いまのしゅんかん -6ページ目

姪の訪問

この連休、オーフスにワーホリで滞在している姪が我が家に遊びに来てくれた。

 

木曜日の午前中にコペンハーゲンのバスターミナルまで迎えに行き、我が家でランチを食べ、近所にある野外博物館へ。

 

 
富豪農家の家や、有名なLæsøの海草の屋根の家や、フェロー諸島の石の壁と芝生を屋根にした家、新しくできた昔の目抜通りを見て回った。
社会学をバッググラウンドにしキャンプが好きな姪も興味津々のようであったが、コロナ禍以来5年ぶりにきた私も、あれからアウトドアの経験が増えた分、視点が広がったような気がする。
薪の直火でパンケーキを作るデモンストレーションも面白いと思ったし、家の前にある井戸を子供達が手押しポンプで水を出し、排水路に水が流れていくのを見るのも面白かった。
実は、最近彼と嵌って見ているのが、千葉の荒地をDIYで開墾し、電気インフラ以外は基本オフグリッドのログハウスを建てているアラフィフ夫婦のYoutube動画で、その中で井戸を掘り当て、電気ポンプで蛇口までつけるプロジェクトが特に面白くて夢中に見ていたのである。
 

夜は娘も来て、一緒に夕飯。献立はなんちゃってすき焼き。

娘はプロジェクトの論文締め切りが迫っている上、仕事もあるので忙しいらしい。

 

金曜日は、朝食を食べた後、オランジェリーに置いていたアスベスト廃棄物を、姪にも手伝ってもらってごみ収集場に捨てにいく作業をした。

まず彼にバンを家の前にとめてもらい、廃棄物を運んだのだが、とても重くて、オランジェリーからの段差や、バンの中に入れるのは、二人だと難しく、姪に手伝ってもらえたのがとてもありがたかった。

彼は、ゴミ収集場でスムーズに受け入れてくれないのではと懸念していたが、スタッフに声をかけたら所定の袋に入っているのを確認しただけで施錠されているアスベストのコンテナーを開けてくれ、普通に捨てさせてもらえホッとしたのだった。

 

そして、労働者博物館へ。

 

 
前回来たときは、デンマークの民主主義国家は、一人一人の社会への寄与がベースになっていることを強調するような展示だったのが、かなり内容が変わってて、テンポラリースペースでは、社会民主党員のあるアーティストの作品展示があり、どんな平凡な人であっても、一人一人がかけがえのない人間である、という主張がされており、常時展の方は、20世紀初頭にいかにして労働者の権利を獲得するに至ったか、というテーマの展示になっていた。
そういう歴史背景もあって、いまだにデンマークではfælleskab=コミュニティを形成することが重視されていると姪に説明した。
 
ノアポート駅近くの市場でスナックを食べ、我が家に帰って夕飯の準備を。

 

 
また娘が来てくれたのだが、娘も好きな和食づくしの夕飯を用意した。
サーモンとハマチの刺身(ツマ付き)、揚げ出し豆腐、すり身の海苔巻き揚げ、白菜のお味噌汁、そして彼の手製の納豆を出した。
 
娘が帰った後、寒かったので、暖炉に火をつけたら、興味津々で眺めている姪。。。
火を眺めるのがものすごく好きらしい。
 
今日土曜日の朝は、朝食の後、来週ある野点で披露する予定の茶箱の花点前の練習に姪に付き合ってもらった。

 

 
高校生の時に、茶道のイベントの手伝いもしたことがあるとかで、茶道にも興味がある様子。
なんと彼女の母校に炉も切っているような茶室があったそうである。すごい。。。
1ヶ月前、日本に行く前に散々練習していたのに、かなり忘れていたので、付き合ってもらって良かった。
 
