多分3年ぶりくらいに東京に行ってきた。友達の結婚式の日程に合わせて計画した東京旅行だけど、偶然中田裕二のイベントと重なっていたから笑う。いや直前まで気づいてなかった。そんなことならチケット申し込みするだけすれば良かったが、結婚式と完全に日時がかぶっておりどちらにせよ行けなかったので仕方あるまい。裕二(敬称略)のイベントはビアホールで、私はその博多店に何度も行ったことあるがさすがに味が違うのだろうと思う。いつか行ってみたい。何を隠そう私はビール党なんだ。ビール党になったのはいつからだろう。夫はハイボールが好きで、ナニナニはどこのお酒でこういうとこがいいとか鼻に抜ける香りがウンヌンとか、わりとマニアックな話を聞かされる。彼によると多分香りを楽しむ酒だと思うが私の舌はこどもなのでビールのほうがわかりやすくて美味しい。あの苦味とのどごしが至高。それがないから、私はハイボールがどうにも物足りない。最近は身体のことも考えて一日中ジョッキ3杯までと決めているのだけど、その3分の1を「身体のことを考えてハイボール」にできない。3分の3ビールで埋めたいのだ。いっそアルコールでなければいいな、そしたら身体にはさほど負担がないから倍くらい飲んでもトイレが近くなる以外は問題ない。最近のノンアルも随分美味しくなったけど、数日ノンアルを飲み続けた舌で久しぶりに完全体の生ビール飲めば、やっぱあれは嘘もんだなと思い知らされてしまう。そんなことを考えていたら、ああ私いつからかビールの味が好きになったのだ、と思った。昔は酔えたらそれで良かったのにな。彼氏欲しくてなんとなく付き合ったらいつの間にか本意気で好きになっちゃってたみたいな、そういう乙女心に近いかもしれない。いや近くもないのか。あと気づいたのは、飛行機に乗ってる2時間なんてあっという間に過ぎるということ。東京まではもっと遠いと思っていたのに。あともうひとつ。東京は住んでもいいと思っていたけど、そんなに住みたくもないなということ。優勝パレードのLINEニュース見ながら早く自分の住んでる街に帰りたいと思った。










もっぱらRADのトリビュートを聴いている。歩きながら「携帯電話」を聴いてて、ほんとに洋次郎ってこういうとこあるんだよなぁと思った。なんだお前と言われそうだが、ほんとに洋次郎ってこういう詞が多いんだ。褒めてる。電話帳にいくつも名前が入っていることを、友達を携帯しながら生きていると表現する。発想が子どもみたいだと思う。洋次郎の書く詞はいつも自由で、繊細で、無垢だったと思う。




ミセスが狭心症をトリビュートした。それが発表された時、あれ狭心症ってどんな曲だったっけと思った。リリースが2011年、もう14年前。カラオケで歌おうとしたらすごく長いなと思った記憶がある。実際7分近くある曲。四分音符でたんたんと鳴るビートが心臓の鼓動のように重かった気がする。





ミセスもRADを通ったんだという。リアルタイムではわからないものだけど、あのころ売れたバンドが今売れてるバンドに与えてる影響力って凄まじかったんだなと改めて。今でこそ心の弱さとか脆さとか時に危うさのある重たい世界観を歌う男性ボーカルはスタンダードだけど、ラッドはその先駆けともいえた。最初に言ったけど、洋次郎の歌詞ってすごく無垢。染色体では一生のお願いを2度使い、ふたりごとでは惑星をワープする。有心論では好きになった「君」を地上で唯一出会える神様とまで言い切るのだ。ちょっと行き過ぎた妄想に至っちゃってる所が、カッコイイんだかカッコ悪いんだか、でもそのカッコ悪さオッケーな姿は2000年代における新しいヒーロー像みたいなものかも知れなかった。



そうか、ミセスも思春期にRADを聴いていたんだなと思うと不思議な気分。私はただのリスナーだけど、彼らはそれをしっかり血肉にしたわけだ。でもなんかわかる気がする。ミセスってマイセルフを繊細に、あと力強く表現してるイメージなので、すごく似合うと思った。




