悪天候のによりミュンヘン空港が閉鎖され
一日短くなった今回のドイツ・ベルリン滞在
1週間の滞在の間、夫はアメリカ東海岸時間で
生活しておりました...
時差、6時間よ
もともとドイツに興味がない人で
娘がドイツに移り住む前は
「行きたければ、一人で行ってこい」と言い
今も、娘がドイツに住んでいなければ
絶対にドイツにはいかないと言う人
私は自分が興味のない場所でも
行っちゃったら、隈なく散策したい派
だって、次に来るのはいつだか分からないし
来週、私はこの世にいないかもしれないじゃない?
夫と私のその温度差のため
夫は私にあちこち連れまわされている感充満
私はベルリンを堪能しきれてない感でモヤモヤ
アメリカへ帰る前日は
一日、別行動にすることで同意
夫は一日中、昼寝と部屋で読書三昧
(そんなもん、家でもできるのに...)
その日は月曜日で美術館等は休館
そして、一日中小雨
私は地下鉄に乗り、まずはシュタージ博物館へ
東ドイツ時代の秘密警察・諜報機関シュタージ
そのヘッドクオーターの建物が
博物館として保存されています
(メインの建物以外は、クリニックが入った
アパートメントになっている)
東ベルリン出身の友人(元ペンパル)がいるのですが
彼と会ったのは、ベルリンの壁が崩壊した翌年に一度だけ
以来、クリスマス、誕生日の短いメール交換だけ
お互い行方不明にはなっていないものの
込み入った話をする機会はなし
彼はそのうちドイツを出てイギリスに移住
コンピューターサイエンス系の教授になり
昨年、南ドイツの大学に就任
東ドイツ時代の暮らしがどうであったか
いつか聞いてみたいと思っています
ここで2時間半ほど過ごし、また地下鉄に乗り
動物園駅で降り、カイザー・ヴィルヘルム記念教会へ
ここでもクリスマス・マーケットは開かれていました
ベルリンの壁が崩壊し、西・東ドイツが統一される直前
この場所で写真を撮りました
私が医学部へ行こうと思ったのは
西ドイツ時代、西ベルリンの中心だった
動物園駅とクーアフュルステンダム通り辺りに
たむろしていたティーンのヘロイン中毒者の
話がきっかけでした
なので、この場所が私にとっては
「原点」と思えるのです
結局、その話の主人公であった女性は
何度もリラプスし、麻薬所持で逮捕され
本の中に出てくる彼女の知り合いの大部分も
オーバードーズで亡くなったり
麻薬使用の合併症で苦しんだり
私自身は、あれから何か変わったのか?
私が話の中で好きだった人物は
麻薬と以前の友人との関係を断ち切り
家族を持って暮らしていると聞きました
誇れる話を書いた本ではないので
彼も過去のことは詮索されたくはないでしょうし
もうずいぶん前のネットの情報で
「彼は元気らしい」と見かけた以外
私もそれ以上知りたいとは思いません
教会の通り向かいになるヨーロッパ・センター
屋上のメルセデス・ベンツのロゴ
(教会の左後ろ)
これ、昔は回転していたと思うのですが...
思い間違えでしょうか?