コーチが聴く!自分で地図を描く人たちの知恵

コーチが聴く!自分で地図を描く人たちの知恵

~知恵を言葉に ひらめきを行動に~

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子どもたちが教えてくれた。表紙ミニマム


この本 をメディアファクトリー社から共著で出版しました。




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先週末は、謡の先生がご出演の能舞台を見に行きました。

お能を見るのは数度目ですが、不思議ことがいくつかあります。

 

1)必ず眠ってしまう

鼓の音には、高周波の音が含まれていてリラックス効果があるそうですが、

それに加えて、謡の声は、音というよりは振動として身体に直接伝わるからなのか、

“これはしっかり見たい!”と思っているのにも関わらず、気づくと眠っていた自分に驚きます。

一緒に見ていた仲間もどうやら同じ。

これは、能という芸能の力だということにしておきたい…。

 

2)何げなく始まる

元々能舞台には幕がありません。

華やかに幕が開くわけではなく、

ライトがぱっと点いてショータイムスタート!というわけでもなく。

ではどうやって始まるかというと、

しずしずと鼓や笛を担当される方たち、地謡(舞台の右側に座って、いわば場面進行の様子を説明するかのように謡うグループ)の方々が入っていらっしゃいます。

そののち、舞台左手奥の五色の幕がさ~っと跳ね上がって、主役が登場。

それも至って静かに、ゆっくりと。

うっかりすると見逃してしまいそうなくらい、何げなく始まる。

それが能舞台。

 

3)静かに終わる。

演目にもよりますが、一曲が終わると、登場の時と同じように、主役がゆっくりと静かに退場。

続いて鼓や笛の方たち、地謡の方たちが順番に、何事もなかったかのように静かに退場。

どこで拍手をしてよいのやら?と思うほど、静かにただただ終わります。

アンコールなんてもちろんなし。

 

主役が退場するところから、舞台には謡の声も楽器の音も何一つなくなります。
この時、逆に私は舞台から目が離せなくなりました。
そこに立ち現れたのは、
エネルギーに満ちた〈静寂〉。
 
すべてがある。
けれど何もない。
 
一瞬なのですが、この完璧というまでの静寂が空間を占めたとき、とても大切な・貴重な何かを目の当たりにしているような気持になりました。
 
すごい。
 
 

 

 

 


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東京都国民健康保険団体連合会主催の介護サービス事業者支援研修会 に、こころのひと休み保健室としてお手伝いに行き、

参加者の皆さまにご紹介いただきました。

 

介護に携わる方たちのご苦労は、月2~3回ボランティアとして関わっている暮らしの保健室でも垣間見ることがあります。

そこでは、看護士、介護の相談員、ご家族、色々な立場の方が要介護者の方を中心に関わり合い、サポートし合っています。

衣食住すべてにわたってお世話をすることは、決してきれいごとではすまない、身体と心の重労働。

ご家族の介護であれば、24時間365日の話。

ご家族を支援する介護職の方々にとっても、やはり重労働であることには変わりありません。

 

そんながんばっている方たちが、どうすれば力づけられるのか。

一つの可能性として、コミュニケーションを見直すこと、変えること、があるのではないか。

だからこそ、介護の現場で、私たちコーチがお役に立てることがあるかもしれない。

そんなご提案にもなる研修内容でした。

 

去年、こころのひと休み保健室として活動することを決めてから、急速にかかわる世界が変わってきています。

流れに乗って、今は行くのみ~。

 

※看板では「こころ」が漢字になっていますが、本来はひらがなです。

 でも私も帰ってきて写真を改めて見るまで気づきませんでした(*'▽')

 

 

 


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いのちの言葉。

 

ETV特集「蜆蝶(しじみちょう)我の心の中で舞え~少年俳人・小林凜~」の再放送を見ました。

小学生の頃から、俳句を作ることでつらい気持ちと折り合ってきた小林凛くん。

その俳句に感銘を受けた、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生との交流が

つづられが番組です。

 

