抑えられずに






💦ミニ丼付きにしちゃいました

         食べ過ぎでしょう💦💦😅










「紫ゆかりの館」の駐車場と脇道を挟んで



「紫式部公園」があります。

2022年の秋に行った時の写真なので
紅葉🍁がとても綺麗な時期でした。
その時はまだ「どうする家康」でさえ
始まっていなかったのですが既に2024年の
大河ドラマが発表されていたので
幟もあったし、ここに「大河ドラマ館」が
できるものと考えていました。








釣殿


池のほとりに再現された釣殿は総ひのき造りで

納涼や月見、雪見の宴が行われた場所。

詩歌を詠んだり雅楽を演奏したり、船遊びの時の

乗降場所でもあったところだそうです。
















都の方を向いて立つ式部像の視線の先には

日野山。














この日はとても良い天気で、空が青かったな。




紫式部歌碑













この歌は

春になりましたが
こちらの白山の雪はいよいよ降り積もって
(あなたが)おっしゃるように
解けることなんかはいつのことか
わかりません。
(わたしの心もいつ解けるかわかりません)

藤原宣孝(役・佐々木蔵之介)が
「春には宋人を見に越前に行き、
あなたに会いたい」と送ってきたようで、
それの答えにおくったうたのようです。


今回第20話でも、
為時が淡路守がきまり、お祝いで
宣孝がきてくれて盛り上がり、
為時が眠ってからまひろと宣孝の会話。
益々、宣孝の目がまひろちゃんに艶やかな
眼差しをしてみていました。
まひろちゃんは話しやすそうでは
あるけれど、気持ちを察してはいなさそう。

2年前までならば、
まひろと宣孝がどうやって夫婦になるんだろう
って思っていたけれど、
今は違うストーリーを想像しています。


(ネタバレ史実あり)


21話の予告から道長とまひろが
「いつの日も…」
「いつの日も…」といいながら
抱き合っていました。

やはりお互いに都にいるんだという
安心感はあったけれど、都と越前ではね
会えない寂しさは離れている距離で
決められるものではないけれど、
なんか辛さがますよね。

史実としては
まひろは結局父の満期の前に1人で京に
戻っちゃうんですよね。(一年ちょっと)

道長はというと日々の政務に追われて大変、
998年ごろに出家を考えるくらいの
大病を患うとも。

宇治で静養する?

越前では架空の医者見習いが登場するから
宇治で看病する?

まひろは帰京して宣孝と結婚するのではなく、
道長との少しの暮らしをしてしまい、
「賢子」を身籠り、出産。
宣孝の子としてまひろが育てる。

↑なんでこれを想像してしまったかというと、
宣孝は死んでしまう2ヶ月前の1001年2月に
道長に訪問、4月に死去ってあるんだよね。
なんかそんな資料をどこかでみたかも。

やはりここはまひろと賢子のことを
お願いして亡くなるのかな?と

散学の一員の直秀が死んだ時に
私は生き返ってまひろちゃんが1人で
越前から帰って来る時に山賊に襲われるのを
助けるために実は生きていた?
再登場するために、
道長は扇をわざと握らせたんだと
思っていましたが、
それはなさそうです🤣

まぁ、外れることばかりですけれど
そんな楽しみ方をしてみています。

でも、19話で詮子が道長に
「この人を入れておいて」と推挙した紙を
私て「知らぬ人は入れませぬ」と断った
のは絶対「源国盛」だと思いました。
8話で「私には源の人々が付いているゆえ
大丈夫なの」と兼家が病で倒れて兄弟4人で
話している時に言った言葉が
ここにもいきてくるんですね。
次週も楽しみ😊です。



ある道のマークを見つけて撮った写真


源氏香の41番「幻」ですね。





新幹線の越前武生駅の前で工事をしていましたが

工事の柵の一枚一枚が源氏香のマークになっていました。


「オシャレ〜」と思ってみていました。



紫式部公園の歩き方


東門から入ったら池の真ん中にある橋を中心に八の字で

池の周囲を歩きましょう。

公園の東にそびえる日野山、南にある妙法寺山、西方の茶臼山が

池に美しく映し出されます。


また、金色の紫式部像が池に映える姿が鑑賞できる場所が1ヶ所

だけあるので是非探してみてください


とありました。





よく晴れた日でした。


水面に木々がくっきり映し出されていました。








「大河ドラマ館・福井」と「宇治」の

大河ドラマ館と、

合わせて2ヶ所巡りました。


あと「大津・石山寺」で〜す。


まだ宇治はブログにあげられていません。




「紫ゆかりの館」があります。


これは大河ドラマ館と違いますが

2年前、越前武生に城攻めをするために

行ったところ、この「紫ゆかりの館」という

看板をみつけて立ち寄りました。








この時は既に2024年大河ドラマは
吉高由里子さんが
紫式部を演じるという発表があった後なので、
城攻めの途中でしたが、立ち寄ってみました。
「源氏物語」のあらすじは知っていても紫式部が
越前たけふで暮らしていたのは知らなかったです。



以前は無料休憩所だったのを
令和2年にリニューアルして
「紫ゆかりの館」となったそうでして、
入場料は無料です。

第19話まで、ドラマ進んでいます。
ドラマでは10年間何をしても
為時が1据え置きだったのが
正六位上から従五位下へとなり
淡路守に任官してもらえるか?

みたいなところでまひろの家族の話は
おわりましたが

予告では為時のに向かって家族が
「おめでとうございました」と言っているので
淡路守の任官が決まったのでしょうか?

ドラマ的には「長徳の変」のきっかけとなる
花山院を伊周・隆家の兄弟が弓矢で
脅してしまったところで
終わりでした。

もう次回が待ち遠しいです。

話はそれましたがら

「紫ゆかりの館」ですが、
(ドラマネタバレあり)

淡路守にされるものの
結局まひろが望んでいた「越前守」として
赴任することになるんですよね。
元々従四位上の源国盛が任じられ
いたのを道長がどう動いて
為時へと変えるのかが
楽しみなんです。

為時の言っていましたが
やっと従五位の下になった者が
下国の「淡路守」が適当だとされているものの
大国の中国で「越前守」だなんてと
ありえないな感じ
でしたね。

国力による分類
大国・上国・中国・下国
距離による分類
近国・中国・遠国

その源国盛は結局「播磨國」に
任じられるもののすぐに卒去したそうです。

因みに
「播磨国」は大国の近国です。






実際にはこんな感じで

紫式部も京都から越前へといったのでは

ないかという説明があったり






こんなルートだったとか、








なんていう占いもあり(有料)


ちなみに私は「葵の上」でした、

主人は「六条御息所」だったそうです。






下記の写真は

2022.11月に撮影したものです。



開館前には「ムラサキシキブ」の実が

なっている頃でした。







つづく…