emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。

あせる2015年よりこちら へも投稿したりしていますあせる





スマホの中の写真を整理して

いるときに







自分の写真で「馬」で と検索して

みるとこの三体の「騎馬像」が

でてきました








懐かしいです


☝️2019年に諏訪に行ったときに

撮った写真






👇信貴山 朝護孫子寺





今から1400年程前、聖徳太子が物部守屋の討伐の際にこの山を訪れて戦勝の祈願をすると、天空に毘沙門天王が現れ、必勝の秘法を授かりました。 その後、見事勝利した太子は、自ら天王のお姿を彫刻し伽藍を建て、信ずべき貴ぶべき山として『信貴山』と名付けました。 ちょうど毘沙門天が現れたのが寅の年、寅の日、寅の刻であったため、寅が信仰されるようになったのです。さらに醍醐天皇の時代(910年)、天皇の病気回復を命蓮上人(みょうれんしょうにん)が毘沙門天王に祈願すると、 たちまち全快されたことから、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として『朝護孫子寺』と呼ばれるようになりました。庶民信仰の寺として人々からは『信貴山寺』と親しまれています。




👇


三木城跡


別所長治氏の像です





私の好きな「道の駅 みき」に行くと

ほぼ毎回行ってしまう

「三木城」豊臣兄弟では取り上げられる

のかな?







高槻と将棋

一乗谷の城跡でもみたけれど
現在の駒より数が多いんですね



どうやってするんだろう?










三好長慶

三好長慶は、大永二年(一五二二)に阿波国(今の徳島県)で誕生した。三好氏の本拠地は阿波だったが、戦国時代がはじまると、室町幕府の管領や高槻が所在する摂津国の守護という要職につく細川氏の下で働くようになった。

長慶の父・三好元長は、天文元年(一五三二)に主君細川晴元と対立する中、堺で切腹に追い詰められる。長慶は、父の「仇」である晴元に十二歳で仕えはじめ、やがて摂津の武士たちを味方にするなど力を蓄えていった。

そして、ついに天文十八年に晴元との戦いに勝利し、天文二十二年には暗元に味方する将軍足利義輝を京都から追い出して、京都と周辺地域を束ねる実力者「天下人」となり、細川氏が築いた芥川城を居城とした。最盛期の三好一族の領地は、摂津国をはじめ十三の国にまたがった。国の数だけでいうと、三好氏は、武田信玄や上杉謙言をも上回る戦国大名に相当する。

武将印には、地元に残る古文書に署された三好長慶の花押(サイン)と家紋「三階

菱に釘抜」、摂津峡公園(高槻市)に立つ三好長慶石像を使用した。








芥川城

令和四年十一月に国の史跡に指定

芥川城は三好山(通称城山)にあり、大阪平野を見渡す天然の要害を利用した戦国時代屈指の城郭である。最高所に主郭を設け、周囲の郭には土塁や空堀、大手には当時としては珍しい石垣を配置するなど、その偉容を今に伝えている。

永正十三年(一五一六)までに管領細川高国が築城し、家臣の能勢頼則に城を守らせた。その後、阿波の国(今の徳島県)から摂津に進出した三好長慶が、主君である

細川晴元を追放し、天文二十二年(一五五三)に入城。長慶は永禄三年(一五六〇)河

内飯盛城に移るまでの約七年間、この城で配下の松永久秀らを重用しつつ、足利将軍家を擁立せずに自らの名前で畿内一円に号令した。さながら城は政権の首都であり、長慶が織田言長に先駆けた天下人とされる所以である。永禄十一年(一五六八)、三好一族を追った織田信長と足利義昭は、まずこの城を目指し、天下の形勢を見定めた後に上洛を遂げた。

御城印には、高槻市が配備するアプリ「AR芥川城」で3D再現した芥川城を背景に、三好長慶の家紋「三階菱に釘抜」と松永家の家紋とされる「蔦紋」を使用した。





※大河ドラマで2回「秀吉」の役をした

竹中直人が「松永久秀」が登場するようですが

最近「高槻出身」だとわかってきたそうです



松永久秀

松永久秀は、摂津国五百住(高槻市)の土豪の出身と思われるが、天文九年(一五

四〇)、三十二歳の時に三好長慶の奉行人として確認できるまで、その前半生は謎である。天文二十三年頃には滝山城(神戸市)を任せられて摂津国西部の支配を担い、

芥川城の長慶の側でも重きをなした。永禄二年(一五五九)には大和国の宿費山城(奈良県平群町)に入り、同四年には多開城(奈良市)の築城をはじめた。長慶の没後は織田信長の配下となるが離反を繰り返し、天正五年(一五七七)に織田勢に攻められ信貴山城で自害した。かつては主君を裏切る「戦国の梟雄」とされたが、近年の史実に基づく研究では三好家に尽くした忠臣と評価されている。

武将印の原画は、高槻市立しろあと歴史館が所蔵する肖像画で、久秀没後間もない時期に描かれたものを十八世紀頃に模写したと推定される。武将印には松永家の家紋とされる蔦紋を使用した。他に久秀は足利将軍家から桐紋を拝領しているが、肖像画では何の紋様かは不明である。また、『戦国遺文 三好氏編」花押集に収録の松永久秀の花押(サイン)を使用した。














高山右近

高山右近は、大阪府豊能郡豊能町高山で生まれた。天正元年(一五七三)、父の飛騨守とともに和田性長を追放し、二十一歳で高根城主となった。右近はキリスト教を言仰し、ジュストという洗礼名を持ち布教に努めた。城下町を警備する一方、二十を超える教会を建設。当時人口二万五千人のうち、7割強がキリスト教者であったとイエズス会宜教師の報告書にある。右近は、武将としての才にも長けており、天正十年(一五八二)の明智光秀との山崎合戦では寿吉方の先鋒として活躍した。

