去年のゴールデンウィークは、京都の友人をこの世から見送りました。
今年もまた、先の友人と一日違いの命日で、京都の友人をこの世から見送ることになったのです。
どうして2年続けて…と、最初はすごく思いました。
けれど、今はちょっと違う想いを感じています。
彼女は、東京で行われている治療を受けるため、4月半ばに東京にやってきました。
その際、移動や様々な身の周りのことをサポートするために一日一緒に過ごしました。
体力が少し落ちている中での、長距離移動や初めての治療。
かなりハードだったと思います。
それなのに、彼女はずっとサポートに訪れる仲間を気遣い続けました。
「ありがとう」という感謝の言葉はもちろん、
来たことで、せめて何か一つでも楽しんでもらいたい、という想いがひしひしと伝わってきたのです。
サポートする側の私達も慣れないので、彼女にしてみれば色々我慢もあったでしょう。
でも、イライラや怒りのエネルギーはちっとも伝わってこない。
なんてすごいんだ。
私はこんな風に周囲を気遣ってきただろうか。
手伝いに行っている自分としては、手伝わせてもらうだけで嬉しい。
何か、彼女の役に立てるのが嬉しい。
何もお礼なんていらない。
けれど、できるベストを尽くしてお礼をしようという想いがあふれている彼女を見ていると、
自分のあり方を振り返らずにはいられませんでした。
去年逝った友人も、今年逝ってしまった彼女も、本当に見事な生き様を体当たりで示してくれた。
生き様って、人からの評価やお金の額とは次元の違うところで示されるものなんだなぁ。
もちろん、見事な生き様の人にはエネルギーが循環していくでしょうから、仕事で成功することも多いでしょう。
最初に生き様ありき。
Be-Do-Have であることを、全身で感じ取った出来事でした。
彼女は亡くなる直前、「もう一度元気になって、人の役に立ちたい!」と言ったそうです。
彼女とこの世で共に時間を過ごすことができなくなったのは悲しい。
けれど、去年逝った友人が、きっと今頃は彼女と再会して、
あちらの世でのお仕事について、オリエンテーションを始めているんじゃないかな、と思います。
あちらとこちらで力を合わせて協働するために、着々と準備が始められているような、そんな感じがするのです。
こちらにいる私は、こちらにいるからこそできることがきっとある。
心と身体を澄ませて、準備を整えておかなくちゃ。
今はそんな感じでいます。
写真は、お通夜の前にご挨拶に訪れた東本願寺にて。
お堂の屋根の上に龍と鳳凰が飛んでいるかのようでした。
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毎週火曜と木曜は、仕合わせる一言通信で記事を書いています。
