端的にいうと、若者のすべてのカバーが嫌いだ。大嫌いだ。自分でもこの感情はなんなんだろうと思う。先に言うと、私は音楽にほんのちょっとだけ携わる仕事をしているとはいえど、音楽業界には何も関わっていないし、学もないし、ただのリスナーでしかない。だからこんなところに書いてもフジファブリックにも若者のすべてをカバーしているアーティストにもなんの影響もない。ただのひとりごとだ。だから書いてみることにした。




なんで私はこんなに若者のすべてのカバーが嫌なんだろう。いつから芽生えた感情なのだろう。自分の記憶を遡ってみると、志村さんが亡くなってからすぐには感じていなかったものだ。むしろ、じんとしながら聴いていたように思う。たとえばフジフジ富士Qで歌った藤井フミヤさんとか、Bank Bandの桜井さんとか、亡くなってから数年のカバーは、やっぱり志村さんのことを悼むようなその場の空気感があった、ように感じる。時が経てば当たり前なのだけど、その空気感はいつしか薄らいだ。その曲は志村さんがいなくなったあと、少しずつ、加速しながら、どんどん有名になっていった。そしてそれは現在進行形である。例えばCMに使われたり、ドラマや映画に使われたり、素人の動画編集に使われたり。志村さんを知らない人でも、フジファブリックをよく知らないひとでも、「若者のすべて」だけは知っているとか聴いたことがあるとか、そんな状況がある。おそらく私は、若者のすべてがなんとなく消費されているように感じているのだと思う。




そもそも音楽はアーティストにとっての商材なので、消費されるのは当たり前の事なのかもしれない。だから消費といってもなにも間違ってないのかもしれない。ただ私は、「若者のすべて」ばかりが賞賛されそれに乗じて感動してる人を見かけるとどうにも違和感しかないのだ。二十九で急逝したフロントマンの、当時はそんな売れなかったけど隠れた名曲デス!的なかんじで紹介され、今や夏の風物詩みたいになって至るところで俺知ってるよあれいいよねと誰かがつぶやく。その曲だけが有名になるかんじが、なんだかいけ好かない。




ただのファンのくせにそんなの傲慢だろと言われるかもしれないけど、ファンだから思うんだ。カラオケで素人が歌ってるのはとくに何も思わない、その人がバンドと親交があった場合も思わない、けど、たいして思い入れのなさそうな人がその曲をカバーしてお仕事にしてるのを見た時にはさすがにモヤッとする。ここでTAIFUとか笑ってサヨナラとかサボテンレコードとかペダルとかAnthemとかが来たならば話は違うし、ひとことふたことフジファブリックが好きで、とか言うなら全然いいけど、そこがわからないままだとどうしてもモヤッとする。



だってさ、フジファブリックには他にもいい曲が沢山あるんだ。ここでのいい曲というのは、名曲!という意味のものもあれば、フジファブリックならではのいい曲!をも指してる。若者のすべてはたしかに名曲だけど、当時はスタンダードすぎてそんな目立たない、みたいなところあったよね?(私だけの感覚だったらすみません) だってよ?シングルだけなぞっていけば桜の季節をはじめとする四季盤(全部名曲)から虹、茜色の夕日(これらも名曲)、蒼い鳥(個人的にアツい)、そしてSurfer Kingとつづくわけですよ。これ、なかなかですよ。メメメメメリケーン!叫んでからのサビが「フフ………」ですからね?トンチキすぎるでしょ。で、そのあとやけにダンサブルなパッションフルーツを経てからの、「若者のすべて」なんですよ。ね、地味でしょ。若者のすべてが地味に見えてしまうこの系譜よ!私はね、これを知って欲しいんです。これを知ったうえで若者のすべてを聴いて欲しいんです。なんならインディーズ時代のダンス2000も線香花火も花屋の娘も桜並木、二つの傘とかも知って欲しい。若者のすべての歌詞とかコードとか構成とか素晴らしいのはわかるから、その曲を点として終わらせないでよと。フジファブリックにはたくさんの点があって、それが線になったときとても面白くて、すごく魅力的なバンドなんです。それをもっとたくさんの人にわかっていて欲しい。





そう思うのは私だけなのだろうか?だれかが若者のすべてをカバーするのを喜んでいるのはフジファブリックを知っている人だろうか、それとも往年のファンなのだろうか、それだとしたらファンの一体どの層なのだろうと思うことがある。念の為言うけれど、それが悪いというわけじゃない。単純に知りたいって話で。