しかし、天正十五年には豊臣秀吉による伴天連追放令により大名の地位を失った。

そして慶長十八年(一六一三)に徳川幕府により禁教令が発せられると、フィリピンのマニラに追放され、現地で亡くなった。

右近は、高岡城や金沢城の設計にも関わった名築城家といわれるほか、教養の高い文化人として、千利休の弟子、「利休七哲」の一人に数えられる。

武将印には、右近の家紋とされる「七曜紋」を配し、本山寺文事に書された洗礼名の署名「重出」と花押を使用した。また、高山右近鍋像(高槻市)も使用した。















まだ、休館中だということなので

少しだけみて帰ってきました



高槻は京都から西へ行く

「西国街道」が通っています

重要な拠点だということだそうです


古墳夫婦ら思っていたら

「城」→「将棋」→「高槻」


早く帰らなければとおもっていたのに

結局我が家に着いたのは6時過ぎでした💦


困った😆😅!
























2月8日は選挙特番で「豊臣兄弟」の放映が
なくって1週間あいての
第6話放映日でした




昨日は以前同じ保育所で勤めていた
5人で保育に関する講演会に行って
きました

現在はみんな異動がありそれぞれ
違う保育所で働いいるし、
違う市の保育関係で働かれている人ですが
常に何か仕事の助けにならないかと
刺激を受けに行きました

講演後のアフター雑談会、おしゃべり会も
大盛り上がりでした

それが、今回は「豊臣兄弟」で盛りがった
のにはびっくりです

「面白いね〜」

中には第2話で村の農民の信吉が
首を切られて死んでしまって
「こんなまた話か〜」と言って
見るのをやめたという人もいましたが

他4人が楽しく話しているので
「また見てみようかな?」と
なっていました

帰りは午後10時頃になってしまったので
当日は多分みんな見れていない
だろうけれど録画しているといった
のでみんな見る事でしょうね😀


歳もみんな近いので
「愛という名のもとに」というドラマの
「ちょろ」役の中野英雄の息子でしょう?
という話でも盛り上がりました
さすがみんな同世代!!


なぜかそんな中でみんな
「明治村」に行きたいと言っていて
「犬山城」にも行きたいけれど
日帰りできるかな?という
話になったり

「松本城」に行きたい





という人もいました。

お城好きな私なので写真を披露してしまう
一場面もできたのは初めてのこと

「大河ドラマ」でお城に興味も持って
行かれる主婦の方も増えますね



まだ、第6話見れていないので、
今晩、見ます!








2月11日は「旗日🎌」


旗日🎌なんてもう知らない人が

多いですよね。




2026年の「建国記念の日」

2月11日は水曜日でどこかに行こうかと

思っていましたが、

久しぶりのまとまった雨でして

のんびり家で過ごそうかと

思いましたが

モーニングを食べに連れて行ってくれ

ました。


普段は朝、昼、晩と週末以外は外食をほとんど

しないのでありがたいです



さて、モーニングはどこにするか?

悩みますよね






ちょっと理想な感じです


ここで食べて、少しゆったりと本を読む


もう幸せ〜な感じですが、

この日、メガネ忘れた〜本読めない「残念」


思った時間よりも早くに出ることに

なってしまってこのまま雨も小雨になって

にているし


「道の駅 猪名川イナガワ」に行ってきました



この周辺には「国史跡多田銀銅山遺跡」があったり

「多田神社」もあります。


そんな場所にドライブしてもらって帰ろうかと

思っていたところ、

雨も上がって

ちょっとわがままを言って









また連れて行ってもらいました。


楽しみに入ってみると


あら?常設の「継体天皇」のことも

久しぶりにみてみたいと思ったけれど

結局「城」かいって感じです💦






この今城塚古墳は大阪府高槻市にあって

高槻の城としては

この「芥川城」と「高槻城」になっています





芥川城跡


芥川城跡は高槻市街の北、摂津峡の東にある

標高181mの三好山に築かれた戦国時代の山城


室町幕府管領の細川高国によって軍事拠点として

築城され細川晴元・三好長慶良畿内周辺の

実力者が居城として政治的な拠点としました

のちに上洛直前の織田信長も入城し、

2022年(令和4)には、市内の中世遺跡として

初めて国史跡に指定されました




高槻城についても発掘の状態が展示されて
いましたが


👇




えっ〜


高槻で藤井くんがいるの?


朝日杯か「しろあと歴史館」で

特別御城印が無料でもらえるという

張り紙を発見


オープン戦の開催を記念して

2月11日10時より限定すでに2時近かったので

あるかな?

あるかな?と


早々に「しろあと歴史館」に行くことに

しました








アンケートを書いてゲットしました!



朝日杯将棋は持ち時間40分の早指し戦で

藤井くんに関しては過去4回勝っているけれど

99%負けていたのを一瞬で逆転して

その鮮やかな逆転劇が面白くって

将棋の面白さを知った大会でも

あるんですよね

ちなみに3年ぶり5度目の優勝を

藤井くんがしました

もう藤井くんではなく「藤井先生」

「藤井6冠」「藤井名人」ですね






本当はこの会館は2月末まで工事中で

しまって閉館中だそうですが

この日は特別に開いていて

この「御城印」をもらえました


他にも





☝️の人たちが関係している

「高槻城」です



せっかくなのでこの常設の展示

見せてもらいました❗️



つづく











2026年は


「丙午」


島田市大代のジャンボ干支をお正月に

見に行けなかったのですが、

たまたま時間があったので

見てきました❣️








昨年も👇のラーメンは恒例です


「長篠・設楽PA 」のラーメンです




2025年1月



2026年2月



昨年とちょっと違いはあるものの

この塩ラーメン大好き❤️