日野原先生から凛くんにあてた手紙の中に、印象に残った言葉がありました。

…   …   …   …   …

忘れないでいてほしいことがあります。

うれしいときだけが“きみ”ではありませんよ。

どんなときの自分も大事にすること。

生まれてきたことは、それだけで素晴らしい。

 

「君たちの使える時間 それがいのち」

…   …   …   …   …

 

私の使える時間、それが私のいのち。

私たちの使える時間、それが私たちのいのち。

 

ずっと前に担当させていただいたクライアントさんの言葉がよみがえりました。

60歳を過ぎていた方でしたが、約束に遅れてきた友人に言ったそうです。

 

「私の時間は、私の命だよ」

 

当時、40代だった私はその言葉の意味を受け止め切れていないことを感じていました。

今やっと、その言葉が肚まで落ちてきた感じがします。

 

つい忘れて何げなく過ごしがちですが、今日のこの時、時間を使えていることに、いのちがあることに感謝ですね。

【日本人の心を解く】河合隼雄著(元が英語で書かれているので、河合俊雄訳)、の読書会6回目。

古事記や日本書紀にて、日本の神々の中で唯一受け入れられずに海に流された「蛭子(ひるこ)」についての話が始まりました。

 

音読と対話を繰り返しつつも、このあたりはなかなか理解すること自体が難しく感じます。

が、それでもわかってきたことを書いてみますと、

 

西洋では「太陽神」といえば男神が多い。

(参考はこちらをご覧ください)

日本では、「太陽神」は天照大神。女神です。

そして、太陽神でありながら世界の中心というわけではなく、中心は「空(くう)」に保たれてきた。

まったく正反対です。

 

現実生活では実際どうだったのだろう。

私は歴史に詳しくないのだけれど、江戸時代は将軍が中心に据えられつつも、実権は周囲の部下たちが握っていたようだ。

参勤交代の仕組み自体は中心統合的。

その頃から、中空構造でありながら数百年のスパンで徐々に中心統合の価値観が入ってきつつ、昭和から平成にかけて急激に中心統合の価値観を採用してきたのではなかろうか。

 

ちょっと不謹慎な言い方になるかもしれないけれど、私が小学生の頃、つまり1970年代、父は天皇陛下のことを家では“お天ちゃん”と親しみを込めるかのように呼んでいた。

崇め奉るという空気はそこにはなく、「大切なものにパワーを置かない」という中空構造を感じさせる。

パワーは置かないけれど大切に思っているという、この不思議な感覚は説明が難しいが、

河合さんが「中空構造日本の真相」を書かれた1980年代には、まだこういった空気だったことは実感します。

 

同じ1980年代半ばにエラノス会議で発表された講義内容が訳された「日本人の心を解く」の中で、

河合さんはヒルコを男性の太陽の性質の象徴として書いておられます。

「男性の太陽神は、最強の者として中心に立ち、いかなる種類の均衡をもたらす活動をもはねつける。」

中空構造で、相反する価値観のものも共存できるのが日本の性質とはいえ、そうした男性太陽神の性質は受け入れるわけにはいかなかった。

ゆえに、ヒルコは葦船に乗せられて海に流されるのです。

古事記や日本書紀では、ヒルコは受け入れられなかった。

だが、現代の私たちの課題は、イマジネーションを使って男性の太陽ヒルコの居場所を見つけることだとおっしゃる。

それが、中心を空に保つために必要なことだと。

 

それはすごく相反することです。

それを実現するためには、男性の太陽ヒルコが中心に立つこともあるし、けれどいつまでも中心におかずにスムーズに移動してもらうようファシリテートする必要がある。

中心統合構造と中空均衡構造、その二つ…究極の相反する構造…を共存させるためのファシリテーターが必要だということじゃなかろうか。

ヒルコが中心にいる必要があるときは、中心統合構造で。

頃合いを見て、パッと中空均衡構造にスイッチを切り替える。

相反する価値観の者同士が共存できるような場の設定を整える。

これを自在に切り替えられる、人材育成。

 

