emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。

あせる2015年よりこちら へも投稿したりしていますあせる




松江城につづき、

「国宝5城」の一つ

「犬山城」に行ってきました。





まずは「犬山駅」から始まり、


マンホールカードをゲット!





「犬山駅観光案内所」で土日でも市役所で

配布中と聞いたので行ってきました。


「犬山城と木曽川鵜飼」の絵になっています。





「わん丸くん」と「まるいの」


犬山市と兵庫県の篠山市のキャラクターが一緒に

立っていたのでこの縁をみてみました。


成瀬正肥(まさみつ)が篠山城主青山忠良の三男(欽之助)として

生まれ、Wikiでは「欽之助」が「欣之助」になっています

第八代犬山城主成瀬正住の長女富子と

結婚(婿養子)

して第九代犬山城主となったことに

始まったそうです。




















相変わらず、眺めは良いです。


今回は夏だったからか、

着物を来て上の階段を昇る人がいなかったから

良かった。



最近は階段を補強してくれていて

滑らないようになったりしているので

昇降が少し安全になっているので

良かったけれど…

仕方ないですね。




日本100名城カード















梅雨の晴れ間の

週末に車検で車を出してしまったので、

代車を使用させてもらい

京都へぶらり🚗


「城めぐり」のアプリでの

イベントに参加しようと思って

「二条城」へ行ったけれど

大混雑⁉️


さすがに

混んでました〜💦



なので、その周辺を歩いてみようと


時計回りに歩いて行くと




これを見る限りではそうでは

なさそうですな、

拝観チケット売り場はすごい人数でして

並ぶのを諦めました。






素敵💓〜


でも暑い🥵🥵🥵





平安京跡 神泉苑 東端線


平成2年から同5年にかけて実施

された地下鉄東西線建設に伴う発掘調査により

平安京造営当時の神泉苑の東西幅が

確認されました。

ここはその東端線にあたるとのこと。


府道37号線をはさんで反対側に

「神泉苑」がありました。


聞いたことがあるけれど

行ったことがないなぁと思って 

二城北門からですが

はいってみました。



神泉苑は延暦13年、桓武天皇の禁苑として

造営され、四季折々に華麗な行事が行われ、

桓武天皇の行幸以来は歴代天皇が

神泉苑で宴遊されたと云われています。


花見の発祥地としても知られているんですって。






北門を入ると直ぐに


「心境の池」という小池があって

ここは境内にある大池に対して、

小池であり、池の面に映える自分の顔を

うかがうと心の奥の喜怒哀楽が

映し出されと言われているんですって。



そのまま「御池通」側までいきます。








「法成就池」は神泉苑の大池で


「御池通」の名前の由来でもあるんですって。













車だと駐車場🅿️とかの問題で

きたことが無かったけれど、「ぶらり散歩」

で新たな発見できました。




その後「二城陣屋」というところを通って










「三条若狭屋」さんで








「ちご餅」



白味噌を甘く炊いたものを求肥で包み、

氷餅をまぶし竹串にさしたものです。


3色の短冊🎋も飾りであり、

食べたことがなかったので

買ってしまいました💦



求肥が苦手な私に対して、主人は大好きで

主人が2本、私が一本でたべました。


新たな京都のぶらり歩きができて

良かった💞




実はこの後にお昼を食べて帰ろうと思った

のだけれど、



ここからは二城城から車で移動🚗



そういえば…



冬に



廬山寺にお詣りした時に


この6.7月とかに廬山寺の「源氏の庭」に

桔梗が咲くという情報を得ていたので

是非行ってみたくなりました。




花のお手水も紫陽花




冬の時間にきた時














桔梗が咲いていました。


紫式部の時代では桔梗は「朝顔」と

言われていたと言われていますね。


今週7月7日は東京都知事選挙で

大河ドラマは無いそうです。


残念😢











駐車場からこの景色!

城に入る前からウキウキでした。


はるばる来たというのもあるし、

静岡に帰省する時間よりも「松江」の方が

近いことがわかりました。








堀尾吉晴像


慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦の後、出雲・隠岐両国を

拝領した忠氏とその父吉晴は、城地松江に選定して





豊臣秀吉、徳川家康と2人の天下人に仕えた。

孫の忠晴を助け松江城と城下町を建設し、現在の

松江市の礎を築く。







🩷のところのマンホール↓








これは

絶対もらって帰りたいと思って、

どこで配布されているかとしらべて

行ってきました。



残念😢😆




このマンホールカードではなかったです。






こちらのマンホールカードでした飛び出すハート





このマンホールはというと









「松江堀川地ビール館」でもらえました。



話はそれてしまいましたが






城内には「国宝」となった決めての

祈祷札のことや












この階段はあまり手が付けられていなくって

ゴムの滑り止めとかはないので

要注意⚠️


降りる方が怖い😱ですけれどね。





宍道湖がみえます。














◎松江城主は慶長5年〜寛永10年(1633年)まで

堀尾氏 24万石

松江開府の祖 吉晴・
初代藩主 忠氏・
2代 忠晴


◎寛永11年(1634年)〜寛永14年(1637年)