その後、彼が庭作業をするのを一緒に見に行き、イタドリについて話を聞いた。
なんでも、母方の祖父母宅にイタドリがあり、たまに食べていたという。
柔らかい茎であれば、皮を剥いて24時間水につけてアク抜きをし、炒めて食べることができるらしい。
ものすごく美味しいわけではないが、酸味があるので、油が多い豚肉と一緒に炒めるとまぁまぁ美味しいそうだ。
なので、日本であっても繁殖しやすい厄介な植物には変わりないが、一応食材にもなるという認識があるのと、在来種だから駆除対象ではないとして、特にクリティカルにはなってないと。ただ、人がアクセスしにくいところに繁殖しているのがちょっと問題になっているらしい。
でも、コムーネの敷地になるけど裏庭の後に生えているのでイタドリ食べてみようかな、、、
 
午後は、コペンヒルに行き、ランチがてらRaffenへ。

 

 
食べ物は美味しいが、天気が悪く寒い。。。
あと2週間で公式に夏になるとは思えないほどの気候。。(来週末から暑くなるそうだが。。)
 
寒いし、姪があるものを探したいというので撤退、ショッピングセンターに行き、買い物お茶をして、バスターミナルに送っていった。
 
あっという間の3日間だった。
若いけどしっかりしていて、誰にも頼らずに自力で調べて、ビザを取得し、住まいを見つけ、住民登録をし、銀行口座を開設し、仕事を見つけ、デンマークで生きている姪、知性があるだけでなく感性も豊かで、いろいろ興味を持ってくれて一緒に過ごすのが楽しかった。

片付けプロジェクト

グリーンハウスと物置小屋を解体して大量の廃棄物が出て、それを片付けるのも一苦労した。

 

 

週末に金属ゴミとガラスゴミをゴミ収集場に捨てにいき、、、

 


 

昨日今日は一人で木材の処分作業をした。

しかし今日、家のリノベーション大工仕事している隣人に声をかけられ、木材ゴミのピックアップの注文をしていて量は関係ないから一緒に捨てていいよと言ってくれ、隣人宅の木材ゴミの山にのせさせてもらった。

 

今日処分するはずだった木材の量も多かったので滅茶苦茶助かった。。。

昨日も三往復もして捨てにいったので。

 

薬を取りに行きたかったので残りの金属ゴミと雨どいのPVCチューブをゴミセンターに持っていったが、思いの外早く片づいたので、物置にあった大量の瓦を地下室に移動する作業に着手した。

 

 

これが重い上に汚い。。。

小屋といっても雨風を完全に防げるようなところではなく、砂がこびりついており。

一枚ずつブラシで汚れをとってから家の中に運ぶのが大変だった。一度に運べるのもせいぜい二枚なので、ほぼ一枚ずつ運んだ。

 

 

地下室に運ぶのも大変なのでとりあえずリビングに毛布を敷いてその上に仮置き。

 

最終的に地下室に。80枚弱もあった。。。

 

また、隣人の指摘によって、屋根がアスベストを含む材料だということが判明。

なんと、アスベストの場合、きちんとしたルールがあり、10枚以下であれば業者を通さず自力で処分できるが、所定のアスベスト廃棄用の袋でパッキングしなければならず、昨日17時には閉店してしまう業者御用達のお店に買いに行った。

 

 

まずアスベスト屋根をブルーシートで包み、ガムテープでぐるぐる巻きにしたあと、、、

 

 

昨日買った袋でパッキング。

これをゴミ収集場に持って行かなければならないが、アスベスト専用コンテナーは施錠されていてスタッフにコンタクトしなければならない。

 

金曜日に持っていく予定だが、とりあえずスッキリした。

 

解体直後

片付けたあと


解体、そして

 

 
昨日、再来週ある会社にランチに呼んでくれたので、関連文献をピックアップしようと大学の図書館に行ってダウンロードしていたのだが、その作業中にショックなメールがあった。
 