ここまで書いといて、私だって誰かのカバー曲を聴かないこともない(ただ基本的にオリジナルが1番とは思っている)。だからここで志村さんの曲だけはぁ!とかいう理論はおかしいと思う、だから自分なりに考えてみたんだ。そしたら答えは単純で、志村さんがこの世にもういないからだと思った。そうだ、なんてシンプル。つまり私が言いたかったのはフジファブリックのカバーをする人が嫌だってことではなくて、志村さんじゃない人の歌を聴いてそれで満足してる人がいる状況が嫌だってことだ。どんなに売れてるアーティストだろうが声のいいアーティストだろうが耳のいいアーティストだろうが関係ない。本当は志村さんの声で何度も歌って欲しい。志村さんの声で聴きたいんだよ。そして、みんなにも志村さんの声で聴かせたいんだよ。たぶんそれだけなんだよな。ただのひとりごとです。












買いました。




RIPSLYME、昨年の復活イヤー総ざらいな映像集です。大ボリュームなだけあってお値段もそこそこしますが、そんなの関係ありません。早期特典のカードに加え、Amazon先生の特典は巾着でした(思ったより小さかった)(でも逆にカワイイ)



そうこうしていたら、リップ公式よりお知らせが。どうやら誤植があったそうで。「始まりはQ(9)CUE」のCがQになってたよーってことなんだけど、読んでてもすぐには気づけなかったくらい。制作サイドは顔面蒼白案件だと想像できるが、消費者側はそんなに気にしないしむしろレアじゃんと思いますし、あと誤字とかどうでも良くなるくらい良い曲なので無問題です。私この曲大好きなのよ。過去にも記事書いてるけど、改めて聴き始めたらもうサイコーなテンションになってしまい今日だけで30回は聴いたと思う。私そういうとこある。



https://ameblo.jp/em4danny/entry-12744294548.html





スペアザといえば「Have a nice day」は一時期目覚ましにして朝聴くルーティンにしてたくらい好きなアルバム。※スマホじゃありません当時のコンポです スペアザと愛するリップがコラボしてたのを知ったのがまさかのリリース数年後という私としては大失態の事案だったのですが、今それを取り戻すかのごとく鬼リピートしています。本当に良い。本当に気持ちいい。何この哀愁。やっぱりリップはメロウが似合うし、真夏と見せかけて実は秋くらいにどハマりするアーティストなんだよなぁと感じさせてくれる。のせるメロディがなんとも最高なので、スペアザとも相性抜群なんである。



リップはその楽曲のテーマが決まったら4人それぞれそのテーマに基づいたリリックを持ち寄ると聞いたことがある。この曲のタイトルが「始まりはキュー」とあるように、このテーマは「9人」なのだと思うが、それぞれの思う「9人」の描かれ方があまりにいとおしい。そしてそれは9であるのはもちろん、「急」でもあり「究」でもあり、その他様々な「キュー」にもとれるという、このあたりの言葉遊びや思考が実に彼ららしくて好きだ。



聴きながら改めて、とても楽しい曲だと思った。4MCそれぞれのターンでのスペアザさんによるトラックの味付けが異なる。毎度1曲の中でこちらが昂揚するような展開をもって完成させてくるスペアザさん、いやスペアザ先生ですから、ただそれだけでも気持ちがいいのにそれに4MCが乗っかってくると鬼に金棒といったようなもん。これはリップ単体の時にはあまり見られないと思うのだけど(そこはやっぱりほらバンドとは違いますからね)、4MCのリリックの個性が際立つ際立つ。PESのもSUさんのもILMARIのも本当に甲乙つけられないほど大好きだけど、昨年見た関ジャムかなんかの音楽バラエティ番組でRYO-Zのラップがとても褒められていたのが頭にあるせいか、RYO-Zのラップが最高に技巧的に聴こえてくる。これはちょっと鳥肌たつほど。5分程度の曲だが、聴いていて本当に気持ちよくて、楽しくて、面白いのだ。聴いたあとのその満足感に私はまたリピートしている。MVも最高だ。9人の持つ空気感が出ててついにやけてしまう。やっぱりこの抜け感が最高にカッコイイ。リップはいつもそうだったね。












いわゆる若者言葉になるのかな、苦手な言葉があって、それは「えぐい」ってやつだ。別に言ってる人を見たとて何か思うってことはないが、自分で使おうとは思わない言葉ナンバーワンといえよう。なんでかっていうと、意味がわかるようでわからないから。例文を作れといわれたなら「あの人はエグい死に方をしました」とか、「この野菜は少しエグみがあります」とかにすると思うが、でもなんか今の使われ方ってそんなかんじでもないんだよなぁ、なんかもっと違うニュアンスが含まれている気がして、自分の中にある日本語のもつれというか腑に落ちないところがきっとあるんだと思う。「エグい」の現在の若者言葉としての意味あいをアメリカ人に説明してみて、といって完璧に説明できる人はいるんだろうか?私がずっと邦楽を好きな理由は多分にそれがあって、日本語でのニュアンスや余韻は日本語以外では表すことが難しいと思っているのだ。日本語のもたらす奥深さは計り知れない。それだから英詞⇔日本語詞は大概が「意訳」になるわけで(字数制限もありますし)。ビートルズの曲も「ビートルズがやってくる!ヤァヤァヤァ!」とかなってしまうんである。それはそれでいいけど、私は日本語が好きだから、誰をも介さず理解できるのがありがたいなと思う。とはいえ、その反面耳に入ってくる日本語がうるさいと感じるようになってきたのは歳のせいか。20年前なら好んで聴き漁っていたような雰囲気のバンドたちの音楽が、なかなか聴けなくなってしまった。それはきっと年齢のせいだ、アラフォーになればそんなの自然なことだ!と正当化してみたけど、同じくらいの年齢の人がそんな若手のロックバンドのライブに行っているのを見るとそんなこともないんだなと思い知らされる。聴いてて意味がわからないから洋楽はいいのだ、と言っていた人が昔いた。その時はなに言ってるんだと思っていたけど、最近なんか、分かってきた。









