Emiです。
3月と言えば卒業シーズンですよね。
卒業と言えば学校生活の思い出の写真アルバムや文集というものものが付き物ではないかと思います。
皆さんも懐かしい学校生活の思い出として、今でも自宅で大切に保管されているのではないでしょうか。
今日は、幼稚園時代の将来の夢についての話になった時の思いについて振り返りたいと思います。
ところで、皆さんの幼い頃の将来の夢は何でしたか?
シスジェンダーの男の子であれば、
プロ野球選手や
プロサッカー選手
あるいは、
お医者さん
警察官
電車の運転手
・・・といったところでしょうか?
一方、シスジェンダーの女の子であれば、
お花屋さん
ケーキ屋さん
幼稚園の先生
看護婦さん
(当時は看護師さんではなく、看護婦さんと呼ぶのが一般的でした。)
スチュワーデス
(今はキャピタルアテンダントさん、CAさん、あるいはフライトアテンダントさんと呼ぶことのほうが多いかもしれません。)
・・・といったところでしょうか?
当時は性別によって、
なれる職業、なれない職業、
また名称についても、はっきりと限定されていたものが多かった時代でした。
今は、
女性のお医者さんも
女性の警察官も
女性の電車の運転手さんも
ごく当たり前のように見掛けるようになりましたし、
同じように、
男性の看護師さんも
男性のアテンダントさんも
ごく当たり前のように見掛けます。
当時も、男の子の将来の夢は種類も豊富でしたが、女の子の将来の夢については、
ある特定の職業になりたいと言っていた子が集中しておりました。
その職業とは何でしたでしょうか?
それは
お嫁さん
です。
当時の女性の多くは、結婚したら仕事を辞めて家庭に入って専業主婦となり、出産や育児、子育てに専念するのが理想的なモデルとされていた昭和の時代でした。
素敵なウェディングドレスを身にまといバージンロードを歩く姿は、当時の女の子も今の私にとりましても憧れであります。
私も素敵な彼氏と出逢い、そして結ばれたい。
そして良き妻として、愛する夫を支えたい。
ウェディングドレス姿で、
結婚式の司会者や来席者からも、
新婦の○○さん
と呼ばれることによっても、新たなスタートラインに立つ者として、身の引き締まる思いでいたいです。
話を幼稚園時代に戻しますが、
4歳や5歳の園児であっても、幼稚園という集団生活を通じて、制服をはじめとする服装や髪型のみならず、
おしっこがしたくなった時は、
トイレに行きたいという
意思表示を先生に伝えた上で、
自分は小便器の前か個室の扉の前かの、どちらの前に並ぶべきなのかということも自ら判断し、
そして、将来あるべき理想の姿や性別による役割の違いについても、多くの大人が求めているものを理解したうえで、その通りに行動し、セクシャルアイデンティティも生まれもった身体と同じ性別の方向への帰属意識が年齢と共に形成されていくなかで、当時の私は将来のあるべき理想像のみならず、服装(特に幼稚園の制服)や髪型のこと、トイレでのおしっこの仕方のことでも精神的な違和感や苦痛が芽生えた頃でもありました。
今となっては、仕事場と家族を含めた誰かと一緒の時以外は上下ともユニセックス的なデザインのレディースの服装で、時には自然な形の髪型に近いウイッグをつけたり、外出先のトイレは小だけの時も個室に入ってクロッチがついたショーツを膝まで下げた状態で便座に腰掛けるか、便器を跨いでしゃがむかの体勢でするのと同時に、音消しをして、終わった後はトイレットペーパーで綺麗に拭いて、1日数回はショーツに貼りつけているナプキンやおりものシートを交換したりすることによっても精神的な苦痛が少しは和らぎますが、
第3者から性別のことを言われたり、性別の話題になりますと、落ち込んでしまうこともあります。
本来そうでありたい(そうでありたかった)性別と、社会的な見えない圧力として受けなければならない性別とが一致しないという性別違和を有する者だけにしか分からない、言葉には何とも言い表せないような状況に対しても、今後も向き合っていかなければならないと思います。
最後まで読んで頂きまして、
ありがとうございました。