弁護士からのメールで、やっと地下室に関することがコムーネからきて、エアロバイクが置いてあることが「住居として使っている」理由にされているから、エアロバイクをどかした写真を送ってほしいという内容だった。
コムーネでの議事録という名で添付されているファイルを見たら、なんと三行だけ。「エアロバイク、靴、水筒が置かれている、蛇口があるので住居として使われている。」
それを見て頭が噴火し、作業が終わり次第家に帰り、エアロバイクをどかして写真を撮り、弁護士に送った。
 
その後、弁護士は、水曜日に送った、グリーンハウスと物置小屋を撤去した後の写真と一緒に、コムーネにメールを書いてくれ、地下室に関しては、裁判で違法だと判断されるとは思わないし、もしそうだとしても、なぜ訪問時にそれを言わなかったのか、というチクリとしたコメントを添えてくれた。
 
弁護士が地下室の件について私たちにメールを送ってくれた時、
 
Jeg har meget svært ved at forstå, at kommunen er så krakilsk.
(コムーネがなぜそんなにイラついているのか理解できない)
 
とあり、見たことのないkrakilskというかなり強めの単語を見て、弁護士でさえ感じるほどの悪意をぶつけられているのだな、と思った。
 
今までも、
建築士と弁護士が作成したレポートが無視される
建物ではなく、屋根の大きさで面積を測定される
訪問に関するフィードバックなしに、いきなり警察に通報される
 
などなど、弁護士も驚くプロセスを経てきたのでおかしいと思ってたけど、昨日の地下室の議事録で、これはかなり個人的な悪意を含んで対応されているように思った。
最初は弁護士も深刻なケースじゃないよと言ってくれてたし、少なくとも、二次建築物はともかく、地下室は、本当に住居として使ってなかったから、訪問によって違法の認識を改めてくれると期待していたこともあり。
たかがエアロバイクがあることも違法扱いにして警察に通報するのは、嫌がらせ以外の何ものでもないよな、と。
実際に、地下室に関しては具体的に何が「住居として使っている」を示す事実なのか、なかなか知らせてくれず、弁護士が頼んで3週間経った昨日やっと3行の議事録を送ってきたあたり、送った人もこれを住居扱いにするのは苦しいことを認識しながら、弁護士が散々督促してきたから渋々送ったのだろうと思われる。
 
なので、いくら解体して、写真を送ろうが、コムーネの警察への通報が取り下げるとは到底思えず、いつか来るであろう警察からのコンタクトにも備えなければ、、、という暗澹たる気持ち以上に、コムーネからのわかりやすい悪意に、昨日はものすごく落ち込んだ。
 
デンマークに移住して23年、今までそこまで嫌な気持ちにさせられたことがなかったのが逆に運が良かったのか。
今、猛烈にデンマークに対する嫌悪を感じている。

解体作業

日本から帰ってきた翌日から、早速セカンダリーハウスの解体に着手した。
 
まずはグリーンハウス。

 

 
ガラスはクリップではまっているだけで、ペンチを使ってクリップを取れば簡単に外せそうだったので、火曜日の午前中に一人で作業開始。

 

 
フレームを解体しなくても外せるガラスを全て外したあと、夕方に残りのガラスを取ろうと、とりあえず扉部分のフレームから外そうとネジを取る作業をしていたら彼が帰宅、二人で一緒に作業をした。
 
扉を取って全てのガラスを外した後、どのようにフレームを解体していくか、話し合い、まずは屋根のフレームから外すことにしたが、壁と屋根の接合部分が場所的に外しにくかったので、いっそのこと壁についているネジを外して、フレーム全体を倒してから解体してみようと、壁の接着を外してみたが、、、意外にうまく倒れてくれなかったので、とりあえず外しやすいところを外し、なおかつ手前のフレームと屋根の接合部分を切り離したら、やっと倒れてくれたので、二人でネジをひたすらとって解体していった。

 

