観てきました。原作は当然知っていますがまだ読んでいません。ただ、背筋さんの本ならこちらは持っていますよ。1時間くらいで読めました。


 

 


で、私は原作を読まぬまま、菅野美穂が出てて主題歌は我が推し椎名林檎ということ、そして「ヒットしているらしい」という前情報だけ握りしめて行って参りました。記憶の新しいうちに一般人としてのただの感想を申し上げますね。※以下ネタバレ




うーん…
すみません期待はずれでした…



これはそもそも私がホラー映画を好んで観ない理由なのですが、基本的にホラー映画って怖くないんですよね(とかいうと怖いから絶対見ろって作品もありますよね、私が出会ってないんだと思いますけどね)。おどろおどろしいシーンでもまわりにスタッフいるんだろうなーとか女優さんもこのあとおつかれっしたーって帰っていくんだろうなーと思うと冷めちゃうのです。それならリアルなモキュメンタリーとかのほうがまだいくらか怖いので、そっちを見てる事の方が多いです。



この映画、前半は良かった。主演の2人がVHSやUSBの映像を沢山見ているところなんか、一体何が映るんだ…?というヒヤヒヤワクワク感があったし、ニコ生配信なんかもリアルで良かった。ただ、首のまがったこども(?)とか赤い女(?)がトンネルに立ちふさがるあたりはシンプルに笑ってしまいましたね。菅野美穂の「邪魔だっつってんだろうがー!!!」からの豪快なひき逃げも含め、いやあれきっと笑っていいところでしたよね???後半の菅野美穂のカチキレ感はなんか謎の既視感があって懐かしい気すらして、人形投げつけて祠壊してるあたりも笑わせてもらいました(よくあの仕事引き受けたなと思った)。ああいう2面性みたいなのが出せる女優さんとしては菅野美穂適役でしたね!



私が完全に冷めちゃったのは最後に向かってCGが多用されていたところ。ましろさまだかやしろさまとかいう神様?がこだまみたいな顔して手足ニューンって出してきた時にこないだ見た仮面ライダー芸人のCGが頭よぎってしまいました。ちょうど主役(赤楚衛二)も菅野美穂に命乞いしてるシーンだし、そうこうしてたらトゲトゲの石に吸いこまれちゃって、アレこれ戦隊モノだったっけ??ってなってしまいました。唯一ゾクッとしたのは、変な新興宗教の映像に菅野美穂が映っていたときですかね。やっぱり人間が一番怖いんじゃないかなって思います。



私は原作を読んでいないのでわからないんですが、原作にあっただろう伏線が、しっかり回収されていたのか疑問です。例えば首吊り部屋に貼ってあったイラスト(了が四隅に書いてあるやつ)。あれって結局なんだったんですか?首吊り部屋と菅野美穂はなんのつながりがあったんでしょう?彼女が自分のこどもを取り戻したくて仕組んでたっていう大枠は理解できたのですが、2時間の中に盛り込まれた面白そうなモチーフがもっとつながる感覚というか、感動が、本来ならあるのではないのかなと思ったのです。原作を読んだ人ならわかったのかな?原作を読まれた方はどう思ったのかしら。少なくとも原作を読まずに臨んだ私と同伴した家族は「?」で終わってしまいました。



とはいえ、最後に流れた「白日のもと」のイントロ。鳥肌立ちました。エンドロールで縦書きで歌詞出してきた椎名林檎が一番良かったかもです。







厄年終わったはずなのに病院通いばかりしている。正月から発熱し、コロナでもインフルでもないはずなのに人生最大量の鼻水で溺れそうになり、その後中耳炎になり、別の部位で手術が決まったと思えば手術日に発熱し入院のリハをしたかんじで終わり、その発熱もただの風邪のはずなのに鼻から声帯まで全滅させ、やっと声が戻ったと思えば謎の下痢である。もうホント意味分かりません。