悩んで受けた、というこのコメントを読んでから聴くとさらに胸に迫るものがあって。なんていうか、まじリスペクトってかんじ(語彙力)。いやほんとにミセスの心からのリスペクトを感じた。大森さんの歌唱力と表現力はもちろんなんだけど、それだけでもない。この曲を解釈する力だ。大森さん、ほんとに好きなんだろうな、聴いてきたんだろうなってわかる表現。つまり、インプットとアウトプットの力が度を超えてる。洋次郎を真似るでもなく、大森さんが自分の中で咀嚼して自分の曲として自分の心で歌い上げているのはもうAメロで十分にわかった。




私、ミセスだと「Breakfast」が好きで。2番のサビの展開がコレ天才では???と思っているのですが、この狭心症でもそれをやってくる。このまま普通に行くんかな…と思ってたらサビから間奏の怒涛のコード展開、ドラマティックなオーケストラアレンジはいやちょっとこれ…原曲より好きかもしれない…。1本舞台観たみたいな感覚。トリビュートは原曲より好きなものに出会えなかった人生だけど、これはちょっとオリジナル超えといってもいいくらい、クオリティとか言うとオマエなんやねんってなるけど、いや逆にこんな素人目にもわかるクオリティの高さ。気迫っていうのかな。想いっていうんかな。これぞトリビュートってのを見せてもらえて鳥肌。RADも嬉しかったやろうな、なんか想像してしまう。こんなすごいの聴かせられたらぶったまげそうだし、逆に俺らのフォロワーにこんなすごいの居たのかよってなりそう。これを機にRADを聴くミセスファンも居るのかな、居るんだろうな。









先日のこと。「昔からBUMPよりRAD派だ」と何故か突然に宣言した友達を見て、さてバンプとラッドを引き合いに出すのは今のリスナーも同じなのだろうか?などと私はひとり考えていた。というのはあのころ(2000~2010年当時)の邦ロック界隈において【最近売れてるなんとなく近しいものを歌う若い男性4人組バンド】として離れていないところにいた両者だと思うけれど、今はもう全く交わる部分すらないように思えるからだ(まぁ当時も違うけどな)。メンバーの数も異なるし、両バンドの世界観もそれぞれ確立した今、そんな派閥論争なんてないんだろうな。なんてこと思ったのは、ラッドのフォロワーは相変わらず若い世代が多く思えるから。




ラッドの20周年トリビュートがリリースされた。


 


BUMPもRADも今の若い子達が熱く追いかけているのがすごいと思う。私はもうBUMPもRADも追いかけていない。それは嫌いになったとかではなくて、あの頃大好きだった音楽として本当に今でも胸が締め付けられるくらい大好き。いまリアルを追わなくなったのは、シンプルに共鳴しなくなっただけだと思う。音楽って善し悪しではなくて、個人と共鳴するそれだけのものだと思っている。だから、いつの世の若い世代にも愛されているその音楽の持つエネルギーはすごい。作る人のエネルギーも。ピュアなんだと思う。BUMPもRADもそういうところが本当に好きだった。




個人的にトリビュートはあまり好きになれないというのはこのブログでも何回も書いた。なんでだろうと考えた時、オリジナルを知っている場合私はオリジナルから入っているから。最初に感動したものを超えることはないから、そのアルバムがマイベストになることはないのだと結論づけた。だからトリビュートはフェスと思って聴いている。RADが好きだというアーティストが集ったこのフェス、結論、すごく良かったです。




原曲に忠実にやる人、独自のオリジナリティを出してくる人、それこそ様々でしたが、そのあり方こそがフェスというか。個人的には宮本浩次さんのおしゃかしゃまが一番興味があって。聴いてみたら、その意外性がすごく良かった!ミヤジさんってどちらかというと包容力があるというか開けているというかダイナミックなイメージがあったから、おしゃかしゃまみたいな緻密で小賢しいかんじの(褒めてる)小技満載なこの曲をどう歌うのだろうと思っていたけど、これミヤジ?!というAメロからBメロの流れ、声。サビより好きだな。面白かった。