 
解体終了。
しかし、ガラスやフレームの残骸だけでなく、グリーンハウスの中にあった、苗用の発泡スチロールや、肥料や土などの備品全て前のオーナーが残していったもので、それを片付けるのも面倒くさかった。
昨日一昨日と、それぞれ2往復してガラスと発泡スチロールを捨てにいったが、発泡スチロールは汚れている上に水が大量に入っていて、大きいから一つずつゴミ袋に入れて、その他ゴミとして捨て、ガラスは重い上、割れてしまったものは車を傷つけるのが怖かったので、割れていないガラスをまず運び、二度目のときに割れたガラスを運んだ。
 
 
ガラスの残骸。重いし危ないので、両手に1枚ずつ持って車に運んでいったという。。
簡単に割れるけど、枚数も多かったのでいちいち梱包なんかできず、全体を毛布で包んだだけだったので車で運ぶのも気を遣った。

 

そして、物置小屋。

 

 
これは力仕事なので、私ができるのはせいぜい中を片付けるくらい。これまた、前のオーナーがいろんなものを置き去りにしていき、外用の椅子はちょうど翌日が粗大ゴミの日だったので、家の前に出し、庭作業の道具とペンキはとりあえずワークショップの隣に移動。ペンキもいつか捨てに行かねば。
 
手順は考えあぐねたが、とりあえずドアが簡単に外れる感じだったので外して別のところに立てかけ、屋根はボルトで止まっているだけだったので屋根を外すことに。

 

 
そして雨どいと、ドアのレールを外し、いよいよ金属の柱の撤去、だったが、、、、

 

 
彼はすでに調べていて、こんな簡易小屋であっても、柱はコンクリート埋めされていることが多いと知っていたらしい。
案の定、タイルをどかして掘り起こそうにもスコップはまるで歯が立たず。
なので、斧で全力振り絞って柱の脇を叩くと、少しずつコンクリートのようなものがダメージを受けてくれ、根気よく続けていると、ブロックのように塊が取れると、柱の固定が緩くなり、回してスポット外すことができた。なんと50cmくらいも埋まっていて、意外に頑丈にできてた。。。

 

 
3本柱を抜いて、ほぼ解体。これだけで全身痛くなったらしい。お疲れ彼。
 
ゆくゆくは全てを撤去する必要があるが、とりあえず、これで物置のテイはなさないだろうと写真を撮り、グリーンハウス撤去の写真と一緒に弁護士に送った。
まぁこれで警察への通報を撤回してくれるとは思わないけど、違法建築だと言われてすぐに対応したという姿勢を示すためにも、できる限り早くやらなければならないことだったわけで。
 

大量の残骸があるが、とりあえず満足。

大学でランチ

あんなに腹たった家の違法建築騒動だが、弁護士に勧められた、グリーンハウスと物置の撤去は、この状況でちょうど良かったかもしれない。

無職なので、やることがないと、いくらでも怠けてしまう。。。

昨日は、ブログを書いたあと、グリーンハウス撤去の作業に取り掛かり、これが結構ハマってしまい、約束の時間まで没頭してしまった。

 

約束とは、工科大学でテニュアとして働いていらっしゃる日本人研究者の方と、大学でランチをすることになっていたのだった。

 

その方とはほとんど面識がなく、一昨年の秋に日本人研究者の交流会で初めてお会いしたのだが、次回の交流会でパネルディスカッションのパネラーとして参加して欲しいとオファーされ、私が長くやってきた産学連携のテーマで快く引き受けたものの、その直後に解雇されてしまい、その旨伝えなくてはと心の片隅に思いながら、正直職探しや家のトラブルのストレスでそれどころではなく失念していたら、その方からメールを送ることができないとラインでメッセージが来て、こちらからランチしませんかと誘ったのだった。

 

1対1でお話しするのは初めてだったが、その方も登山やキャンプが好きなアウトドア派らしく、仕事の話も含め、話するのがとても楽しかった。

 

