「ピュアハート」
純度。
自分らしさ100%
本音・本心。
最近ちょっと気になっているテーマです。
たとえどんなときでも、これに触れる、感じることができれば、あとが違ってくるように想っています。
今回は最近おきた体験も含めて共有させていただきますね。
仕事に追われて中々そうもいっていられないような余裕のない毎日ですが、在宅勤務時のお昼や休日のジョギングはたとえ短時間であっても大切にしています。
けんすいする目的もあって近くの公園に走っていくのですが、少し回り道して途中で複数の公園をはしごして行きます。
アスファルトの上だけでなく少しでも土の上を走れるのが気持ちよいことと草花や鳥など自然に触れられることが有難いですね。
毎回ではないのですが公園では小さなお子さんが親御さんや友達たちと楽しく遊んでいたり、そんな場面に出逢えるのも、有難いことです。
先日は走ってすれちがうほんの刹那の間でしたが、ご両親と楽しそうに遊んでいた小さな男の子と目が合いました。
きらきら興味津々純粋無垢な目。
おもわず「こんにちは~」と声をかけ、振り返ってジェスチャーしつつ「楽しいね」とか話しかけ、最後は大きく手を広げて「バイバ~イ」と。
偶然にもピュアハートに触れ合え、ほんとに勝手に心と身体が開いて動いた、本当に有難い・奇跡の瞬間でした。
ほんと軽いジョギングですので、リラックスしていて、心も身体も開きやすい動きやすい状態だったからかもしれません。
そういえば、元の氣に戻る、本当に自分に戻ることを元気というそうですね。
今回はピュアハートで、一瞬で本当の自分に戻れた、還れた感じがしました。
本当に有難いことです。
さあ、週末ですね。
ちまたはGW前半もスタート、せっかくなのでピュアハートのおもむくままに。
なんて、そうは問屋が卸さないかもしれませんが、少しでも意識したり、素の自分に還れるような時間を授かれたらいいですね。
仕合わせ愉しんで顔晴ります。
ありがとうございます。
〈ライター:やすもん〉
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木と人の仕合わせがすごいな!と感じた出来事があります。
わが家のお向かいさんのお宅には、大きな木が何本もあるのですが、
そのうちの1本が、植木屋さんによって葉っぱが1枚もない状態にまで
ばっさりと刈り込まれていました。
太い幹と太い枝があるだけです。
春になったらまた芽吹くことができるのか?
心配しつつ見守ること数か月。
4月になって、新緑が目にまぶしい時期になっても、
くだんの木は幹と枝だけ…。
と、思いきや!
週末留守にしていて、月曜日に見てみたら、
小さい芽が一気にそこここから萌え出ているではありませんか!
それから3日程たったのが写真の様子です。
太い枝からいきなり新芽が出ている様子、ご覧いただけるでしょうか。
すっごいなぁと思いまして。
何がすごいって、木の生命力もすごいけれど、
この木の力を信じて、ここまでばっさり!と刈り込んだ植木屋さんもすごい。
もちろん、植木屋さんには十分な知識と経験があったればこその、
この刈り込みだったでしょう。
木の方には、刈り込まれたことへの恨みとか、芽吹きへの不安とか
多分そんなものはなく、ただただ命の循環に身を委ねていただけでしょう。
(想像ですが)
でも、仕合わせって目には見えなくてもこうしてお互いの力を活かしあうところから
発揮されるものだなぁと、なんだか勇気づけられる気がしました。
さて、今日も新しい1日が始まりますね。
東京は真夏日予想の暑さです。
どうぞ今、今日、に仕合わせて、お健やかにお過ごしください。
〈ライター:斉藤知江子〉
考えてみると、「頃合いをみる」って、なかなか難しい感じもするのですが、
なんとなくできていたりしますね。
周囲を観察し、タイミングを見計らっているからこそできること。
仕合わせることと、遠からぬ気もいたします。
(第2・第4水曜日担当 宮坂雪里)
ヨシタケシンスケさんの絵本『メメンとモリ』
「メメントモリ」は、ラテン語で「人に訪れる死を忘れることなかれ」と言う警句だそうです。
この絵本では、メメンちゃんとモリちゃんの対話でお話が進みます。
自分を大切にする、人を大切にする、そして仕合わせる私たち。
それらが私には心にストーンと響きました。
人間の死亡率は100%。
誰でも、いつか必ずエンディングを迎えます。
それを知っていることは、今生きていることの意味を際立たせてくれると感じています。
そして、自分にとっての仕合わせの意味も、自ずと感じられるのではないでしょうか。
今日という日も、すでに始まっていて、そして20時間ほどたつと翌日へと移っていきますね。
今日がステキな一日でありますように。
どうぞお健やかにお過ごしください。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
〈ライター:斉藤知江子〉
義母の庭に久しぶりに植木職人さんが入りました。
庭はぼさぼさの髪が切られてさっぱりした頭のようになりました!