選曲、アーティスト、感想は様々だと思うけれどデビュー~初期を追わせてもらったいちファンとしてはすごくいい選曲だしあてられたアーティストも適任だったと思う。上白石萌音の染色体、セカオワの最大公約数、米津玄師のトレモロ、マイヘアのいいんですか、ハナレグミのそっけない、ヨルシカのダルマ、聴かなくても「あ~~~(それはわかる)」となった。RAD側からあてるのだろうか?それともアーティスト側から?さすがだなという。iriのふたりごとも良かったな。令和ミックスというかんじ。こうして「トレンド」を見せられるとRADが「2000年代中期のトレンド」だったんだというのが逆にわかる。ミクスチャーロックのはしりというのかな?RADを聴いてきたという人気アーティストのみなさんのリスペクトが感じられて、なんていうか愛だなーと思った。









私が青春してたころにかっ飛ばしてた若きアーティストたちがここ数年トリビュートを出す時期にきている。あれからもう20年以上経ったということだ。ちょっと前はクリープハイプ。そしてRADWIMPSが、この度20周年トリビュートを出す。



(今日現在発表されてるのはVAUNDYまでだが、「曲が微妙」と評してる人がいた。私はとてもいい選曲だと思っているので、この人はわりと若いリスナーなのかもしれない。)



職場の後輩(2000年生まれ)は10年前にRADに出会ったらしい。今年のツアーに初めて行く予定だということ、そしてこのトリビュートの件についても嬉しそうに報告してくれた。対バンしたしBUMPもあるって言われてるんですよ!という彼女の意見には、いやそれはどうかなとうっかり否定してしまった。



今RADの公式では毎日1アーティストごと曲名とともに公開されているのだけど、今のところBUMPの名前はない。ついでに椎名林檎も期待されてるようだけど椎名林檎も今のところないし、これからもないだろうと予想できるのは、私がRADもBUMPも椎名林檎も全て青春、いや人生の1ページに深く刻まれるほど追いかけてきたアーティストだからだ。



BUMPがこれまでトリビュートしたのは、ピロウズだけだと記憶している。

 

BUMPが担当したのはハイブリッドレインボウ。




BUMPって、今だからこそ声も風貌も発する言葉すらも丸くフワフワしてるけど、かなり尖っていたバンドだということを知るのはもはやアラフォー世代以上なのだろう。インタビュー受ける時の座り方も喋り方も気だるそうで感じ悪かったし(それはまぁ90年代のロックバンド全員そういうクールさがあったので当然ともいえるが)ライブで客がシンガロングしようもんなら「歌うな、俺の歌だ」と曲止めて制していたのが藤原基央である。ファンに差が出るからと作らなかったはずのファンクラブがいつのまにか出来ていたり、ライブ先行のシリアルを封入し始めたのはもう時代のせいなのでよかろう。そんなとがったBUMPがさわおさんへの想いを語りトリビュートしたハイブリッドレインボウは当時私にとっても印象的な1曲だった。いくら対バンしたからと言って後輩バンドのトリビュートに参加するということは絶対にないと思っているのだ。あったらなんつーかあぁBUMPももうそんなかんじか……って切なくなるリスナーは一定数いると思っている。




林檎ちゃんが色んなアーティストとコラボしてるのも最早珍しくないのでたしかにその可能性も無きにしもあらずだが、この20年で椎名林檎とRADが関わっているところを見たかというと全く見ていない。椎名林檎がRADについて言及したのを見たことがないのだ。そういう意味で、参加はないと思っている。4文字というなら米津玄師だと思う。




Xとか見ていると、椎名林檎とコラボさせたがるリスナーは多い。それだけ彼女がもはや大物の風格を醸してきたところはあるのだけど、彼女はかなり人を選んでいると思う。彼女がコラボするのは彼女の「今気になる人」というのが1番ではあると思うけどただそれだけでも無いと思うし、というかこれはビジネスなので私たちのよく知らない部分で(レーベルとか)コラボできる人といない人がいるのは明白であろう。例えば私の敬愛する中田裕二の界隈を見ていると彼のコラボ相手に椎名林檎を熱望する人がかなりいるが、絶対にない。裏を知らないので絶対とかいえないだろと自分でも思うが、絶対にないといい切れてしまう。矢井田瞳と出てる時点でもう絶対にないし、正直あって欲しいとも思わない。する必要ない。もはややってはならない域であるし、両者が希望してないのもなんかわかる。