ある意味、構造にとらわれずに場を動かせるという、すごい話です。

 

中空均衡構造を理解することは、平和に役立つ!という根拠はないけれどはっきりしたイメージがあって、

ここまできましたが、段々に雲が晴れてきたような気がします。

ともに学ぶ仲間に感謝です。

 

「79年前、モンゴル東部の大草原で、日ソ両軍が激戦を繰り広げたノモンハン事件。

 ソ連軍が大量投入した近代兵器を前に、日本は2万人に及ぶ死傷者を出した。

 (NHKのサイトより抜粋)」

 

番組で、当時の将校たちのインタビュー音声が流れた。

そのまるで他人事のような、気楽な調子にはやるせない想いが募る。

けれど、これが日本文化や国民性の持つ「中空均衡構造」の負の側面の現れだと思う。

責任者不在。

空気で物事が決まる。

ノモンハン事件においては、少し強く意見をする若き少佐が登場し、彼の直属の上司だった上層部の人が後押しをすることで、情報不足の上現場の声無視の作戦となって進められてしまった。

 

当時の将校を責めて済む話ではない。

これが私たちの根底にある物事のとらえ方の構造だということを、しっかり認識する必要がある。

 

中空均衡構造は、平和な時は相反する価値観を持つ人でも共存でき、基本は「受け入れる」ことからスタートすることができる。

メリットも大。

 けれど、事態が急を告げるようなタイミングでは、責任者不在のデメリットが大きすぎる。

そういう時は、中心統合構造に意識的にスイッチする必要があるのだろう。

日頃の習慣で、誰かが強く押し出した意見や、立場的に上にいる人の言うことに流されやすい傾向にあると思うが、どんな意見であれ、それとは相反する視点を持つ人が必ずいるはず。

どちらの意見を言う人も、一人にしないこと。

全部をテーブルの上にあげてみて、最終的にリーダーが判断を下す。

事態が落ち着くまでリーダーに全面協力。

落ち着いた後は、すみやかに中空均衡構造へと場を開き、みんなで協力したからうまくいった、ということにまとめる。

なぜなら、リーダーとして引っ張った人をヒーローに仕立て上げると、中空均衡構造においてはその人が居場所を得られなくなることがあり得るから。

 

中空均衡構造を提唱した河合隼雄先生の、著作や講演録などから学んだことをまとめると、

こういう形になるのかな。

西洋的中心統合構造に変わればいい、というわけではなくて、中空均衡構造の良さを知り、

新しい活かし方を創り上げていかなくては。

 

いずれにせよ、戦争は絶対にしてはいけない。

昭和のあのころ、同じように思っていた人も多かったのではないだろうか。

それでも戦争に突入してしまった。

そこから学んで、今の時代で変わっていかないと。

今それを意図的にしない限り、次の世代にしっかり受け渡せない。

問われているのは、過去の将校の責任ではなく、今私たちが何を選ぶか、なのだろう。

 

…   …   …   …   …

79年前、モンゴル東部の大草原で、日ソ両軍が激戦を繰り広げたノモンハン事件。

ソ連軍が大量投入した近代兵器を前に、日本は2万人に及ぶ死傷者を出した。

作家・司馬遼太郎が「日本人であることが嫌になった」と作品化を断念した、この戦争。情報を軽視した楽観的な見通しや、物量より優先される精神主義など、太平洋戦争でも繰り返される失敗の本質が凝縮されていた。

しかし軍は、現場の将校には自決を強要した一方で、作戦を主導した関東軍のエリート参謀たちはその後復帰させ、同じ失敗を重ねていった。

NHKのHPより抜粋 

…   …   …   …   …

 