なんでも、デンマークに来てからは長いものの、紆余曲折を経て、大学に就職したのは6年くらい前で、その時には私の会社は大学の建物からキャンパスの端にあるサイエンスパークに引越し、さらにその2年後キャンパス外に引っ越したこともあり、微妙に重なってない。

とはいえ、そもそも誰かの紹介なしで大学の日本人スタッフと知り合うことはないので、もう10年以上大学で日本人に会ってなかったのだが。その方も、補習校を通じて、他の日本人大学職員と知り合い、大学の日本人ネットワークを持つようになったようだが。

 

暇なので、と、日本人研究者の交流会の幹事グループに参加させてもらうことに。

 

また、食堂の外で、来月にディフェンスを控えている日本人PhDの学生に会い、声をかけてくれたので、ディフェンスにも行ってみようかな、と。去年ノーベル賞を受賞した、金属有機構造体のテーマらしい。

私は直接関係してないけど、大学の研究室で、これに似たテーマをやってたグループもあったので、全く遠からずというわけでもなく。

 

島根にいた時に、少しでもアカデミアの空気を吸いたいと躍起になってた頃を思い出す。

研究者に向いているわけではないけど、研究に戻りたいと思う。

初めての家族来デン

案の定、、、

年々時差ボケがひどくなってきている上、無職なので、昨日移動疲れで夕方から横になってたらそのまま何も食べないで寝てしまい、1時半にバッチリ目が覚めてしまい、それから義妹とラインでやり取り、、、

 

今姪がデンマークにワーホリで滞在しているので、8月に姪が日本に帰る直前のタイミングで、義妹が子供二人同伴でデンマークに来ることを希望し、それに父も便乗することになったという。

父は、パック旅行以外の海外旅行の経験がないうえ、かなりヘタレでやったことのないことをやってみる気概がなく、しかも母は来る気はなかったので、私がデンマークに来て23年間、一人でデンマークに来る勇気がないためにずっと来ることはなかった。

それが義妹たちが行くとなって一緒になら、と腰が上がったのと、もう78歳の父、流石にラストチャンスと思ったからだろう。

 

しかし、ホルムズ海峡閉鎖に伴う燃料費の高騰と、イランの中東への攻撃で、安全が保証される航路がさらに限られるようになったため、航空券がバカ高い。

久しぶりに航空券サーチのプラットフォームをチェックしたら、安い上位はカタール航空のみ、、、次に安いのが乗り継ぎの悪い中華航空で、それでも3000krも高い。3月にイランが中東のアメリカ基地を攻撃して飛行機が飛べなくなり、旅行者がスタックし大パニックになったので、避ける人が多く、カタール便が安くなっているのだろう。

 

最初は、八王子と成田/羽田空港間のロギスティックも気にして時間を選ぼうとしていた義妹だが、そんなのはどうでもなるので、とりあえず度外視して、安全と値段だけで選んでとお願いしたら、安くはないが、北京乗り継ぎの中華航空が候補になった。

ただ、行きの乗り継ぎで15時間もあり、義妹らはともかく、父は辛いだろうから、父だけやはり直行便か、いやそれはやはり敷居が高いので、北京空港でホテル泊してみては、ということで探したら、4人でも2万弱で泊まれるホテルが出てきたので、4人でホテル泊する、ということに落ち着きそうである。

 

滞在先は、姪も合流して5人で泊まれるところを姪が探していて、コペンハーゲン近郊のAirBnBでアパート滞在ということになりそう。あまりいい地域ではなく安い方だけど安くはないので、我が家に泊まって欲しかったけど、、、流石に5人は多い。

 

こんな時勢になって初めての来デン、でもやっと父にデンマークを案内できそうで何よりである。

帰国と課題

 

ああ、、、、デンマークに戻ってきてしまった。

彼と遠距離だった時以外は、デンマークに戻ることが重荷になることなんてなかったのに、今回だけは戻るのが嫌で嫌で仕方がなかった。

 

