emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。

あせる2015年よりこちら へも投稿したりしていますあせる




お正月休みなっても

規則正しく過ごそう


と思っている次第ですが


朝8時前には起きたいと

頑張っていましたが、すぎてしまって

います💦



大掃除も終わり、今年は静岡から

義姉が京都へきているので

観光後、合流して一緒に静岡に帰省

予定です。



​ブログ



2025年も終わりますね


2025年の城のリア攻め始めはどこ?

と思っていましが


京都市北区紫野にある


「船岡山城」でした




「建勲神社」で行っています

☝️のブログ



2025年の最後に行ったお城は?















「大和郡山城」にいってきました



梅の頃には何回か訪れていますが、

大河が始まる前にもう一度

行っておきたかったんですよ😆










「秀長さんゆかりのお城」です



10月8日にBS日テレで

「磯田道史の歴史をゆく」を主人とみて

行きたかったんですよね、



👇これこれ復元した門で
この溝が復元するために役立ったという
ことを話されていたので、
私たちも見てきました





実際にはどんな門だったかは

わからないけれど、

おおきさなど復元に役立たせるのですね





「これか〜」なんて言って門を

入る前に確認してみました😆





両面石仏









奈良などから石垣の転用材としてここに

運ばれものであろうと言われていて

上端部が欠損しているんですよね













極楽橋







さかさ地蔵















奈良の若草山とかも見えて、

興福寺もみえますが、

現在五重塔さ令和の大修理に入っていて

覆われているので、

どのあたりに興福寺があるのか

よくわかりました





















お城を後にして、








お城の前にある


「本家 菊屋」さんに行ってきました。







秀吉もたべたかも?

しれないこのお菓子、

食べたくって買ってしまいました。






今年もたくさんのお城をみてきました。


来年も元気でたくさん行きたいです。



本年度は色々とありがとうございました。



良い年をお迎えください。






クリスマス🎄から

お正月🎍飾りへと変わりました


一夜飾りはダメだとか

29日は「苦」をイメージするので

ダメだとか色々とあるので、

クリスマスの翌日には

早々に変えています



昨年つくったんですよね😆




ブログの続き








道の駅

道の駅 宇陀路大宇陀






ここでは

「大和当帰」が有名でコーヒーとかもあるんです


そのまま葉っぱも売っているので

今回は買ってきて天ぷらにしました


匂いはすごいです!

私は漢方で当帰を使ったものを飲んでいたことが

あるので、気にならなかったのですが、

主人は苦手みたいでした



大和当帰




その後に「桜」の時期では無いのですが、

関西では有名な桜の名所の一つな


「又兵衛桜」の場所を確認できたので

今春は是非、きてみたいな



又兵衛とは「後藤又兵衛」のことで


後藤又兵衛は黒田孝高、長政父子に仕えで

長政に従って文禄元年の豊臣秀吉の

朝鮮出兵や慶長5年の関ヶ原の戦に出陣して

数々の武功あげたんです

しかし、その後黒田長政の元から離れて

大阪の夏の陣では大坂方に入って

籠城していましたが、

最後は河内の道明寺の戦いで鉄砲隊の

銃撃を受けて戦死したと言われています


しかし、又兵衛は紀州を回って大和の宇陀へ

知人を頼って、落ち延びたと言われています

宇陀の本郷の鉱泉で傷を癒やしたとされています


徳川の天下となってからは、

「後藤」から「水貝」と改めて

生活したと伝えられているそうです












桜が満開の時に備えて、周辺には駐車場になる

空き地がいっぱいありました


桜まつり

開花日から葉桜まで


普通車約500台、大型車10台とあるので

相当な人が桜の時期にはきているんですね








今日(12月27日)から

1月5日まで正月休み🎌🎍です


お昼ごろには阪神西宮駅に出掛けて

お買い物





お正月は実家で過ごそうと思っていますが、

帰ってきてからのお正月のお餅など

調達しておかないと



そんな中、少し休憩!





本屋さんには羽柴秀長本で溢れて

きました。


その中でもちょっと面白い切り口から

書いている本


「羽柴秀長と藤堂高虎」


藤堂高虎は生涯で複数人の主君に

仕えたことで有名ですが、

「羽柴秀長」へは特別だったことを

聞いたことがあります。

著者は今回「豊臣兄弟」の時代考証を

担当する1人の黒田基樹さんです。


藤堂高虎の誕生地滋賀県の甲良町には

何度か足を運んでいますが、





なかなか開館中にであえないんですよね。


秀長同様、藤堂高虎にも注目です






ブログの続き




奈良県宇陀市榛原(はいばら)にある

八咫烏神社に参拝してきました


















八咫烏神社


「続日本紀」に慶雲2年(750年9月)