気づけば9月。若者のすべてが流れたら夏の終わりとかいうのやめてくれ、九州は未だに夏の様相だからそんなこと言われてもというかんじ。あと若者のすべてよりいい曲めっちゃあるんだからみんなちゃんと聴け。などと言いながら8月のわたしのAmazonMusicの再生ランキングは、先日発表された中田裕二の新曲「捜索願」でした。発表が29日だったから3日間での再生ということになるのだけど、私の大好きな正体をさしおいて1位とはやるわね………



で、今朝見つけたんですけど。







裕二やないかい‼️‼️‼️‼️‼️‼️


こんなところで見つけるの滅多にないので、ディズニーで隠れミッキー見つけた時みたいな驚きと喜びからニッコニコの表情になってしまいました…それにしてもわざと写りこませたんじゃないかレベルの写り込みですね、そうじゃないからすごいんですけどね。このお店のマスターとお話したいわマジどこのお店?そして私はこのツアーの時ポスター買わなかったの相当後悔してる(当時はポスターとかアクスタとかいらんやろと思ってた)。




中田裕二は売れてないとよく自虐するしたしかに他のアーティストと比べたらそうかもしれんけど、それならそれで良さがあるとわたしは思うのだ。だってこうして見つけるだけで嬉しいもの。日常でも中田裕二とか椿屋四重奏とか言うたところで知らんて言われるし知っててもファンだという人には出会えない人生でしたから、まじで中田裕二のファンは何処に生息していらっしゃるの?とライブに行くと毎回思っていた。だからこそだ、同士に出会えるととてつもない嬉しさがある。




好きなアーティストを観にいこうとするのに毎回チケット争奪戦で心疲弊するのも辛いし、急に変な御新規が増えて治安が悪くなるのも嫌だ。テレビつけたらめっちゃ出てるのは嬉しいけど特別感もなくなってくるからもう頑張って観ようともしないし、他に好きなアーティストがわりとそんなかんじになってきてるから、性格上私の情熱がこの方に向くのも当然というかんじ。この界隈はアーティストに似てるのか本当に優しい方ばかりだし物事の本質をわかってるしピュアな方が多い(と感じる、個人の感想)。こんなに横のつながりができたのも初めてのことだ。色んなアーティストを推してるし大好きで聴くけど、今一番共鳴してしまうのは中田裕二の音楽。多分私は音楽を音楽だけで聴いていない。いや中田裕二の音楽はとても素晴らしいが、それだけじゃないということ。この方が超絶売れててふんぞり返ってたら好きじゃないと思う。きっと無意識のうちにその人となりや背景を見ている。中田裕二には老舗の隠れ名店であることを誇りに思って欲しいよ。なにより似合うし。








昨日友人とビールを飲みながら、今期観てるドラマの話になった。基本的に話題作や誰かのおすすめは観るようにしていて、今期も何作品か手をつけたものがあったのだけどほとんどが頓挫してしまった。たとえば林檎ちゃんが主題歌のアレとかスピッツが主題歌のアレとかストが主題歌のアレとか3話くらいまで観たけど続きがもう観れていない。面白くないとかけしてそういうことじゃなくて、テレビをつけて50分、みたいなのがなんとなくしんどい気がしてテレビをつけない。じゃあ何してんのって友達に言われたけど本当になにしているんだろうと改めて思う。音楽をつけてご飯食べたり書き物したりしている、本当にそれだけで時間はあっという間に消えていく。



星野源が主題歌のアレは1話だけ観た。逃げ恥好きだったしきっと面白いだろうなと思いながらやっぱり続きは観れてないのだけど、星野源の「好き」のMVは見た。4分だからすぐ観れるしなんなら2回観た。星野源のMVに私の大好きな隆が出ているともなれば観るしかなかった。ていうかこれ8/6に撮られて8/13に公開されているけど、今のMVってこんなに撮って出しが可能なんだねっていう。中田裕二のGARIGARIが公開された時も実は先週撮ってきたとか言っててそんなあっという間に出来上がるのって驚いたもんだけど、まあ昔がどうだったのかもよう知らん。最近の私は長尺の映画も観れるようになってきたと思っていたのに、やっぱりどうしてMVが限界の女である。