私は以前から植木職人さんにあこがれていました。
日本語研修所勤めのころ通っていた道の両側のお宅に
たくさんのカタチのよい木々があり、
時々植木職人さんが入っているのを見ながらいいなぁ~と思ったものです。
それぞれの木を頭の中でこういうカタチになっていってもらいたい
という考えであちこちの枝や葉を落としていきます。
どうやって切る枝や葉を見定めるのかなぁ~と興味津々でした。
その様子は一本一本の木々との対話とでもいうものでした。
楽しいだろうなぁ~と(*^^*)
そんなことを考えていた折購入した本が積読の中から出てきました~
名人庭師のかっこよさ!
自然を相手にする仕事にあこがれます。
職業としては中々大変かもしれませんが、
自然と最も近いところで、言葉の異なる相手との対話をする。
私たちは自然から急速に離れていってしまっているように感じます。
都会では道もきれいになり、土の上を歩くことも少なくなりました。
木々も歩道のアスファルトの片隅に植えられてちょっと窮屈そうです。
本によると植木職人さんは圧倒的に経験からの知恵がモノを言うと。
木々との対話の経験を積むのは今からは私には少し難しいですが、
この本から職人さんの知恵を楽しみたいと思います。
今日も日が変わりそうです。
木々の緑が美しい季節です。
明日もどうぞお健やかにお過ごしください。
<ライター:伊藤惠子>
1月に篠田桃紅のご本について一言通信に書かせてもらいましたが、
今回は着るものについて新しい視点をもらったように感じています。
『一〇五歳、死ねないのも困るのよ』篠田桃紅 から一部を抜粋します。
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きものは謙虚、洋服は尊大
今どき、私のようにきもので暮らしている人はめったにいないでしょう。
私も、洋服が私の気に入れば着ますが、洋服のつくりがあまり好きではないので、
ずっときものです。
どうしてあんな融通のきかない、洋服というものを生み出したのでしょう、と思っているくらいです。
きものも洋服も、身につける、という事においては同じです。
でもまったく違うのは、きものは人の体を包むもの、まとうものです。
洋服は包むものではなくて、人を入れるものです。
形の決まったもののなかに、生身の人が入ります。
そこには基本的な精神、ものと人の間柄の違いがあると思います。
つまり着物は人に対して非常に謙虚です。
一方の洋服は人を規制しています。私のなかに入りなさい。
私はこれ以上大きくも小さくもなりません、と言っているのが洋服です。
着物は、人を主人として扱い、太ろうが痩せようが包みます。
私は人を主人とする着物を好みます。(中略)
風呂敷と紙袋の違いも同じことが言えます。(中略)
これを日本と西欧の文化の違いと言えばそれまでですが、私にとっては精神的に大きな違いがあります。
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風呂敷の変幻自在なところについてはよく耳にしていますが、
きものについてはそんな風に考えたことがありませんでした~
でも洋服について「私のなかに入りなさい。私はこれ以上大きくも小さくもなりません、
と言っているのが洋服です。」と言われれば、
現にすこし太れば服に合わせて何とか痩せなきゃと頑張るのが今の私たち。
まさに服に支配されている、と言っても過言ではありません(失笑)
洋服に慣らされてしまっている(?)現代の私たちにとっては
きものは手間がかかるもの、着ていて疲れるものというような感覚もあるかもしれません。