そんな中で先日椿屋四重奏2025は最後の夏のステージにおいて、有終の美を飾っておりました。私はレポを読むだけでしたがたくさんの人が沸いていて、こちらも嬉しくなりました。椿屋を青春の1ページとして挙げる人、リアタイできなかった世代の人、様々な人が愛を叫んでいるのを見るとホント良かったね…としみじみ思いますが、椿屋ロスとか言うてる人を見るとあぁソロはあんまり興味ない人も少なからず居るのかなと思ってしまいました。まぁそのへんは好みなので仕方ないですが、少なくとも私は椿屋と同じくらい、いやそれ以上に今の中田裕二氏が作る音楽とあと醸す空気感が好きなのでべつに椿屋やめないで!絶対2026やって!とは思わない。純粋に「椿屋四重奏おつかれ、中田裕二おかえり」の気持ちなのであります。下痢記事に混ぜ込んでなんかすみません。たぶんこの下痢もラッキーハプニングだと思ってる。だってもう厄年終わってますし。檀家は基本ポジティブです。











新宿は豪雨、ならぬ福岡は豪雨です。危険なレベルの雨です。福岡事変です。


これはいつぞやの福岡事変



先日リリースされた椎名林檎のシングル。フォロワー様が「白日のもと」について正しい街のアンサーに聴こえたと評されており、なんて素敵なご感想…!!と思いつつ、それと同時に歌詞見ながら聴いてない自分に気付かされる(歌詞カード見ながら正座して聴くのが常だったのにこの体たらく!!!!)。「実験中」の半ばで、志村さんが提供したPUFFYの「DOKIDOKI」が浮かんだのは私だけか?ちょっとだけね。なんか勝手に嬉しくなっちゃったよ。






いつも聴いているラジオで、東京事変の曲がかかった。「現実に於て」「現実を嗤う」
を連続でリクエストされていたのはどこかのリスナーの方だけど、その方のメールによると「事変(林檎)のアルバムは楽曲の間が短く曲やビートが流れるように繋がっていることをこのラジオDJによって知り、気になって教育(事変1stアルバム)を買った」とのことです。それを紹介するラジオDJの女性はとても嬉しそうで、曲をかけたあとも椎名林檎の作る作品のそういったこだわりについて語り続けていました。



今それが話題になるのか、と私は不思議な気持ちになりました。それはどういうことかというと、私にとってもはや当たり前だからでした。そりゃみんながみんな椎名林檎を聴いてる訳もないので当然の話なのですが、逆に言えば私にとっての邦楽の基礎はほかでもなく椎名林檎だったのだなと思います。余韻を感じる間もないほどの曲間の短さも、アウトロから次曲のイントロが完全につながったようなものも最早「あるある」で、当時のMDコンポでCDをMDに入れようとする時、機械が別の曲と認識してくれないからしょっちゅう自分で切れ目を入れてたんですよね、ディバイドっていうの?(懐かしすぎ)当時ゆずと椎名林檎にハマっていた私ですが、明らかに椎名林檎の作風が他より技巧的であることには気づいていたと思う。タイトルとか、歌詞とか、シンメトリーになってるとか、いろんなからくりがあった。音楽を深読みをする癖はそこからかも知れない。私は椎名林檎の音楽に教育されていたんだと思う。







この薄い端末に何千もの本が!みたいな謳い文句に負けてKindle端末を手にしてから、もう4年は経つと思う。でも紙の本が好きなので結局カバンには1冊文庫が入っている。下手したらKindleと文庫本両方持ち歩くこともあるので最早本末転倒です。私が紙の本で購入するときは、基本話題作。あとで売れるかなと思うから。で、ずっと検討していた本がありました。それが「おいしいごはんが食べられますように」です。

 

 


最近近くに新しいカフェができまして、しかもそこが本屋が併設しているとあって、今日は仕事終わりに本を読みに行きました。カフェに入る前に本を選びに行ったらこちらが目立つところに山積みにしてあったので、そういえばこれ読みたかったんだわと思い出したわけです。早速買ってコーヒーとチーズケーキいただきつつ、思ったより薄い本だったので食べ終わる前に読めました。せっかくなので以下感想。



