先日、鎌倉市のお隣、藤沢市の鵠沼(くげぬま)郷土資料館を訪ねる機会がありました。
もともとは毎月お世話になっている鎌倉浄明寺文芸サロン(講師:田村嘉義先生)の企画で「鵠沼にかつて明治~大正期の文豪が集っていた東屋(あずまや)という旅館があり、その跡地を見学するツアー」に参加したのが始まり。
跡地は今や住宅地になっていて碑と説明板が建っているだけでしたが、近くに上記の郷土資料館があり訪問したのでした。
ちょうど「黎明期の鵠沼」という企画展が開催されており、なかなか興味深いものでした。
鵠沼地区は江ノ島にも近く、今や藤沢市の高級住宅街の一つですが、海に近い南東部は明治中期までは「何もない砂原(陸軍の演習地)だった」とのこと。
明治20年に東海道線が開通、「藤沢停留所」ができ、明治25年に大給(おぎゅう)子爵という方が「荒漠地」を(国から?)買い取ったことが開発の始まりだそうです。その後は別荘地として主に民間の開発に委ねられ、明治30年には東屋旅館が創業、明治35年に江ノ電、大正6年に自動車道、昭和4年に小田急線が開通します。
戦前は志賀直哉、芥川龍之介など錚々たる文士たちが集うほどモダンでかつ自然に恵まれた別荘地だったようですが、戦後は別荘がどんどん住宅へと変わり、粋な旅館も次々と廃業したそうです。
何もない砂原や砂丘の地帯に人間の思惑や努力が仕合わせて人が時々訪れる別荘地となり、やがて成熟して永住の街が形成された実例ですね。
(山林の自然を破壊して住宅開発された鎌倉よりはずっといい仕合わせ方だと勝手に思いました。)
となると広大な砂漠を国土に持つ中東諸国や中国はこれからも開発の余地が十分あるということでしょうか?
今日も仕合わせる一言をお読みいただき、ありがとうございます。
<ライター:沢☆一休>(鎌倉愛好家)









