?!
!!!!!
(スペルミスるほど内心慌ててる)
(ないよ)
英語表記でナカグロは厳しいのと、なんとなく手をつないでつながってる感。
他にも意味あるのかな。
「A-RA-SHI:Reborn」
Written by.J&T,Koji Makaino,Andreas Carlsson,Erik Lidbom,Sho Sakurai,Geek Boy Al Swettenham
すっかり表記もWritten byになりましたね。よきよき。
作詞だろうと作曲だろうとこうやって横並びにしたほうが個人的にはしっくり。
共作なら余計にね。
最初リリースするよ!ってなったときは、制作陣のメンツからしてもTurning Upのようなリズムの崩し方をしてくるのかなと思っていたんだけど、ン千倍もJ-POPだった。とくに最初のラップ。ガチガチの表拍。ずらす道だってあった。でもずらさなかった。そこにも考えがあるんだろう(しらんけど)。後半の英語詞はそうじゃないものね。
CDで言うたらカップリングの3曲目くらいの攻め具合。
(ワタシ的に嵐のカップリング枠は先行投資だと思ってるんで褒めてます!)
■りぼーんをブチ上げる勇気
りぼーんってすごく勇気のいることだと思うんですよね、しかも自分たちの代名詞ともいえる曲をさ。聴き慣れた曲の方が良いって言うひとが少なからず出るなんてわかりきってるし。
でも彼らは、そこを押し切ってでも打破したい何か、価値観があるんだろうなという仮説はこの先も抱いていくつもりです私は(答え合わせはネトフリかしらん?)。なにかしらの答え合わせの時間がやってくるといいな。
■りぼーんで正直感じたこと
ここからはちょっと温度上がります。
(使ってみたかった「温度上がる」笑)
物事の理解って本当に順番が大事。
順番によってこうも違うのかってくらいに理解の質や中身が変わる。音楽においても詞先で認識する人と音先で認識する人とで違う印象が生じることは多々あるし。それがまた人々や芸術の多様性を感じられ、楽しめるところでもあり。
A-RA-SHI:Rebornは、これまでのリリースの中でもTOP3に入るくらい、私のTLは真っ二つに感想が割れた。抵抗感やなんと言っていいかわからないなにかを感じる人のほうがやや多かったかも。そして翌日には中毒性が効き始めて何かが変わっていたのも我がTL。おもしろい。
さっきも書いたけど、20年前にリリースしたもの、しかも彼らの代名詞ともいえる看板ソングをRebornと称して今の思いを乗せてリリースするとなると、なかなかヘビーなことで。
彼らも十二分にわかっていると思うけど、まず、この20年の中でファンの心の中に積み重ねられてきた曲にまつわる思い出や思い入れや記憶がそれぞれにあって、それがもはやン千万通りくらいある。かなり複雑な様相となって形作られているのが「A・RA・SHI」や「感謝カンゲキ雨嵐」なわけでさ。今回はさらにその上に、Reborn要素が突然乗っかってきたというんで、これはね、さすがに心の準備が足りなかった。まだ、リリース情報から曲の公開までの時間の短さに正直慣れていない、というのもあると思うしまあいろいろだよね。
ファンとして、20年育ってきた代表曲にたった半日で新たな何かが加えられるのは、ほぼ自動的に抵抗感を抱き(※)、戸惑いが生じ、不安感からあらぬネガティブな解釈が浮かび、自分のこれまでの思いに大小問わず矛盾がや葛藤が生じてしまうのは無理もないことだと思う。
ヒトの認識の問題なので、別に誰かを責める気は起きないかなっていう。それだけ。
※人間は変化に対して「守る」ことを選ぶようにできている。外の気温が変わっても体内の温度を保とうとするのは、内臓や体内の酵素の働きが温度によって左右されるからだし、上司の言うことがコロコロ変わって「ハァ?」ってなるのは、振り回される側の安定性があって初めて組織が機能するのに何の配慮も感じられないから瞬時に守りに入ってしまうんだしね(まって何の話?)
■ようやくSNS解禁の意図?期待する効果?が分かってきた
たださ、理解の順番やタイミングが大事といえども、みんなに伝わるようにあれやこれややっている彼らでも、ひとりひとりの理解のために個別で順番を組み立てることはほぼ不可能。
ところがどっこい。
少し待ってみると、彼らから何かしらのメッセージが届くようになったじゃない?