別にそれほどホラーでもないし胸糞でもない



前評判にちょっと期待しすぎた?帯見たら「職場ホラーNo.1」ってあるし、先に見た感想も怖かったとかもう読みたくないとかそういうのが印象に残っていたので、いつだれの化けの皮がはがれるのか?こいつか、それともオマエか!みたいな視点で読んでおりました。私は「芦川さんが実は超悪女」にベットしましたが特段大事件は起こりませんし別に誰も死にません。なので「これでおわり?!?!」と思っちゃった私ですが、ただね、それが日常なのかなという気がしましたよ。んで、それがこのお話のすごさなのだなと。結局誰が芦川さんのお菓子を捨てていたのかは最後まで出てきません。私はなんなら芦川さんの自作自演では?(藤さんとデキとるやろ)とも思いましたが、どんなに考察しようがその答えは書いていないのです。なんだよそれ!と言いたくなりますが、私たちの日常ってほんとそうなんですよね。ないって言われたらないし、自分のこと以外は本当のことなんて誰も分からない。誰が嘘ついてるかも誰がいい人なのかも多分死ぬまでわからないです。そういうリアリティは自分の生活に置き換えるとたしかに恐ろしい、ということかもしれません。



で、あまりに肩透かしをくらった私は読み終わったあとすぐさまレビューを覗きにいったわけですが(私が読み取れてないことがあったのかと)、どうやら私はちゃんと物語は読めているようで安心しました。ただ、こんなに感じ方が違うのかというのが正直な感想。解説にも「ごまめ」という表現があったが、どなたかのレビューにも「弱いものが勝つ結末」みたいなふうに表現してあってなるほどーと、たださ、芦川さんって弱いか??それってみんなが芦川さんの外面から勝手にそう見ただけであって、中身普通にしたたかやと思うんだが(藤さんと絶対デキとるって)。空気読まないってある種才能ですからね。そういう意味でなら激強ですよ。最強。「弱いものが勝つ」というよりか「弱いものは最強」という表現のほうが個人的にはしっくり来ます。


私には芦川さんより二谷のほうがよっぽど弱く見えたし生きづらそうだった。なんでこんなに食事に執着してるのかがわからなかったし(執着していないという執着)(終盤を見るとおそらく幼少期のトラウマなのだろうが)、自分がいつお菓子を食べるか、どう感想を述べるか等々、ここまで他人の目線を気にするもんかいと思った。私は食べるの大好きなので共感できるところがなかったし、あと作ってもらったものについて褒めるのは当たり前だと思う。考えすぎ。とにかくコイツがいちいちねちっこい。私なら絶対に結婚したくないので二谷おまえ調子乗んなよ?というかんじでした。

押尾さんのような真面目OLの気持ちは私も経験があるので十分わかるが、わざわざ芦川さんに嫌がらせをするのは理解できなかった。明らかに自分が不利じゃんね。送別会も出ないとかそれをわざわざ言うとかカッコつけてるようでダサいんだよなそれーというかんじ。そんで「地雷女」芦川さんについてだが、こういう人いるっちゃいるよねーと思いつつ、とくに嫌悪まで抱かなかったので私の実生活において出会ったことのないタイプなのかも知れない。というかここまで書いてて思ったけど私は芦川さん寄りのタイプなのかも知れないね。お菓子は作れないしこんなにマメじゃないし偏頭痛持ちではないけど、有給は全部消化して辞めたし。「みんなに好かれる芦川さん」に対してみんなこう要領良く生きたいけどそうもいかないという憂鬱がはびこるお話でしたね。まぁ芦川さん皆が思ってるようなピュアな人じゃないと思いますけどね、芦川さんの正体がいつまでもわからないっていう結末はホラーですね。うん、やっぱわたしのベットは間違ってなかったんじゃないですか?何回も読みたくはないので綺麗なうちに売ろうかな。