河合隼雄著「日本人の心を解く」の読書会も、いよいよ「中空構造」の部分に差し掛かりました。
対話にも熱が入る~。

基本的に日本の文化と国民性は中空構造。
それが故、相反する価値観のものでも同時に共存することができ、新しいものに対しては「まず受け入れる」ことから始めることができる。

そして、十牛図にみられるように、「自己」とは「森羅万象」だと捉えている。
古来日本人にとって「自己」とは宇宙的スケールの大自然だったということですよね。
神様は八百万だし、あとから入ってきた仏教でも、観音様は三十三(つまり無限)の姿によって、相手に合わせた救済の手を差し伸べる。

一方、一神教がもとになっている西洋文化においては、中空ではなく「中心統合構造」をとっている。唯一絶対の神様に対して、自分が正しいか間違っているかを大切にする。
それはそれで、一つの在り方。悪いわけではないけれど、もともとの日本人の在り方とは真逆。

ちなみに、〈自己肯定感〉という概念は大切だけど、根っこでは自己を宇宙的スケールでとらえる傾向のある日本人にとって、
自己肯定感と言われてイメージするのは「自我肯定感」なのじゃないかしら。
中空構造を学び始めてから、そこが話のややこしさにつながるのではないかと、ずっと思っています。

話は戻って、中空構造、中心統合、とちらが正しいという訳ではなく、どちらもアリ!
ただ、根っこからそもそも「違う」ということを知っていることが大切だと思うのです。

戦後は特に、西洋的な中心統合構造の価値観を「まず受け入れてきた」私たち。
普段の生活で、根っこは中空構造、表面的には中心統合、で無意識に葛藤を感じることも実はたくさんあるのだろう、と思います。

自分がいま、中空構造で考えているのか、中心統合なのか、それが自覚できていれば問題はかなりシンプルになるのだろうなぁと思います。諸々の葛藤にも対応策が練れる。
ただ、根っこでどちらの構造をとっているかを自覚するのは、練習がいるし結構至難ですよね。
私はまだ全然。

そのあたりの言葉にするのもややこしいところを、そういうのを的確に分析する中心統合的知恵が怪しいくせに、なぜか惹きつけられてしまう。語り始めると止まりません。

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7月30日に、行ってきました。
音を遮断するヘッドセットを装着して、90分間音のない世界で様々な体験ができる、ダイアログ・イン・サイレンス
案内してくださるのは、音声に頼らず対話をする達人、聴覚障がい者のアテンドさえさんです。
 
始まる前は、視覚を遮断するDialog in the Dark よりもちょっとドキドキしていました。
だって…聴覚を遮断しても目は見えているから、何かするときに恥ずかしくなっちゃうのでは?と思ったから。
 
始まってみると、意外にもそんな恥ずかしさはすっ飛び、純粋に楽しんでいる自分を発見。
これはアテンドのさえさんが、もうとにかく楽しんで私たちをリードしてくださっていることと、
同じグループに小学生の女の子がいてくれて、彼女も楽しめるように、と思ったら率先してヘンなことしてたからです♪
表現すること、キライじゃないんだなぁ、私。
 
初対面の人たちと一緒に、輪になったり小グループに分かれたり、時に手話もちょこっと学びながら、あっという間に90分が過ぎました。
 
終わった後、私は“見えて 聞こえている”ことに甘えている、と思いました。
 
“聞こえない”ことで、逆に“伝えよう!”という気持ちをハッキリクリアに感じたこと、
笑顔でね、なんて思わなくても、伝えようとする気持ちが、笑顔となってあふれてくる。
そして極め付けは、コーチングを学び始めた頃からのお知り合いで、アテンドとして参加されているえりりんと、ちょこっと話せたこと。
なんと彼女は、聴覚障害がある今も、健常者の方向けの研修をされているという。
「ダイバーシティがわかりやすいよね!」と笑っている。
 
もう、「しのごの言ってる場合じゃない!」
 
お釈迦様は、生きることは「苦」だとおっしゃった。
どの立場で、どんな風に生きていようと、そこには人それぞれに「苦」がある、ということだろう。
 
「ここにこんな苦が…」とか、「〇〇だから難しい」とか、「嫉妬が・怒りが・悲しみが…ある」とか、そういう当たり前のことでしのごの騒いでないで、あれにもこれにも感謝してニッコリ生きたいぞ。
どうであれ、その姿勢・あり方を体現できたら、もう人生充分いい仕事したと言えるんじゃないかと。
で、結局しのごの言って終わったとしても、やるだけやったならそれはそれでもういいじゃん!
 