なんかわかる、という感覚でブログを書いてしまうのもあれだが、だからこそブログで書いた。もしRADや裕二の関連で椎名林檎の名前が出たならそれはそれで驚きなのでその時はアルバム買います。ないと思うけど。



私はこれ好きです








本が好きです。小学校のころ私はなぜか図書室に通い、読んでは借り読んでは借りを繰り返していました。本が好きという自覚はなかったんだが(たまごっちとかスーファミとかの方が好きだった)、図書室の本を借りた数ランキングみたいなやつはいつもベスト3圏内でなんなら1位競い合ってた記憶なので、それってつまり好きだったんだと思う。てことで、休みの日に何やってるのと訊かれたらカフェで本を読んでると言いはじめてる。今まで好きなのは音楽だと言い続けていたけど、ギター弾くのより本読んでることが多いし、本当に好きなことって自覚がないことなのかもしれないと気づいた。今近所で数々の古本や新書、文庫、詩集などの集まった読書好きには堪らないポップアップが開催されていて、やはり私も通りがかると入らずにはいられなくて、連日ちょこちょこ買ってしまっています。先日買ったのは「るきさん」という漫画。

 

 


私は基本的にジャケ買いをする。誰が書いてるかはあまり興味がなくて、有名無名も気にしない。本を選ぶ時はとくに直感を大切にしていて、パラパラとめくった時に目に入るものから得られるいい感じ・嫌な感じを見て決める。だからKindleを買ってもなお我が家には紙の本が増え続けるわけですが、この私の直感というのが正しいことをこの本で確信させてもらいました。なんやこれ!!!超好き!!!




平成初期にhanakoで連載されていたというそれは、おそらく30代半ばくらいのるきさんという独身女性の日常が描かれたオールカラーの漫画。ちゃちゃっと仕事して、ちゃちゃっとご飯作って、好きな空間で眠る。贅沢してないけどきっと貯金してるし自由気ままなその暮らしぶりは素敵としか言えない。るきさんの友人・えっちゃんも同じく主役といっても過言でない。るきさんよりは俗っぽくて、オシャレなえっちゃん。でこぼこっぽいけど親友みたいに気が合う2人のなんてことないやり取りがまた良い。るきさんらしい余韻の残る最終話なんてもう、天才としかいえなかった!




このブログには昔のトレンディドラマの感想だとか、あと2000年に放送されたお見合い結婚が好きだというのを何度となく書いているんですが、私が平成初期の若者の日常を見るとときめいてしまうのって今の時代にない生き方やカルチャー、あと日々の楽しみ方やその時代ならではの視点が見られるからだと思っている。私も当時生まれてはいますけども、ガキンチョだったので自分の身体では体感していなくて。たとえばるきさんが年賀状のハガキを厚紙で自作したり、切手を選んだり、書き初めをしたり、障子を張り替えたりって、今じゃもうやらないわけ。有線の黒電話をギリギリまでひっぱってえっちゃんと話すなんてシーンもありえないわけ。お見合い結婚での節子もそう。家にある電話で光太郎とやり取りしてるし、健気に家の前で待ち伏せなんてしちゃうわけ。今のドラマじゃもう描かれないような狭くて煩雑とした天井の低い部屋も、なんかすんごい私はときめいちゃうわけです。




るきさんについて色々と調べてみたら、数年前になにやら企画があっていた様子。2021年に60歳ということは、今は64歳のるきさん。逆に言えば、連載当初の88年は27歳だったということ。いや、若!!!!これってあれよね、サザエさんが実は24でしたみたいなあの感覚…昔ってやっぱり何事も早熟というか(使い方が違うが)。お見合い結婚でもそうだったけど、今より10年くらい歳とるの早かったんやないかな。るきさん、これは何度でも読んでしまうな。土日の朝はきっと繰り返しこれを読む。