桃紅のきもの姿の写真を見ると
本当に楽そうにきものをまとっている、という言葉がぴったりします。
そういえば祖母の着物姿なども日常着として来ていた人たちは
きもの本来の良さを知っていたのだろうと思います。
きものは謙虚、洋服は尊大
と言われて自分がいつの間にか洋服に洗脳されていて窮屈さに気づかず
反対に窮屈さを楽しんでいる風にも感じてしまいました。
「きものは人の体を包むもの、まとうもの」
人の自然な楽な生き方にも通じる素敵なことばと仕合わせることができました。
今日はもうすぐ20日(土)になろうとしている時間になってしまいました。
過ごしやすい陽気になってきました。
明日もどうぞお健やかにお過ごしください🍀
<ライター:伊藤惠子>
「へぇ、そうなんだぁ」
今回は問いではない言葉です。
ある人が発してくれたこの言葉の強さの
知恵を拝借したいと思います。
自分の発言に自信が無かったり、
何かを隠したい、
例えば”弱さ”を隠したいときに、
飾り付けた言葉が出る時があります。
そんな時に
「へぇ、そうなんだぁ」
と、キラキラした眼差しで聴かれると、
ドキッとします。
「見透かされている気がする」
とか
「偽っていた自分に気がつき恥ずかしい」
とか。
この言葉の力を最大限に発揮するには、
相手に対して純粋な関心を持つこと。
質問者を問う側、答える側を回答者とします。
質問者が回答者のことを信じておらず、
疑いの目でこの言葉を送ると、
回答者は心を閉ざすでしょう。
逆に質問者のことを
回答者が信頼していないと
この言葉の効き目が半減するか、
全くなくなります。
相手の話に最大の関心を持って
聴いてみると実感できると思います。
きっと、何らよどみのない
素晴らしく“仕合わせな”
対話の時間になるでしょう。
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問いにより人の脳(心)は動きます。
~心が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。~
by ウィリアム・ジェームズ
人の道は選択の連続。
<第3木曜日担当ライター:寅さん>
「自由」「平等」「博愛」はフランスの国家理念ですね。
戦後それらを体現したような人生を送られた日本人がマダム・ミキコさん(御年80歳くらい?)です。
クリスチャンの家庭に育ち、日本の一流大学を卒業し、長くフランスで暮らし、音楽とフランス語を学ばれました。帰国後は日本の大学でフランス語を教え、現在は大船の自宅でフランス語・音楽の教室とスナックを営まれています。
生涯独身の彼女、若い頃、かの国でどんなドラマがあったのかは想像の範囲ですが、彼女が懇意にしていた男性?(故人)の娘さんが夫とお嬢さんを連れて初来日され、バカンスを利用してマダム・ミキコと約2週間日本各地を観光することとなりました。その2日目は鎌倉で過ごされることとなり、ご縁で一日ガイドをさせていただくこととなりました。
フランス人ご一行は本当にいい人揃いでした。気さくなお父さん、明るいお母さん、キュートなお嬢さんたちは鶴岡八幡宮や大仏や花や海や小町通りの賑わいに目を丸くし、オーシャンビューのイタリアン・レストランでたっぷり時間をとって談笑しました。
フランス語と日本語とカタコトの英語(一番英語が上手なのは15歳のお嬢さん!)が飛び交う楽しい時間でした。翻訳アプリも活躍しました。優秀なお嬢さんはIT技術者を目指して勉強中とのことです。日本人とフランス人の価値観に共通するところが多いところも確認できました。