と、Dialog in Silence は私に教えてくれました。
一緒に参加した仲間と、迎えてくれた仲間と大勢の人たちに、心から感謝(*^^*)
 
ダイアログ・イン・サイレンスは、新宿駅東南口目の前のルミネゼロで開催中です。これはオススメ!
 

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こころのひと休み保健室の活動を始めてから、色々な専門家にお話を伺う機会が増えました。

先日は、都内のガン拠点病院で働く精神腫瘍科の医師にお会いできました。

 

精神腫瘍科とは、ガンの告知を受けたり、再発したりと、現状につらい気持ちを抱える患者さんやそのご家族を、

心理面からサポートするところです。

精神科医や臨床心理士、ケアワーカーなどの専門家で構成される、心強いサポートチーム。

 

こころのひと休み保健室は、元医療技術職に従事していて現在はプロフェッショナルコーチ、という経歴メンバーのチームですが、

私たちにどんなサポートができるのか、そもそも存在意義はあるのか…という根本的な問いを持ちつつ、

お話を聴かせていただいたのです。

 

現場の医師のお話は、ガン患者さんとそのご家族を支援する仕事の大切さと、その大変さを実感するものでした。

淡々と、おだやかな口調で話される先生です。

それでも、自分自身は余命を宣告されたわけでもない中で、命の期限を突き付けられて、生活のこと、仕事のこと、究極はご自分のアイデンティティに悩む患者さんと向き合うわけです。

きっと、先生ご自身も日々、自分が何のために生きるのか?という問いを突き付けられていらっしゃることでしょう。

 

一期一会というけれど、患者さんとの面談は、たった一つの問い、たった一つの答え、

そこにかける想いの深さと強さが問われるのだろうと感じます。

 

通常関わらせていただくクライアントさんたちは、たとえコーチがクライアントさんが投げてくれるメッセージを受け損なっても、

繰り返し形を変えてボールを投げ続けてくださいます。

一回受け損なったとしても、こちらが気づいて改めて投げ返せたり、

あるいはクライアントさんからもう一度投げてくれたりして、リカバーできる。

 

もしかしたら、そのリカバー力に無意識に甘えているところがあるかもしれない。

そんなことを、自分への問いと戒めとして持ち帰った時間でした。

 

そして、元医療技術職でコーチの私たちが、こころのひと休み保健室として関わることには、

必ず意義がある、と、根拠なく思った時間でもありました。

私たちの強みは、程よい距離感と、病気以外の日常生活のお悩みでも遠慮なく語っていただける立ち位置です。

 

とにかく一歩ずつ、前に進んでいきます!

 

 

 

 

 


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朝の散歩中に、近くの川でカルガモ親子(子は2羽)に遭遇しました。

こんなご近所にいたのねー、と驚きつつしばし見ていると、

子のうちの一羽が、親とはぐれてしまったのです。

 

ピーピーと鳴きながら、ちょっと焦った様子で親を探し回る子ガモ1。

そんなに鳴いては、カラスに目をつけられて捕食されてしまわないか、と心配になってきます。

しかし親は全く動じません。

子ガモ1はあちらこちらピーピーと鳴きながら、他の大人カモに近づいて無視されたりしています。

親ではない大人カモは、まるで「こないで!」と言わんばかりに、近づいてくる子ガモを避けるのですね。

ちょっと子ガモ1がかわいそうになって、心で応援しつつ見守る事しばし。

 

