大阪に来た。そして帰る。五日間の滞在でした。今回の旅も本当に充実していて、出会いも沢山会って、至る所で正解をたたき出したと思う。大阪に来たら必ず行くカフェがあって、今日もそこでモーニングをした。今回は3回行けたので満足したし、毎回同じ席に誘導されたのもなんだか運命のようなものを感じた。基本的に今のエリアから動きたくない性分だが大阪なら住んでもいいと思えているので人生何があるか分からない。でも人生どう転んでも正解な気がしてる。














4月1日だからといって嘘をつくムーブが昔から好きではない。日常でなら話のネタとしていいのだけど、企業がXでつぶやくのを見るとなんとなく冷めてしまう。嫌いというほどのものでもないのだが、最初からネタとわかっているのになんだこれと思ってしまうんである。そういったようなしきたりといおうか、また4月が来たよとつぶやく人たちにも流石に飽きてきた。師匠ならいいんだ、だって当人だし。何百という人達がまた4月が来たよと呟いておりもうええてとなる。テッパンネタも流石に飽きられるというものだ。なので私は2月に言っておいたが、それで気が済んだので良かった。今日私はエイプリルを聴いていた。志村さんはなぜこの曲にエイプリルと名付けたのだろう。志村さんの描く4月は、いつ聴いても志村さんらしいと思う。








あぁ、リップの活動が終わってしまったんだな、と個々のインスタを見て思う。ゆっくりと日常に戻っておられる。この1年はリップスライムとしてモリモリに盛りだくさんだっただろうから、ようやくつかの間の休息を取られているのだろうか。いや、すでに個人活動に大忙しか。ペスはそんなかんじ。私は先日のライブが盤になることを待つばかり。




グッズを買いました。先日、最後の3日間のライブグッズの通販がスタートしたのでしっかり定時にサイトに入り購入。18時カートオープンだったんだけど、結局決済したのは18:41でした。なんでかってTシャツのサイズを決めかねていたため。Tシャツってマジで奥が深いよ。私なんてもう100枚近くバンTあるんだけど、この身幅肩幅はいいとかダメだとか流石に分かってきたんだよ。私の体型に似合わないバランスがこれ。この、L。





この肩幅50袖丈22っていうバランスがどうも苦手で。いつだったかくるりのTシャツでこのサイズを買った時、肩の縫い目のところがガンダムみたいになっちゃって、私の体型にはダメなんだとわかった。それ以来ここだけは避けるようにしている。てことでこのTシャツ(バカボンT)はMにして、あと夏に買い逃してたRS5isbackTを買いました。こちらはXLにしてみた。いやこれもMにしとくか迷ったんだけど、この手の色って結構汗ジミつくじゃないですか。オーバーサイズにしてた方が下にインナー着れたりするかなーみたいな、いやほんとTシャツもサイズ一つで変わりますから、奥深いです。




それにしても某メルカリでリップ関連のものがバカ高く取引されていて驚き。転売は褒められたもんじゃないが、ソールドになってるところを見ると確実に需要があるんだなぁと。実は私、3年くらい前かな、リップ(3人)のライブ行くくらいの時期にメルカリでちょこちょこ購入してたんですわ。もうね、何とは言わんが破格でね、みんな投げ売りかってくらい安く売ってたよ(そして買ったよ)。それが今その時の何倍の価格で取引されてるんだから、物の価値ってシンプルに株みたいだよなーと思う。











花見の夜。友人と酒を飲みながら、推し活の話になった。切り出したのは「推し活理解できない派」の女子1名。その場にいる残り3人は程度の差はあれ「推し活容認派」というか、まさに当事者である。そして私はこんなブログを17年も書きつづけ、推しという言葉が生まれる前から推しの存在及び推しのある生活に救われてきたタイプの人間であり、否定されることは生き方を否定されることとイコールである。つまり、負ける訳にはいかないのである!



推し活否定派の彼女の言い分をまとめると、推しもいち人間だろという主張だった。つまり、限りなく小さな可能性ではあるとしても、推しがもし目の前に現れて今晩どう?とか迫られたらいくだろうと。それで夫(彼氏)との愛とは別物だというのが納得出来ない、ということらしい。




あのね、



もうね、


ここから相容れないわけである。



いや、そりゃ誘われたらさ…



行くけどさ?(行かせてくれよ)




行くけどさぁ……大前提、誘われないんですよ。そこの視点はまじでないんですよ。と返せば



推しを神格化し過ぎなんだという。推しだってひとりの人間で、影で何してるか分からないもの。ばったり会ったら今からホテル行こうってなるかもしれん。そしたら行くやろ絶対って




だから、

そこの可能性を踏まえてないんですって我々は
(どんだけワンナイトさせたいんや君は)
(あと絶対行きます行かせてください怒)