この日は夕方からマダム・ミキコのお店にフランス語教室の生徒さんも集まって歓迎会を開催しました。翌日から広島に向かい原爆記念館を訪問し、その後京都、奈良、河口湖などを周遊するそうです。ボンボヤージュ
筆者にとっては一期一会ですが、国際親善の仕合わせにちょっぴりお手伝いできたと自負、感動し、ご縁に感謝した一日でした。
今日も仕合わせる一言をお読みいただき、ありがとうございます。
<ライター:沢☆一休>(鎌倉愛好家)
染井吉野はすっかり散って、新緑が眩しい季節ですね。
また桜と思われる読者もいらっしゃるかと思いますが、今は遅咲きの八重桜が見ごろを迎えています。
小金井公園内には、約50種類約1400本の桜があります。
桜の種類が多いことから2か月ほどの長い期間お花見が楽しめる公園です。
2月下旬ごろは早咲きのカンザクラやカンヒザクラが、3月下旬ごろからはソメイヨシノやヤマザクラが咲き誇ります。
4月にはオオシマザクラやウワミズザクラが咲き、5月上旬ごろに桜の季節が終わります。
桜も早く咲くせっかちさんや、ゆっくりと咲く大器晩成?の品種もあり、ひとまとめに桜と言ってもその色、形、大きさ、枝ぶり、花の咲き方、様々です。
花粉症に悩まされながらも何度も公園に足を運び、どの桜も、どの花も愛おしく、毎年、ありがとう、ありがとうと、出会った桜に伝えています。
まど・みちおさんの詩を一篇
「さくら」 まど・みちお
まいねんの ことだけど
また おもう
いちどでも いい
ほめられてあげられたらなあ…と
さくらの ことばで
さくらに そのまんかいを…
急に気温があがり、初夏のように感じる今日この頃ですが、もう少しだけ「行く春」と仕合せたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
<ライター:うのゆ>
川越にある学校の入学式に参列し、午後はフリーになったので半日観光しました。
『小江戸』と呼ばれる川越は私の大好きな町のひとつで、毎年のように見物しています。
川越城は家康の重臣酒井重忠が任されて以来 譜代大名が引き継いで川越藩が確立したそうです。川越は水路で江戸と結ばれていて物資の集散地として発展し、神社仏閣も多く作られました。川越氷川神社や全ての願いを叶えてくれる呑龍様や成田山川越別院、仙波東照宮等があります。中でも『喜多院』は第27世の法灯を継いだ天界大僧正が家康公の信頼を得て、秀忠・家光の時代にも顧問のような存在を務めたので 以来関東天台宗の中心寺院として栄えています。後に 徳川家光の命で江戸城内から客殿、書院、庫裏等が移設され、家光誕生の間や春日局化粧の間が観光の目玉になっています。私は境内にある『五百羅漢』の533体の中でお気に入りの羅漢さんに会うのが楽しみです。
町を散歩するとシンボルとされる『時の鐘』や蔵造りの古い町並みを観に訪れた観光客でにぎわっていました。
今回楽しみにして来たのは 氷川神社のすぐ裏から新河岸川沿いに500mほど続く桜並木です。ちょうど満開で川の小舟から桜を見上げる人もいました。この小舟に乗ろうと並んでいる人がいっぱいで私は断念しました。
川沿いには ヤオコー川越美術館や私立美術館もあって桜のない季節でも散歩コースとして気に入っています。
昼食は あまりに高価な食べ物になってしまった名物のうなぎを頂くのはあきらめて、本川越駅前の「ホワイト餃子」で餃子ランチ630円を食べて満足満足。(美味いですよ。関東各地にありますのでお勧めです)
自宅に帰るとわが家の桜は、洋間に4月だけ飾ってある額絵でした。
この日は 桜に・江戸の町並みに・羅漢さんに・餃子に会えて 仕合せな一日でした。
(ライター:山口一郎)