職探しもそうだけど、それ以上に苦痛なのは、家の問題である。

まさに日本の滞在中に起きた問題の二つのうちの一つで、挙げ句には胃腸炎にもなってしまったという。。。

てっきり解決したと思いきや、それは私の勘違いだったことも判明し、戻って早々に対応しなければならないことも認識した。

 

ちなみに、もう一つのストレスの原因だったことは、解雇になった会社から6月まで約束されていた給料が本当に支払われるか否か、であった。

その会社では、最終木曜日が給料日だったのだが、よりによって4月は給料日が4月30日で、しかもいつもは数日前に給料明細書が電子郵便で来るのに、今回は全く来なく、デンマーク時間で4月30日になった瞬間に銀行口座をチェックしても入金されてなく、ああ〜やっぱり未払いか、、、と落胆したのだった。

一応契約書はもらったけど、よりによって組合にも入ってないから、いざ訴えたくても術はわからず。

そしたら、入金はされてないが給料明細書は送られてきたので、半分安堵し、8時間後に入金も確認し、やっとホッとしたのだった。まだ失業保険にもコンタクトしてないし、収入0になることも覚悟したので、本当にホッとした。

 

家に関しては、2週間前、盛岡に移動してすぐの頃、なんとコムーネから違法建築で警察に通報したという連絡が来たのである。

すぐさま弁護士に転送したら、弁護士も、コムーネの訪問のフィードバックなしに警告もなくいきなり警察に通報したことにショックを受けたとして、すぐにコムーネにコンタクトしてくれる、とのことだった。

そしたら金曜日に弁護士からメールが来て、我が家訪問のレポートを入手し、それによるとセカンドハウスの許容面積が50m2のところを59m2と9m2分超過しているので、グリーンハウスと物置小屋を壊せば合法の範囲に収まるはずだとあり、今すぐ着手するべきかと聞くと、取り壊してもコムーネが警察への通報を取り下げるかどうかはわからないが、そうするべきだと。

取り下げられなくても実際に警察から連絡が来るまで時間がかかるので、それまでに50m2以下にしておいた方が、多分、起訴される可能性を小さくするからだろうと思われる。いずれにしても、警察から連絡があったら、すぐに弁護士に知らせて欲しいとのこと。

 

というわけで、明日から早速グリーンハウスと物置小屋取り壊しの作業に着手する。

 

職探しは、3週間前に5件アプライして、1件お祈りメール、残りは返事がなく、早速苦戦しそうな感じ。

ちなみに、大学でお世話になっている准教授からのプロジェクト参加オファーも結局は経済的事情でなくなった。

今日ある人からメッセージがあったので、もしプロジェクトがあればよろしく、という返事を書き、明日はある人に会うので、ボランティアでお手伝いするオファーをすることを考えている。

あとプロジェクトリーダーにメールを書き、元同僚にコンタクトすることも考えている。

 

まぁ、53歳外国人、、、苦戦するよね、しかもこの時勢に。

だからこそ、家のことは本当にストレスで。

なぜなら、このまま仕事が見つからず現金を得るために家を売りたくても、違法建築問題が解決しないことには売れないからである。

 

私の予定としては、これから、エンジニア職に関係なく、できる限り選ばずに仕事を得ることを目指すけれど、もし今の給料よりも大幅に収入を減らすようであれば、長くても5年くらいで家を手放すことを考え、もし失業手当金が支給される2年が経っても全く仕事が見つからないようであれば、すぐに家を売り始め、売り次第、経済的状況を見ながら、最悪日本に引き上げることも視野に入れる、と考えている。

実家も、てっきり弟夫妻が引き継ぐと思ってたら、八王子に住むことに興味はないらしく、私が引き継いでもいいかも、、という気持ちも芽生えたり。

 