オトノハ、Enjoyだけでもスマホを握りしめてしばらく動けなくなるほどのパワーがあったんだけれども、SNSの効き方がラフなだけにすごい。
変化に不安になっても、「いつもどおり」の彼らの記憶を呼び起こしてくれるというか。
ああ、だからSNSという(彼らにとって)新しいシステムが投下されたんだ…と。
おかげで、「なんだそういうことか」「まあそれならいいか」「そこまでこだわる必要ないか」みたいな感覚で急に軽くなった人も私の周りでは見かけるようになった。
私も不安を抱く人には「まぁちょっと待ってみなよ」と声をかけるようになった。
彼らは少しの間、みんなの反応を見て、自分たちのアクションに対して何が足りていないのかを判断し、発信しているんだと私はなんとなく感じている。(しらんけど)
察知能力がすごいのは分かってるけどさ、すごくない??そろそろ当たり前に思えてきちゃって申し訳ないけど、そこ切り込めるのすごいよ。
目的意識が明確だと人ってこんなに強くなれるのかというのを目の当たりにしてる感じよ。
なんか、SNSに関して彼らはようやく時代の流れに乗ったんだ、というのが世の理解かもしれないけれども…いやそれでもいいんだけれども…
私はこれだけの動きがあるから、近くにいようとしてくれているんだと感じている。そして、近くであり続けたいからこそ、これだけの動きをするんだとも。
(2008年以降の反省と課題が、ここに活きているのかもしれない)
(僕らは変わらない、と何度も言っていたことを、記憶力の乏しい私が昨日のことのように覚えている)
■Rebornシリーズについてのスタンス
今のところ、Rebornシリーズは「リテイクがあったらいいな」「今の嵐が歌ったらどうなるかな」っていう個人的な思いとは切り離して考えようかなと。私はね。第二弾以降、パズルのピースが増えてきたら、たぶん彼らの重心が分かってくる気がするから。今や後で落ち込む余計な想像はしない。淡々と待つ。
■CDリリースと配信の大きな違い
これまでの嵐は「シングル」といいつつもそれぞれかなりジャンルの違う曲を複数同時にリリースすることで、ファン(というか私と私の周り)は何かしら良いと思えるものを見つけ満足することができていた。それくらい絶妙なバランスだった。
ただ、今の所サブスク等への配信はシングルのみ。そしてTurning Upからは1曲ごとに配信しているので、ファンはCDで言うところの「A面的な何か」を無意識に期待しているのでは?とちょっと感じている。
感想を言う対象が1曲のみなので「うーん…」という気持ちを昇華するカップリング曲がなければ、当然「うーん」はそのままついったらんどに放たれやすくなる。
配信が続いていくなら、A面ぽい曲、カップリングっぽい曲、っていう概念はちょっと横に置いたほうがいいのかもね。嵐の場合、後者は実験的要素がたくさん含まれていて、幅を広げる役割があったわけだけど、りぼーんのような実験的な曲も今後表にバーン!と出てくることになるかもしれない、っていうのは心得ておこうかなと思いました。
そして、以前に増して見えやすくなる「あれこれ」に対して、相手の自由を認め&自分の自由を守るためにも、スルースキルは必須になってくるかなぁと。無視するとかではなく、そう感じたのねん、と自分の心に入り込む手前で受け止めてすぐに手放すこと。
…ほら、バレーのトスだって両手の間隔間違ったら顔面ヒットじゃん?受け方ミスったら突き指じゃん??(運動できない人ベースの例え
状況を見ながら、固定観念に縛られずに、しなやかに受け取っていきたい。
なんてゴニョゴニョ書いてたら、国立のイベントがあっという間に終わっちゃいました…笑
なんかみんな自主的にペンラを持っていったのよね?ゆずの写真がすごくきれいだったよ。
追記
スマホのライトで照らしてください!ということだったよう!すみません…!
嵐のコンサート会場と変わらない景色をテレビで見ることができました。
無事終わってよかったね。ゆずやドリカムともワイワイできたかな。
始まる前の更新がなかったのを見ると、色々準備やら視察やらしてたんかなと想像してましたが。
ほんと、ファンから見てもスケジュール帳が真っ黒になるくらいの忙しさだね。
来年は久々に嵐スケジュール用の手帳買おうかしら。笑
ちょっと試験が来月に近づいているので、りぼーんの曲の分析は、様子見。
感じたことはTwitterに垂れ流していくスタイルで、引き続きよろしくどーぞ。