やっと親ガモを見つけて、ほっと一安心したかのように見えた子ガモ1。

迷子になっている間、悠然と泳いでいた親ガモと、ぴったり親にくっついていた子ガモ2は、

引き続き2羽ならんで泳ぎます。

少しの間親にくっついていた子ガモ1は、あっという間にまたフラフラと、興味をひかれたであろう方向に行ってしまいました。

この子はまぁ、性懲りもなく。

 

子ガモにもそれぞれ性格があるのですね。

初めて目の当たりにしました。

我が家の息子も、小さい頃みんなで遠足に行っては、自分の興味のあるもののところでずっと見入っていたり、

違う方向にふらふらーっと歩いていってしまったり、迷子になったこともあったっけ。

 

その後、子ガモ1が親カモ+子ガモ2とはぐれずにいられたかどうかはわかりませんが、

子どもの性質をありのまま受けとめつつ、育てていく苦労は人もカモも一緒だなぁと、しみじみした気持ちになりました。

 

暑い毎日、小さいお子さんを育てている親御さんは、あせもの心配や熱中症対策など、色々気を配っていらっしゃることでしょう。

お子さんの性質に振り回されるように感じている親御さんも、きっといらっしゃるでしょう。

 

我が子はすでに2人とも20代で、人生の選択は本人次第。すっかり手が離れました。

小さかった頃はあんなに大変だったのにな~と、ちょっと懐かしく思いつつ。

でも大きくなったらなったで、結局親はいつも子どもの心配をしているんですけれどね。

 

もうすぐ夏休み。

親は頑張りどころですね。

笑顔いっぱいの楽しい夏になりますように!

 

写真はイメージです。

 


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自分の感情、特に怒りや悲しさ、孤独感など、ネガティブに感じるものを、

他人に引き受けさせようとするシーンに時折出会います。

 

“こんなに私は怒っているんだー!”とアピールして、相手に謝らせようとか、

相手をコントロールしようとするとか、

 

“とても寂しい”と訴えて、自分に注目してもらおうとしたりとか、

 

とにかく八つ当たりのような、駄々っ子のような態度。

 

その背景には、きっととてもつらい気持ちがあるのでしょう。

自分では受けとめられないように感じているのかもしれません。

 

時には、自分でその気持ちを受けとめるためには、

“今、孤独を感じている”とか

“自分を大切にされなくて悲しい!”というような、

面と向かって認めたくはないようなことが起きている、と認める必要もあるかもしれません。

 

自分の感情を他人に引き受けてもらえば、それは一時は楽でしょう。

「ごめんね」と言ってもらえたら、自分の気持ちの居場所が見つかったような気になるかもしれない。

「あなたのこと、ちゃんと大切に想っているよ」と言ってもらえたら、安心するかもしれない。

 

ただ、それらは全部相手次第。

相手の腹の虫の居所が悪かったら、なぐさめてもらえるところか、相手も機嫌が悪くなって、

大喧嘩に発展するかもしれない。

逆にもっと寂しい想いを味わうかもしれない。

 

怒りや悲しさを我慢しなくちゃいけないわけではないです。

表現していい。

ただ、その気持ちは自分で引き受けることが大事。

 

誰かの行動で、怒りや寂しさを“味わわされている”という被害にあっているわけではない。

自分の中にあった、怒りのタネや寂しさのタネが、何かのきっかけで芽を出しただけ。

タネに気付かずにいると、同じことを繰り返さざるを得ないから、

「げ!」と思ったら、自分の中にあるタネに目を向けるチャンス。

 

“そうかー、大切にされない、と感じたらすごく悲しいんだね”とか、

“こういうことに怒りを感じるんだね”

と、タネさんの存在に気付いて、ヨシヨシしてあげよう。

 

…と、自分にも言い聞かせつつ♪

 

毎日暑いですね。

熱中症にはどうぞお気を付けて!

 

 

 

 

 

 

 

 

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