もちろん、先のことは全然わからないけど。

でも、日本にいる間、将来のあらゆるオプションについて色々考えてしまった。

というか、こんなにデンマークのことが嫌になったのは初めてかもしれない。

社長が、自分の弟を雇うために私を切ったこともショックだったけど、それ以上に、私たちの過失は全くないのに、警察に通報されたことがあまりにも理不尽で嫌になった。

弁護士も使って正規の手順で家を購入し、コムーネに初めて違法建築であることを認識させられ、すぐに弁護士とプロの建築士を雇って、プロフェッショナルなレポートを提出し、コムーネの訪問もアレンジし、100万円以上のお金もかけて極めて正しく対応してきたのに、警察に通報、、はぁ??である。

 

そりゃ、あと10年はデンマークにいるよう頑張るけどさ、、、

頑張れないかもしれない。

上野で家族集合


 

昨日は上野で家族と会ってきた。

 

韻松亭でランチし、、、

 

 

ぼたんの鑑賞をし、、、

 

 

旧岩崎邸へ。


 

小岩井農場に行ったばかりでなんという奇遇。

岩崎久彌は多角化を図り、社長ながら農牧に力を注ぎ、戦後財産を接収されてからは、晩年は千葉の農場で隠居生活を送ったという。



 

しかも、洋館は明治になって建設されたが、もとは越後高田藩の榊原家の藩邸だったという。洋館からいきなり日本家屋にアクセスした時は混乱したが。

半年前に上越高田に行ったばかりなのでこれまた奇遇。

 

上野で会ったのは彼の実家からアクセスしやすかったからで、食後の行き先をアレンジしたのも義妹である。

八王子に住む両親には遠方になって申し訳ないが、東京だったら上野が一番いいと思う。

 

去年いっぱいで仕事を辞め、引きこもりがちになった母が、出かけるのが億劫になったのか今回来なかったので、次回は八王子で集まってもいいかなとも思うが。

まぁ両親も70代後半だし、弟夫妻も子離れしてきているし、集まることも難しくなるか、、

 

ちなみに、認知症がらみのスタートアップの会社に働くようになって10年たった義妹、事務採用ながらプロジェクトにも関わり、ワークショップにも参加して勉強もしているようで、その話を聞くのが興味深かった。

 

なんでも北欧は日本に比べて認知症になる率が低いという。子供に頼らないのもひとつの理由だろうが、基本的に北欧は日本に比べてサービスが乏しく、自力で解決を求められる社会だから、と言えるのではないだろうか。

また義妹いわく、言語を耳から認識し理解することが、目から認識するよりも、ずっとプロセスが長いため認知力を高めることに働くらしく、デンマークは特に口でのコミュニケーションが盛んで、口頭試験が小学校からあるし、同僚とのランチはマスト、パーティーは長時間ひたすら喋るだけだし、デンマークの社交文化が認知症を妨げやすくしているのかもしれない。

そういえば、デンマーク人の小学校教員の知り合いになぜデンマークで口頭試験が多いのか聞いたら、筆記よりも口でのやり取りのほうが理解度を正確に評価出来るから、と聞いたことがある。


姪がいるデンマークに来ることに興味ある義妹、やっぱり遊びに来て欲しいなと思う。

岩手

ついに11日間の岩手滞在を終えて東京に移動する。

昨日、スキーのあとにスキーギアを宅急便で送り、、

 

 

そのあとイオンモールのガソリンスタンドで、山スキーで車内を泥だらけにしてしまったレンタカーの掃除をし、

夜はコインランドリーで汗だらけのスキーアンダーウェアを洗濯した。

 

そして今日は、私が胃腸炎になってしまい、なんとかパッキングし、アスピリンを飲んでゆっくり休んだら具合がマシになったので、彼とレンタカーを返却しにいき、3km弱歩いて戻ってきた。