個人的な意見を書きますがね、推しを神格化しているのはまさに推し活否定派なのだなぁと思いました。推しは神格化されるものだと思いこんでいるから、誰かと比べる視点が出てくる。推しとパートナー天秤にかけ、大概推しを大事にするものなのだ、というふうに誤解する。




推し活してる者は推しを神格化などしていない。きちんと人間として見ている。だから好きになるんだと思う。違うなと思えば離れることもある。パートナーとは違う種類の「好き」がそこにあるのは確かだが、熱量に差があるかというとそうでも無いと思ってる。どちらも変わらず大切なもの。そこに天秤は存在していない。推し活否定派の人には見えない世界かもしれないが、実際推し活している界隈に私生活が充実している方は多い。私の周りにも、優しいご主人がいてお子様がいて、働いたお金で推しに会いに行って、また日常に戻る、という方が非常に多い。無論、私もである。



勿論見境なくなってしまった過激な人もいると思う。それは論外として、私の場合は同じ時代に生きて毎日エンタメを届けてくれてありがとうという気持ちでいる。あなたの歌が、作品が、リアルタイムで届くことが幸せ。歴史上の人物みたいに会えないわけでなく、時々生の姿が拝見できて、同じ時間を過ごせることが奇跡。ただそれだけなんである。結論、バランスの保たれた推し活をしている人はどちらかというと博愛主義ではないかと思っている。推し活否定派にはそこをお伝えしたい。





そもそも、推しが妙齢の異性と思い込んでいるあたりも危うい。私の推しは女性だっているし最高齢は今年90歳になられる。ホテルホテル言われるのはまじで話がちがうのだ。推しに会えたらそりゃ嬉しい。でもそこはまるで想定していない。どちらかというと、同じ気持ちで推してる仲間に出会いたい。20年前はそれが簡単に出来る時代ではなかったんだ。音楽誌やホームページを見るしかできなかったし、マイナーなミュージシャンについてはこの音楽を聴いてるのは今私だけではないのか?という錯覚に陥るけれど、ライブハウスに行けば同士が沢山いて嬉しかった。それがスマホで出来るようになったという変化。好きなものを好きだと言って共感してくれる存在がいる。SNSを通じて本人に届くことだってある。それが現在の推し活ブームの根幹なのだと私は思っているし、そこには愛があると思う。ええやん。素敵やん。俺そんなんめちゃめちゃ好きやねん(紳助)




結局このふたつの派閥が相容れることはなかったが(そらそう)今回は全員が穏やかな性格だったのでやんわり終了した。しかしこんな討論が始まってしまえば朝まで生テレビのごとく白熱し友情も破滅する恐れがあるので決してオススメしません。でも私は曲げないし、声を大にして言いたい。推しがいる生活最高。推し、今日も生きていてくれてありがとう。














友人と花見をした。まだ3分咲きにもいかぬほどだけど天候は最適、公園はどこも花見客で賑わっており私達もビールを1人3本くらいの計算で順調に空けていった。それから友人の家に移動して夜まで宴を続けた。



食事中よくわからない映画を垂れ流しにしていたところ、友人のひとりがそれをYouTubeに変えて「人生で1番好きな歌をプレゼンしよう」と言った。みんなそれぞれ考えたが、歌というものはその人のエピソードによって思い入れが決まるものだから難しいんじゃない?と言ってくれた友人のおかげでその企画はボツとなった。ただ切り出した男の1曲だけはきかせてもらおうということで、彼が意気揚々とかけてくれたのはRADWIMPSの「愛にできることはまだあるかい」だった。異論なく、名曲である。



そこからRADの話になった。そこに居た友人はみんな私より年下で過ごしてきた地域も趣味嗜好も違うけれど、みんなRADWIMPSを通ってきていたので流石だと思う。当時のバンドブームの話をしつつ、時にBUMPやエルレ、星野源などに逸れながらも、RADの話に戻った。有心論のMVを見ながら「心臓を左心房って言うか普通?」という者がいたり「これ3分前なんだよね」とMVにおける小技を解説する者もいた。なので私も2番のサビ前において「ここカミ、サヨナラって言ってんだよね」と呟いてみたら全員が「エッ」と言った。これは当時からファンの間ではよく知られたことで、初期の作品には洋次郎の元カノが「マキ」という名前でちょこちょこ出てくる。そういえば出典不明だが、当時のファンの間ではよく知られたことだったと思う。



有心論においてはMAKI▶KAMIというアナグラムが隠れておりつまり 地上で唯一出会える神、というふうに好きな女を神とまで呼べる野田洋次郎の繊細かつ危うい作風は当時からセンセーショナルであったと思う。で、神様のところは実は「カミ(マキ)、サヨナラ」と言っている説を満を持して披露したというわけだ。意外とみんな知らなかったらしく、何度も巻き戻して「ホントだ~!!!!」とか言ってたのでうっかり関暁夫の気持ちになってしまったよ。信じるか信じないかはあなた次第です。なんか色々時代錯誤だね。