京極氏 26万4千石 

初代 忠高

◎寛永15年(1638年)〜明治4年(1871年)

松平氏 18万6千石

初代 直政〜10代定安







京極家から引き継いだ松平直政は

徳川家康の孫(結城秀康の子ども)

にあたります。


7代目には松平治郷(不昧)公がいます。


























国宝五城…



姫路城


松本城


彦根城


犬山城




以前行った時には

まだ国宝ではなかったので、

国宝になってから初めていってきました


松江城


やった〜🎵












木々の間から見えてきた〜🎵






そびえ立つ〜❤️


この位置からの櫓を見上げるのもgood🩷





チケットを買ってから歩いて行くと




正面には大きな岐があってなかなかスマホでは

撮りにくかったです。




松江城は全国に現存する12天守の一つで、

平面規模では二番目

高さでは三番目の規模のお城です。


以前来た時はまだ重要文化財でした。

その後に国宝なる、なった〜と聞いてから

なかなか来れなかった。



まずは明確な築城年代がわかる事が

国宝への道ですよね。



平成24年(2012年)5月に2枚の祈祷札から

「慶長十六」「正月吉祥日」などの

文字が確認され、その後の調査でこの祈祷札が

地階の2本の通し柱に打ちつけられていたことが

判明して築城が慶長16年(1611年)であることが

確定しました。


この松江城は明治初頭、全国の多くの城が廃城令で

取り壊されるなか、取り壊しを免れて

市民によって守られ

今日に至るからこそ勝ち取った「国宝」とも

言えるのでしょうか。



まだ城の内部に入っていないのに、


ワクワクしちゃっています。
















追記あり


💦💦😅💦💦.:


仕事の異動となると

覚えることばかりで、へとへと😓でして

ブログがあげられませんでした💦


大河ドラマでは「越前編」もそろそろ終わって

まひろも都(京都)へ帰ってしまいますね😓


光る君へ 北陸スペシャル


👆こちらでも

吉高由里子さんと岸谷五朗さんが

和紙を漉きをしていました。



私も越前に行った時には




買ってしまって、


以前折り紙で折った








「岡太神社」を調べていたら

兵庫県の西宮市にも「岡太神社」があると知って

調べていたら以前に実際に行っていたことがわかり

ました。


読み方は「ヲカタじんじゃ」だそうです



私は「城」の散策で行ってみたのですが、


「小松城」というお城でした。


通称・別名としては


小松殿館、平重盛館、平重盛城でして


住所も兵庫県西宮市小松南の

「岡太神社」内に石碑や説明板もあります。









平重盛の供養塔です。




こんな石碑を見つけに

2年前に行っていたのですけれど、

今度は「岡太神社」関係で行くとは

思いませんでした。


平重盛の居館(城)があったという伝承地を

示す顕彰碑

かつて「伏松」という小高い丘が岡太社にあって

それが「重盛居館」とされていました。


鳴尾地域(西宮市)では最古の神社と

言われています。


平重盛は清盛の長男です。


「小松内府」と呼ばれたことから

武庫川流末にあって平氏の領有であって

「小松庄」に居館があったと理解されるように

なったそうです。


重盛の母方を見てみると

母は高階基章の女(娘)です。


「高階家」?


大河ドラマでは定子や伊周、

隆家の母が高階の貴子でしたね。


実際には高階基章は醍醐天皇の子の

有章親王系統の醍醐源氏の数代後の

源家実の子の基章が

高階家へ高階為章の養子に入り、

高階の姓を名のったとのこと。


その高階為章の父は為家。


この高階為家は紫式部の孫にあたる

そうなのよね。


まだ大河ドラマでは生まれてきて

いないけれど紫式部も前回、

「子どもも産んでみたいし…」なんていう

セリフがあったりしましたね。


紫式部の娘が後に「大弐三位」となるんのだけれど

高階成章と結婚してできたのが高階為家なんですよね。


なぜ「為」を使うのかが面白いなと思いました。


ドラマ的には「源氏物語」を執筆するまひろが忙しくって

為時おじいちゃんが好きでそこから使ったのかしら。


話は変わってしまったけれど、


岡太神社繋がりでまさかの展開になって

しまったけれど、

色々と調べられて楽しい時間を過ごせたし

新たな発見もあってよかった。



この神社の狛犬は





猪なんですよ。












追記…



恵美須大神と静止像


西宮神社に御鎮座の恵美須大神は武庫の沖から

ご来臨になり、最初、鳴尾でお祀りしていたとの

口碑があります。小松ではその大神が毎年正月9日に

押照宮(岡太神社)で高潮や洪水などの災害を未然に

静止(防止)して五穀豊穣をもたらす猪(静止)打神事

をされると伝えられこの神事の妨げにならぬよう

斎籠(イゴモリ)をする風習がありました。

これは静止を猪にかけたもので、猪が大神の使わしめ

たと云われています。

当社では摂社に大神をお祀りし、昔話を後世に伝える縁と

して彫刻家柏木秀峰作の静止像を設置しています



とありました。