彼の症状とそっくりなので、彼から感染したのだろうがこんなの初めて。おそらく二つの件でストレスになってたからだと思う。一昨日の晩から昨日の朝にかけてあまり眠れなかったし。追々これについて書こうと思うが、幸いいずれも解決した。

 

今回は山スキーメインということでこういう日程にしたがとても良かった。メンタルが最低調で、山にいくことでなんとか癒されたこともあり。

 

また、山スキー以外で岩手がらみで知ることもあった。

 

 

一昨日、夕方盛岡を散策し、新渡戸稲造ゆかりの地に行ったが、5000円札の人という認識しかなく、そもそもなぜお札に採用されたの?という疑問が生まれ。

なんでも、国際連盟の事務次長まで務められた方で、フィンランドとスウェーデン間のオーランド諸島領土紛争で仲介役として解決に貢献されたという。マジか。。。

しかし皮肉なことに、新渡戸稲造が逝去された同年に日本は国際連盟を脱退し、戦争の道に進んでいくのだが。

 

 

35年前に花巻の宮沢賢治博物館に行ったくせに、これまたよく知っておらず。

裕福な家出身だが、早逝で作品のほとんどが未発表で、原稿料をもらったことはほぼなく、死後に発掘されて刊行されたという。。。

 

小岩井農場を愛し、長編の詩を残している。

 

今新幹線の中でグロッキーになってるけど、いい旅行だった。

板仕舞い


 

彼が月曜日に胃腸炎をおこし、一昨日と昨日は調子が悪くてスキーができなかったが、今日やっと胃腸が落ち着いてきたというので、最後の山スキーをやろうと八幡平に行ってきた。

 

ずっとやってみたかったアイゼンを使っての壺足登坂をやってみた。

 

 

急登だし、両サイド崖のように切り立ってて怖いと思ったが、アイゼンのグリップ力は安心だし意外に大丈夫だった。

むしろ急登の前に踏み抜いて片足股から雪に埋もれて引き抜く方が大変だった。Galdhøpiggenの残雪登山でも雪を踏み抜きまくって体力奪われたっけ。。

 

写真を撮ってくださった方は盛岡近郊にお住まいで、首の骨を骨折して寝たきりになって、仕事から引退され、今はリハビリがてら、ご夫妻でいろんな山に行きまくっているらしい。岩手に住んでいると常にやることがあって忙しいそうだ。

羨ましい。。。

 

この後、彼がシールを乾かしたいというので頻繁に使っていた私たちの基地に行くべく、私は滑ったことのない急な斜面を滑走することに。

 

 

雪が抵抗ありすぎて滑走はたいしたことがなかったが、休憩してから、戻るにはこの滑走した斜面を登り返すとトラバースの必要性もなくなって楽かも、という発想になり、スキーで登ってみることにしたのだった。

 

春雪なのでシールのグリップはよくきいてくれたが、油断すると滑るので急登を登るのは怖かった。

なので、板を進めるときに上に浮かせてしまう癖を改め、板は雪面に接したまま進めて摩擦による抵抗を高め、なおかつ一歩ごとに踵を押してシールのグリップを確かにし、決して前屈みにならないよう姿勢は垂直にし、ポールを踵の後方に刺して支えるようにと、かなり慎重にゆっくり登坂していったのだった。

気持ちを冷静に保つようにしたが、それでもキックターンを避けられない局面になったときは焦った。

八の字になるよう左右板を広げ、ポールで二点支えながら、なんとか方向転換した。

 


やっとのこと登り切ってホッ。。怖かった。。

 

でも、わたしの苦手な斜度のある斜面でのハイクアップもやって、今シーズン終了に未練はない。

去年は少雪で山スキーがあまりできなかったので、今シーズンはいろんな経験ができて満足。

エネルギー代高騰で来シーズンどうなるかわからないだけに、今回八幡平でインテンシブに山スキーをやって本当によかったと思う。

 

しかし、岩手在住の方々が羨ましすぎる。