八咫烏の社を大和国宇多郡において

祭らせたことがみえ…


神社の案内板👇がありました






こちらの八咫烏伝承は、もともと宇陀の

在地氏族に伝承されていたと思われますが、

8世紀以降、山城の賀茂県主が有力と

なってからは「賀茂氏」が祖とする

武角身命が八咫烏となったようです。


とありました。



賀茂氏


徳川家康へと繋がる松平氏の発祥地の

松平郷は賀茂神社の神領で

松平氏と「賀茂」とは深いつながりが

あると言われています。


この神社のホームページの交通アクセスの

サイトをみてみると


宇陀市榛原は古の時代から開けており、

かつては近畿と東海地方を結ぶ

交通の要塞でした

榛原の街の中には「伊勢街道」が

通っており云々という


ことが書いてありました


大河ドラマの「どうする家康」を

見ている時に信長の本能寺の変のあとに

「神君伊賀越え」について色々と

調べていたけれど、まだまだ現在では

わからないネットワークをつかって

岡崎に帰れたのだろうと

思いました。





八咫烏神社











クリスマスが終わってしまった🎄


いよいよ2025年も年末、

後1週間ですね


仕事は一足先に終わっているので

日曜まではゆっくりしよう!



ブログの続き




奈良桜井市あたりから


「かえでの郷ひらら」に

行ったのですが

途中に


「舒明天皇陵」がありました。




















☝️段丘が見える!









👆看板より


舒明天皇陵(段ノ塚古墳)


舒明天皇は忍阪ゆかりの押坂彦人大兄皇子の息子で

初めて遣唐使を派遣し

またわが国初の国家寺院である

百済大寺を建てた

天皇として知られています

皇后は、斉明天皇で2人の間には

後の天智天皇、天武天皇

間人皇女(孝徳天皇妃)がおられます


段ノ塚古墳は、古墳時代終末期の7世紀中頃に

造られ

現在「舒明天皇陵押坂陵」として

宮内庁で管理されています


母親の田村皇女(糠手姫皇女)との合葬墓とされ、

日本書紀には

舒明天皇は舒明13年(641)に崩御、

2年後には押坂内陵に改葬され、

田村皇女については、天智3年(664)に

亡くなられたことが記されています

田村皇女の墓については日本書紀には記載が

無く、平安時代に作られた「延喜式」にその

所在が舒明天皇陵内とされていることから

舒明天皇と合葬されている可能性が高いと

されています

その事実を裏付けるように、江戸時代末期の

文久年間(1861年〜1864年)に墳丘の

南面が崩壊し石室が露出した際、村人たちが

密かに内部を窺ったところ、

二基の石棺が見られ、手前の石棺は縦に、

奥の石棺は横に置かれていたという

話が伝わっており、研究者の間でも

被葬者は舒明天皇と母親の田村皇女の

可能性が高いと考えられています




第34代 「舒明天皇」


第33代推古天皇と

第35代皇極天皇(重祚して斉明天皇)

の間の天皇です



天智天皇の母親は「皇極・斉明天皇」と

すぐに出てきますが

父親となると

「舒明天皇」とは思い浮かばなかった



階段を降りてくると、来た道ではない

方向の先にも

進めるようになっていて

見上げてみると

「段丘」がしっかり見えました


この古墳の最大の特徴は

わが国で初めて造られた八角墳であること

とここの看板には書いてありました





この八角形をした天皇の玉座「高御座」にも流れを

みることはできてます

八角形は「国土の隅々までを治める」ことの思想の

表れであり、それはまさに八角墳の出現時期と

重なることから、

国家統一的な形にしたのではという学説に

興味をそそられます



と書いてありました(赤い文字の部分













👇の部分は「鏡王女万葉歌碑」ありました


万葉歌碑については今回もらったパンフレットの

中にありましたが、

ここでは省略するのですが、


「鏡王女」というと

「額田王」の姉を思い出します。

色々諸説ある様なのでこの辺りは本当に難しい😓

ですが、私が最初に聞いた話を元に

諸説を読み聞きをしています


ここには「中大兄皇子」が「鏡王女」におくった

歌碑が書いてあるそうです












推古天皇も長男の竹田皇子と合葬されています


推古天皇は

「竹田皇子と合葬せよ」と遺言されたようです





こんにちは!


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今日はクリスマスですね



我が家では昨日チキンを食べて

ケーキではなく、プリンアラモードを

食べて過ごしました






こんな感じですが、

いつ頃からかな?


夜のケーキ🍰は食べないように

しています。



なので、事前に


アンリーシャルパンティエで









毎年ではなけれど

自分で作ったものを飾っていますが

今日でまた片付けなければです









メリークリスマス!